まだ書いている途中:鈴木みのり

鈴木みのりは書き続ける。自分にいちばん似合う言葉を求めて。

by Minori Suzuki
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01 November 2018, 10:30am

この記事は『i-D Japan No.6』フィメール・ゲイズ号から転載しました。

「彼女」と呼ばれるとき地面から足が離れるような感覚がして、落ち着かない。親しい友人から呼ばれたとしても、自分のことを指している気がしない。「女性」とは一体なんだろう? という問いからずっと離れられない。ここ数年「女性」の看板を掲げたメディア、雑誌の特集を見る機会が増えてきたように思う。今回、執筆依頼をもらったときも、自分が書いていいのだろうかと悩んだ。わたしは、出生時に割り当てられた「男性」という性別から女性的なほうへと移行した、トランスジェンダーだからだ。

わたしたちが「女性」と言うとき、それはシスジェンダー、つまり性別を移行しない状態が前提とされている場合がほとんどだ。そこにトランスジェンダーは含まれない。例外的に含まれることはあるけれど、境界線が引かれている。例外だとしても、「女性」に含まれようと多くのトランス女性は髪を長くし、メイクをし、スカートをはき、さらに「女性的」とされる顔にする整形手術や豊胸手術を受ける者もいる。こうした性別移行はトランス女性個々の願望と理解されやすいけれど、実際はシスへの同化という圧力があるからなんじゃないだろうか。肯定的にせよ否定的にせよ、なんらかの意味や機能や実感を含んで、「女性」という存在が当然のものと信じられているのだと思う。でも、シスジェンダー女性だって髪の短い人、化粧をしない人、あぐらをかく人もいるはずだし、子どもを産める人ばかりじゃない。こうした「女らしさ」というジェンダー規範が問われない状況では、トランスジェンダー女性はさらに逃げ場を失う。声が低い、ガニ股、体毛の処理が甘い、そんなとき「やっぱり男だ」と言われ、逆に美しさや可愛さを追求すると「女より女らしい」と言われる。だから、先回りして「オカマ」「ニューハーフ」と自虐的に名乗る人の心理も理解できるし、その立場を引き受けてきた人たちを否定するつもりはない。けどそろそろ、フェアな状況になってほしい。

今よりもっと前、1990年代後半、性別違和を自覚するようになった高校生時代のわたしはもっと混乱していた。男性と見なされる自分の身体への強烈な違和感をどう解消すればいいのか、その糸口がなかった。当時、トランスジェンダーを病理の文脈で名指す言葉が「性同一性障害」と訳され、日本に輸入されたばかりだった。インターネットになじみのなかったわたしに、17歳のころ偶然知り合った精神科医が調べてくれた。それから何ヶ月かして大学進学のために上京した2000年の春に、ある本を通してトランスジェンダーという言葉に出会った。でも依然として、男性と見なされることとどう折り合いをつけたらいいのか身体への違和感をどう解消したらいいか、まったくわからなかった。医療によってトランスジェンダーをサポートするはずのジェンダークリニックでわたしが20代後半まで出会ってきた医師たちは、誰も具体的な情報を与えてはくれなかった。

剃毛した足にぶつぶつと粟立つ毛穴に嫌悪してスカートをはけない。丸みや膨らみを帯びた身体を想定してデザインされているレディースの服が真っ平らな胸に似合わない。「好きな服を着ればいい」と言われても、似合う服と自分の美意識に沿う服の妥協点を探すだけでもたいへんだ。洋服が大好きなのに、シスジェンダー女性に同化できる身体ではないからと、20代後半までわたしはいわゆる女性装に踏み出せなかった。

その一方でわたしはスーパーモデルのステラ・テナントに憧れていた。骨ばって広い肩幅、かすかに隆起した胸、少年のように短く無造作な髪の毛。テレビに出てくる、美容整形を重ねたり華美に着飾って女性性を売りに水商売、風俗などで働くニューハーフと呼ばれる存在より親近感が湧いて、ステラになれるわけがないのに、真似ていた。しかし2000年代は今以上に多様な性への関心や許容の機運に乏しかった。細身のジーパンをはいて短い髪のわたしの姿はきっと「小綺麗にしている男の子」にしか見えず、いくら必死に男性というジェンダーへの違和感、自分なりのジェンダーの在り方を説明しても、実感としてなかなか伝わりにくかっただろうと思う。

ステラらスーパーモデルに憧れを抱いていたのと同時期に、わたしは欧米の黒人の、特に女性のミュージシャンらに勇気づけられてきた。アリーヤ、アレサ・フランクリン、ジル・スコット、シャーデー、ジャネット・ジャクソン、TLC、ミッシー・エリオット、ミニー・リパートン。彼女たちはR&BやHIPHOPの文脈で、アフリカンアメリカンとして、女性として、この社会で生きることの困難、痛み、喜び、愛について歌に昇華してきた。自分の人生を自分でコントロールすること、ありのままの自分を奨励すること、己の感情に率直になること、でも他者を抑圧するゲームに乗るのではなく対話を選ぶこと、そのために知性が力になること。いろんな学びを得ていた。でもやっぱり、人種差別とトランスジェンダー嫌悪(トランスフォビア)は少し異なるし、英語より日本語になじみのある自分に少しでも近い表現を求めていた。男女二元論の世界で育ってきたから、「女らしいボディイメージ」に当てはまらない悩みを捨てられない。社会的に異端視されると就学や就労の選択肢がせばまるし、結婚や子どもを持つことが当然のライフプランとして話されるときに排除されている感覚がある。そういう葛藤を語る言葉が、助けを求めるとき手がかりになる言葉が、わたしはほしかった。

今でもわたしはどう自分の居場所を作っていけばいいのか悩んでいる。家族単位を基本にした社会制度や、若さや美しさが女性に求められるジェンダー規範や、外国籍や身体の機能による排除、そうした差別を含むこの社会で、どう生きればいいのか? そうした疑問をもとに、今わたしはライターとして文章を書いたり声を発する特権を得ている。仕事を得るなかで、少し年上で先人の書き手と知り合い、アドバイスやサポートを受けることも増えてきた。一般社会と同じくメディア内部にもはびこる女性蔑視とトランスフォビアには気が滅入るし、無力感はまだまだ拭えないけれど、少しずつ自尊心が湧いている。生き延びられる言葉をわたしは探している。男とも女とも分けきれない在り方に手の届く、だけどどこかに安易に線を引けてしまうようなカテゴライズではない、周辺化された、声をあげられない、声をあげてもいいとすら思えない感情に届く、言葉を探しながら書いている途中。

鈴木みのりさんと同じく『i-D Japan No.6』に寄稿しているイ・ランさんの対談イベントが、11月8日(木)下北沢B&Bで開催。詳しくはこちらから。

Credit


Text Minori Suzuki
Photography Kiyoe Ozawa

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