脆さと優しさ マーカス・ブランチによる有色人種の男性ポートレイト

「それはたぶん、男として、俺には彼らが(そして俺自身さえも)すべて理解できていないからだと思う。だからその人たちと自分自身の複雑さを観察しているんだ」

by André-Naquian Wheeler; translated by Aya Takatsu
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06 November 2017, 9:07am

This article was originally published by i-D US.

マーカス・ブランチがポートレイトを撮り始めたのは、同性愛者の男性として、ほかの男や彼自身をもっと理解できると思ってのことだった。彼の写真に写っているのは、ガードを固めた(バンダナをつけて通りの角に立っている)、もしくは緩めた(泣きはらした赤い目を見せている)若い男たちだ。主として有色の男性を撮っている彼は、被写体の内なる人生に焦点を当てながら、 "男性観察"をしているのだという。

「自分で撮ったポートレイトからマスキュリニティ(男らしさ)の複雑さを学んだんだ」。ニューヨークとフィラデルフィアに拠点を置く気鋭のフォトグラファーはそう語る。「マスキュリニティはフェミニニティ(女らしさ)との二重性がある、そして誰もがその両方を持っていると俺は信じている。疑わしく見えるのは、マスキュリニティと男、フェミニニティと女の直接的なつながりだよ。純粋にすべてを網羅するはずはないと思えてならないんだ」

マーカスが自身の写真に詰め込むのはシンボリズムだ。例えば、黒人の男がカメラに目を向けたゴージャスなポートレイト。その口には半分に切ったミカンが詰められ、唇は赤ちゃんがおしゃぶりをするようなかたちになっている。「切ったミカンは、唇に似せたんだ」と彼は説明する。「どちらもなだらかな曲線を描き、強くありながらも柔らかく、とろけるほどにジューシーだ」。そしてその印象的な色使いーーミカンの明るいオレンジ、モデルのヴェルヴェットのような茶色の肌、そして端の見えない黒いバックドロップ。インスピレーションを得るため、マーカスはバロック絵画を参照したのだ。このポートレイトは、単に美しい男性をとらえたものではない。男性であることのドラマ、官能、そして優しさを表現するものなのだ。

今回、マーカスは特に気に入っている作品を寄稿。被写体の男性が彼に教えてくれたほかの男たちのこと、そして何より彼自身のことについて話してくれた。

——自分が撮った写真によって、他の男性との距離が縮まったことはありますか?
伝統的に男性と結びつけられてきた資質を有することがマスキュリニティだと言われている。例えば勇敢さ、強さ、そして独立心。俺が撮った男たちは、激しい非難にさらされているにもかかわらず、勇敢に自己表現している。その強さは、自分を信じることに対する立場、そして普通であることに立ち向かう力にある。さらに他の男たちに"男らしい"と思ってもらおうとしない部分が独立心なんだ。こうした考察が、個人的に俺を男たちに近づけたよ。彼らの個性に魅了され、好奇心を掻き立てられたから。

——写真を始めたきっかけはなんですか?
俺はウェスト・フィラデルフィア(歌わないでくれよ)出身なんだけど、子ども時代はずっと周辺の町で育ったんだ。高校1年のとき、写真を撮り始めたんだよ。セルフポートレイトからはじめた。最高にかっこいい写真をマイスペースにアップして、腕を伸ばして撮ったアヒル口のセルフィの一群に反旗を翻したくてね。そこから、やがて友だちや家族を撮るようになり、情熱はどんどん激しいものになった。あらゆる種類の雑誌、絵画、アーティストを研究して、自分が作り出しているものを満たそうとしたんだ。

——男性という対象があなたを惹きつけるのはどんな点ですか?
それはたぶん、男として、俺には彼らが(そして俺自身さえも)すべて理解できていないからだと思う。だからその人たちと自分自身の複雑さを観察しているんだ。社会的影響によって引き出される(マスキュリニティの)力に隠されたものに関心があるんだよ。それに男性の美しさにも惹きつけられるね。セクシーさとかタフなところじゃなくて、その根底にある静けさと隠された優しさに。

——良い男性研究(メール・スタディ)とは何でしょうか?
まずは、被写体となる男性をその人が慣れ親しんだ環境下に置く。そうすることで、被写体をありのままにとらえ易くなるんだ。被写体と俺が意見の一致を見ると、脆さ、正直さ、さらにはある一定の親密さの探求が進んでいく。生い立ちが語られ、絆が結ばれる。そしてそれがやがて超越した時間の中で経過と結果を満たしていくんだ。素のままの体験こそ、良い男性研究だよ。

——被写体がタトゥーだらけであっても、バンダナをかぶっていても、そこには何らかの優しさがあります。この切り撮り方の裏側にあるものはなんですか?
俺は静かな時間に親しみを感じるんだ。そういう時間はたいていひとりで過ごす。威嚇するような、または近寄りがたい顔に宿る脆さを目にすると、計り知れないほど美しいと感じるね。なぜならその人の人間としての深みを表しているから。それは他者が見るべき、または体感するべき重要なポイントだと俺は考えているよ。

——あなたの写真では、黒人であるということがどういう役割を持っているのですか?
(俺の作品は)有色人種をたたえ、多様性を奨励し、よく間違って表現されているものにポジティヴな見識を与えることを目指しているんだ。自分の写真がジャン=ミシェル・バスキアやケヒンデ・ウィレイ、ラングストン・ヒューズの作品や文化的影響と接続できるものであればいいと思ってる。もちろん黒人であることは、俺の写真、そしてアーティストとしての視点を特徴づけるもの。でもだからといってそれが俺の作品の意図や幅、表現手段を狭めることはない。"黒人の作品"だけを作ってるわけじゃないし、"ゲイの作品"もしくは"政治的な作品"だけを作っているわけでもないからね。俺は多角的だし、数々の融合から生まれ出でた存在だ。だから作品もまたその反映なのさ。黒人であることは、直接的にも間接的にも、俺の写真にとって非常に大きな意味があるけど、それだけに影響を受けているわけじゃないんだ。