自宅待機によって進むネット世界の〈健全化〉

長時間家にこもり、ネットに入り浸るなかで、私たちは〈人にやさしく〉という世界の鉄則を思い出し始めている。

by Marianne Eloise; translated by Nozomi Otaki
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14 April 2020, 10:42am

世界各地のひとびとが自発的な、もしくは政府の要請による自宅待機を始めてから、数週間が経過した。自宅待機が私たちの行動に与えた影響はさまざまだ。生産的に過ごすひともいれば、頭を剃ったひと、パンを焼くひとも増えている。両親に外出を禁じられた十代のように、不平不満を漏らしながら最初の数日間を過ごしたひとも多いはずだ。私たちは一夜にして、コミュニケーション、仕事、息抜きの方法を見直さざるをえなくなった。パンデミックの最前線に立つことなく自宅待機に文句を言える恩恵に感謝しつつ、各々ぬか床作り、編み物、刺しゅうなどに勤しむ私たち全員が行なっているアクティビティがひとつある。インターネットだ。

今の私たちにとっては、ネットの世界が全てだ。その様相や内実は、日々変化している。これまでの私たちが、ワールドワイドウェブの無限の可能性を忘れてしまっていたのも無理はない。近年のインターネットでは混乱、競争、残忍さが渦巻き、オンラインの生活は現実世界以上にストレスフルだ。そもそも私たちを繋げるためにつくられたはずのツールが分断を生み、荒らし行為、いじめ、フェイクニュースの量産を助長させているのは残念極まりない。

筆者自身は、暇を持て余していたゼロ年代、オンラインでの繋がりのおかげで素晴らしい趣味、音楽、友人に出会うことができた。そういうネット世界の心地良さは、誰もが自由に情報発信できるようになった〈Web 2.0〉によってほぼ失われてしまったが、今回の未曾有のパンデミックを通して、インターネットはライフラインとして新たに生まれ変わりつつある。

インターネットの役割は単なる娯楽にとどまらない。BBCが指摘したように、もし今回のパンデミックが2005年に起きていたら、状況はさらに悪化していただろう。これほど容易に食品を注文し、新たなスキルを学び、医療にまつわる情報を探し、大切なひとと連絡を取ることができなければ、適切な隔離措置を取ることも、自宅待機中に心の健康や平穏を保ち続けることも難しかったはずだ。

ウイルスの感染が拡大するとともに、ニュースも広く報じられるようになり、多くのウェブサイトがCOVID-19に関する情報を無料で閲覧できるよう有料コンテンツを無料化し、ひとびとを情報で勇気づけようとしている。また、インターネットを活用して病院、フードバンク、困っているひとびとのための資金や物資を募る活動や、地域での相互扶助を支援するオンライングループ〈Covid-19 Mutual Aid UK〉なども発足している。

もっとも孤独な世代〉とされるミレニアルズやZ世代だが、私たちの多くは対面でのコミュニケーションとSNSを組み合わせて友情を育んできた。パブで待ち合わせはできなくても、Zoomなどのビデオ会議アプリはロックダウン中、仕事だけでなく、プライベートでも人間関係を維持する手段として活用できることが明らかになった。さらにユーザーたちは、自宅でくつろぎながら友人たちとの〈パーティー〉に興じたり、映画ナイト、クイズ大会を開催するなど、会話を楽しむ以外にも独創的な使い道を模索している。気分転換の手段が減った今、私たちに残されたのは、自らの想いや体験を素直に打ち明けることだけだ。

ロックダウンが始まった直後、私たちのなかに退屈への不安が生まれたのは無理もない。私たちが最後に本物の退屈、すなわち自分を楽しませる相手が自分しかいない、という状況を味わったのは、もう思い出せないほど昔の話だ。娯楽には事欠かない現代人にとって、12週間もしくはそれ以上、自分の思考だけに向き合うというのは、控えめに言っても気が滅入りそうだ。しかし、それは杞憂に過ぎなかった。ロックダウン中の小さな楽しみのひとつといえば、退屈を乗り越え、取るに足らない趣味をシェアするひとびとの姿を眺めることだ。それはパン作りでも、TikTokで覚えたくだらないダンスでも、絵を描くことでも、『どうぶつの森』でも何でもいい。家でひたすらデバイスに向き合うしかない私たちは、無気力状態に陥る代わりに、本当に自分が好きなことを探している。家に即席の〈クラブ〉をつくった家族など、自宅待機によって、TikTokユーザーたちもさまざまな創意工夫を凝らしている。このような制限の多い環境のなかで、カメラ1台だけで撮影される低予算の映像は、かつて初期のインターネットを席巻していたくだらないビデオを彷彿とさせる。今この状況下で歓迎されるのは、洗練されたスポンサードコンテンツとはかけ離れたコンテンツなのだ。

現代の私たちがエンターテインメントに求めるハードルは非常に高くなっているが、誰もが家にこもり、脳細胞が日に日に死滅していくなかで、私たちの凝り固まった皮肉な考え方は徐々に分解され、打ち捨てられていった。Instagramに子供時代の写真を投稿し、4人の友達をタグ付けして同じことをやってもらうなど、かつてMyspaceでやっていたような〈タグリレー〉で連絡を取り合っているひとも多い。Instagramでブログのように質問に答えたり、久しぶりにPhotoboothアプリを使って手慰みに他愛のないコンテンツをつくるユーザーもいる。私たちは、趣味を通して稼ぐことを一旦忘れ、暇つぶしというその本来の目的を思い出した。有名インスタグラマーすらも、ストーリーで真面目にトリビアクイズに挑んでいる。

ゼロ年代初期の、やりたい放題のLiveJournal的なインターネットが再来する日も近いだろう。ブログの復活も囁かれている。それが実現すれば最高だ。日記は危機的な状況にこそ役に立つ、必要不可欠なツールだ。自らの感情に向き合い、個々の体験を他者に共有することは、歴史的な観点からみて重要なだけでなく、よく推敲された記事、ふざけたInstagramのキャプション、取り留めもないTwitterの投稿を超えて、他人について深く知る機会を与えてくれる。それこそが、この危機におけるひと筋の希望なのだ。

世界的なパンデミックのさなかで、ネット上の私たちは洗練された姿から遠ざかり、オンラインの〈仮面〉ははがれ落ちていく。それはそこに費やす労力に見合わないと感じたからかもしれないし、単に嘘偽りない自分を見せたくなったからかもしれない。有名人たちも例外ではない。彼らのSNSアカウントはこれまで厳密に管理されてきたが、彼らは今、パフォーマンスをライブ配信したり、面白ビデオやトイレ掃除の様子などを投稿している。先日、BACKSTREET BOYSがヴァーチャルチャリティ番組に〈集結〉して「I Want It That Way」を披露したさい、瞬く間に誰がいちばんイケメンか、という議論が巻き起こった。ヴァネッサ・ハジェンズなど、非常事態への無神経さをあらわにしてしまったセレブもいるが、大半はオンラインで飾らない姿を見せている。

もちろん、変化はポジティブなものばかりではない。あらゆる出来事と同様、今回のパンデミックは人間の醜い部分も浮き彫りにした。たとえば、Twitterはパブリックシェイミング(公的な場での辱め、晒し)のツールとなり、新たな行動規定がつくられると必ず、満員電車の写真を公開するなど、他人の〈ルール違反〉を大々的に非難しようとするひとが現れる。しかし、インターネットは使い道によっては悪にもなりうるというだけで、最近では誠実な繋がりを築く場や、初期のインターネットのような純粋な娯楽となりつつある。誰もが不安に苛まれるなかで、私たちのコミュニケーション方法は変化を強いられた。今の私たちが求めているのは、話し合い、他者との繋がり、行き場のない恐怖以外のことについて考えることだ。少なくとも、私たちには愛するひとびとがいる。彼らと会えず、彼らの健康を心配する時間こそが、そのことに気づかせてくれる。今回の危機を通して、改めて学んだコミュニケーションや時間の過ごし方を、パブで友人たちとスマホを覗き込みながら過ごす時間が戻ってきたあとも忘れずにいたい。

This article originally appeared on i-D UK.

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