復活希望! カルト的人気を誇った10のブランド

ソフィア・コッポラがピチTを作って売っていたことを、あなたは知っているだろうか?

by Alice Newell-Hanson
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04 November 2016, 5:00am

Image courtesy Fiorucci

X-girl Tシャツ、JNCOのジーンズ、Red or Deadのブーツをリアルタイムで知っているひとなら、私たちの青春時代を象徴するアイコニックなこれらのブランドが最近になって再評価されてきているのを感じているだろう。VFILESではX-girlの商品が再発売され(初期メンバーであるキム・ゴードンは直接的に関与していないようだが)、2月にはJNCOがまた極太ジーンズをひっさげて帰ってくると発表したばかりだ。そしてAshley Williamsのコレクションが発表された。こうしたブランドの復帰を祝福しつつ、ここではわたしたちが「カムバックしてほしい!」と願うほかの10ブランドを紹介したい。

Liquid Sky
「あれは現象だったわ。シーンとでも言うべきものだった」とクロエ・セヴィニーはLiquid Skyについて語っている。たしかに、Liquid Skyはショップやブランド以上の存在だった。1990年代、レイヴが盛んだった頃、ニューヨークのクラバーはダウンタウンにあるLiquid Skyの店舗をクラブハウスのように捉えていた。店舗には、宇宙人DJを模したブランドキャラクターであるアストロガール(Astro Girl)と「クスリはダメ(Drugs Kill)」「アンダーグラウンドであれ(Keep Underground)」などのメッセージが配されたオーバーサイズのTシャツのほか、ポケベル用ポケット付きの信じられない太さのパンツなどが所狭しと陳列されていた。平和、愛、そしてUFO——それがLiquid Skyの理想郷だった。この世に存在するにはあまりにも高潔すぎたのかもしれない。

Pervert
カテゴリー:超レア

相互参照:ジャネット・ジャクソン、ジム・ロバーツ率いるカルト集団ブレスレン、そしてSupremeの初代デザイン・ディレクターであるブレンドン・バベンジン

「事実は小説よりも奇なり」——ストリートウェア業界に大きな影響を与えたレーベル、Pervertの歴史には、物語のすべてがある。マイアミ出身のスケーター、ドン・バスワイラー(Don Busweiler)が「ヒップホップをベースとしたストリートウェアを作りたい」というシンプルな夢を抱くところから始まり、彼がPervertを立ち上げ、そして1995年にドンがカルト宗教に入信すると同時にレーベルを去るところで終わるのだ。その短い活動期間で、Pervertは大きな功績を残した。Supremeを立ち上げたばかりのブレンドン・バベンジンに大きなインスピレーションを与え、またフラットキャップやパファー・ベスト、バスケットジャージが大人気を博した。そして1995年のMTV Video Music Awardsでジャネット・ジャクソンがPERVERTとプリントされたTシャツを着てパフォーマンスするなど、静かに、しかし確実に、歴史にその爪痕を残した。そのアンダーグラウンドでカルト的存在感はステータスとなった。Pervertの服を着ている者同士は「見えない握手をしているような感覚があった」と、コアなファンは当時を思い出して力説した。

Cross Colors
90年代初頭、LAのストリートブランドCross Colorsの服をTLCの3人ほどうまく着こなしていた者はいなかった。Cross Colorsは、その明るい色調や「高みを目指して教育を(Educate 2 Elevate)」といったスローガンを通してポジティブなメッセージを世界に広めようと立ち上げられた。基本的にはメンズウェアのブランドだったが、創始者であるカール・ジョーンズ(Carl Jones)とTJウォーカー(TJ Walker)は緑や黄色のカラフルなオーバーサイズ・ハットやカーゴパンツ、そしてもちろんコンドームでデコレーションされたTシャツなど、多くの作品をTLCに提供した。TLCのほかにもRUN DMCや、テレビ番組『フレッシュ・プリンス』のキャストなど、Cross Colorsには多くのファンがいた。

Tommy Gear
Tommy Hilfigerのブランド傘下では多くの素晴らしいものが生まれた。メインラインではアリーヤがテレビコマーシャルに起用され、"アーバン"なディフュージョン・ラインのTommy Sportが展開され、独自の世界観を切り拓いた。Tommy Gearもまた、Tommy Hilfiger傘下で展開されたラインのひとつだった。Tommy Gearの象徴的アイテム、クレヨンカラーのスカルキャップ、ドゥーラグ、カラフルなベースボールTシャツなどは今でもeBayで見つけることができる。が、ストリートウェアとしては少し笑いを含んだ扱われかたをしているのが現実だ。

Fiorucci
独自の世界観を表現したデザイナー、エリオ・フィオルッチ(Elio Fiorucci)は昨年初旬に他界したが、彼が残したものは今後も生き続けるだろう。1967年、ミラノで創立されたFiorucciは、ファッションブランドのあり方の幅を押し広げた。世界初のストレッチジーンズを世に送り出し、アイコニックでスキャンダラスな広告を次々に発表した。しかし、Fiorucciといえばなんといってもマンハッタンの59丁目にオープンしたショップが最高傑作と言っても過言ではないだろう。70年代、日中に入れるStudio 54のような存在として知られたこのショップには、アンディ・ウォーホルやシェールがこぞって出入りした。「15歳の僕は、夏のあいだキャンプなんかに行かず、ずっとFiorucciのショップに出入りしてたよ」とマーク・ジェイコブスは当時を思い出しながら語る。「あのショップには、僕が憧れていたファッションショーがそのまま息づいていたんだ」。今の世の中には、ゴールドのラメを使ったブーツやプラスチックのジーンズ、ヒョウ柄プリントがもっともっと必要なのだ。

Martine Sitbon
カール・ラガーフェルドはかつて、マルティーヌ・シットボンを「いま生きて活躍している唯一のフランス人デザイナー」と讃えた。彼女の名前を冠して1986年に立ち上げられたラインでも、80年代後期クロエのコレクションでも、そののちに彼女が立ち上げたレーベルRue du Mailでも、シットボンが作る服には一貫してダークな魔法の物語性があった。シットボンは彼女が育った時代のパリと街のそこここで開かれるフリーマーケットの記憶に想いを馳せながら、かつエドワード王朝時代のダンディズム、闘牛士、そして本物のロックンローラーをインスピレーションとして創作に取り入れ、服を作った。彼女のラインは日本で今でもライセンス契約で作られている。しかし、私たちが切望するのは、ライセンスものなどではなく、オリジナルのマルティーヌ作品が持っていた生々しい世界観なのだ。

Image via MTV

Milk Fed
ソフィア・コッポラは多くの名声を獲得している。その中には洋服のラインでの名声も含まれているのをご存知だろうか? ソフィアの服を見るときに忘れてはならないのは、それが90年代であったということ。それを理解したうえであらためて彼女の服を見てほしい。キム・ゴードンとX-girlを作った経験に後押しされ、ソフィアはMilk Fedでキャミソールやピンストライプのローライズパンツ、チェ・ゲバラの写真と「お酒大好き(I ❤ booze)」の文字がプリントされたヘソ出しTシャツを作り、販売した。「生意気な女の子」をターゲットとした服作りで、価格も安く抑えた。Milk Fed最初のショーではクロエ・セヴィニーがミニスカートにカウボーイハットを合わせて登場し、会場を沸かせた。たった2コレクションで終わらせるにはあまりにもったいないブランドだった。

Miguel Adrover
孤高のスペイン人デザイナー、ミゲル・アドローバーは90年代後半のニューヨーク・ファッション・ウィークにおいて常に新しく面白い作品を発表するブランドであり続けた。Burberryのトレンチコートを分解し裏返しにして作ったドレスは今も記憶に新しい。『The New York Times』紙は、彼が2012年にファッション界へ(一瞬だけ)カムバックした際、彼を「アンチ・ファッションの象徴」と記事中で称した。ミゲルの果てしないクリエイティビティとアヴァンギャルド性は、2001年春夏コレクションで彼が発表した"Marlboro"プリントのウェスタンシャツにもっとも顕著に表れている。

Stephen Sprouse
蛍光色! キラキラ! デビー・ハリー!スティーブン・スプラウスは80年代初頭、ファッションにまったく新しい領域を切り拓いてみせた。蛍光色を多用した彼の服は、アンディ・ウォーホルが活躍したニューヨークのダウンタウンを象徴するファッションだった。手で塗られたチュニックや、キラキラした金属が散りばめられたクラブ用ドレスが飾られたソーホーのショップには、それらを購入しようと人びとが連日押しかけた。そしてスティーブン自身がブラディ・メリーを入れたメジャーカップを手に、来店客たちに1杯ふるまうなどしたという。Stephen Sprouseのブランドは事業の休止と再開を何度も繰り返したが、それでも彼が作る服はその後のファッション業界に大きな影響を与え続けている。バーニーズ・ニューヨークの専属クリエイティブ、サイモン・ドゥーナン(Simon Doonan)は「ヨーロッパにはジャン・ポール・ゴルチエがいたけれど、アメリカにはああいった存在はいなかった。そこにスティーブンが蛍光色のポップアートを取り込んだ服で突如現れたんだ」と当時を語っている。

Kansai Yamamoto
三宅一生、山本耀司、そして川久保玲といったデザイナーが登場する以前、日本のアヴァンギャルドなファッション界には巨匠・山本寛斎がいた。彼の服はどれも感動的なまでに奇抜。アルバム『Aladdin Sane Tour』の衣装としてデヴィッド・ボウイのためにデザインされたコスチュームは、その中でも特に奇抜で有名だ。エキセントリックでキラキラ、しかしそこに知性(寛斎は桃山時代の美術に造詣が深い)が覗く山本寛斎の服は、その後のファッション界に大きな影響を与えた。彼は1971年、日本人デザイナーとして初めてロンドンでコレクションを発表し、グラムファッションを世に知らしめた。これがきっかけとなり、日本は世界有数のファッション勢力として知られることとなった。山本寛斎は、2013年にイギリスのヴィクトリア&アルバート美術館で開かれたイベントで久しぶりに作品を発表した。山本寛斎復帰の予定がない今、わたしたちは「もっと。もっとキラキラを。もっと圧巻の世界観を。もっとコンセプチュアルな着物を」とおあずけを食らった状態におかれている。

Credits


Text Alice Newell-Hanson
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.

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