Photography Edd Horder

サッカーを通してロンドンキッズをつなぐ地域プロジェクト:フットボール・ビヨンド・ボーダーズ

ロンドンでもっとも恵まれない子どもたちに向けた社会的支援が不足するなか、教育し、パワーを与え、団結させるべく、ジャスパー・ケインはフットボール・ビヨンド・ボーダーズを始動させた。

by Felix Petty; translated by Aya Takatsu
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jun 26 2018, 2:11pm

Photography Edd Horder

サッカーは暴力やフーリガンと結びつけられがちだ。しかし、それが地域に根ざしたものであるがゆえに、サッカーは人びとを団結させもする。部族が敵対するときにはいつも異文化間の連帯が生まれる瞬間がある。コミュニティ、相互の信頼関係、そして一体感こそがサッカーのもっとも優れた部分であって、単に試合やファン同士のケンカだけのものではない。

この二分法は、ワールドカップの期間にもっとも顕著になり、世界の政治状況を写し出す鏡となる。現在ロシアで行なわれている大会も、例外ではない。すると、地元の人たちや遠征するファン、人種差別やホモフォビア、ノビチョク神経剤に、勝つことに必死なライバルの独裁政治についての恐ろしい話が始まるだろう。しかし、いつもだいたい、その話は何かもっと繊細で人間味があり、おもしろいものになって終わる。

このようにワールドカップは社会的な意味で、サッカーに光を当てる。ワールドカップが始まる時期以上にロンドンが調和し、多文化ーーナイジェリア人、コロンビア人、ポーランド人、ポルトガル人ーーになったと感じられるときはない。より身近に、より小規模に、そしてより近しい距離でサッカーをとらえるのだ。

このことが、私たちをフットボール・ビヨンド・ボーダーズへと導いた。それはロンドン全域で行なわれている教育的なサッカーチャリティで、サッカーの持つパワーを使って、その地域に住む若者を助け、教育し、支援している。2012年にジャスパー・ケインが始めたものだが、今日の姿となるまでには長く険しい道のりを歩まなければならなかった。クロイドンに住む12人の少年と、キャンバーウェルの少年25人とともにスタートし、今ではロンドンの11の地区で400人を超える子どもたちを支援している。市内全域で24のプロジェクトを遂行し、Nikeと一緒に選手の多様性を讃えるプロジェクトにも取り組んでいる。

物語はジャスパーから始まる。彼はチェルシーとジリンガムのユースでかつて選手としてプレーしていた。チェルシーでトレーニングを行ない、ロンドンとのあいだを行き来していた彼は、自分が生れ育ったケント州の郊外とはまったく違う世界の人たちと出会うことになる。「16歳でジリンガムとの契約を解除されて」と、ジャスパーは話し始めた。「サッカーは失意と紐づいてしまいました」。悲しみに打ちひしがれた彼は、試合からも遠ざかっていった。大学に入って、再びプレーするまでは。そしてサッカーを新しい視点で、何かポジティブなものとしてとらえるようになったという。「自己啓発を助け、自信や少しの規律を与えるもの。そしてそれは、人びとを団結させる手段でもあったのです」

フットボール・ビヨンド・ボーダーズの最初の活動に参加していたのは、ジャスパーと、世界を旅しながらさまざまな地域でサッカーをしてくれる何人かの友人だった。パレスチナからシリア、バルカン半島諸国に西アフリカまで、彼らは足を延ばした。今に至るまで、彼らはシリアでプレーした唯一のイギリス人チームとされている。そして2011年のロンドン暴動が勃発。「何かせずにはいられない気持ちに駆られました」とジャスパーは話す。「ロンドンにいる若者の多くが怒りを抱きながら、それを発散する場所がないのだという実感がありました。だから金曜日の夜に、キャンバーウェルのユースセンターでボランティアを始めたんです。ただそこに通っていたのですが、すぐに若者たちが関係構築のために信頼を高める必要があり、コミュニケーションの手段も必要としていると気づきました。そして私が知り得るなかでもっとも簡単な方法が、サッカーをすることだったのです」

こうしてジャスパーは友人たちとともに、キャンバーウェルのある団地で、即興かつ一時的なセッションを始めたのだ。「数年間は、自分たちができるときのみやるというくらいでした」とジャスパーは思い返す。「水曜日の夜にケニントン・パークで活動をしていたんですが、そこにブリクストンやペッカム、ウォルワース・ロードなどから少年たちが集まってきて……。みんな一緒にするのですが、私たちの方針は非常にシンプルでした。悪い言葉は使わない、武器はダメ、人工芝の上は自転車立ち入り禁止。そのあと学校でひとつプロジェクトをすることになったのですが、それがすべての転換点となりました。2014年くらいのことです。活動をチャリティとして登録し、そこから歴史が始まりました」

FBBが対象とするのは、青年期へ移行しつつある少年たち。困難の時期にありながらも、多くのサポートがない彼らを導く手助けをするのだ。その活動の多くは、シンプルな物事を繰り返すこと。たとえば彼らを学校とつなげておく、排除されないようにする、自分の活動に誇りを持つ手助けをする、スキルを教えるなど。彼らを仲間とし、自分には価値があり、リスペクトされ、理解を得ているのだと感じせることが大切なのだ。それは感情的であり、同時に実際的でもある。その中心にあるのはサッカーだが、その実はもっと深い。サッカーは手段にすぎない。同じ人たちを毎週、毎年見ながら、彼らは集中して活動する。

緊縮財政により多くの福祉事業が打ち切られているこの時代において、FBBは一条の希望となっている。しかし、それに類するほかのものと同じく、理想的な世界でなら、フットボール・ビヨンド・ボーダーズのような団体は存在する必要がない。そこでは、誰もが同じように機会を得ることができるのだから。「少年福祉では大きな財政削減が続いていますし、チャリティ部門には安価な代替物が期待されています」とジャスパーは話した。「支援を必要としているのは、もっとも弱い立場の若者です。クラスの人数を増やし、サブの教師やサポートを減らして、私たちのような介入者を取り去ってしまったら……。若者は評価され認められること、そして支援を非常に欲しています。与えられなければ、彼らは別の場所に行ってそれを見つけようとするでしょう。そして彼らが行きそうな場所は、トラブルに満ちているのです」

「学校と教育は異なります。教育はもっと大きく、広い意味を持ち、学校だけで終結すべきものではありません。フットボール・ビヨンド・ボーダーズは教育に関するもので、すべてにおいて難しいのは、その財政が堅実でなければ、企画するのが困難になるという点です。ここが何よりも大きな問題なのです」

FBBの教育的な事業の一環として、このワールドカップの期間中、彼らはNikeと組み、ロンドンの多様性を讃えるプロジェクトを遂行している。「私たちが仕事をしている子どもたちの多くは、多文化的アイデンティティを持っています」と、ジャスパーは話し始めた。「それを讃えたいと考えたのです」。そこで彼らが思いついたのが、ワールドカップの期間中に若いロンドンっ子たちが感じた多様性やインクルーシブ、団結に対するトリビュート、A City of Nationsだ。「ロンドンにおける6つの国に着目しています。イングランド、ブラジル、フランス、ポルトガル、ナイジェリア、そしてポーランド。若者たちが街に出て、異なる国民性についてのリサーチをしたのです。彼らには写真展と雑誌をプロデュースする課題が与えられます。私たちと一緒に、ナイキタウンでの展覧会も企画します。私たちはまた、彼らをNikeに引き合わせて、イングランド代表ユニフォームをローンチさせたのです。それ自体が必ずしも意味を持ったり、助けとならなくても構いません。オックスフォード・ストリートで、そのキッズたちが自分を見つめ、両親が彼らを見つめてくれればいいのです。これはすごいことです。認めてもらうということが」

「結局のところ、多くのコミュニティにおいて、若者たちは大きく隔絶されています。彼らは安全な環境のもと、ポジティブに力づけてもらいたいのです。そのためには探求し、失敗を重ねながら、そうした環境をつくっていく必要がある。残念ながら、私たちのコミュニティでは、そうした隔絶が若者への対策やロールモデルの不足を招いてしまっているのが現状です。ハリー・ケインやラヒーム・スターリングだけが若者の手本ではありません。彼らよりたった5歳年上の先輩がそうなることもあるのです。長期的でも明確でも持続可能でもなくても、ひとつの潜在的な選択肢ーープレミアリーグのサッカー選手になるーーがあれば、実現可能な代案が必要となってきますから」

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This article originally appeared on i-D UK.