​ガールカルチャーに生きるリアルな女の子

ローレン・グリーンフィールドの最新写真集『Girl Culture』は、21世紀の幕開けの陰で必死に生きるアメリカの女の子たちを捉えた作品集だ。

by Oliver Lunn
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23 September 2016, 2:05am

ローレン・グリーンフィールド(Lauren Greenfield)の最新写真集『Girl Culture』から感じずにいられないのは、そこにそこはかとなくにじむ悲しみだ。チアリーダー、ストリッパー、モデルや、初の経験を前に緊張の面持ちが隠せない女の子たちなど、そこには「もっと痩せたい」「もっと背を高く見せたい」「もっと人気者になりたい」という情熱に胸をかきむしる女の子たちのカルチャーが浮き彫りになっているからだ。15歳のシーナは「毛とかほんとにイヤ」と腕の脱毛を繰り返し、18歳のジェニファーは摂食障害専門のクリニックに、13歳のフィナは日焼けサロンに通う。

5年の歳月をかけて撮りためた写真を収めるこの作品集では、人気者の女の子も人気のない女の子も被写体となっているが、そこに見えてくるのは、彼女たちが共通して抱える自信の欠落と不安だ。グリーンフィールドは、そこにただそれを映し出すだけでは飽き足らず、まるで貪欲に真実を暴こうとするレポーターのごとく、被写体となった女の子たちにインタビューを行い、アメリカで女の子として生きることの真実を浮き彫りにしている。ここで用いた一人称形式でのインタビュー起こしというスタイルは、グリーンフィールドをドキュメンタリーの世界へと導き、2006年作品『Thin』、2012年作品『The Queen of Versailles』、そして、「"Like a girl(女の子らしく)"という言葉がいかに侮辱的な響きを帯びて思春期にある女の子たちに影響を与えるか」をテーマとしてエミー賞も受賞した『#likeagirl』を生み出すきっかけとなった。

グリーンフィールドに『Girl Gulture』について聞くとき、私はこの2002年初披露のこの作品群について聞くことがグリーンフィールドにとっては過去を振り返ることを意味するのだと肝に銘じていた。しかしグリーンフィールドは、そこにメディアの影響や同族から感じるプレッシャー、そして「女の子たちを性的なものとして描く」ことに100%の献身を見せる人々がいるカルチャーという、いたって今日的な根深い問題を見ていた。

Girl Culture』では、チアリーダーやアウトサイダーなど、映画でよく見かけるようなキャラクターが多く捉えられていますが、あなたはそのような"ベタなユース"の下に巣食うものを浮き彫りにしようとしていたのでしょうか?
ベタなものには力があるし、ベタなものを掘り下げて捉えたものにもまた力が宿っているのだと思います。ミネソタ州エディナで出会った女の子たちのなかで、いわゆる人気者の子たちから、私はふたつのことを学びました。ひとつは、人気というものが彼女たちにとってとても重要だということ。ステレオタイプそのままの重要性を持っているのです。そしてその下にあるもうひとつのこと——下の層にある、ほとんど人類学的なレベルの話ですが、彼女たちが執着するその"人気"というものが、商業的な価値をベースに成り立っている概念だということです。Abercrombie & Fitch、Gap、もしくはJ Crewで買い物ができる自分でなければならず、着る服は当然ながらそれら3ブランドのものでなければならないわけですが、人気がある他の女の子と同じものは着られない。カブると途端に機嫌を損ねていましたね。

あなたの作品を見ていて気付いたのは、人気のある女の子たちは、彼女たちが思っているよりも多くの点で、いわゆる"人気のない女の子たち"と共通しているということでした。
そうなんです。ロサンゼルスに育つキッズをテーマにした処女作『Fast Forward』を制作しているとき、すでにそれは見えていました。表紙に使った写真はビーチでコンバーチブルに乗っているビバリーヒルズ高校の生徒たちを捉えたもので、真ん中にうつっているミジャヌーは「ビバリーヒルズ高校のベスト・ボディ」にも選ばれたとても美しい女の子なんですが、インタビューでは周囲に受け容れられるための努力の大変さ、家が貧しいこと、そして高校の同級生たちが当たり前のように持っている服や車や家が自分にはないことの苦悩を語っているんです。『Fast Forward』の作品を展示したエキシビションを開催したとき、彼女のクラスメイトたちがその言葉を読んで、「は?ミジャヌーに悩みなんかないはずだし」と言っていたのを覚えています。まさにそれなんですよね。

Girl Culture』には、見ていて辛くなる場面もありますね。摂食障害や体重に悩む女の子を捉えた作品には胸が痛みます。そういった問題を抱える女の子は多かったのでしょうか?それとも稀でしたか?
摂食障害や体重の悩みは、私自身が高校生の頃に見たり経験したりしていたので、その存在は熟知していました。私のシリーズの多くは思春期や成長期に差し掛かった女の子たちを被写体にしていて、『Girl Culture』のアイデアは、高校時代に女の子たちが経験する不安や体重の悩み、ファッション、人気者になりたいという渇望について考えているうちに思いつきました。そこから女の子たちがそれぞれ語ってくれた内面がプロジェクトの方向性を示してくれたんです。行き先など分からずに背中を押されているような感じでした。女の子にとって、表現方法としてもっとも重要なのが体なのだということ、そしてこのカルチャーにあって露出というものがいかに大きな意味を持っていて、それが普通の女の子たちにも大きく影響しているという現実について考えましたね。

成長過程において彼女たちが直面する最大のプレッシャーとは一体何なのでしょう?
安易に「これが最大の問題」とは私には言えません。でも彼女たちにとって、自分をどう見せるかというのがとても重要な意味を持つのだということは言えると思います。体重であったり洋服であったり、個性であったりね。ソーシャルメディアの時代にあって、そういったものは私がこれらの写真を撮っていたころからさらに先へと進んだように思いますね。現代は、自分のブランディングやマーケティングに重きをおいていて、個性もその一部かもしれませんが、なんにせよ大切なのは外見なのです。それが『Girl Culture』制作のインスピレーションになりました。

ここに収められている写真の女の子の多く——メイクや服のブランドばかり気にしている女の子たち——を「表層的」と感じるひとは多いと思います。部外者としてあなたは、彼女たちに先入観を持たないよう意識しましたか?
私は彼女たちに見下す要素を見つけられないし、むしろ写真に写っているすべてのキッズに自分を見出すことができますよ。私の作品を見て「普通の子は撮らないの?」と言うひとがいますが、作品の中にいるキッズは全員が「普通」なのだと思います。私たちだれもが影響を受けているカルチャーの一部を浮き彫りにするような瞬間を捉えたい、それが私の創作意欲の源です。私たちの人生がどれだけ意味深いものであったとしても、私たちはみな、そこに鏡があれば覗き込んでしまうものなのです。そういう人間臭さのようなものを笑うことなんて誰にもできないはずです。だから、私は誰かを指差して何かを指摘するつもりなどまったくないのです。見る者が被写体に自分自身を見てしまうような、そういう作品を私は作り出したいのです。

InstagramSnapchatがあることで、ティーンは過剰ともいえるほどの自意識を持つようになっています。そんな現状から、女の子たちは今後も真の自分をさらけ出すより、自分のイメージを構築していく方向へと進んでいくのでしょうか?
メディアの影響というものをテーマに様々な作品を作ってきましたが、実際のところ、アイデアの多くはソーシャルメディアと同じ方向性で膨らんでいったんですよ。ただ友達に見せるための自分ではなく、バーチャルではあるにしろ世界へ向けた自分を構築していくという方向性ですね。現代は、イメージというものが以前よりも大きな意味を持つようになっています。「自分はソーシャルメディアで構築したイメージのみで世界中の人たちから知られている」という意識が彼女たちにはある。ブランドを愛するという方向性ではなく、自分がブランドになるという時代なのです。興味深くもあり怖くもあるけれど、よくよく考えれば私自身も取りざたされては消えていった多くのトレンドに乗っかったことがありましたからね。でも、ひとつ昔からは大きくポジティブに変わったのが、人々の自意識だと思います。『Like A Girl』ではそれを表現できたと思いますね。新しい概念ではないけれど、ようやく時代が追いついた概念でした。

大きな話題となった『Like A Girl』ですが、あの作品で目指したのは『Girl Culture』であなたが試みたものと同じだったのでしょうか?
『Like A Girl』は、とても具体的なテーマを扱った作品でした。タイトルにした「女の子らしく」という言葉、その極めて客観的な物言いが、いかに侮辱的な響きを帯びるようになったかについて探ったわけです。そのフレーズそのものに関して数百人を対象に調査をしてみたんですが、ある一定の年齢から、誰もが「女の子らしく」という言葉にネガティブな含みを感じ始めることがわかりました。人類の半分は女性なのに、こちらの半分を指す「女の子らしく」という表現にだけ、隠されたニュアンスを感じるということ。しかし、ならばその「Like a girl」というフレーズが本質的に持つ意味とは何なのか。それは何の意味もない言葉でしたが、その問いを投げかけてみると、そこに起こった反応は感動的でした。幼い女の子たちに「女の子らしく走ってみて」「女の子らしく戦ってみて」と言ったら、その子たちが見せてくれた走りや戦いはどれも「全力」だったのです。それを見て、最終的には女性誰も誰もが、「"Like a girl"とは、女性にとって"自分らしく"という意味」という気づきに至ったんです。というわけで、『Girl Culture』では体がテーマだったのに対し、『Like A Girl』はより「女性であることへの覚醒」に焦点を当てていたので、直接的な関連はありません。しかしながら、いま、「私たちはみんな同じ」だけれど「同じじゃないのが当たり前」という矛盾を生きる現代人にとって、あれは意外な意味でパワフルな作品になったのではないかと思います。

Girl Culture』に登場する女の子たちと『Like A Girl』に登場した女の子たちに違いはありましたか?
ないですね。『Girl Culture』は、女の子たちを性的なものとして描くメディアや同族からのプレッシャーをテーマにした作品です。いまソーシャルメディアに女の子たちがアップしている投稿を見て、それを読み解いていくと、今や世の中にはこの「女の子を性的に描く」という現象に溢れているのがわかると思います。『Girl Culture』に私が捉えたセレブを見てみると、たとえばジェニファー・ロペスがローカットのドレスを着ていたりしますが、今という時代は、セックス映像が流出したキム・カーダシアンがセレブリティとしてもてはやされたりしています。『Girl Culture』の写真で映し出した現実も今日の現実も、そこに大きな変わりはないのです。ただ、女の子たちの表現がおとなしかっただけのことでね。

www.laurengreenfield.com

@OliverLunn

Credits


Text Oliver Lunn
Photography © 2002 by Lauren Greenfield
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.

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