愛とは言語である

日本でインターネットが普及し始めてから20年が経ち、Facebook、Twitter、LINEといったSNSは私たちのコミュニケーションツールとして欠かせない存在となった。そうした状況において、日々の生活のなかで私たちが接する言葉も変わってきている。愛なき時代に私たちができること、そして、愛と言葉の関係とは……。コラムニストのブルボン小林が「愛と言語」を語る。

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feb 2 2017, 2:25am

村田沙耶香の芥川賞受賞作『コンビニ人間』に白羽という男が出てくる。主人公の働くコンビニに、新人バイトとして雇われた白羽は、遅刻はする、サボり癖はある、勤務中もやる気を見せない三拍子揃ったダメ男だ。その上、口を開けば不平や呪詛の言葉ばかりが出てくる。上司には「威張り散らしてるけど、こんな小さな店の雇われ店長って、それ、負け組ですよね。底辺がいばってんじゃねえよ、糞野郎……」と影でボヤき、「縄文時代から女はそうなんだ。若くて可愛い村一番の娘は、力が強くて狩りが上手い男のものになっていく。強い遺伝子が残っていって、残り物は残り物同士で慰め合う道しか残されていない」と、古くて間違った思想を熱弁する。「縄文時代(から人は変わらない)」と「底辺」の2つは、彼の会話のキーワードになっている。
身勝手で薄っぺらな彼のような人を、我々読者はまず笑い、呆れ、でも、案外どこかにこんな奴がいるかもしれないと思うだろう。インターネット上の過激な言葉を見続けていたら、こんな風に安直で貧しい語彙になった人が案外、いるかもしれない。

相模原市で起きた連続殺傷事件の容疑者もおかしな言葉を発していた。衆議院議長大島理森に宛てた手紙の全文が公開されたが、面妖なとしか言えない気持ちになる。「私は障害者総勢470名を抹殺することができます」という始まりの手紙を受け取った衆議院議長の気持ちはどんなだったろう。
「障害者は不幸を作ることしかできません」「保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳」と、自分の働いた障害者施設の現場を観察したことから、殺人の正当性を導き出している。「世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたから」と崇高な理由を説明する一方、逮捕後の勾留は2年にして、無罪にして5億円ください、とものすごくムシのいい要望の言葉もある。
ひどい、という感想以前に、混乱する。文章の部分部分は正しい語彙、文節が選ばれているのだが、全体的には支離滅裂だし、要求もまた崇高でない、はなはだ世俗的なものだ。変な感想になるが「5億円なんだ……」と思った。5億円が、「今の」世界で悠々と生きていけると容疑者が「見積もった」値なのだろう。「勾留2年」というのもだ。「いきなり無罪放免じゃ、やっぱり世間的にもアレでしょうから、建前上は勾留も必要でしょうし、自分としても我慢できる年数の妥協点として」あげている年数、つまり「世間の感覚ももちろん分かってる」という自負が見受けられる。一瞬、理解しそうになってしまって危ない。たしかに生きていくのに1億円じゃ不安だ、3億でも親に家とか買ってあげると心細い、5億円だな、5億あれば、つましくなく、悪目立ちせずに、ちょっと贅沢に生きていけるな、と。そういうムシのよい考えを、我々だって別の局面では思い抱きそうだ。
ただ支離滅裂なだけの狂人でない、世間や経済、あるいは「幸福」の相場を分かっている自負があることが、より危ない。つまり我々は、この容疑者を「支離滅裂な人だ」とだけ理解しない方がいい。自分たちの暮らしと地続きに、話の分かる体で、いる人だ。

『コンビニ人間』の白羽の「ひどさ(サボる、遅刻する、やる気がない)」に対し、主人公以外のバイト仲間は、彼を「見下す」ことで応じる。「35歳とかでしたよね。それでコンビニアルバイトって、そもそも、終わってません?」「人生終了だよな」と、バックヤードでの彼らの陰口に遠慮はない。白羽の縄文のような強い単語こそないが、「終了」という語彙は似ている。実は当人同士知らないだけでただ「やりあっている」。これは交わらない両者を観察する小説だ。
では「ひどい」容疑者に対し、小説ではない現実の我々はどうだ。我々もひとまずは「終わってる」という言語に近い感想を抱くかもしれない。行為はもちろん彼の支離滅裂な言語に対して、無理に共感や、斟酌する必要はもちろんない。まったく、ない。
だけども、同じ言語で「応戦」して終わらせてはいけない。

我々もまた、インターネット上の過激な言葉を見続けている。言葉は気持ちを伝播させる。「言霊」などというおおげさなことではない。単にその土地に暮らしていたら方言が移るのと同じことだ(実は、伝播はあらがえない)。「愛」という大きなテーマで今回、依頼を受けて、とっさに思ったのは上記の2つ、最近のフィクションと現実の事件のこと。「愛」とは到底かけ離れた2つの例だが、あまりにも愛の対極にあるから思い出されたのだろうか。
それもあろうが、どちらも「言語」のことで、愛もまた言語のことだと思うからだ。
我々は理不尽に対抗するため、可能なかぎりの武器を携えて眠るか、そうでなければ思弁を続けなければならない。1人では考えきれないことを、それでも絶えず薪をくべて空気を送り込んで、火を絶やさないようにし続けなければならない。誰かの言葉が目にみえて貧しくなっていることは、端的に愛が消えそうだということなのだ。

@bonkoba

Credits


TEXT BOURBON KOBAYASHI
Photography Kisshomaru Shimamura