はじまりの傷:石内都 interview 〈後篇〉

40年にわたり、女性と彼女たちが生きてきた時間を捉えてきた石内都は、いま何を思い、何を見据えているのか? 後篇は、石内さんが幼年期からこだわりを感じていた「女性性」、他人の痛みのわからなさ、若い世代への希望について。

by Yuko Nakamura; photos by Yuri Manabe
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07 January 2019, 7:29am

この記事は『i-D Japan No.6』フィメール・ゲイズ号から転載しました。

はじまりの傷:石内都 interview 〈前篇〉はこちら

横須賀の女たち

—— 少し方向を変えて、女性性についてお伺いしたいのですが、「絶唱、横須賀ストーリー」で撮られたあの横須賀の海を、少女時代の石内さんがどういうふうに見ていたのか想像してしまうんです。どんな少女でいらしたのかなって。

なんていうかなあ、表面的にはすごくいい子だった。小学校2年生から4人分のご飯の支度をしたりね。でもこだわりみたいなのはいっぱいあって、いちばんこだわっていたのが自分の女性性だったんですよ。横須賀には歩いてはいけない通りがあって、「あそこに行っちゃいけないよ」って言われるんです。なんでだろう?とはじめは疑問に思っていたんだけど、基地があるからなんですよね。当時は強姦事件なんて日常茶飯事で、事件にならない、記事にならない、そんなのがもう嫌ってほどあったから。

——それに気づいていった少女時代だったのですね。

外から来たからいろんなことが見えたの。だからよそ者だという意識はすごくあった。住んでいたところがスラムみたいなところでね。そこでいろんな人に出会って、社会勉強をしたんですよ。優しいお兄さんが、ある日、殺人で捕まっちゃったりさ(笑)。近所に共同の井戸があって、4軒くらい集まって夕飯をつくるの。そこで料理を習ったり、そういう話を聞いたりしてね。隣に住んでいたおばさんが詐欺師だったとか、どこそこの家の人が駆け落ちしたとか。そのころのことが私のなかに強く残ったの。それがたぶん私の原点なんだ。

—— 初期の横須賀の作品は、そうした石内さんの濃密な記憶が覆われているから、あそこまでヒリヒリ迫ってくるんですね。花街を撮られても......。

いや、遊郭や赤線はちょっと違う。あれは自分の体が商品になるってわかったときだから。体が売れるんだ、それが女かあ、と思ってね。それが「連夜の街」になっていくんだけど。小さいときから売春に興味があったね。

——“女”という枠に入ってしまうことへの抵抗があった?

うん。女になるのが嫌だなって思ってた。だけど、女性であることには変わりないわけで、自分の体を売ることができるって気がついたときに、うわあ、すごいなあ、と思ってさ。残念ながら一度も経験しなかったけど、花街とかああいう場所に興味はあったよね。

—— 何歳のころからですか?

何歳かな、初潮を迎えてからだよね。だって女性になったっていう印でしょう。そのときにもう子どもは産まないって決めちゃったの。子どもを産めない女のことを差別用語で石女(うまづめ)っていうでしょ? その言葉をはじめて知ったときもなんか傷ついてね……。

—— エッセイで「月経がくる自分の体に傷ついていた」と書かれていました。

うん、血を流す自分にね。だってすごく痛いしさあ。もう、なんだよぉ!って思ってた(笑)。

—— 石内さんは1979年に「APARTMENT」で木村伊兵衛賞を受賞されていて、「女流写真家」と呼ばれた最初の世代だと思うのですが、写真家でいても女性であるということを社会的に突きつけられるということもあったと思います。身体的な痛みからまた別の痛みに変化していったのかなと。

そのへんは複雑でね。ようするに、女性は自分が女性であるなんて表明しないんだよ。周りが言うんだ、「お前は女だ」って。だから私は逆に、差別的なことを言われても反論しない。受け入れてあげる。昔は編集者に男しかいなくて、一緒に仕事をするとその人と寝たことになっちゃうのよ。笑っちゃうでしょ? 反論するのも面倒くさくて、「もう、体がもたなくてね」って言ってたもんね(笑)。

——(笑)そういうときに、疲れたりってことは……?

ないない! 私、そんなバカなことで傷つかないもん。反論しても余計にそう思われるだけだし、男といっぱい寝るのもいいじゃんと思ってたから。受け入れてあげたら何も言えないのよ。

「私は連帯が苦手で、ずっと個人でいようとしてた。でも、いまになって考えると、女性はひとりで生きるのは当たり前だけど、いつも同じ問題を抱えているんだよ」

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©Ishiuchi Miyako「1・9・4・7 #49」

女性たちの共感

—— 初期3部作のあとに「1・9・4・7」で同い年の女性たちを被写体にされました。そこには職業を持っていない女性たちもたくさんいて。その方々を撮っていて、何か発見はありましたか?

やっぱり私にとって「1・9・4・7」は大きいですよ。私が40年間生きてきたひとつの証しみたいなものを知りたくて......。自分を反映させる相手として同い年の女性がいちばん良いんじゃないかなと思ったのね。私は写真を撮っているけど、もしかすると、撮影した女たちのなかのひとりだったかもしれない。で、主婦が多いのは、私がいちばん苦手なのが主婦で、主婦がいちばん嫌いなのが私だから。結婚もしないし、子どもも産まないからさ。だからそういう主婦に会いたいなと思って。それで撮影しに家に行ってみると、意外とみんな何かを待ってた感じがしたの。新しい風みたいなものを。

——そんな女性たちの、特に手と足を撮影していらっしゃいます。

手と足が時間のたまり場だと思ったの。特に足との出会いは私の人生のなかでいちばん大きかったかな。50人の女性の足の裏を見てきたんだから、そりゃあ感動しますよ。それから女性に対する見方も変わってきて、「あぁなんだ、みんな一緒じゃん!」と思ったの。それまではすごく突っ張ってきたわけだよ。「ナメんじゃないよ」って。でも、もうそれもどうでもいいかなって、肩の力を抜くようになったのは「1・9・4・7」を撮り始めてから。だからとても大切な作品です。

—— 女性同士の共感というか「私の感情」が「私たちの感情」になるというか、英語では「シスターフッド」と言うと思うのですが、女性同士に働く感性というようなものを感じてらっしゃいますか?

女同士って、敵対まではいかないけど、うまくつるむことができない何かがあるんだと思う。でも時代が少し変わったかな。私たちの学生時代はウーマンリブが出てきたときだけど、私は連帯が苦手で、ずっと個人でいようとしてた。うまくいかなかったんだけどさ(笑)。でもいまになって考えると、女性は、ひとりで生きるのは当たり前だけど、いつも同じ問題を抱えているんだよ。

—— 同じ問題というのは、言葉にするとどういう問題ですか?

やっぱり社会的な問題かな。それへの関わり方はどの女性も一緒だと思う。それを共通の問題にしてもいいのかもしれないっていうのが#MeToo運動でしょう。あれ、すごいと思うよ。これまで言えなかったことも「あぁそうか、言ってもいいのかな?」っていう雰囲気になってる。荒木さんの問題にもなるけどさ。だから時代が変わったんだと思う。

自分の傷 他人の傷

—— 映画『ひろしま 石内都・遺されたものたち』を観ていると、すごく無造作に、生身の少女を前にするようにして、遺品を撮ってらっしゃいます。撮影のとき遺品とどのような関係を切り結んでいるのでしょうか。

写真はいましか撮れない。だから目の前にある遺品と私は対等なんですよ。“遺品を撮っている”という気持ちはあまりないです。それより、遺品たちがかわいそうに思うの。服はボロボロになってどこかに行っちゃうのが普通なのに、温度や湿気を管理されて大切に保管されてさ。本当はこんなところにいちゃいけないんだよ、って。そういう気持ちも含めて、遺品たちは、私と同じ時間を過ごしているっていう現実なんですよ。

—— 今日の朝、広島の平和記念式典をTVで見ていて、痛みがあっという間に忘れ去られる時代だと思ったんですね。震災のことも含めて。石内さんの写真は「SCARS」女性たちの共感「INNOCENCE」は直接的にそうですが、痛みや傷を写して、それをいまに生きる私たちに伝えているように感じます。いまの時代をどう見ていらっしゃいますか?

傷は人によって大きさや量も違いますよね。だけど、自分が傷ついたことがあると、他人(ひと)を傷つけない、と思うんだよね。傷を負うっていうのははじまりなんですよ。いまはみんな傷つくのが悪いことだと思ってるから、なるべく傷をつけないように、つかないようにしてるでしょう? でも、自分の傷がわからなければ、他人の傷もわからないし、究極的には他人の傷っていうのはわからない。わかったようなフリしちゃいけないってこと(笑)。人間は本来的に幸せにはなれないんじゃないかな。どうにか不幸にならないように生きてるようなものでさ。そこの見極め方をちゃんとしないと、とんでもない世の中に…… まあ、いまとんでもない世の中になりつつあるけれど。人間同士の関わりが少なくなってるよね。コンピュータが出てきてから。日本だけじゃなくて全世界がそうだけど、人間の関係性が変わってきた。バーチャルなものに対する憧れがあるんだろうけど、実態ってまた違うから。生の声を聞いたり、話をしたり、その人が何を着ているのかを見たりさ。ただ、それを変だなって思ってる若い子たちも出てきてるでしょ? 若い人たちにも考えている人はいる。まあ、いちばんダメなのが50代と60代だね(笑)。

——(笑)20代、30代のほうが仲良くなれるという感覚があります。

考えてるよね。だって考えていかないと生きていけないじゃん、若い子。ごく一部だけど、考えている人たちが出てきたっていうのはちょっと希望だね。コンピュータだけじゃないことが少し見えてくる。私は自分の仕事を伝えるしかないから、そのなかで何かを感じる人がいたら、それは嬉しいです。

Credit


Text Yuko Nakamura
Photography Yuri Manabe