Images courtesy of Nadja Sayej.

【interview】ジョン・ウォーターズ監督が語る、ゴキブリ柄のドレス、70歳でのLSD体験、ジャクソン・ポロック

「電車のトイレで立ちションすると、たとえ一等車でも、ジャクソン・ポロックの絵ができあがる」。エッセイ集『Mr. Know-It-All』の発売を記念して、カルト映画の巨匠ジョン・ウォーターズが人生、アート、政治、宗教観を雄弁に語る。

by Nadja Sayej; translated by Nozomi Otaki
|
19 June 2019, 4:32am

Images courtesy of Nadja Sayej.

つい先日73歳の誕生日を迎えた、自称〈ゴミくずの法王〉ジョン・ウォーターズ監督。彼の最新エッセイ集『Mr. Know-It-All: The Tarnished Wisdom of a Filth Elder』が、監督の誕生日の1ヶ月後、5月21日に発売された。

本著では、短距離ジェットのファーストクラス(「バスルームは今でも屋外トイレと大して変わらず、便座の大きさも太った米国人の平均サイズには小さすぎる」)から、アンダーグラウンド・アート(「ニューヨークにもロサンゼルスにも、若者による新しいムーブメントなんてものは存在しない。革新的なアイデアが生まれるには物価が高すぎる」)まで、これまでの人生におけるエピソードがユーモアたっぷりに語られている。

今回i-Dは、ニューヨークのミッドタウンにあるパラダイス・クラブで、アート集団〈Ballroom Marfa〉が主催する春の祭典(ドレスコードは〈淫らでグラマラス〉)のスタンドアップコメディの舞台に立ったウォーターズ監督を直撃。電車内のトイレ、大統領選で投票したい候補者、商業的な成功について話を聞いた。

——今年のプライドパレードのご予定は? ストーンウォールの反乱から今年で50年です。

私自身、プライドを忘れたことはいちどもないが、同性愛者と異性愛者は結託するべきだといつも思っている。私は分離主義者でもなんでもないからね。初めてゲイバーに行ったとき、「なんてつまらない場所なんだ」と思った。確かに自分はクィアだが、ここは私の居場所じゃない、と。私が求めていたのは、ドラァグクイーンと売春婦、クレイジーなひとたちのためのバー。それが〈ストーンウォール・イン〉だ。ストーンウォールの反乱の発端は、1969年、ゲイのアイコン的存在のジュディ・ガーランドが亡くなったことだといわれているが、私はそうは思わない。彼女の死がゲイたちの暴動を引き起こしたわけじゃない。もちろん、プライドパレードには大賛成だけどね。今年で50周年だって?

——そう、50周年です。

そうか。〈ストーンウォール・イン〉の前を通りかかって、ウェストビレッジのクリストファーパークにあるジョージ・シーガルの彫刻を眺めるのが好きなんだ。ずっと前からあそこに立ってる。〈ストーンウォール・イン〉は、決して“流行りの(in)”バーなんかじゃなく、ずっと犯罪者やのけ者のための場所だった。図々しいゲイはいない。そこが好きだった。図々しくて不愉快なクイーンたちも絶対に来たりしない。そういうはみ出し者のゲイが集う場所が恋しいよ。今のマンハッタンにもそんなバーがあればすぐ行くのに、残念ながらひとつもないんだ。

——ブルックリンには行きますか?

いや、ブルックリンにもゲイバーはない。マンハッタン最後のゲイバーは、〈Squeeze Box〉という店だった。パンクロックなゲイバーで、客の3分の2がゲイ、3分の1がストレートだった。“勧誘”するには最高の場所だ。

——エッセイ集『Mr. Know-It-All』を執筆したきっかけを教えてください。

私のなかに残っているストーリーを絞り出して、あらゆる物事に対して自分の意見を述べたかった。もう語ることはないかもしれない。今まで散々語ってきたから。

——人からアドバイスを求められることは多いですか?

ある意味ではね。でも、ようやく73か74になって……何歳だったかな。73だ。年をとるにつれて自分の年が思い出せなくなる。アドバイスを与える権利があるのは、年配者だけだ。若い頃はアドバイスなんてできない。『Role Models』という本では、私がなりたい自分になるためのアドバイス、そういう許可のようなものをくれたひとたちについて書いた。今は私も年をとって、自分が学んだ教訓を、アドバイスを求めるクレイジーなひとたちに共有する段階に来たんだろう。

——今回の本のなかでいちばん大切なメッセージは何でしょう?

「愛してる」と囁くのは、相手が眠っているときだけにすること。彼らは無意識でその言葉を聞くが、それは返事を求めるものじゃない。答えを求めなければ、がっかりすることもない。強制力もない。

——アラン・カミングは『New York Times』の書評で、あなたの本から「同じことを何度も繰り返すことのできるユーモアのセンスがあるなら、ずっと同じことを続けても構わない」という一文を引用していますね。

でも、同じことを続けるにしても、それに変化を持たせ、時代に取り残されないように、常に自分を見つめ直さなければならない。何かでつまずいたときは、その物語を周りに語ればいい。たとえば映画がうまくいかなければ、私は本を書いたり、言葉を口に出すことで、いつも物語を紡いできた。それだけで充分だ。

1558450512395-DSC_5641

——つまり、あなたはストーリーテラーなんですね。

そう、私は常に作家だった。本を書き、美術展を開き、自分の映画の脚本はすべて自分で書いた。どうやればいいかなんて知らなかった。アイデアを考え出すのがいちばん楽しい。キャラクターを自分の手でつくりだすのが、私の楽しみなんだ。

——夢がすべて叶ったというのは本当ですか?

そのとおり、全部叶ったよ。〈夢が叶う〉だなんて、気持ち悪くて吐きそうだ。そう思わないか? もし誰かに「自分の夢が叶った」なんていわれたら、私は吐くね。胸がムカムカする。

——悪い意味ではないですよね?

でも、あまりにも陳腐な表現だ。確かに私は夢を叶えた。私は自分がこの年まで生きるとも思ってもみなかったし、今みたいな生活なんて想像もしてなかった。もちろん、今の生活には満足してるし、感嘆している。でも、その言葉を聞くと吐きたくなる気持ちもわかる。

——以前、映画の上映中に誰かが吐くのは、スタンディングオベーションのようなものだ、とおっしゃっていませんでした?

そうだな、ずいぶん前に。ちょうど『ピンク・フラミンゴ』が公開されたときだ。もし誰かが今、あの作品を気に入ってくれて、それで吐いたとしたら、それでいい。そういう反応を期待してつくった映画だから。

——ご自分が商業的に成功したと思いますか?

私はずっと売れたいと思っていた。でも、誰も評価してくれなかった。自分がつくる映画はすべて大ヒットして、すべての映画館で上映されるはずだと思っていたからね(笑)。〈カルト映画監督〉の価値なんて理解できなかった。カルトとはつまり玄人受けするもので、誰も金を払ってまで観ようとしない、ってことだ。私はいつも商業的な成功を求めていた。14のときに『Variety』誌を読んで、毎日ショービジネスについて学んだ。この世界で生計を立てたかったんだ。私が目指していたのは、73歳の売れないアーティストでも、怒りと不満に満ちた73歳でもない。怒りと不満に満ちた23歳ならそれでも良い。むしろセクシーだ。でも、73歳でそんな状態だと本当に気が滅入る。

——でも、あなたは違いますよ!

もちろん、何もかも不満に思ってるわけじゃない。私がこれまでに関わってきたひとは、みんなフェアに接してくれた。

——誰かからあなたについて訊かれたら、私は謙虚なひとだと答えることにしています。

自分でもそうだと思うよ。私は恵まれてる。

——あなたはもっとディーバみたいに近寄りがたい感じだと思っていたので意外でした。

ディーバだって? 私は車を待たせたりしない。みんな良くしてくれる。

——ファンとのセルフィーにも応じていますよね。

当たり前だよ。パンクしたタイヤを交換してくれって頼まれているわけでもないし。

——好きなコメディアンは?

良い質問だね。クリス・ロックが好きだ。コメディアンを観にいくことはない。いちばん好きなのは、もちろんレニー・ブルース。本では、ジョン・スタンリーについて書いた。今回の本ではね。彼もいまだに好きなコメディアンのひとりだ。レニー・ブルースがいなければ、今の私たちはなかった。彼は「ファック」といったせいで刑務所送りになったんだ。そんな時代、想像できるか? 私が今夜やったネタなら死刑になるだろうね。喋った内容だけで。とにかく、レニーが大好きだった。

1558450525566-DSC_5531

——人生最大の思いこみは?

そもそも、これまでに何か思いこみをしたことがあるかもよくわからない。人生最大の後悔は、タバコを吸い過ぎたこと。それが人生における唯一の後悔だ。思いこみか。たとえば誰かが君の出自や生活水準を理由に、君には無理だ、といったとしたら、それはそのひとの思いこみだ。でも、何かを信じたくなる気持ちはわかる。私はカルマを信じるわけじゃないが、マイク・ペンス副大統領がもう死んでいて、ディヴァインはもっと長生きできればよかったのに、と思っているから。

——70歳のときにミンク・ストールといっしょにLSDを使ったのはどうして?

やらない理由がなかった。私はいつもLSDに挑戦してみたいと思ってたし、これまでの人生も挑戦の連続だった。ヒッチハイクで国を横断したこともある。LSDもそれと同じだ。幻覚体験のほうがリスクは高いが、ヒッチハイクをしたときだって殺されていてもおかしくなかった。じゃあ幻覚体験はどうか。それを確かめるには、もういちどやってみなきゃわからない。若い頃に1回やったときは、特に恐ろしい幻覚はみなかった。ミンクと知り合って50年目の夏だった。彼と、私の年下の友人のフランキー(別に彼氏でもなんでもない、ただの仲のいい友人だ)と、LSDを飲んだ。ふたりでクスリをやってひとりだけおかしくなったら大変だから、3人目(彼氏でも彼女でもないひとが望ましい)を呼んだほうがいい。素晴らしい体験だった。この本のなかで最もセンチメンタルな章になっていると思う。

——今年のメットガラの〈キャンプ〉の展覧会は、もうご覧になりましたか?

まだ見てない。招待状やらカタログやら色々もらったけどね。

——あなたの作品が展示されていないのが残念でなりません。

オープニングにも招待されてないが、『ヘアスプレー』のゴキブリ柄のドレスは展示するべきだったと思う。あのドレスはクチュールだと思ってたから。

——『MAD』誌のキャラクター、アルフレッド・E・ニューマンに投票したい、とおっしゃったそうですが。

『MAD』は、レニー・ブルースよりもさらに前の雑誌だ。私が反抗的な考えをもつきっかけになった。両親が定期購読してくれた。私くらいの年代にとって、とても重要な雑誌だった。ピート・ブーテジェッジはアルフレッドを知らなかったらしいが、知っておいたほうがいい。30代だろうと関係ない。あのアルフレッド・E・ニューマンなんだから。1950年代には、アルフレッドにそっくりなモキシー・カウズノフスキーという女の子のキャラクターも登場した。私はアルフレッドのTシャツも持っていた。他のどの政治家よりも彼に投票したいね。アルフレッドが恋しいよ。

——他に恋しいと思うひとは?

ディヴァインが恋しい。フェアじゃないくらい早すぎる死を迎えたひとたちは、みんな恋しいよ。でも、〈フェアな死〉なんてものは存在しない。だから、本を読んだり、映画を観たり、生きているあいだにできるかぎりのことをしないと。「どうしてそんなに生き急ぐんですか?」と訊かれるが、人生はいちどきりだからに決まってる。できることはすべて体験したいんだ。可能なかぎりね。死からの復活というものを、私も信じてみたいと思うよ。カトリックの教えで唯一好きな考えかただ。まあでも、もしみんなが復活できたら、深刻な住宅不足になるだろうけど。

——宗教の話が出ましたが、ジャスティン・ビーバーが熱心なクリスチャンになったことについてどう思いますか?

ちょっとガッカリした。でも、彼の選択だからね。彼がもっとお騒がせ者だったときのほうが好きだった。今でもクールだとは思う。ジャスティンのスカーフも持ってるよ。彼のことはずっとクールだと思ってた。素晴らしいポップスターだ。

——好きな抽象画家は?

もちろん、ジャクソン・ポロック。電車のトイレで立ちションすると、たとえ一等車でも、ジャクソン・ポロックの絵ができあがる。女性だって、電車で用を足すときは座らないはずだ。不可能だから。アンディ・ウォーホルの〈ピス・ペインティング〉みたいにも見える。

——アートの世界が、物議を醸すものを発表できる最後の場所というのは本当でしょうか?

ある意味そうだろう。検閲が意味を持つ、唯一にして最後の領域だ。誰かが反感を示してくることもある。アートというものは、必ず誰かの反感に対する怒りから始まる。抽象表現主義でも、ポップアートでも、ミニマリズムでも、ビデオアートでも、最初は必ず非難された。最初から好かれるひとなんていない。

——もしずっと嫌われ続けたら?

しばらく嫌われたとしても、ずっとは続かない。本にも書いたように、この世界には、母親以外に自分を好きになってくれるひとが2人はいる。でも、アートの世界ではひとりだけだ。いや、やっぱり2人いる。良いディーラーとコレクターだ。

——最後に、あなたの言葉をひとつ引用したいと思います。「家を3軒持っていたらアナーキストになれない」。

そのとおり。これは実体験なんだ。あと夏用の別荘もね(笑)。

This article originally appeared on i-D US.