YOSHIKIと監督が語る、X JAPANのドキュメンタリー『We Are X』

波乱万丈のバンドX JAPANとビジュアル系カルチャー、そして彼らが生き抜いたロックンロールな30年間を描いたドキュメンタリー映画『We Are X』。イギリスでのプレミア上映に参加していたYOSHIKIと、映画を監督したスティーヴン・キジャックに話を聞いた。

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06 September 2017, 6:46am

This article was originally published by i-D UK.

X JAPAN神話とは、すなわち波乱の歴史だ。しかし、その渦中にいたYOSHIKIからすると、少し違って見えていたようだ。

「おもしろい時期であり、とても辛い時期でもありました」と、YOSHIKIの名でX JAPANのリーダーとして活躍してきた林佳樹は話す。決裂、メンバーの洗脳事件、そして悲劇的な死が起こった時期を表すにはあまりにも控えめな表現だ。

X JAPANは、楽しい雰囲気のうちに始まった。1980年代に、その髪、ジェンダー観を無視した服装、スピードメタル、パワーバラードで東京のロック・シーンから爆誕し、広く熱狂的なファンを獲得して3000万枚のアルバム・セールスを記録した。そしてお姫様のようなドレスを着て、過剰ともいえるメイクをほどこし、染めたり脱色したりした髪を高く立ててスプレーで固め、日本のビジュアル系文化を築き上げた。

しかし90年代に入ると、それまで順風満帆だったX JAPANの歯車が狂いはじめる。Atlantic Recordsとの契約で米デビューが決まっていたX JAPANだったが、これが立ち消えとなり、1997年にはリードシンガーであり、YOSHIKIの幼馴染だったTOSHIが、よりシンプルな生活を求めて脱退を申し出た。後に、TOSHIがカルト集団から洗脳されていたことが発覚。翌年、X JAPANのギタリスト、HIDEが死去した。自殺と考えられている。これをきっかけに、X JAPANのファンたちのあいだで自殺が相次いだ。1992年に脱退していたベーシストのTAIJIも、自殺未遂を経て亡くなっている。

当時、X JAPANを日本国外で知る者は少なかった。しかし解散から2007年の再結成までの10年間で、インターネットの普及に後押しされて彼らのファン層は拡大していった——アメリカ人映画監督スティーヴン・キジャックにドキュメンタリー映画の撮影依頼があったり、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでコンサートを開催する予定まであったほどに、彼らの人気は拡大していた。

キジャック監督がカメラでX JAPANを追い始めたのは、ちょうどその時期のX JAPANだ。このドキュメンタリーのなかで、YOSHIKIは苦難に満ちた過去について少しずつ口を開いていく。完成した映画『We Are X』がロンドン映画祭でプレミア上映された直後、i-Dは、YOSHIKIとキジャック監督に、映画とバンドについて聞いた。

このドキュメンタリーの企画はどのような経緯で持ち上がったのでしょうか?
YOSHIKI:何年か前に、アメリカのエージェントがドキュメンタリー映画を作るべきだと提案してきたんです。僕は「絶対にいやだ」と思いました。悲しすぎるので。僕たちに起こったことはドラマチックすぎる。とても耐えられないと思ったんです。何年もそのことについて話し合いました。最終的に、この映画が精神的な痛みに苦しんでいるひとたちの救いになるかもしれないと思い、「やろう」ということになりました。

監督はもともとX JAPANを知っていたんですか?
スティーヴン:知りませんでした。検索してみて、まず何よりもそのビジュアルの印象が強く残りました。それからより彼らについて知るようになると、「これほどイキイキとした世界を今まで知らずにいたんだ」と恥ずかしくなりました。

ビジュアル系のルックスは、どんなアイデアから生まれたものなのですか?
YOSHIKI:僕が最初に夢中になったバンドがKISSだった。そしてデヴィッド・ボウイとあのスタイルに深い感銘を受けていた——ほかにも、ジャパンやデュラン・デュラン、セックス・ピストルズといったバンドに大きな影響を受けていたんです。また、当時の僕たちはとてもヘビーな音楽をやっていて、友達が「アーミーの服装でプレイしたらどうか」と、逞しくクールな男らしい世界観を提案してきたんですが、翌日、僕はドレスを着て現れたんです。僕たちはすべてに反抗して、ひとが言うことに逆らうのを楽しんでいました。毎日がハロウィンでしたね。

スティーヴン:イギリスでボウイが女性の服を着たとき、あれはジェンダーやセクシュアリティの概念に挑んでいたわけですが、X JAPANの伝記を書いた著者にそう話すと、彼女はその意味がわからずに混乱していました。彼女は、「X JAPANは自由を表現しているだけだ」と。

YOSHIKI:その通りですね。

スティーヴン:型を破って、自由を表現している——彼らは観客に鏡を向けて、「君たちもこうなっていいんだよ」と言っていた。ジェンダーの話じゃなくて、存在を、現実を変えていこうというメッセージだったのです。

YOSHIKI:僕は、とても厳しいクラシック音楽の教育を受けてきて、ベートーベンやショパン、モーツァルトの思考を辿ることばかりを教えられてきたんです。そこへ、ロックとの出会いがあった。そして自分なりに理解していった。ロックは自由であるべきなんです。色んな音楽をプレイするようになると、批評家たちは「これをやれ」「あれをやれ」と言うようになったけど、僕たちはそういうことに逆らうのをモットーとしていたんです。ルールをことごとく破るということ——自由ですね。

初期X JAPANのビジュアルは、バンドや彼らが作っていた音楽について誤解を生んでいました。映画を撮っているとき、そのことは知っていましたか?
スティーヴン:はじめは多くの人と同様に、X JAPANをポイズンやほかの大きな髪型の陳腐なメタル・バンドと同じ、いわゆる"ヘア・メタル"だろうと思っていたんです。でも彼らと話してみると、そこにはもっと興味深いルーツがあるんだと気づかされました。パンクやグラムロック、ボウイ、キッスなど、僕とも共通するテイストを彼らは持っていたわけです。

YOSHIKI:ヘア・メタルみたいじゃなかったでしょ?

スティーヴン:まったく違った。素晴らしく作りこまれた髪が共通していただけで。彼らは、僕が若い頃に大好きだったものに広く影響を受けてきたんです。

YOSHIKIさん、アメリカに進出しようとしたとき、そのような誤解が広くあったことには気づいていましたか?
YOSHIKI:そういうことは日本でも経験していたから、そのことでアメリカ進出を躊躇することはありませんでした。日本の音楽シーンで、僕たちはどこに属することもできず、厄介者扱いされていたので。デビューしたときには、誰も僕たちを理解してくれませんでした。毎日、批評家たちにこき下ろされましたよ。日本のロック雑誌では、批評で「星ひとつにも値しない」とも書かれました。結局、星の数はゼロでした。音楽的にもルックス的にも、僕たちはどこにも属していませんでした。僕たちもそんなことは気にしませんでした。

ドキュメンタリーを作るうえで、何が困難でしたか?
YOSHIKI:常にカメラがついてくるというところですね。母は、僕が短命だと信じて疑わず、ソニー・レコード社と契約をした際、「生きているうちにできるだけ息子の映像や写真を残しておいてください」とレコード会社に言ったんですよ。それ以来、常にカメラが回り続けている状態です。辛かったのは、僕が10歳のときに自殺した父や、バンドのギタリストの死、ベーシストの死、そしてボーカルが洗脳されてカルト信者になったことについて話すことでしたね。

スティーヴンに映像製作を任せるというのは、あなたにとって難しいことでしたか?
YOSHIKI:普段はドラムセットからあらゆることを自分で取り仕切るんです。でも今回の映像では、すべての瞬間が苦痛を伴うので、それをするのは無理でした。

このドキュメンタリーを見て、なにか学べたことはありましたか?
YOSHIKI:僕たちの人生がいかにハチャメチャだったかということですね。こんなことを言うのも変かもしれませんが、いかに自分が強い人間かということも学びました。僕は脆い人間です。でも映画を見て、自分は強い、自分は生き延びたんだと気づいたんです。あれだけの辛い経験をして、それでも僕はいま生きてここにいるんだと。

X JAPANの歴史を振り返って、何を思いますか?
YOSHIKI:X JAPANは、幼馴染のTOSHIが洗脳されてバンドを脱退し、その5ヶ月後にHIDEがこの世を去って、1997年に解散しました。再結成したとき、世界中にファンがいることに気づかされ、僕は「夢でも見ているんじゃないか」「僕は死んでしまったのだろうか」と思いました。現実とは思えなかったんです。10年という期間、X JAPANは何も活動をしていなかった——ただ悲しみに暮れていただけだったんですから。

映画では、ロックンロールに取り憑かれたようなあなたの姿が見られますが、実際にあのようになるのですか?
スティーヴン:"ダイナマイト"っていうあだ名がついてるんだよね? "君に近寄ると爆発する"という意味でつけられたとか?
YOSHIKI:この映画ではその方向には持っていかなかったけどね(笑)。僕たちはドラッグはやりません。たくさん飲みはしますが。

髪はどうやって作っていたんですか?
YOSHIKI:ヘアスプレーをたくさん使いましたね。ヘアスプレー用の車を用意していたぐらい大量に——本当ですよ!

wearexfilm.com / xjapanmusic.com

Credits


Text Colin Crummy
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.