A Guide to shu uemura

つねに革新的であることを問い続けた、shu uemuraの今は亡き創始者、植村秀。彼の先駆者魂は日本の美容界を変え、メイクアップの世界をモードとアートに結びつけた。植村秀とビューティの軌跡をたどってみよう。

by Aiko Ishii
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18 November 2016, 7:00am

物語の始まりはアーティスト、植村秀の誕生
日本のビューティ界の常識を次々と覆し、真の意味で解き放ったアーティスト、植村秀。羅紗問屋の四男として生まれた彼が、"美容"の世界に足を踏み入れたのは、偶然でも必然でもなく、20代にしてその手にしていた先見性がゆえ。メイクアップアーティストという職業すらない時代に黄金の扉を予見した彼は、自ら学校で学び、幸運にもハリウッド映画でのアシスタントの職を得る。腕一本で女優シャーリー・マクレーンやフランク・シナトラといったあまたの著名人をうならせた最先端のメイク技術を体得。37歳で女性たちがハリウッド式のメイクアップを体験できるサロン空間をオープンした。このアトリエを皮切りに、若いアーティストたちの指導に尽力。エポックメイキングとなった最初のクレンジング オイル「アンマスク」を発表(1967年)するなど商品開発にも着手した。孤高の獅子は、その生涯を通じて大胆不敵に「誰もやらなかったこと」に挑戦し続け、モードメイクの世界を切り開いたのだ。

"スタンダード"はパイオニアの存在なくしてはなかった!
ふだん当然のように親しんでいるビューティ界のスタンダードの数々が、実は植村秀の独創的なアイデアから生まれたものだったりする。例えば、オイルクレンジング。今となっては信じられないが、発売当時の日本人はオイル=天ぷら油くらいの認識。オイルでクレンジングをするというアプローチ自体が、その美容効果同様に、衝撃的な驚きだった。天然由来の成分を配合した化粧品や、漢方や酵素に着目したインナービューティの思想など、昨今の雑誌でもおなじみのトピックスをいち早く導入したのも彼。画材屋のように色とりどり並んだプロダクトを自由に試せる"ビューティブティック"のオープン(1983年・東京表参道)は、百貨店の化粧品売り場のありようを根本から覆してしまった。美容とモード、美容とアートを結びつけた功労者であり、ビューティ ショーやメイクアップ コンテストの開催を通じて日本のビューティ界に表舞台の光をもたらした、真からの先駆者だ。

美も街も私たちも、目指すは"ビアンネートル"
フランス語の「bien-être(ビアンネートル)」という言葉。意味するところは、"つねに良き存在である"ということ。それこそ、植村秀が何より大切にしてきた哲学だ。そもそもメイクアップとは女性をより美しく輝かせるもので、それは欠点を隠すのではなく、"良いところを引き出す"ことで生まれるというのが彼の持論。そして、顔だけで完成するものでもなく、ファッションやヘアスタイル、何より個性とのバランスにおいて、常に"良き存在"でなければならないと語っていた。また、周囲や社会との調和をもたらすような"あり方"についても、ビアンネートルであることに重きが置かれた。例えば、表参道のブティックを作るにあたっては、街そのものにとっていかに"良き存在"であれるかを念頭に設計デザイン、コンセプト作りがされたという。またもうひとつ、忘れてはならないのが、私たち自身が年齢を重ねても美に対して"良くある"こと。その積極的な心持ちが大切だと説いている。

輝きが宿るのは、ひとつひとつに"哲学"があるから
まずは美しいキャンバス=肌そのものを作り上げるために、メイクアイテムのみならずクレンジングオイルやスキンケアの開発に着手したように、植村秀のプロフェッショナリズムはすべてのプロダクトに浸透し、継承されている。彼の言葉を借りるなら、商品づくりで大切なのは「フロンティアと鍛冶屋の精神」その両方。つまり、まずはこの世にない新しいものを作ろうとするパイオニア魂。それに"鍛冶屋"のように時間をかけ、究極を目指す情熱と執念が欠かせないという。例えば、今なお定番として愛されているメイクアップボックスは、ひとつひとつ、職人が丁寧に手作りで仕上げたプロ仕様。メイク用のブラシ1本をとっても、上級の技を叶える上質さと使いやすさを実現するため細部までこだわり抜かれている。一貫するのは、シンプルに美しく、一生使えるクオリティであること。shu uemuraのプロダクトが時代を超えて輝き続ける理由だ。

すべてはあらゆる女性の、あらゆる必要にこたえるため
「世界中の女性を美しくする」。植村秀はそのために、年齢も容姿も関係なく、あらゆる女性の、悩みや要望、そして希望を叶えるという、果てしない目標を掲げていた。でもそれは決して夢物語ではなく、その"あらゆる必要"を革新的に満たしていくことで、パイオニアとしての地位を揺るぎないものにした。例えば、昔はプロのメイクアップアーティストしか使用していなかったブラシなどのビューティツールの数々。今では当たり前のように使っているけれど、これを一般に向けて商品化し、先駆けて販売したのも彼。メイクアップとは人を気持ち良くさせるもので、心地良さはさらなる美につながる。だからこそ、肌に触れるブラシは上質なものでなければならないし、プロのニーズを実現した美しい道具を使うことで、美しい仕上がりも生まれる。そんな垣根を取り払う彼のクリエイティブなスピリットが、私たちにメイクアップの楽しみを届けてくれたのだ。

ワイズマンはこう言った「美しさのない人生は情けない
偉大なるアーティスト、植村秀が遺した言葉には、ミレニアル世代が耳にしてもハートに響くメッセージが数々ある。彼いわく「美人は生まれながらのものではありません」。女性を美しくするのは、生まれついた容姿ではなく、様々な経験を通じて培われた精神的な豊かさと、美への心意気だと。例え、顔立ちを引き立てるパーフェクトなメイクを施したとしても、その人自身に「綺麗になりたい」という気持ちや毎日を生きる姿勢がなければ、内側から輝く真の美は決して手に入らないのだという。そして「冒険心は確実に人を変える」とも。自分の審美眼を信じて挑戦すれば、心も体も研ぎ澄まされ、ひとつの冒険の先にまた新たな冒険が生まれていく。それこそ、まさに植村秀が自ら人生を通して貫いた生き方だ。既存の価値観にとらわれることなく、突き動かされるように日々冒険に挑戦する。「美しさのない人生は情けない」。植村秀のいい意味で反骨心溢れるモードな生き様には、美の秘訣が隠されている。

Credits


Text Aiko Ishii
All Images Courtesy of shu uemura

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