i-Dブック・クラブ:『日本のフェミニズム since 1886 性の戦い編』

「自由な選択」はどこまで自由なのかを問い、真の自由を獲得するために。

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17 January 2018, 9:22am

性差別は、家族制度、労働条件、文化表象など、社会を構成するさまざまな要素の中にさまざまなかたちで現れる(そして、それらはおそらく根もとのところでひとつにつながっている)。日本でもこれまでにたくさんの人々が、性別を根拠とした理不尽な扱いに憤り、さまざまな角度からさまざまなやりかたで異議申し立てを行ってきた。『日本のフェミニズム since 1886 性の戦い編』は、そうしたフェミニストたちの取り組みを、特に「性を売買すること・させられること」および「女性のからだと生殖」をめぐる議論と運動に重点を置いて紹介した一冊だ。

日本のフェミニズムのおおまかな流れを導入に、廃娼運動、売春防止法、リプロ運動、レズビアン運動史、性の自己決定をめぐる80年代の戦い、AVの中の性暴力の告発について、それぞれの分野の識者が解説する。コラムではさらに刑法性犯罪規定の改正など現在大きな動きをみせているトピックを取り上げ、20人/団体を紹介するフェミニスト図鑑、ブックガイド、略年譜が添えられる。笙野頼子のインタビュー、柚木麻子と松田青子のエッセイは、文学の領域で活動する作家がいま考えていることを伝える。

副題にある「1886」、すなわち明治19年は、矢島楫子をはじめとする56人の女性たちが、婦人団体「東京基督教婦人矯風会」を立ち上げた年だ。夫の酒乱、DV、婚外の女性関係に苦しめられていた彼女たちは、妾と公娼制度の廃止、禁酒、婦人参政権を求めた。後世の人々の目には禁欲的かつ保守的にもうつる彼女たちの運動は、女性の人権が徹底的に軽んじられる家父長制のもとで、夫との対等な関係を求める切実な願いから生まれたものだった。慰安婦問題について知るたび、なぜそんな酷いことがまかり通ってしまったのか、「戦争は恐ろしい」という思いが強まるのだが、しかし戦争がはじまる以前から男性の性欲と支配欲は社会機構に組み込まれ、女性に犠牲を払うことを強いてきたのだということを、歴史は物語っている。

本書の編者である北原みのりは、最近『フェミニストとオタクはなぜ相性が悪いのか』と題した香山リカとの対談本を出している。そんな風に言われると、「フェミニストでありたいのと同時にオタクを自認している人もいまどきたくさんいるのに無駄な対立を煽るのはやめてくださいよ!」とハラハラしてしまう。だが、「性の自己決定権」や「表現の自由」といった概念がどこかで本来の理想から離れて権力に収奪され、結局は男性に都合のいい社会を維持するのに利用されていないだろうか、と疑う(『日本のフェミニズム』で提示されている)視点は、今後ますます重要になっていくだろう。「個人の自由な選択」や「合意」と呼ばれているものは、はたしてどこまで自由なのだろうか? かなりの度合いで自分以外の何かに選ばされ、合意させられてはいないだろうか?

女性たちの苦難の歴史と罠だらけの現状を思うにつけ、平等な権利を獲得するために戦ってきたフェミニストたちへの敬意と感謝が胸にわいてくる。そして、アカデミズムにも文壇にも運動にも、経済活動にも居場所がないように感じてしまいがちな人間を救うフェミニズムを求めていきたい、という気持ちを一層強くした。

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