『エルミア&エレナ』:マティアス・ピニェイロ監督インタビュー

世界の映画界シーンで注目を集めるアルゼンチンの若手監督マティアス・ピニェイロ。最新作『エルミア&エレナ』のジャパンプレミアと特集上映にあわせて来日していた彼が、自身の映画がミルフィーユのように重層的な理由、作品と現代社会の関わり、観客の能動的な参加をうながす“映画の余白“について語った。

by Shinsuke Ohdera
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28 June 2017, 10:25am

35歳という若さにして、すでに6本の長編映画を発表しているマティアス・ピニェイロ。デビュー作の『盗まれた男』(07)で全州国際映画祭グランプリを受賞して以降、シェイクスピアの喜劇を題材にしたシリーズなどで新たな映画表現に挑んでいる気鋭の監督だ。

シェイクスピア・シリーズ第4弾となる最新作『エルミア&エレナ』では、故郷のアルゼンチンを離れ、現在彼が拠点としているニューヨークでの初の撮影を行なった。

ブエノスアイレスに暮らす若い演出家のカミラは、『夏の夜の夢』のスペイン語翻訳のために、フェローシップ(研究奨励制度)を受けてニューヨークに向かう。しかし、翻訳ははかどらないまま、彼女はその街で、自身の過去(昔の恋人や会ったことのない父親)と向き合うことになっていく。

今回i-Dは、インタビュアーにIndieTokyo主催の大寺眞輔をむかえ、『エルミア&エレナ』のジャパンプレミアと特集上映にあわせて来日していたマティアス・ピニェイロ監督にインタビューを行った。

『エルミア&エレナ』をまったく予備知識なしに見ましたが、マティ・ディオップ(#1)が出演していることに驚きました。

『エルミア&エレナ』の挑戦のひとつは、新しい人々と会うことだった。この作品ではいつものスタッフをすべて使うことができず、新しい人たちと映画を一緒に作る必要があった。しかし、それは興味深いことであり、映画を作るモチベーションのひとつともなった。これまで基本的には同じメンバーで映画作りをしてきたけど、同時にそれを常に拡張しようとも試みてきた。だからこれはナチュラルな展開だし、物語的にも新しい人たちと映画を作る十分な理由があったんだ。ダン・サリット(#2)やマティ・ディオップを選んだのは、主人公であるアグスティナと組み合わせて上手くいくと思ったのも理由のひとつだ。
また、マティはハーバード大学のフェローシップを受けたことがある。これはジョアン・ペドロ・ロドリゲス(#3)やアティナ・ラシェル・ツァンガリ(#4)、ベン・リヴァース(#5)といった優れた監督たちも以前受けたものだ。そこで彼女と会ったんだ。彼女の映画『ミル・ソレイユ』は素晴らしかったし、僕たちと同じエネルギーを感じた。フェローシップは、『エルミア&エレナ』の物語の一部でもあるから、彼女はその世界を実際に知っているというメリットもあったんだ。

物語で扱われるフェローシップは事実にも根ざしているわけですね?

そうなんだ。そして同時に、僕たちはその主題をプレイフル(遊戯的)に扱ってもいる。シェイクスピアと同じようにね。すべてが本当の出来事ではもちろんない。ただ、フェローシップでは毎年新しい人が招かれて新しい作業をそこで行うよね。でも、別の年度に招かれた人たちが何をやったかは知っているし、そこに継続性や共鳴も生まれる。目に見えないコミュニティやインターナショナルな共同体のファントムのようなものが生まれるんだ。それが面白いと思った。またフェローシップは、アルゼンチンの人間がなぜアメリカに行くかという口実にもなっているし、彼ら彼女らがどういう人かをあらわす重要な背景にもなっている。僕の映画では誰もが仕事を持っていて、それはラジオDJだったり、女優だったり、海賊版DVD業者だったりするけど、何をして生きている人なのかを通じて僕はその人を知ろうとするんだ。そして、フェローシップを通じて集まってきたインターナショナルな人々を描くことは、インターナショナルな都市であるニューヨークを描くという役割も果たしているね。

コロンバス公園にある孫文の像が何度か登場しますね?

実は彼が誰なのかよく知らないんだ(笑)。だから歴史(Histoire)的な文脈を参照するつもりはなく、あくまで物語(histoire)の素材に過ぎない。まずあそこで撮影を始めたという具体的理由があり、その後であの像を見つけた。そしてあの像が観客の記憶に残る強いイメージになると思って撮影したんだ。同時に、ニューヨークを舞台にした映画はすでに沢山ある。その街の映像をツーリスト的なものではなく、どうやって自分のものにするか考えたとき、あの像はニューヨークの典型的イメージからかけ離れていて、それが面白いと思った。あの公園はチャイナタウンの一部だけど、その外れにあって、シティホールなど官僚的建築物との境界に位置している。だからそこに集まる人々も風景も複数の文化やコミュニティが混在しているんだ。

ニューヨークが様々な文化や人種が交錯する場所であるように、あなたの映画もまた単線的なストーリーを展開するのではなく、複雑にレイヤーが折り重ねられた作品になっています。なぜこうした作り方をするのでしょうか?

僕はケーキが好きなんだけど、レイヤーが多ければ多いほど美味しくなるよね(笑)。ひとつの映像が帰属する複数のレイヤーがあることで、それが同時に複数の意味を帯びることになる。僕はフラットな作品を作りたくないんだ。複雑な意味の重なりが様々な記憶や感情を喚起させることこそ、僕の映画の力だと思う。複雑なレイヤーの存在は、同時にそれらのつながりや意味の欠落も生じさせる。この欠落が重要なんだ。すべて明らかでないからこそ、僕たちはその「穴」が何なのか考えようとするわけだから。スライドパズルはピースがひとつ欠けていることで全体を動かすことができるよね。それと同じだよ。僕は観客が能動的に参加して、そこで語られているもの、語られていないものを操作しつつ、自らパズルを解くように考えてくれることを望んでいる。

あなたは観客が作品から距離を置いて見ることを好みますか?

うん。作品から距離を置いて見ることで、観客はよりアクティブになることができると思うんだ。それに、見る人によって違う解釈が生まれるよね。それが作品とはまったく反対のものになるのは困るけど、多様な解釈は作品に豊かさをもたらすと思う。僕は自分の作品の独裁者にはなりたくない。オープンで、様々な人々の考えを取り込んでいくような映画を作りたいんだ。僕の映画は複雑な構造をしているから、観客に対して距離があるのは間違いない。一方で、簡単な映画を作りたいとは思っていないけど、もし観客との距離を縮めようと考えるなら、ある種シンプルですごく精密な作品は将来的に作ってみたいと思う。マティスのようなね。

数ヶ月前、オリヴィエ・アサイヤス監督にインタビューした際、彼の最近の作品にiPhoneやテキストメッセージが頻出するのは現代社会の多層性と関係があるか尋ねました。彼はその通りだと答え、彼自身がその善し悪しを判断しているのではなく、現代社会には複数のレイヤーが現実に存在しており(例えば電車に乗りながらLINEで誰かと会話するなど)、そのリアリティをそのまま捉えて作品に反映させるのが映画監督の仕事だと思うと彼は答えました。あなたは、この考えに賛同しますか?

うん。そう思う。ただ、それと同時に映画はファンタジーでもある。だからポストカードやシェイクスピアなど様々な時代のものが僕の映画では混在している。僕には現代的でありたいという意思はないんだ。現代社会のコピーであるよりは、様々な時代の要素を結びつけ、プレイフルな装置としてそれらと戯れたいと思う。iPhoneやSkypeは僕にとっても身近だし、映画の一部として使うのは面白いと考えた。でも、それはあくまでテクノロジーを僕たちがコントロールできる範囲での使い方だ。現代テクノロジーは、逆に僕たちをコントロールしようとする。僕はこれが好きじゃない。映画を現代的にしようとすれば、おそらくこの罠にはまってしまう。僕の作品でSkypeが登場するにしても、それはそこにコンピュータがあり、誰かが別の誰か遠くの人とコミュニケーションしていることに興味があるからであって、Skype自体を撮りたいわけじゃないんだ。現代テクノロジーのクリシェを作ったり、フェティッシュにコンピュータを撮ってしまうことは避けようと思っている。

『エルミア&エレナ』では、テクスト自体が画面にオーバーラップしますね。

あれは僕が書いたテクストをスマホで写真に撮って、コンピュータに取り込んだんだ。とてもシンプルなことだし、僕自身の思考の自然な延長でもある。それに美しいと思った。ああした手法をとった理由は、映画がどのようにテクストで物語を語ることができるか、この作品で考えたいと思ったからだ。テクストをナラティブの一部にしたかったんだよ。従来、このような手法でテクストが画面に現れるとき、ゴダールにせよ誰にせよ、それはエッセイ的だったり、とても詩的なものとして扱われる。それに対して、僕は画面に現れたテクストがどのように物語へと介入し、登場人物に変化を生じさせるか、それを試してみたかった。だから、これもまたプレイフルな装置なんだ。『フランスの王女』(2014)はラジオが物語の一部になっていて、だから声が重要な要素となっている。『エルミア&エレナ』の場合、それが具体的な文字でありテクストなんだ。
オーバーラップも以前の映画ではほとんどやってない。この作品の大きな特徴だね。そしてそれは、様々な要素のミックスをこの映画で考えていたから。例えば様々な文化や人種のミックスであり、英語とスペイン語のミックスであり、イメージとクリシェのミックスでもある。この映画に登場する木や橋は、それらの具体的なイメージであると同時に幾らかはクリシェでもある。その両者をミックスさせるのが面白いと思ったんだ。

この作品ではタトゥーが大きな役割を果たしますが、タトゥーもまた即物的な身体であり、記号でありメッセージであり、クリシェでもありますね。

タトゥー!それはまったく考えていなかったよ!でも、これこそまさに僕が映画を作っている理由だと思う。僕が様々なものを映画の中に置くと、誰かがそれを拾って新たな光を当ててくれる。これはすごいことだよ。タトゥーを使ったのは、少し長いストーリーが背景にあるんだ。主人公と父親との場面を考えながらデンマークに行ったとき、そこでブロンドのポルトガル人女性と会った。僕は今こんな映画を撮ろうとしているって彼女に話したところ、「マティアス、実は明日、私は生まれて初めて実の父親に会うの。だからそれがどんな感じだったかあなたに話してあげるわ」って言うんだ。僕がスクリプトに書いたことを現実の人生で彼女がまさに経験しようとしていた。すごい偶然だよね。そして、彼女が戻ってきてその感動的な体験を話してくれたんだけど、そのとき父親と様々な質問をぶつけ合ったと聞いた。これもまた、僕の映画の中で父親との再会がQ&Aのようになった理由だ。そして一番印象的だった父親からの質問が、お前はタトゥーを入れているかと聞かれたことだったらしい。だから僕は、『エルミア&エレナ』の中でタトゥーを使ったんだ。彼女に敬意を表するためにね。でも、こうしたすべてはルーズにつながっていて、すべてを明確に意識してコントロールしたわけじゃない。タトゥーにイメージとテクストの多層性があるなんて撮影時には考えていなかった。今はじめて気づいたよ。

今のエピソードは偶然かも知れませんが、何か現実と映画を結びつける謎めいた印象も与えられますね。

そうなんだ!それこそが素晴らしい!だからこそ「穴」が大事なんだ。タトゥーを登場させた理由について僕がそれほど深く考えていたとは言えない。でも、その欠落をめぐって新しい思考が生まれ、観客や批評家の言葉を通じて映画が組み替えられ、さらに豊かなものになる。これこそ、観客の能動的参加と僕が呼ぶものだよ。映画はそれを作った監督よりもずっと面白い。僕はそんなに面白い人間じゃないけど、映画は面白いものになってほしいんだ。

様々な人種や文化、テキストとイメージなど、多くのものが『エルミア&エレナ』ではミックスされています。ところで、テキストやイメージ、様々な物語、そして異文化間でのトランスレーションやコミュニケーションのミックスといったものは、実はコンピュータのデスクトップに存在するものでもあります。あなたの作品からは事物のテクスチャーや現実の人間の佇まいが感じられますし、両者はまったく異なっていると私は思いますが、このメタファーについてはどう思われますか?

実は日本人も出演しているんだ。京都出身の僕の友達で、ニューヨーク大学の学生だけど、典型的な日本人の顔はしていない。(訳者注:クリシェとしての人種的多様性を広告的素材とした)ベネトンのコマーシャルとは違うからね。
質問に関して答えると、この相関性については考えたことがなかった。でも質問の意図はよく分かるよ。僕は多分、イメージがプラスチックなものになることを避けようとしている。Instagramのようにすべてがフィルターを通したイメージは好きじゃないんだ。演技に関しても、アメリカの俳優学校で教えるようなハイパーナチュラリズムに陥ることは絶対に避ける。すべてがシットコムのようになってしまうし、あまりの完璧さは映像からテクスチャーを奪ってフラットなものにしてしまう。僕はこうした流れに逆らおうとしているんだ。俳優の選び方も、様々な基準をミックスしている。プロの役者もいれば映画監督、舞台演出家など様々な人々がいて、演技の質も決して均質ではない。撮影でも、僕の映画はすべて演出されたものだけど、一つひとつのショットを長く撮影しているので、その中にコントロールしきれないものが紛れ込んでくるんだ。編集では、そうやって生まれた映像のテクスチャーを殺してしまわないよう心がけている。だから、僕の映画はドキュメンタリーじゃないけど、どこかそれに似た側面はあるんだと思う。とは言え、僕は俳優そのものを撮ろうとしているんじゃない。俳優が演技しているところを撮りたいんだ。それこそルノワールやブニュエルの映画で僕たちが楽しむことのできるものだし、僕の映画が目指すものもそこにあるんだよ。

#1 ミュージシャンであるワシス・ディオップの娘で、セネガルの伝説的映画監督ジブリル・ディオップ・マンベティの姪にあたる。クレール・ドゥニが監督した『35杯のラムショット』などで女優として知られると同時に、監督作『ミル・ソレイユ』などでも多くの賞を獲得している。

#2 『The Unspeakable Act』などで知られるアメリカのインディペンデント映画監督であり映画評論家。

#3 『男として死ぬ』や『鳥類学者』などで知られるポルトガルの映画監督。

#4 『ストロングマン』などで知られるギリシャの映画監督。

#5 『湖畔の2年間』やベン・ラッセルとの共同監督作『闇をはらう呪文』などで知られるイギリスの映画監督。

Credits


Text Shinsuke Ohdera
Photography Kisshomaru Shimamura

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