長島有里枝 インタビュー 2/3「作り続けること」

写真家・長島有里枝にC.I.P. Books主宰の西山敦子がインタビューを敢行。part2は、学生時代の貧乏旅行、「女」である以上に自分自身であること、表現の試行錯誤について。「誰かのためというより、どうすれば自分が生きやすいか、そのために何ができるかを考えている気がします」

by Sogo Hiraiwa; as told to Atsuko Nishiyama; photos by Eiki Mori
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nov 17 2017, 8:06am

part1はこちら:長島有里枝 インタビュー 1/3「フェミニズムと工夫」

——写真を撮り始めた頃に影響を受けたものについて、もう少しうかがえますか?

当時はインターネットもなかったから、海外の文化は自分の足で取りに行かないと手に入らなかったんですね。それで18歳から20歳までは年に2回ぐらいひとり旅をしていました。ロンドンで、スウェーデンからきたバックパッカーの女の子3人と一緒の部屋になって、男の子の話をしたときに「なんでコンドームが財布に入ってないの?」とか「男の言うことなんて聞かなくていいのよ」とか言われました。他にもフランスのロック好き女子とか。サンフランシスコではイギリスのサブカル女子、一人でバーニングマンを見に来たヒッピーのオーストリア人の女の子とかに出会って、彼女たちとの交流からの影響はありましたね。あとは海外の雑誌に出てくるような女性像とか。日本では女優が泣きながらヌードを撮られているのに、パリコレのランウェイでは乳首スケスケのブラウスを着たモデルが堂々と歩いていて、ライオットガールの記事にはちょっとぽっちゃりした普通の女の子が裸でパフォーマンスしている写真が載っている。マドンナの『SEX』がNYのタワレコの書店で平積みになっていたりとか。第三波フェミニズムと意識的につながっていた、と言えたらいいんですけれど、そこまでなにも知らなかったんですよね。ただ、私はまさにそういう時流の中にいて、手に取るものや知り合う人で気になるのはやっぱり同じようなフェミニズムへの関心を持った事柄や人だったと思います。写真家としてデビューしてからも、スーザン(・チャンチオロ)から連絡が来たりして、お互いに共感できる何かを感じてはいたんだと思う。

——ではそんな中で、同じ時代の海外の人やアーティストたちには、日本での見方とは全然違うふうに自分の作品を見られている、受け止められているということも感じましたか?

それもね、振り返ってみて初めてわかるというか。欧米のキュレーターたちはわたしの作品を、間違いなくフェミニズム的なものとして受け止めていたと思います。1996年には、デンマークのルイジアナ美術館で行われた「NowHere」というとても大きなフェミニズムのグループ展に参加させてもらったし。デビューしたばかりの頃、林央子さんが私やひろみちゃん(HIROMIX)のやっていることを、当時の欧米でガールカルチャーと呼ばれていたムーブメントと結びつける解釈をあちこちで書いたり、話したりしてくれて。日本では、彼女の解釈があってまだ救われていたと思う。彼女は、ソフィア・コッポラやキム・ゴードンなどアメリカの女性アーティストを集めて、パルコでグループ展をしたりしていました。でも、ビキニ・キルやL7とはタイプが違いますよね、ソフィアとかキムって。もっとマイルド、カレン(・キリムニック)はまた別かなと思ったけれど。

——そうですね、ガールカルチャーという中にライオットガールが含まれる部分、共通するところも当然あるかと思いますが、それでもやはり問題意識の持ち方や、それこそ「やり方」の違いは、はっきりあると思います。

そう。L7やビキニ・キルって日本では怖い印象なのかもしれない。全然知られていなかったし、そういうバンドが好きだっていう女の子に私は会えなかったから、東京で。

——私はレズビアン文学やフェミニスト・アートから入って、SNSが出始めたくらいの頃にかなり後追いでライオットガールなどのパンクフェミニズムに興味を持ったんです。そこで日本にもライオットガールが好きな人いた! つながれた! と思いました。

じゃあ2000年くらい?

——2003、4年とか。でも確かにそれ以前は、出会うのが難しかったですもんね。

そう、出会えない。本当にそういう時代だった。シアトルに引っ越し先を選んだのもビキニ・キルの影響がすごく大きい。会えなかったけれど。

《Matt in Vertical Ramp》1996年 ゼラチン・シルバー・プリント

——シアトルに行ったからといっても、そうそう会えない(笑)。

うん。シアトルの文化に憧れて遊びに来ている子には会ったりするんだけど。あと、ロック以外にもHIPHOPやR&Bがすごく好きでした。16歳のときにスパイク・リーの映画を見て、パブリック・エネミーのアルバムを買いました。結局、また女性アーティストたちに惹かれていくんです、彼女たちの歌詞はパワフルで共感できるものだったから。でもそれも、系統立った聴き方ではなかったと思う。

——やはりその中でも女性のアーティストに惹かれていったんですね。

いわゆる「依存の対象」となる男なんかいなくたって、全然生きていけるじゃんって、TLCもメアリーJもエリカ・バドゥも歌ってましたから(笑)。

——それは例えば、そこからシスターフッドみたいな、女性たちのつながりを自分の周りに作る、というようなことに発展していきましたか?

うーん、でも日本にそういう人たちっていたんでしょうか。 友達はみんなそんな感じじゃなかったけど。彼氏ができたら、彼氏との約束を優先するのって当たり前だったし。女どうしの連帯みたいなものを望んでるのに、自分だって彼氏ができたら同じで(笑)。だから、思想的には孤立していた気がする。でも、もしそういうコミュニティが存在していたとしても自分は属さなかったかもしれないし、もし属していたら、初期のピンナップガールのパロディみたいな作品は、批評が怖くて作れなかったかもしれない。

——なるほど、逆にどう思われるかを気にして。ではもしそういう仲間が見つけやすい状況だったとしたら、テーマも作品自体もかなり違うものになっていたかも、と思われますか?

当時、お金がなかったことともうひとつ、人とのコミュニケーションに対する苦手意識の問題がありました。それは今でもそうで、人づき合いは苦手。子どもが生まれて、保育園時代は苦しくなかったんですけれど、息子が地元の小学校に入ってからはママ友もできないし、PTAとか辛かったですね。話が合わないのがわかっているから、どう話したらいいかわからない。

——その感覚はすごくわかります。とはいえコミュニケーションや人と何かをするのは得意じゃない、とおっしゃりながらも、特に近年はいろいろな方と共同で作る作品も多いですよね?

そうなんです。自分でも不思議に思うんだけれど、なぜか人と関わろうとしてしまいます。人が嫌いなわけじゃないし、親友もずっといるんですよ、その人たちしかいないだけで。昔はそれも絶対に女の子だったんだけど、大人になると『セックス・アンド・ザ・シティ』で盛り上がるような仲の良い男友達もできました。恋愛感情が絡まなくったからなんでしょうけれど。

〈empty white room〉より 1994年 発色現像方式印画

——では例えば今、「女性どうしの連帯」というようなはっきりした形ではないとしても、物を作って表現したいとか、写真家になりたいという、とりわけ女の人たちに対して、力になったりサポートしたいという気持ちは強くありますか? もちろん作品を通して、という部分もあると思うんですが。

誰かのためというより、「どうすれば自分が生きやすいか」、そのために何ができるかを考えている気がします。例えば、わたしの授業が終わってお茶しようってなることがあるんですが、男子が一人参加することで全員がその子の話に「うんうん」と頷くだけの会になることが実際にあります。そういうとき、私はものすごく不機嫌になってしまうんです。ちっとも楽しくなかった、ご飯作る時間を割いてここにいるのに!って。そういう経験が結果的に、女性だけの場を持ちたいと思う気持ちにつながっている気がします。今の女の子のために何ができるかっていうのは難しいですね。直接的には、アシスタントやお手伝いをお願いするとき女性優先にするくらいしかできていないかもしれない。あとは審査員なんかをするときに、女性として世界を眺めたことがない人にはわからない価値基準をおじさんたちにとうとうと話して聞かせるとか(笑)。大学のシラバスには、ガーリーフォトムーブメントの実践を参照する授業だということを明記していて、「若いこと」とか「女性であること」が写真家にどのような影響を及ぼすのかを考えるということも言っています。。それを読むと、授業は基本的に女性やフェミニズムの視点でおこなわれるとわかると思うのですが、男子学生も参加してくれます。そのぐらいですね、できているのは。

——でもそれはすごく大きいですよね、男性たちが将来的にそういう「おじさんたち」みたいな人ばかりにならないためにも。「自分と関係ない、女の人たちの問題」ではないんだという意識を持てるかどうかは、そういう情報を知るか知らないかでかなり違うのでは。

うん。だから男女を問わず女性の社会における立場などの話をしています。昔は男性に対する苦手意識もあったけれど、息子が生まれて、「男なんてクソだ」と思うのをやめなきゃと思いました。今は女/男というジェンダーの二分化をなくせたらいいなと思っています。ただ、実社会では自分が「女」として扱われているのが現状で、そこで得た経験をなかったことにはどうしてもできないし、あたかも性別の括りがないかのように振る舞い始めたらきれいごとになってしまうところが難しいですよね。

《わたしたちの部屋(朝)》〈SWISS〉より 2007年 発色現像方式印画 東京都写真美術館蔵

——そうですね。私も、男と女しかない二元論には居心地の悪さを感じるし、男だから女だから、という考え方もできるだけなくなる方向で、と思います。その一方で現実に社会にある「男女の不平等」をないことにできない。ただ、生き方の選択もジェンダーのあり方も多様化する、してしかるべき時が来ている中で「女性」とは誰なのか、という問題もありますね。

最近は、すべての女性の立場がわかるわけじゃないと痛感しています。たとえば、審査会などでは紅一点であることがまだまだ多いんです。そのとき、その場での私の意見はどうしても、「女」を代表した意見として受け取られがちです。でも、私は結婚と子育て、離婚の経験があって、自分の作品も考え方もそういう立場を経た一人の「女」のものでしかない。例えば、40歳で未婚で、結婚願望はあり、という女性の経験や考えることは、話してもらわなければわからない。データで見れば、私も彼女も既婚者ではないんだけれど、「別にいいじゃん、結婚なんてつまんなかったし」と思って私が結婚しないのと、彼女のケースとは明らかに違う。私がその言葉を彼女に向けたら、そこには権力構造さえ生まれる。。逆に、「シングルマザーもそれなりに大変だと思う、でも子どもがいるだけ幸せ」なんて言われることもある。でも、わたしの経験を共有していない人に軽々しくそんなこと言われたくないなと思う。そういう女どうしの対立が生まれるのをなんとかしたいと思っているんですけどね……。毎回、何をやっても言っても「こういうところがちゃんと考えられてないな」って思うことばっかりです。だから例えば、うちの母の世代の女性のライフコースをテーマにして作品を作るのって意外と簡単というか、わかりやすい。あの世代の人にはある程度、決まったライフコースがあったから。

——今はその世代に比べれば選択肢も増えて、けれどなんでも思い通りになるということでもなくて、本当に様々ですよね。それぞれが必ずしも共感しなくとも、お互いの立場をわかろうとする、そういうのがたぶん理想なのではないかと考えますが……。

それが意外と難しいことなんでしょうね。グローバル化にともなって世界の権力構造があらゆる角度から明らかにされてきたいま、だんだんと難易度の高い関係性の構築に取り組まなくてはならなくなってきていると思います。これまでの作品で題材にしてきたことはわりとシンプルだったとも言える。例えば『not six』にしても、撮る側と撮られる側の逆転と説明してしまえばわかりやすいけれどもフェミニズム的には少し古い感じ、つまり性の二極分化を自明のものとして無意識に肯定してしまうことにつながる危険性がある。まぁ、どの作品にも失敗はありますけれどね。

〈not six〉より 2000年 発色現像方式印画

——過去の作品へのそういった批判的な視点がご自分の中で生じると、「失敗だった」という捉え方になるものですか。

失敗というか「なるほど、そうなっちゃったか」というのかな。写真そのものに、言語化できる意味や価値は備わっていないと思うんです。でも作者や鑑賞者がそれらを言語的に解釈する、その仕方にはつねに改善の余地があると考えています。例えば、初期のヌード作品も自分ではヘアヌード写真に対抗的な作品として制作したのに、まさにそのヘアヌード写真の系譜に位置づけられたことがあったし、アメリカの学校ではまた同じ写真が、白人男性がアジア人女性に抱く性的ファンタジーを助長する作品だと批判されたことがありました。でも、一歩ずつ地道に誤解を解いたり、反省を活かした新作を作るとかしてやっていくしかないと思う。フェミニズムを自分なりに学んだ上で、女性の立場からみえる風景を作品化したいと思ってやってきましたけれど、知らないことが多いから新しい発見も多く、「次はこうしたい」というのはいつもありますね。

——何かに疑問を感じて、そこからコンセプトが生まれて作品ができていって、でもまたそこに足りないもの、必要だった他の視点が出てくるということですね。そうやって進んでいくことこそフェミニスト的なやり方とも言えるのでは、と思います。

今回の展示で改めて思ったのは、ひとつの作品で言えることはやっぱりそんなに多くないということです。作品をまとめて見ることで初めて気づくこともあって、「次にこういうことをしたらあの作品が報われる」と思ったり。ある作品を見てわからないと思った人でも、この展示で他の作品を見て「なるほど」と思うようなことがあるかもしれない。自分もそう思ったし、そういう感想も聞きました。やっぱり、続けるしかないのかなと思います。

〈インタビューの続きは近日公開〉

長島有里枝 そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。
2017年9月30日(土)〜11月26日(日)
東京都写真美術館 2階展示室
休館日:毎週月曜日(ただし月曜日が祝日の場合は開館し、翌平日休館)