歴史とアヴァンギャルドの町、京都で生まれた新フェス〈MAZEUM〉の熱狂

真冬の京都で誕生した、アートと音楽のフェス〈MAZEUM〉。京都に相応しいラインナップと会場、そこは可能性に満ちていた。フェスのありかたに一石を投じたこのイベントの2日間を、荏開津広がレポート。

by Hiroshi Egaitsu
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18 January 2019, 9:18am

京都にはアヴァンギャルドがよく似合う。この町の空間と歴史は、実はアヴァンギャルド=前衛の饗宴と無縁ではない。2018年11月30日と12月1日の2日間、ミュージックとアートのフェスティバルMAZEUMが開催された。

「MAZEUM」とは maze(迷路)とmuseum(博物館)を併せた造語だ。たとえば2日間のプログラムにそって法然院、METRO、極楽寺、誓願寺、UrBANGUILD、そしてOCTAVEという6つの会場のあいだを歩いてみる経験。観光客で立錐の余地もないショッピングのエリアから、ふっと古の木造に白壁の家の隙間へと入って歩いていく際のその知覚のありかたは、東京や大阪とはまるで異なる。京都は確かにラビリンスであり、ヴェネツィアやカイロのような、傍に歴史の存在を感じる経験でもある。

御所を中心に、京都の人のいうところの“町中”を貫く鴨川から賀茂川と高野川へという軸、それと並行にもしくは垂直に交差する大小の通りがこの町のグリッドを形成する。そのなかに神社仏閣からノイズを迸るパフォーマンスが毎夜行われる小さなライブ・スペースまで、歴史と先端が、フューチャリスティックなデザインと人びとの変わらない暮らしが、享楽と安逸が渦巻いている。その背景には巨大な大学町とさえいえる学生にとっての京都の住みやすさがあり、そのうえの縦横無尽なコントラストがこの町からアヴァンギャルド・アートを生んできた。

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© Yoshikazu Inoue

例えば、東京・森美術館で展示の『MAM リサーチ006:クロニクル京都1990’s 』(1月20日まで、キュレーターは自らも京都で学んだ森美術館・椿玲子と京都市立芸術大学・石谷治寛)のタイトルは『ーダイアモンズ・アー・フォーエヴァー、アートスケープ、そして私は誰かと踊るー』と続き、そこにはクラブ・シーンと現代美術が、パフォーマンス・アートとドラァグ・クィーンが鮮やかにも渾然と、“千年の都”と一体化した様子が展示されている。通常のアートの形式、つまりはメディアやジャンルによっての区別よりも、そこにはもっと重要なものがあったと熱気に満ちた記録が教えてくれるのだ。

11月30日はMAZEUMのオープニング。まだスマホを見ながら歩く観光客がそぞろ歩く時間から、漆黒の夜の京都へと“哲学の径”に建つ法然院のお堂でのスガダイロー、そして続くSarah Davachiのパフォーマンスはフェスティバルへの特別な予感を孕んだはじまりであった。

法然院の入り口から中へ中へと飲みこまれていくと、ふっと出るお堂や大広間。そこでのピアノ(スガ)もしくはドローン/電子音楽(Davachi)が鳴り響き、rokapenisの映像が光となって日本庭園に投影されている様子が見えている体験。2日目の誓願寺でも大活躍するこのスガダイローのプレイを、もしくはSarah Davachiのサウンドを法然院という空間でrokapenisの投影を伴って聞くこの体験そのものが、MAZEUMの成功をあらかじめ約束しているようだった。

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© Eizaburo Sogo

その日の深夜、御所の北側に位置する神宮丸太町の駅から直結するスペース、METRO。この京都の音楽になくてはならない空間においてVJ HashimとHalptribe、Nazira、そしてDJ NOBU。このラインナップからは、サイケデリックというにはごつごつとしたファンキーさを使い回してエネルギッシュにフロアを掻き回したNaziraのプレイを特筆しよう。カザフスタンという多くのオーディエンスが訪れたことがないだけでなく、想像もつかないような土地にこのようなエレクトロニック・ダンスをプレイするDJがいたのかという驚きと相対するだけでも希有な体験だったと断言できる。そのNaziraが十分にフロアからの歓声を引き出したところで、DJ NOBUは流石にまずは鎮静剤のような音の粒子をMETROのフロアにバラまいてそのお楽しみをゆっくりとスタートさせていたのだった。

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© Eizaburo Sogo

2日目の12月1日は、14時からのスタート。後方に鴨川を見ての三条と木屋町通りの角から斜めに、ちょうど河原町通りを越えていくあたりまでにできる大きな東からの長方形のなかの極楽寺、誓願寺、UrBANGUILD、OCTAVEという会場で開催された。大人になって京都に足を踏み入れたことがあるなら知っているだろう、観光とショッピング、ナイトライフが集約されているような区域だ。

自らも京都で旺盛なライブをするだけでなくイベント「スキマ産業:スキマアワー」をオーガナイズするキツネの嫁入りからのマドナシ、2010年代後半の息吹のなか確実に新しいスタンダードを探るテンテンコ、そして食品まつりa.k.a.foodman、小松千倫が各会場に登場していくなか、つねに疾走する自らの肉体をもって現代美術/パフォーマンスというジャンル自体に問いを投げかけてきたCONTACT GONZOとZVIZMOの組み合わせは他ではあまり見られないものだったか。そして、その後の空間現代 X THE LEFTYが、ぱっとした派手さはないがインプロヴィゼーションについて大切な手がかりを構築/脱構築していくなか、そこから少し離れた誓願寺で、広縁を客席として仏間側に現れた山川冬樹の鮮烈さは忘れられない。

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© Yoshikazu Inoue

各会場のロケーション、その相互の往き来は、このフェスティバルを成功させた一因だ。どんな種類のフェスであれ、見たいアクトと各会場の往き来の問題は楽しみでもあるが、特別な理由がないのにアクセスが悪いのは問題外。その点、MAZEUMは観光客の雑踏のなか、同じようにリスト・バンドとフライヤーを持った人々が声を掛け合って会場を巡るのにとても心地いいスケールだった。このことは噂される次回にも期待してしまう。

東京都現代美術館などでの山川のインスタレーション作品と誓願寺での奇矯にも見える彼のパフォーマンスは、記憶や身体性がサウンドと“直結”しているところで共通点を持つだろう。山川は自らを“楽器”としていったようでもある──日本初の大きな展示があったばかりのマルセル・デュシャンに音の出るオブジェがあったことを思い出す。

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© Yoshikazu Inoue

京都が生んだアヴァンギャルドというなら、必ずやEP-4の名前があがる。この日の彼らも、その場に相応しい、安易な解釈をはねつけるノイズ/電子音楽で妥協を許さなかった。訪れたことがない人は是非このUrBANGUILDという場を体験してほしい。そして、誓願寺でのスガダイローX志人に山川が加わってのくんずほぐれつの末の大団円の後ぐらい、UrBANGUILDに登場したGOATの音に引き寄せられていく人、人、人……すぐに入場制限がかかってしまった。このあたりからディナーの時間を挟んで、最後のプログラムまでMAZEUMの高揚感は他を寄せ付けなかったろう。

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© Eizaburo Sogo
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© Eizaburo Sogo

このフェスティバルのPA、システムとサウンドの素晴らしさもここで記しておく。OCTAVEも例外ではなく、そのフロアに三々五々集まりつつあるオーディエンスの体と近くをGAJIROH & RACYが十分に揺さぶったあとのBLACKSMOKERSのパフォーマンスは、渦巻く力を満身から発した個人的には2018年ベスト・ライブともいえるものだった。

言うまでもないが、ひと昔前に主流だったロック・バンド編成に変わって、基本はDJのビートとラップというヒップホップが現代のポップスのフォーマットだ。ならばBLACKSMOKERSにしても続くMOOR MOTHER(日本では最初で最後の機会だったか?!)にしても、グローバルな音楽ビジネスのメインストリームと同じものを使いながらその可能性を最大限に汲み尽くし、拡張しているといえる。それはアヴァンギャルドのありたかたに他ならない。そうした文脈からも、MAZEUMに参加したアーティストたちのパフォーマンスはコンテンポラリーなスリルに満ちていた。

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©Yoshikazu Inoue

京都にはアヴァンギャルドがよく似合う。MAZEUMは、それを未来へ引き継いでいく素晴らしいフェスティバルだった。