1986

ソ連崩壊が始まった80年代のロシアンパンク

鉄のカーテンが崩れ去ろうとしていたソ連。写真家イーゴリ・ムーヒンはアンダーグラウンドのロックショーやパンクキッズを6年にわたり撮り続けていた。

by Emily Manning
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18 May 2016, 9:51am

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ゴーシャ・ラブチンスキー(Gosha Rubchinskiy)は、故郷ロシアのスケートシーンやパンクシーンを独自の視点で落とし込んだ作品作りでその名を轟かせた。ソ連崩壊後のロシアンクールを巧みに具現化した作品の数々は、カルト的な反逆児として知られるアーティスト、ティムール・コヴィコフ(Timur Novikov)とコラボレートしたり、アウクツィオン(Auctyon)やAVIAなどの80年代レニングラード・パンクを服作りに取り入れていることから、その多くは鉄のカーテン崩壊前の時代に深く関係していることがわかる。イーゴリ・ムーヒン(Igor Mukhin)は、ソ連崩壊の淵にいた若者たちのワイルドなエネルギーを捉え、時代の変化をじかにドキュメントした写真家だ。ムーヒンは現在、それらの作品を収めた写真集『I Saw Rock'n'Roll』出版のために奔走している。

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「当時、私たちは鉄のカーテンの向こう側にどんな世界が広がっているのか想像もつかなかった」と、ムーヒンは写真集制作のために立ち上げたクラウドファンディングのキャンペーンページで説明している。編集された映画を観ることができ、またVoice of AmericaやBBCといったラジオ放送で、ひび割れた音のロックを聴くことができるようになったソ連に「変化のときが来たのだと感じ、これは撮影しなければと思った」と彼は書いている。

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ムーヒンは6年間にわたり、ソ連に噴き出し始めていた反乱の様子をドキュメントし続けた。そこには、モスクワのロックシーンや、そこから生まれたDIYのファッションが写っている。「1985年、モスクワで世界青年学生祭典が開催された。それで来ていたコンサートや集会、参加している人々の顔、服装、言動に圧倒されて、私はただ目をみはるばかりだった。そこで感じたのを、言葉で表すとしたら、"自由"だったんだと思う」とムーヒンは書いている。「例えば、髪を長く伸ばした人々が身元確認のために警察に連行されないこと、髪を剃られてしまわないことが、当時は驚きだった」

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現在、彼はモスクワのロドチェンコ写真マルチメディア大学(Rodchenko School of Photography and Multimedia)で教鞭をとっている。初期作品の輝きは、勉強して学んだテクニックではなく、直感的な実験の精神だったと自らを分析している。「当時、私には写真の美の基準もなければ、師と崇める写真家もいなかった。アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真展がモスクワで開催されたのは、写真を撮り始めて1年後のこと。ダイアン・アーバスの本を初めて手に取ったのが1988年、チェコのストリートフォトグラフィーの第一人者ジョセフ・クーデルカの写真を初めて見たのも1998年だった」と、彼は言う。「ソヴィエトの写真を撮ったのは、誰のためでもなく私自身のためだった」

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ムーヒンは訓練を積んだフォトグラファーではなかったかもしれない。しかし、彼の撮った写真は強烈なパンクかつ、ソ連の歴史的瞬間を人間的なまなざしで捉えた貴重なドキュメントだった。彼の作品は当時、鉄のカーテンの裏で立ち上がっていた破壊的エネルギーを祝福しているかのようだ。

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Credits


Text Emily Manning 
Photography Igor Mukhin 
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.

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