Photography Houmi Sakata

『ゆれる人魚』アグニェシュカ・スモチンスカ監督インタビュー

1980年代のポーランドを舞台に、魅惑的な人肉食の人魚姉妹が歌う『ゆれる人魚』。ポーランドの新鋭監督が、姉妹に割り当てた「人魚」らしさ、同時代の女性監督たちとの共通点、カットしたシーンについて語る。

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feb 6 2018, 5:56am

Photography Houmi Sakata

美しい歌を歌えば、人間を誘惑して食べることができる──人魚が天使のような声を持つのはそのためだ。ナイトクラブでミュージカル・ナンバーを歌う一方、人間の血の渇きに惹かれて彷徨う夜の生活を送る『ゆれる人魚』の陸に上がった肉食マーメイドは、天使のようでもあり、クリーチャーのようでもある。『ゆれる人魚』は、1980年代、共産主義下のポーランドの堕落と退廃を人魚の姉妹シルバー(マルタ・マズレク)とゴールデン(ミハリーナ・オルシャンスカ)とともに呼び起こしている。映画は、ビザールでキッチュな薄暗い世界とともに、初めて人間の世界に触れる彼女たちの純真な喜びや悲しみ、欲望や快楽、あるいは恐怖や疎外を描いていく。

また、ポーランドの画家アレクサンドラ・ヴァリシェツカによる幻想的で不気味なアニメーションで始まるこの映画からは、様々なジャンルの映画の楽しみを享受することができる。ファンタジー・ホラーであると同時にラブストーリーであり、姉妹のドラマであり、少女から大人への成長譚でもある。

そして、本作はハンス・クリスチャン・アンデルセン『人魚姫』の暗く悲劇的な精神を継承しつつ、同時代的な解釈を加えている。それはジェンダーの役割と、女性の意志を強要する男性のしきたりに関わるものだ。人魚の姉妹は毎晩ステージに上がるものの、ほとんどショーのための見世物のようにある種のおもちゃとして利用され、まともに報酬を支払われないでいる。ここにはオブジェクトとして少女が扱われ搾取される現実のイメージが重ねられているだろう。

2017年はハーヴェイ・ワインスタインなどハリウッド業界の性的暴力事件のスキャンダルが公になった年であったが、その反面、近年、女性監督による女性が主人公の力強いホラー映画が台頭しつつある。興味深いことに、その意味において『ゆれる人魚』は同時代的な作品だと言える。女性の性的な欲望や感情をある種、生理的嫌悪にも訴えかけながら描くのである。長編デビュー作にしてポーランド映画界の未知なるジャンルに挑んだアグニェシュカ・スモチンスカに話を訊いた。

──本作を「大人のおとぎ話」と説明している通り、この人魚の姉妹は確かにディズニーのスウィートなマーメイドとは異なりグランギニョルなものですが、同じくミュージカルという手法を採用しています。当初からミュージカルとして描く構想を持っていたのでしょうか。

「企画の当初は、東西ベルリンの壁がまだある共産圏時代にポーランドのダンシング・レストラン(80年代に栄えた東欧圏独特のダンスホールを備えたレストラン。西側の最新音楽などを楽しむことができた)で育ったミュージシャンの姉妹(劇中の音楽も手がけた「バラデ・イ・ロマンセ」のヴロンスキ姉妹)の物語を考えていました。ですが、姉妹のひとりが企画を立ち上げて一ヶ月ほど経ってから、内容が親密すぎるから私的な面を曝け出したくない、名前を出すのは控えてほしいと仰ったので、設定を人魚にすることでそこにマスクを被せることにしました。そのことによって、大人向けのおとぎ話になったと同時に、ディズニーのようにハッピーエンドでなくてもよいと考えるようになりました。また、物語の流れもそこから生まれていきました。本作が歌うミュージカルになったのは、もともと人魚は神話の中でも歌う存在であるからという理由がひとつ、それから彼らのいる環境がダンシングというクラブ、つまり人々が歌う場所であったためという理由もあります。この両方から歌という要素が自然と出てきて、ミュージカルになりました」

──ポーランドにはミュージカルやホラーといった伝統がないと聞きますが、本作は単なるジャンル映画ではなく、様々なジャンルのマッシュアップになっています。それは一層チャレンジングな試みのように思えますが、なぜこのようなスタイルになったのでしょうか。

「確かにポーランドの映画史において作られてきたホラーもミュージカルもたったの2本しかありません。なので、ミュージカルやホラーの要素のある映画をデビュー作で作りたいと言うと、やはりみんなからはこの人おかしいんじゃないかと見られました(笑)。それでも作ろうと思ったのは、人魚のキャラクターから本作のジャンルが定義付けられていたからです。人魚というのは女性と獣のハイブリッドです。いわば性質の半分は歌を歌う、半分は人肉を食らうという特徴を持っているわけで、そこからミュージカルとホラーというジャンルが自ずと出てきたのです。当初はミュージカルのみで行こうとも考えていましたが、人魚について振付師で本作のお手伝いをしてくれたカヤ(・コロジィチィック)たちとリサーチを行なっていくなかで、昔の神話やホメーロスの物語(『オデュッセイア』のセイレーン)のなかでも人魚は人肉を食らっていた存在として描かれたことに気づきました。人魚の物語を今までの歴史とともに真に迫りたいと思うのであれば、美しい部分や歌うを歌うところだけでなく、ダークサイドも見せなければいけないと思うになりました。だから今回の人魚の尻尾は美しいものではないものにしました。でも個人的にはホラーは好きではなく、3本しか見たことがありません。だって、ポーランドはキェシロフスキとポランスキーの国ですから(笑)。だけど、人肉を食べている音だけが聞こえてくるような直接的に描写を見せないという方法では人魚の性質をすべて見せることはできないと考え、苦手なホラー色も取り込んだのです」

──人魚が人の形になったときの性器の欠如したイメージというのも魅惑的でした。しかし一方で、若い女性の裸を要求する場面も多く、撮影は大変だったのではないかと思います。撮影中に注意を払っていたことはありますか。

「裸であるということに関しては、シルバー役のマルタの方がよりケアや準備が必要でした。ただ、裸であることは獣である人魚にとっては恥ずかしいことではないので、そういう風に感じずに振る舞える、あるいは裸と向き合えるようなエクササイズを事前に行いました。マルタも事前にエクササイズをやったために、本番では問題なく振る舞うことができました。あと気をつけたのは、裸がエロスと直結しないようにすることです。人魚自身がそれを全く間違いだとは思っていないのだから、エロスとつながらないような表現にすべきだと考えたのです」

──本作の中には女性のセクシュアリティに対する恐怖のようなものを感じさせる部分もあります。人魚の尾ひれには指を入れられるほどの大きさのヴァギナのようなスリットがあることが見受けられますし、また粘液感や魚のにおいも強調されているように思います。なぜこういった要素を入れようと思いましたか。

「それらは、物語で描いている“大人になる”ということを強調するために入れた要素です。少女が女になっていく過程を描いていくなかで、ヴァギナやにおい、それから大人の男が若い女性たちを人間ではなくモノ扱いする、あるいはそういう見方をする、そのようなものをあまり直接的になりすぎないようにメタファーとして扱っています。言うならば、人魚たちは私にとって、未だ人間ではないもの、あるいはまだ大人の女性ではないもののメタファーなわけです。だから半分は魚であり、半分は女なのです。また、唾や血といったものも同じような扱いをしています」

© 2015WFDIF, TELEWIZJA POLSKA S.A, PLATIGE IMAGE

──ゴールデンは男ばかりを殺害しますが、殺害されていく犠牲者のタイプ分けはどのように決められましたか。

「すごくいい質問ですね(笑)。ゴールデンは好みとしては男性女性両方の肉が好きです。ただ、確かに食べているのは男ばかりで、彼女が惹かれる女刑事を食べることはありません。彼女のことは気に入っているから、セックスはするけれども食べなかったわけです。カットしてしまったシーンなのですが、女刑事とデートしている場面も実はありました。それは、川でゴールデンが泳いでいて、女刑事がタバコを吸いながら彼女に付き添って歩いているような美しいシーンでした」

──ゴールデンとシルバーはある意味では「娼婦」と「ヴァージン」のヴァリエーションのようにも見え、どちらも確かに少女の性的な目覚めを迎えていると思います。ゴールデンが快楽を夜の冒険に求める一方で、シルバーは男のためにロマンティックな関係を望むものの、それは無駄に終わってしまいます。この悲劇には愛のために自己犠牲を払ってしまう若い女性への教訓のようなものが感じられます。

「ゴールデンは娼婦なわけではありませんが、確かに本質のふたつの側面を描きたいと思って、姉妹のキャラクターを描いています。ゴールデンはより野性に近い本質を、シルバーはより人間に近い本質をあらわしていると見てもらっていいと思います。何か教訓的な部分というのも確かに込めています。私たちもこの物語のモラルは何だろうかと考えました。本作は多層構造なので様々なモラルがありますが、一番大きいのは、シルバーが大人になる過程でいかに自分自身を築き上げていくこともできるかという一方で、自分自身を自分の手によって失うこともあり得るのかということです。言い換えれば、自分が自分のアイデンティティを決めていくのだということです。シルバーにとって自分を特別たらしめているシンボルは、自分の尻尾です。なので、彼女の物語から得ることのひとつは、初恋をしたときに自分自身をも失う必要はないのだということです。自分自身が誰であるのかということを犠牲にしてまで身を捧げる必要はない。初恋というのは、多くの人にとっては生きるか死ぬかみたいな大ごとに感られるかもしれません。別れてしまったら、恋に破れてしまったら、自分自身のアイデンティティまでも失ってしまうのではないかというぐらい大きく感じるものでもあります。そういったことのメタファーでもあるのです。その一方、ゴールデンはもちろんそういった考えは全く持っていない。これが一番大きなひとつのモラルかもしれません」

──舞台となるワルシャワではマーメイドは象徴的な存在だと聞きます。この姉妹は自らの意思や力を持った個性的な女性として提示されていますが、シルバーは人間になることを選択した後は確かに主体性を失っているように見えました。

「確かにワルシャワでは、ひとつのエンブレムとして人魚は街中でたくさん見られるものです。剣と盾を持った戦士として描かれていることが多いです。街に記念碑みたいなものは多くあるのですが、それまで映すとやりすぎだと思ったので、劇中ではあえて取り入れてはいません。シルバーの物語の方は、やはりアンデルセンからの影響が強いです。ご存知のように、人間と恋に落ちれば不死の魂を得られるという伝説が『人魚姫』では描かれているわけですが、不死だ何だとなるとカトリック的すぎるので、その要素はあえて入れていません。私たちがフォーカスしたのは、自分がそもそも持っている内なる自然や野性みたいなものを失ってしまったら、自分自身がいかに消えてしまうかということでした。それが彼女の物語です。また、姉妹の絆を描くことも大切だったので、ゴールデンが復讐をする部分も描きました。ゴールデンの方が野性の世界により近いのは、彼女は妹なのでより野性の部分が残っているからです。それに対して、姉のシルバーは人間に憧れ、人魚から人間になる判断をするのだけれど、それはかつての自分ではもうなくなってしまうことを意味します。なので人というのは、そのまま自分の内なるものを大切にしながら自分自身を見つけていくのか、あるいは自分自身を自分ではない全く異なるものとして作り上げていくのか選ばなければならない、というようなことも込めています」

──ヴァンパイアやカニバリズムという点では、アナ・リリー・アミールポアー(『ザ・ヴァンパイア 残酷な牙を持つ少女』『マッドタウン』)やジュリア・デュクルノー(『Raw 少女のめざめ』)といった同時代の作品も思い出させます。ロマンスや欲望、少女から大人へのセクシュアルな成長物語のメタファーとしてホラーを扱うことや女性の性的アイデンティティの表現などに関して、似た関心や感覚を覚えます。フェミニスト的な映画だと見られることもあるかと思いますが、そういった点をどう思われますか。

「確かに非常に興味深く思っています。そういった作家と並べられて考察をされている記事なども読んだことがありますが、たぶんそれは私たちが神話的で典型的な、あるいは古典的なひとつのアーキタイプに立ち戻って映画を作っているからではないかと思います。例えば古典的な復讐譚であれば、一番ヴィジュアル化しやすいのは食らったり殺したりする行為でしょう。私たちはもしかしたら女性の復讐の瞬間というものを視覚化したいと思っているから、そういう作品ができているのかもしれない。一番視覚的に描きやすい行為がホラーになるため、ホラー要素の多い作品になっているのかもしれません。興味深いのは、異なるそれぞれの国でお互い特に面識もなく、お互い好きな作品もきっと異なるタイプなのに、共通点のある作品が生まれてきているということです。そういう点はすごく面白いなと思っています」

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──ボブ・フォッシー『オール・ザット・ジャズ』『キャバレー』やラース・フォン・トリアー『ダンサー・イン・ザ・ダーク』といったミュージカル映画を本作の参考にしたそうですが、影響を受けた監督を教えてください。

「ティーンエイジャーのときはロマン・ポランスキー。それからもちろんキェシロフスキ。中学校で映画の勉強をしたときにアントニオーニやフェリーニ、ベルイマンの作品も観ました。大人になってからはデヴィッド・リンチとタランティーノが好きになりました。ひとつ面白い逸話で笑っちゃったのが、あるときポランスキーがポーランドの国立映画学校に電話してきて、誰もが彼のことを知っているのに「こんにちは。ロマン・ポランスキーです」と挨拶してから、「タランティーノはどう思う?」って聞いてきたそうなのです(笑)。『パルプ・フィクション』はその頃に見て、大好きな作品です」

──ちなみに、観られたことのあるホラー映画というのは何なんでしょうか。

「十代の頃に『シャイニング』、それから『エクソシスト』を観ました。VHSでB級ホラー映画も観たことがあります」

──ジャンル映画に対してはどのように思われていますか。

「いまはジャンル・ミックスが好きです。そこにこそ映画の未来があると思っています。以前よりもジャンル映画、ホラーは好きになりました。本作の後に『グッドナイト・マミー』の監督たちとのホラー・アンソロジー『The Field Guide to Evil』のなかで短編(『Island of the Devourer of Souls』)を撮りました。一般的にヨーロッパ、特にポーランドではジャンル映画、ホラー映画はすぐにB級映画だと見なされますが、最近それは間違っていると思うようになったのです」

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ゆれる人魚』2月10日より新宿シネマカリテほか全国順次公開。