「ファッションはセックスのようなもの」Gucci 2020春夏:エレガンスとセクシーさの探求
ミラノ・ファッションウィークのフィナーレを飾ったのは、アレッサンドロ・ミケーレ流の〈色気〉が溢れるコレクションだった。「ショーはまるでオーガズム。一瞬で終わるけど、とても深い」
「ファッションはセックスのようなもの」とアレッサンドロ・ミケーレは〈Gucci Orgasmique〉と名付けられたショーについて語った。「ショーはまるでオーガズム。一瞬で終わるけど、とても深い」
ショー会場に足を踏み入れると、そこは赤い照明が暗く光る部屋。そこにはベルトコンベヤー、修道院を思わせるアーチ型の扉、そして金属製のガレージシャッターが設置されていた。一瞬真っ暗になると、すぐに明るい白い光に包まれてショーは始まった。
それはまさに、セックスは主観によるものだということを示すメタファーだ。誰かにとっては崇拝の対象でも、他の誰かにとっては地獄のような苦痛となりうる。
Gucciの2020年春夏コレクションショーの幕を開けたのは、ベルトコンベヤーに乗って流れてくるモデルたちだった。彼らがまとっているのは、余計なものがそぎ落とされたデザインの真っ白な服。時折、拘束服も混ざっていた。
ミケーレはこのルックについて、「権力者が言論の自由を妨げることで、統制された社会ができあがる」さまを表現したという。
白服のセクションで登場したノンバイナリーのモデル/アーティストのアイシャ・タン=ジョーンズは、自身の両手に〈メンタルヘルスはファッションじゃない〉と書き、両手を上げたままランウェイを歩いてコレクションに抗議した。その後アイシャは、自身のInstagramでこの行動について説明。本コレクションで拘束服を使用したGucciを、「趣味が悪い」と批判した。最終的にGucciはこれらのアイテムを製造しないと発表。アレッサンドロも、自分が作品で表現しようとしているのは自由であり、それを制限する衣服のなかでも極端なのが拘束服だ、と説明した。
かつて、Alexander McQueenやComme de Garçonsなどのブランドが、サナトリウムや拘束服などのモチーフを扱ったさい、彼らのアイデアは挑発的、もしくはアヴァンギャルドと称された。しかし時代は変わった。
Gucciは2018年秋冬コレクションで発売した890ドルのブラックフェイスセーター(※その後販売中止)が物議を醸して以来、インクルーシビティを高めるべく企業努力を続けており、今年3月にはダイバーシティ委員会(委員会の創設メンバーのひとりダッパー・ダンは、今回もスタンディングオベーションを捧げていた)を立ち上げているが、今回の拘束服ルックは過ちだったというほかない。
哲学的なショーノートでは、ミシェル・フーコーの言葉を借りて興味深い問題が提起されていた。「ファッションは、社会規範のプレッシャーから解き放たれることができるのか? ファッションは抵抗の手段となり得るか?」
その答えも同じノートの中にある。「超えるべき一線はきわどく危険だ」
ショーの第二幕(ミケーレにとってファッションショーは映画なのだ)では、倒錯した快感を提示。それは1990年代トム・フォード期の大胆なセクシースタイル以来、Gucciではみられなかった路線だ。
会場で繰り返し流れていたのは、マドンナの「Justify My Love」。ブランドのルーツである乗馬と、BDSM文化双方を同時に想起させるがごとく、鞭をもつモデルもいた。全体的に、ミケーレ史上かつてないほどセクシーだ。
スカートには深いスリットが入って脚があらわになり、細いレザーストラップが施された露出の多いネグリジェドレスはシアー素材で、胸が透けていた。露出の少ないアイテムでも、襟がラテックスだったり、服に開けられた穴から肌がのぞいている。
ミケーレと彼の熱狂的なファンである若い世代にとって、〈セクシー〉の意味は、フォードが発表した、あのGucciのロゴのかたちに剃られた陰毛とは違う。ミケーレは〈G〉モノグラムのTバッグと同じくらい扇情的なアイテムとして、シアースカートの下に履いた大きいブルマーを提示する。ショーは倒錯的かつ変態的な雰囲気をまとっていた。
ワイドレッグに大きなラペルが特徴の70年代テーラリングも登場したが、21世紀的なラメやスパンコールはあしらわれておらず、実にみずみずしい、鮮やかなカラーで見事に仕上げられていた。フォード同様、アレッサンドロも70年代に育ったデザイナーだ。彼の理想とするデザインがあの時代に根ざしているのも当然だろう。
バックステージでミケーレは、「エレガンスとセクシーさの探求」への回帰を望んでいると語った。エレガントでセクシー、それこそが、幼い彼にとっての〈ファッション〉だったのだ。
今季のミラノ・ファッションウィークでは、シンプルでストレートなデザインを打ち出すデザイナーが目立ったが、フィナーレを飾ったGucciもそのアプローチと同調していた。
「数も装飾も減らそうと決めた」とミケーレは語る。その選択は、最後に身につけたアイテムは外出前に外していきなさい、というココ・シャネルの金言と呼応する。
「オーケストラの演奏より美しいピアノソロだってあるでしょう?」














This article originally appeared on i-D UK.