ナオミ・キャンベル A to Z

先月46歳の誕生日を迎えたナオミ・キャンベル。モデルとしても女優としても、そして活動家としてもスーパーなナオミを、アズディン・アライアからザック・ブラフ(そう、あのザック・ブラフ!)まで、アルファベット順に読み解く。

by Emily Manning
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06 June 2016, 7:05am

Photography Simon Harris, Fashion Director Edward Enninful. Vintage Balenciaga by Nicolas Ghesquière top from S/S 02. Bikini bottoms Jo De Mar. Earrings and necklace Naomi's own. [The Hot Beach Issue, no. 288, June 2008]

【A】Azzedine Alaia(アズディン・アライア)
まだ彼女が駆け出しだった頃、パリに向かう途中でナオミは貴重品の盗難被害に遭った。パリに到着してそのまま撮影へと向かったナオミは、共に撮影に参加したモデルのアマンダ・カザレット(Amanda Cazalet)から、「デザイナーとのフィッティングを終えたら、とりあえず私の家にいらっしゃいよ」との誘いを受けたが、なぜだかパルクロワイヤル通りにあるアズディンの家にお世話になることに。持っていた金銭をすべて盗まれてしまったと説明すると、アズディンはナオミを「うちに泊まりなさい」と説得し、なんとナオミの母親にも電話をかけて親の承諾まで得た。それ以来、ナオミはアズディンを"パパ"と呼び、パリを訪れるたびに彼の家に泊まっていると、最近リリースした自叙伝『The Art of Beauty』の中でナオミは書いている

【B】Beth Boldt(ベス・ボルト)
シンクロ・モデル・エージェンシー社の長であるボルトは、コヴェントガーデンで下校途中にウィンドーショッピングをしていた14歳のナオミを発見した人物。「勉学に勤しめ」との母の反対を押し切り、ナオミは内緒でボルトに会って話をしたという。「最初に事務所を訪れたとき、ベスは私の髪を真ん中で分け、メイクをしてくれたわ。そして学生服のままの私をルーフトップに連れていき、白黒の写真を数枚撮影したのよね」とナオミは当時を思い出す。ナオミの母親も「学校のテストに支障をきたさないなら」と、モデルになりたいという娘の主張に軟化の姿勢を見せはじめたという。

Photography Nick Knight, Styling Edward Enninful. [The 30th Birthday Issue, no. 308, Pre-Fall 2010]

【C】Coffee(コーヒー)
自身のリアリティ番組『The Face』の撮影で朝5時の起床なんて当たり前のナオミ。だが、彼女はこれまでコーヒーを飲んだことがないそうだ。香りが嫌いとのこと。ちなみにハーブティーと4種のグリーンジュースを飲むのが日課だという。

【D】Diversity(多様性)
有色人種モデルであることで受けた不当な扱いをもってして、ファッション業界を変えようと、ナオミはその長いキャリアを通し一貫して声を上げてきた。最近になってナオミは、ベサン・ハーディソン(Bethann Hardison)やイマン(Iman)とともに"ファッションの世界に存在する、あらゆる不平等を撲滅しよう"というイニシアチブ、Balance Diversityの一員として活動を始めた。「私がモデルとして働き始めた頃は、私が黒人だからという理由でブッキングされなかったショーがいくつもあった」とナオミは著書の中で書いている。「それで取り乱すようなことはなかったわ。私は自分が黒人であるという意味をよく理解していたから。それは、黒人だからこそより努力しなければならないということを意味していた。白人モデルの数倍も優秀でなければならなかったの」。

【E】Empire(テレビドラマ『エンパイア』)
『コスビー・ショー(The Cosby Show)』や『ベルエアのフレッシュ・プリンス(The Fresh Prince of Bel Air)』、『アブソリュートリー・ファビュラス(Ab Fab)』など、TVコメディ番組への出演経験があるナオミだが、彼女にとってもっとも大きな役はやはり『Empire 成功の代償』でのカミーラ・マークス役だろう。ナオミ演じる"狡猾な年下男好き女"が辿る運命は、それはそれはショッキングな結末を迎えることに…ひとまずその前に、Hood by Airのシェイン・オリバーが、彼女を始めキャラクターたちをフィーチャーしたコラボコレクションを発表する。

【F】French Vogue(フランス版『Vogue』誌)
1966年を最後に黒人モデルの表紙起用をしていなかったイギリス版『Vogue』誌がナオミを起用したのが1987年、そしてアメリカ版『Vogue』誌で黒人として初めてナオミが表紙を飾ったのが1989年9月号。その間となる1988年、ナオミは本家フランス版『Vogue』誌の表紙を黒人モデルとして初めて飾り、歴史にその名を残した。これは、ナオミの友人であり師匠でもあったイヴ・サンローランによって立案されたものだったという。サンローランは、「有色人種モデルをこれ以上軽んじ続けるのであれば、今後一切の広告掲載を取りやめる」とVogueを脅してナオミ起用を迫った。

【G】Gianni Versace(ジャンニ・ヴェルサーチ)
ジョージ・マイケルが『Freedom 90』のビデオで起用したナオミ、クリスティ・ターリントン、リンダ・エヴァンジェリスタ、シンディ・クロフォード。アイコニックなデザイナーのジャンニ・ヴェルサーチは、1991年AWコレクションのショーでこれら初代スーパーモデルたち全員と腕を組んでランウェイに登場した。ナオミは、多くの友人を亡くした1997年を、人生最悪の年と呼んでいる。ミラノで開かれたジャンニの葬儀で、ナオミは同じく参列していたダイアナ妃と言葉を交わしたという。「ジャンニはあなたのことを大層愛していたわ。それをずっと忘れずにいてね」とダイアナはナオミに言ったのだという。「それが、私がダイアナ妃と会った最後となった」とナオミは著書で書いている。

【H】Holy trinity(聖なる3人組)
ナオミが初めてクリスティ・ターリントンと出会ったのは、Warehouseのカタログ撮影でのことだった。ナオミはまだ16歳の学生だったときのことだ。「ニューヨークでのルームメイトに」とクリスティがナオミに話を持ちかけた数ヶ月後、ナオミは仕事で訪れたパリでリンダ・エヴァンジェリスタと出会い、そう、こうして聖なる3人組が生まれた。3人は単に世界でもっとも力を持つスーパーモデルとなっただけでなく、それぞれに自らの力を利用してお互いを守り、お互いのキャリアを拡大していった。

【I】Iron Mike(鉄のマイク:マイク・タイソン)
ロバート・デニーロとの恋愛が始まるよりももっと前、ナオミは、"アイアン・マイク(鉄のマイク)"と呼び親しまれた重量級ボクシング世界チャンピオン、マイク・タイソンと恋人関係にあった。今でも仲良しだというこのふたり、アメリカ版『Vogue』のためブルース・ウェバーが撮り下ろし、グレース・コディントンが編集にあたった写真が有名だ。1989年夏の昼下がり、アトランティックシティのブロードウォークで行われた撮影について、上の動画で写真家のニック・ナイトがナオミ自身に聞いている。勝つためなら相手の耳を噛みちぎることも厭わないマイク・タイソンだが、「怖いものなど何もないのはむしろナオミのほうだ」と話している。

【J】Journalism(ジャーナリズム)
モデル活動、演技、慈善事業に加え、ナオミはジャーナリズムの世界でも成功を収めている。イギリス版『GQ』誌の寄稿編集者として、ナオミはこれまでにベネズエラ元大統領のヒューゴ・チャベスや、ブラジル元大統領ルラ、現ロシア大統領のウラジミール・プーチン(嘘じゃないんです)にまでインタビューを敢行している。自身の著書でナオミは「モスクワに到着すると、ホテルにはプーチンからの贈り物があったの。そこには、武術の本が届けられていた。武術は彼の趣味のひとつなのね」という見解を述べている。

Photography Steven Klein, Styling Edward Enninful. [The Us Issue, no. 131, August 1994] 

【K】Kate Moss(ケイト・モス)
初代スーパーモデルの6人、"ビッグ6"の赤ちゃん的存在だったケイト・モスは、ナオミにとって25年来の大親友。90年代にニューヨークでルームシェアをしていたふたりは、日曜の午後になると決まってイギリス伝統のディナーを料理して過ごしたという。あるとき、ふたりは近所のライブハウスでニルヴァーナがライブを開催すると知り、会場へと駆け付けたという。しかしふたりはチケットを持っていなかった。「言葉巧みに警備員を言いくるめて入ってやろうと思ったの」とナオミは説明している。ことは簡単には運ばなかったようだが、当時はちょうどケイトのCalvin Klein広告がマンハッタンを埋め尽くしていた時代。「入り口の関係者は私たちが招待されているんだと信じたようだった。そして、私たちはニルヴァーナのライブを観て、バックステージにも潜り込むことができた。強い意志さえあれば、何でも実現への道は見えてくるものよ」。

【L】Lemonade(レモネード)
ビヨンセがアルバム『Lemonade』で"I got a hot sauce in my bag, swag"と歌うよりずっと前から、ナオミはいつでもジャマイカのホットソースを欠かさず持ち歩いていたようだ。

【M】Music videos(ミュージックビデオ)
たくさんあるナオミの出演作に関する情報には、なぜだか彼女のミュージックビデオ出演作品がほとんど含まれていない。しかしナオミがこれまでに出演したミュージックビデオは、カルチャー・クラブやデュラン・デュラン、アノーニ(ANOHNI:旧アントニー・へガーティ)、ジョージ・マイケル、そしてマドンナのものまで多岐にわたるうえ、有名な作品ばかり。中でももっともクールな出演作品は(もちろんマイケル・ジャクソンの『In the Closet』は最高にクールだったが)、彼女にとって最初の出演作ということになるだろう。ナオミはボブ・マーリーの『Is This Love?』に、若干17歳にして出演しているのだ。「このうえなくハンサムな男性だった。美しい骨格に、穏やかな性格。話し方は優しく、強いジャマイカ訛りが心地よかった。それは私の故郷で聞き慣れた訛りだったから」とナオミは著書の中で語っている。

【N】Nelson Mandela(ネルソン・マンデラ)
タンザニアで行なった撮影での収益を、アフリカ民族会議に寄付していたナオミ。南アフリカ共和国の大統領であり、平和の偶像であるネルソン・マンデラはこの行為に感銘を受け、1994年にナオミを同会議に招待して"Honorary granddaughter(国の名誉家族)"の称号とともに彼女を迎え入れた。それから20年間、ナオミはマンデラによるチャリティ活動をサポートし続けている。1998年には大統領宅でヴェルサーチのファッションショーを行ない、これにはケイト・モスもモデルとして参加して話題となった。

【O】Olympics(オリンピック)
嘘を書いてもしかたないから正直に書こう。2012年ロンドンオリンピック閉会式でのクライマックスは、黒いタクシーの上に立ち、スタジアムを所狭しとマッドマックス風に走り回って『Spice Up Your Life』で会場を盛り上げたスパイス・ガールズだった。しかし、スパイス・ガールズに次いで最も会場を沸かせたのは、間違いなくイギリスファッションだっただろう。リリー・コールやステラ・テナント、ジョーダン・ダン、ケイト・モスなどイギリスを代表するモデルたちが、イギリスを代表するデザイナーたちのドレスをまとって、デビッド・ボウイの『Fashion』が流れる会場へと現れたのだ。ナオミはアレキサンダー・マックイーンが作ったきらめくゴールドのドレスをまとって登場。その美しさと存在感でイギリスを世界にアピールし、母国に一矢報いた。

【P】Philanthropy(慈善活動)
ナオミは、その長いキャリアを通してこれまでに数多くの慈善事業支援を行ってきた。乳がん研究や母性衛生、地球環境保護、暴力被害者や被災者を支援するサポートなど、その活動は多岐に及ぶ。過去10年で、ナオミは自身が立ち上げたサポートグループFashion for Reliefを通し、ハリケーン・カトリーナ、ムンバイ同時多発テロ、ハイチ地震や東日本大震災、そして最近ではエボラ出血熱の被害者のため、世界の人々の認識を向上させるのとともに500万ドルの寄付金を集めることに成功している。

【Q】Question(質問)
彼女が重要と思えるものには、きちんと答えているようだ。

【R】Rose(バラ)
ナオミ自身が明かすところによると、オランダには彼女にちなんで名付けられたバラが2種類あるそう。他にランウェイを支配できるナオミなんて、この世にいるだろうか?

【S】South London(サウスロンドン)
「ブリクストンで生まれ、ストリーサムで育った」と、ナオミはニック・ナイトに自らのルーツを語っている。チュニジア出身のアズディン・アライアなど、いとも簡単に溶け込んでしまえるようなエリアらしい。というのも、『Vogue』誌の撮影でこの仲良し二人組が懐かしのブリクストンマーケットを訪れた際、"情報の(不)正確さ"が売りの『Daily Mail』誌がその様子を取材していた。『Daily Mail』はその取材記事の中で、このアイコニックなデザイナーを「現地のひとびと」のひとりと書いてしまったのだ。

Photography Robert Erdmann, Styling Caryn Franklin. [The Dramatic Issue, no. 39, August 1986] 

【T】Twelve12
12は、ナオミ・キャンベルがi-Dの表紙を飾った回数!ロバート・エルトマンが1986年8月『Dramatic』特集号の表紙でナオミを撮影して(ネガ処理をほどこしたブルーの本作品で、これをナオミと判別することは難しいかもしれないが……)以来、ニック・ナイト、スティーヴン・クライン、パオロ・ロベルシ、デビッド・ラシャペルなど名だたるフォトグラファーたちがナオミのi-Dウィンクを捉えている。

【U】United States(アメリカ)
ナオミがイギリス出身であることは広く知られているし、彼女がイギリスを代表するモデルであることを否定する者などいないだろう。しかし、彼女がブレイクするきっかけとなった作品が、実はアメリカで撮影されたことを知るひとがどれだけいるだろうか。シンクロ・モデル・エージェンシー社との契約の数ヶ月後、ナオミが語るところの「『大草原の小さな家』スタイルのドレスを私ともうひとりのモデル(あまりに態度が悪く、撮影途中で送り返された)に着せて撮ったストーリー」の撮影のため、イギリス版『Elle』誌がナオミを米ニューオリンズへと送りこんだのだという。

【V】Vanilla Ice(ヴァニラ・アイス)
誰も知らないだろうが、1991年、ラッパーのヴァニラ・アイスがバイク狂いの主人公を演じる『Cool As Ice』という映画が製作・公開されていた。一斉を風靡したヴァニラ・アイスと彼のラップ仲間がバイクで町を走り回るという内容のこの映画、キャッチコピーは「冷たい女の心をとろけさせるなら、アイスを与えるのみ」だった……とにかく、ナオミはこの映画のサウンドトラックのうち一曲に、バックグラウンドボーカルとして参加している。

【W】Westwood wobble(ヴィヴィアン・ウェストウッドのショーでの転倒)
転ぶ姿すらも魅力的に見せられるのは、後にも先にもナオミだけ(ヴィクトリア&アルバート博物館には、1993年にランウェイでナオミを転倒させたシューズが収められている)。

【X】XXX(ハードポルノ)
1992年は、マドンナが大きな議論を巻き起こした年だった。アルバム『Erotica』からの同名第一弾シングルのビデオに出演したナオミだったが、同じテーマのもとに制作された写真集『Sex』では、Big Daddy Kaneとともにマドンナのセクシャルファンタジーの世界をより過激に、艶かしく表現している。「私は、過激になることを恐れずセックスを本にしたマドンナを心から尊敬してるわ。これまでもずっと彼女を支持してきた」と、ナオミは、『Daily Mirror』紙の弁護士たちが『Sex』を「奔放な性を煽っている」として訴えた2002年の裁判で証言している。

【Y】Yeezyシーズン3(イージーシーズン3)
一大体験スペクタクルとなった今季Yeezyのショーは、疑いの余地なく、もっとも多様性に富んだファッションイベントだった。平等を訴え続けてきた活動家ナオミ・キャンベルは、カニエとともに会場で讃えられた。2時間に及んだショーの中頃、ナオミはストリートキャストモデルたちに埋め尽くされたステージ(ステージは、アーティストのヴァネッサ・ビークロフトがデザインした)へと上がり、彼らの間を縫うようにウォーキングを見せた。

【Z】Zach Braff(ザック・ブラフ)
テレビドラマ『Scrubs~恋のお騒がせ病棟』主演で知られるザック・ブラフは、2007年、ダンキンドーナツのためにナオミの"お高い"というイメージをうまく利用したテレビCMを作り上げている。

Credits


Text Emily Manning
Photography Simon Harris
Fashion Director Edward Enninful
[The Hot Beach Issue, no. 288, June 2008]
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.

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