『RAW〜少女のめざめ〜』映画評

ベジタリアンの少女が肉を食べてカニバリズムに目覚める——。カンヌで絶賛され、アメリカの上映会では失神者を出した、フランスの新鋭ジュリア・デュクルノーの長編監督デビュー作を小林雅明がレビュー。

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02 February 2018, 10:15am

映画は、まず、女子大学生ジュスティーヌの肉軆や表情や所作の変容を捉えた映像を積み重ね、彼女の肉欲の疼きに、潔く斬り込んでゆく。そこでは、女性の性衝動を扱う際のおきまりの、自分の性欲への強い羞恥や、周囲の目に対する過剰な意識を示す描写は、完全に無視されている。この潔さは、フェミニストとしてのジュリア・デュクルノー監督の矜持だろうか。ジュスティーヌが鏡に向かい自身の変容を受け入れる場面で鳴り響くのは、"姉妹"ラップ・デュオ、オルティー(ORTIES)の曲だ。二人はハードコアヒップホップのミソジニーな伝統に反旗を翻し、2012~13年にフランスで一躍注目を集めた。

一方、か弱い小動物のようなジュスティーヌは、終始毅然としているようなタイプではない。全寮制の獣医学大に入学したての彼女は新生活の様々な局面で疎外感を強く感じている。この獣医学大学(及びその寮)という舞台が、人間性と獣性が交錯するという意味で、彼女の肉欲には強力な磁場となっている。そして、人間は激しい肉欲を前にしたら、ジェンダーや性的指向からも解放されてしまうのか、彼女はルームメイトのゲイ男子を初体験の相手にしてしまう。その彼が間に入ることで、大学及び寮の先輩である彼女の姉との姉妹関係も、拗れに拗れてゆく。

© Dominique Houcmant Goldo

そして、肉欲の正体が、人肉食という類いの肉欲ではないか、と彼女が気づき始めるところで、この映画も、真の姿を表す。ジュスティーヌは、この先、一生、人肉を喰わないといけないのか? 言い方を変えれば、自分の未来は、過去や現在に基づいて決められている、いわば、決定論に左右された人生で、それで人間はいいのか?という問いかけだ。彼女は人間だ。『RAW〜少女のめざめ〜』によって、わたしたちは、ジュスティーヌと一緒にめざめる。決定論なんてクソ食らえ、自分の未来くらい、自分で開いてやる、と。

RAW〜少女のめざめ〜
2018年2月2日より、TOHOシネマズ六本木ほか全国ロードショー