カナ・モトジマが撮る、愛情と優しさに満ちた穏やかなスナップショット
先が見えない時代だからこそ、私たちにはポジティブな気持ちになれる作品が必要だ。ハワイ育ちの日系米国人フォトグラファー、カナ・モトジマの写真は、そんな日常の煩わしさを忘れさせてくれる。
私たちは朝起きてから夜寝るまで、数え切れないほどの写真を消費している。すぐに忘れてしまう写真もあれば、悪い意味で1日中脳裏に焼き付いてしまうものもある。それ以外にも、私たちを騙し、誰かや何らかの商品への憧れを植え付ける不誠実な写真も存在する。
だからこそ、今のようなポジティビティが不足している時代は特に、たとえ一瞬でも前向きな気持ちに変えてくれる写真が大切にされるべきだと思う。それを実現するのが、写真日系米国人のフォトグラファー、カナ・モトジマの作品だ。
カナは青春時代を過ごしたニューヨーク、ホノルル、東京で、友人たちの愛情と優しさに満ちた穏やかなスナップショットを撮り溜め、行く先々でその場所の魅力を見出してきた。彼女がとらえる被写体は、笑ったり、話したり、タバコを吸ったり、スケートボードをしたり、時にトラウザーを足首まで下げたりと、ただ仲間と楽しく過ごすことに専念しているように見える。
「写真を撮る前に、まずはその空間になじみたい」とカナは語る。「ポートレートを撮るときは、私と同じくらい、モデルにもリラックスしてほしいんです」
「写真を撮ることは、人や場所を知るチャンス。ですが、写真を撮ることは土足で踏み込むような図々しい行為にもなりえます。例えば撮影に関する言葉をとっても、〈shoot(撮る/撃つ)〉〈take(撮る/取る)〉〈capture(捉える)〉と、どれもとても攻撃的です。私は写真を愛しているからこそ、最大限の敬意と繊細さをもって、人や空間を撮りたい」
「私が幼い頃、両親はオアフ島ホノルルでレストラン経営していたので、ずっと忙しくしていました」とカナ。「夏は日本で祖父母と過ごしました。ノマド的というか、ふたつの人生を送っているような感じ。それで子どもの頃からあらゆるものを記録することに夢中になりました」
祖父母が経営する家電店で使い捨てカメラを購入し、コストコで現像していたカナは、その後東京の大学で写真を学ぶ。しかし、カメラの性能が上がったこと(と彼女の初期の作品にはない、すばらしい写真に必要な要素である力強い質感が加わったこと)以外、作品の素朴さは変わっていない。
彼女の写真の心を落ち着かせる効果はいったいどこから生まれ、彼女自身はどのように心の安らぎを見出しているのだろう。「最近はずっと、日本の田舎が恋しいです」と彼女は打ち明ける。「セミの声を聴いたり、ぼんやりしながら木の床に寝っ転がっているだけで、すごく穏やかな気持ちになれるんです。しばらく帰れていないので、最近はそのことばかり考えています」















Credits
All images courtesy Kana Motojima