心理的虐待者とただのクソ野郎の違いとは何か?

近年、欧米で議論が活発になっている〈ガスライティング〉。他人に自分の記憶や感覚を疑わせるこの心理的虐待は、フィジカルな虐待と違って当事者であっても気がつきにくい。ここでは、混同しやすい〈ガスライティング〉と〈ただのクソ野郎〉の見分けかたを紹介。

by James Greig; translated by Ai Nakayama
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02 September 2019, 6:54am

今、かつてないほどに心理的虐待、特に〈ガスライティング〉と呼ばれる虐待行為についての議論が活発化している。妻に、妻自身が正気を失ったと思わせようとする男が登場する、1938年のパトリック・ハミルトンによる戯曲『ガス燈』から名付けられたこの行為は、他人に自分の記憶や感覚を疑わせることを意味し、被害者はしばしば、生活が破綻するほどに追い込まれる。

2016年12月『Teen Vogue』が、「ドナルド・トランプが米国にガスライティングを行なっている」と題した記事を発表してトランプを非難したり、人気テレビ番組『Love Island』で2シーズン連続目撃された、ガスライティング行為を各メディアが取り上げるなど、ここ数年、〈ガスライティング〉という言葉を見かけることが増えた。

それは多くの点でいいことだ。おかげで私たちは、自らの人間関係が、虐待的なのか否かを検討するための枠組みを知ることができる。もちろん、それだけで問題を解決できるわけではない。虐待的な関係性から脱け出すのは、実に困難で、ときには危険も伴う。しかしこの関係は何かがおかしいと理解すること、あるいは少なくともそう認識することは、その大切な第一歩となりうる。

ただ、この1歩を踏み出すことが大きな壁なのだ。心理的虐待は、身体的虐待よりも特定することが難しい。すべての人間関係に、衝突の瞬間というものがある。また加害者にとっても、解釈の余地が比較的少ない身体的な暴力より、心理的な虐待行為を否定するほうがずっと簡単だ。

「私は殴っていない」とウソをつくことはなかなかできなくても、「さっき君に冷たく当たったけど、あれはただの冗談だから」とは言えてしまう。

このように、心理的虐待の認知度が高まりつつあることは肯定的に捉えるべきだろう。しかし、虐待、そしてその用語が世間一般に広まることが、虐待の加害者の一助になってしまう面も指摘できる。心理的虐待というものが、一過性のトレンドとして軽視されてしまうと、加害者が自らの虐待行為を否定することも容易になる。

私がかつて、当時のパートナーに彼のガスライティング行為を指摘したとき(指摘は適切だったと思う)、彼には「それ『コスモポリタン』で読んだ? ただのバズワードだろ」と一蹴されてしまった。そのとき私は、自分が愚かで軽薄な人間に思えてしまい、彼に黙従するほかなかった。

私たちが心理的虐待について語るときは、自らが使う言葉の意味をできる限り明らかにしておくこと、そしてひとを傷つけるような言動すべてが虐待というわけではないと認識すること、それが重要だ。

「人間なら誰しもがしてしまうような悪い言動、有害な言動が、ただちに〈虐待〉とカテゴライズされてしまう傾向が今はあります。実際はそれが、未熟さや意地悪さの表れにすぎないものだとしても」と語るのは、23歳のサラ。彼女もかつて、虐待の被害を受けていた。

私は彼女を含む、虐待の直接的な被害者たちと話をし、虐待と、単純に機能不全に陥ったつらい関係性の違いを探った(とはいえ、後者に害がない、というわけではない)。

現在、DVや性暴力の被害者専門のカウンセラーとして働く29歳のジェマは、自身も心理的虐待の被害にあったことがある。パートナーが虐待をしているのか、あるいはそのパートナーがただ単に嫌なヤツなのか、その違いについて彼女に訊いた。

「主な違いは、相手がただのクソ野郎の場合なら、自分もそれを認識できるし、友人たちからの同意も得られることです。相手がひどいことをしてきても、自分はそれについて、相手に少なくとも反論はできる、と感じます」とジェマは説明する。

「いっぽう、心理的虐待者はもっと陰湿です。もし、被害者が何かおかしいと思っても、十中八九、おかしいのは自分だ、と思ってしまう。なぜなら加害者は、被害者がそう思うよう操っているから。加害者は基本的に外面が良いので、被害者は友人たちからも、考えすぎだよ、と言われてしまう。あるいは逆に、被害者の友人たちからあえて自分が徹底的に嫌われるように図り、被害者にだけいい面を見せることで、被害者を友人たちから遠ざけるという手もあります」

他に、注意すべきサインはあるだろうか?

「ドラマ・トライアングルですね」とジェマ。「職場で、毎日この虐待サイクルを耳にします。常に同じです。虐待者が〈ドラマ・トライアングル〉を生み出す。つまり、彼らは、救助者、犠牲者、迫害者という3つの役割を自由に動き回るんです。そして自分以外の役割に他人を当てはめる」

「たとえば、まず弱い立場にあるひとの心を惹きつけ(救助者)、次に相手の弱さを悪いものとして糾弾し(迫害者)、そして、心が弱り不安な状態にあるのは自分のほうであり、その原因はお前だ、と相手を責める(犠牲者)。これがおのずと虐待を意味するとは限りませんが、虐待者はたいてい、このゲームモデルに沿っているといえます」

23歳のナタリーも、パートナーからの心理的虐待のレベルを理解するのに苦しんでいる。

「私と違って、元パートナーはお酒を飲まないひとでした。特に当時の私(21歳頃)は、夜、友人と出かけては飲みまくっていて、彼と付き合っていた期間は、泥酔し翌朝には前夜の記憶がほとんどない、ということが何度もありました。今考えてみるとそれは、当時の自分があまりハッピーじゃなかったっていうサインだったんだと思います。そういうことが起こるたびに彼は怒り、いかに私が彼だけでなく友人や同僚をもイライラさせ、無礼な態度をとっているか、と私を叱りました。怖かったですし、恥ずかしさを覚えました。彼の言葉を信じない、という選択肢は、私にはありませんでした」

「でも時が経つにつれ、友人から、彼が話していた内容とは違う証言を耳にするようになったんです。友人の証言は、自分が酔っ払ったらこうなる、と思い込んでいた姿とはかけ離れていました。もちろん、おしゃべりになったり千鳥足になったりはしてたようですが、無礼だったり攻撃的だったり、ということはまったくなかったんです」

ジェマやサラは、元パートナーに虐待を受けていた、とはっきりと自覚しているが、ナタリーはいまだに、彼の言動をどう説明づければいいのか迷っているという。

「いろいろと考えてきましたが、虐待と虐待ではない関係性をどこで線引きすればいいのか、いまだにわかっていないんです。元パートナーは間違っていたとは思うんですが、それは善意からのもの、私に危ない目にあってほしくないという気持ちからの言動だったはずだから」

ただし心に留めておきたいのは、そのひとの言動が善意からのものだから、あるいは自分にはそう見えるからといって、それが有害ではないとは断言できないということだ。

「ふたつを区別することに関しては、人間関係における心理的虐待を、長きにわたるプロセス、そしてさらに重要なのは(常に当てはまるわけではないとしても)、意識的かつ熟慮の上でなされたプロセスであるということを念頭に置くことが大切です。被害者は、自分で自分のことを信用できなくなってしまう」

24歳のソフィアは、虐待とそうでない言動の違いは予測可能性に集約される、と述べる。「もちろん、バカな男だっていつも同じ行為をするわけではありません。でも、そういう男の行為は、基本的に予測可能なんです。メッセージを返さなかったり、彼女の親友や、ときには彼女の母親と浮気したり。だいたいわかります」

ということは、虐待者はただのバカ男ではない?

「虐待は加害者自身の言動を被害者のせいにする、というところに大きく関係しているように思えます。『君がこういう人間だから僕はこうしたんだ』『君はこんな人間で、こんなことをしたから僕もこうせざるを得なかった』という感じです」

「当然そう言われた側は、全部自分のせいに感じてしまうし、自分さえちゃんとすれば、相手の言動も変えられると思ってしまう。でも実際は違います。加害者の言動はどんどんエスカレートしていくだけ。自分がこういう行動をすれば相手は愛してくれる、ということじゃない。相手に対する基本的な敬意の問題です。自分は相手にはふさわしくない(「自分は生まれつき何かおかしい」と思う等)、または相手の言動は自分のせいだ、とパートナーに思い込まされているのであれば、そしてそれが頻繁にあるのであれば、そしてそれに加え、自分の社会生活やお金、衣服に関して相手が管理しようとするなどの虐待のサインがあれば、それは虐待といえます(ここで挙げたのはほんの一例で、これらは必ず表れるわけでもないですが)」

専門的には、虐待はどのように定義づけられているのだろうか。英国のDV支援慈善団体〈Refuge〉の代表、サンドラ・ホーリー(Sandra Horley)は、こう説明する。「パートナーの反応を恐れて、自らの言動を変えることを強いられているひとは、虐待されているといえます」

これこそ、心理的虐待の要点なのかもしれない。パートナーと口論する頻度が高くても、相手を恐れていなかったり、相手にコントロールされていると感じなければ、その関係性は虐待ではないといえるだろう。ジェマもこの捉えかたに同意する。

「心理的虐待が行われている関係においては、おのずとパワーバランスが崩れます。ガスライティングも同じです。自分の現実感覚が誤っている、と思い込んでしまうと、自分の幼さや無力感が強まります。それが相手の目的です」

サラはこう補足する。「ふたつを区別することに関しては、人間関係における心理的虐待を、長きにわたるプロセス、そしてさらに重要なのは(常に当てはまるわけではないとしても)、意識的かつ熟慮の上でなされたプロセスであるということを念頭に置くことが大切です」

「心理的虐待を受けると、被害者は自分で自分のことを信用できなくなり、相手に心理的な助けを求めざるを得ず、完全に孤立してしまう。虐待者が普通の〈バカ男〉のような言動することもあるので混同しやすいですが、虐待の場合は虐待者が被害者の人間性を意図的に貶め、主体性を脅かし、被害者は、自分が嫌な気分になることにさえ罪悪感を覚えます」

自らが当事者になっているときは、心理的虐待を認識することが難しい。虐待を認識し、その関係が有害であったと十分に納得するためには、たいてい、時間と距離が必要だ。しかしもし、何かがおかしいと感じたときには、その直感を信じるべきだ。自らを取り巻く人間関係について何か不安を覚えたら、各市区町村の相談窓口やNPO法人などの支援団体を頼ってみてほしい。

This article originally appeared on i-D UK.

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