海外で活躍する日本人の女性には、なぜ黒髪パッツンが多いのか?

川久保玲や山口小夜子、栗山千明から萬波ユカまで─世界をまたにかけて活躍する日本の女性たちに多い「黒髪パッツン」。平安時代から連綿と続く「黒髪への憧憬」、海外に出ることで触れる「西洋のまなざし」、断髪が流行した大正期の「モダンガール」から、その理由を考える。

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jun 26 2017, 8:55am

草間彌生、川久保玲、山口小夜子、栗山千明、福島リラ、萬波ユカ。この面々には共通点がある。世界を股にかけて活躍している日本人の女性だということ。ではない。もちろんそうなのだけれど、それは大前提として、もうひとつ。そう、「黒髪パッツンの持ち主」である(orであった)ということだ。

1972年にアジア系モデルとして初めてパリコレのランウェイを歩いたモデルの山口小夜子は、彼女に似せた「SAYOKOマネキン」が欧米の有名デパートに並ぶほど人気を博し、米『Newsweek』誌の「世界のトップモデル6人」にもアジア人で初めて選ばれているが、黒髪パッツンでないヴィジュアルを見つけるほうが難しい。

Comme des Garçonsのデザイナー川久保玲は、1981年に初めてパリコレに参加したときから現在にいたるまで一貫して黒髪パッツンだし、女優の栗山千明も、篠山紀信撮影による写真集『神話少女』が出版された13歳の頃からそう。ハリウッドデビューを果たしたタランティーノの『キルビル vol.1』(2003)で、高校生のボディーガード、夕張GOGO役としてみせた、艶のある黒髪パッツンも印象的だ。

いまでこそ、"赤いおかっぱ"のイメージが強い前衛芸術家・草間彌生だって、赤くしたのはけっこう最近のこと。コートをマカロニで覆ったり、MoMAの庭園で全裸の男女8人と共に行ったハプニンング・パフォーマンスで新聞の一面を飾ったりしていたNY時代(1957年から70年中頃まで)は長い黒髪パッツンだったし、写真で確認するかぎり、2000年に開催されたイギリス初の回顧展でもショートの黒髪パッツンだった。

Yayoi Kusama, Hara Museum of Contemporary Art, Tokyo, October 1992 

じゃあどうして、彼女たちはみんな黒髪パッツン(大体ロング、時々ショート)なのだろう? 日本人特有の髪質によるところも大きいかもしれない。ハリがあって硬い髪はパッツンにしやすいし、欧米人と比べてもくせの少ない真っ直ぐな髪は、伸ばしてもきれいだから。だけど、それだけだろうか? ほかに理由はないのだろうか? たとえば外的な要因が。

<黒髪への憧れ>
歴史的な女性の髪型といえば、まず(日本史の教科書に載っていた)平安時代の女性たちを思い浮かべる。この時代には、打垂髪(うちたれがみ)もしくは垂髪(すいはつ)という、長い髪が美人の条件とされていたようだ。どのくらい長かったのかというと、『黒髪と美女の日本史』(平松隆円著)によれば、「平安文学に表現される美しい髪の長さは、六尺(約180cm)以上といえる。髪は、長ければ長いほど、美しいとされていた」。文学表現における誇張はあるとしても、長い黒髪は美しいもの、憧れの対象となっていたようだ。

また、この時代において、艶やかな長い黒髪は公家階層の特権のようなものだったという。自分たちで家事をしたり、働きに出ていた一般の女性たちは(長い髪は邪魔だから)、結うなどして髪は短くしていた。そうしたギャップも、長い黒髪を憧れの対象とする意識を強めるのに一役買っていたのかもしれない。

Photography Naoki Ishizaka, Styling Sayoko Yamaguchi, Artwork Tetsuya Nagato. [DUNE, No. 26, 2004]

<新しい女性の象徴だった断髪>
それでもパッツンである必要はないまったくない。卑弥呼のようなヘアスタイルだって、黒髪の美しさはアピールできるだろうし……。それなら、どうしてパッツンでないといけないのか? そもそもパッツンっていつからあるのだろう?

日本におけるショートカットの歴史は案外短い。垂らすにしても、結って盛るにしても、日本の女性の髪は長きにわたってずっと長かった。それが変わるひとつのキッカケとなったのが、明治18(1885)年に、医者の渡辺鼎と経済ジャーナリストの石川暎作によって結成された「婦人束髪会」だ。発足の宣言文では、当時一般的だった日本髪をけちょんけちょんに攻め立てている。「油をつけて髪の中に物をはさむから健康にも悪い」「結髪代も積もれば莫大な金額になる」「外出のたびに髪をセットしなおすのは時間のムダ」という、医学的&経済的な知見から正論をぶつける。いま聞いても合理的だと思うけれど、当時の女性たちはどう思っただろう?

江戸時代までは、髪は結うのがすべてだった。明治に入り、江戸が東京へ変わると、ライフスタイルにも変化が起こった。明治4(1871)年には、男性に向けた「断髪令」が出ている。強制力こそなかったものの、この布告はそれまで当たり前だった髷の禁止を迫るもので、「婦人束髪会」もそれに続く動きだった。

明治維新が起こり、開国路線にシフトしていった日本には、欧米からの新しいライフスタイルや思想がめくるめくスピードで流入していく。そのなかで新しい知識を得ようと海外に向かう人も増えていった。彼らはもっぱら留学生や政府関係者、つまり当時のエリートだったわけだけど、そのタイミングで髪を切った人も少なくなかったという。

『黒髪と美女の日本史』の著者、平松隆円はこの本のなかで2人の有名な人物を例に挙げている。「イギリスに留学しようと長州から出国しようとした伊藤博文ら留学生は、出国直前に髷を切った」「アメリカ歴訪中に、突如として岩倉具視は髷を切り落とす」。もっとも彼らが断髪したのは、"丁髷だと海外でバカにされるから"という消極的な理由からだった。それでもこうしたエピソードは、髪を切るという行為が、彼らにとって西洋を意識したものだったことを表しているように思える。

大正になると髪はさらに短くなっていく。それを象徴していたのがモダンガールだ。

「銀座銀座と通う奴ァ馬鹿よ/帯の幅ほどある道を/セイラー・ズボンに引眉毛/イートン断髪うれしいね」(「当世銀座節」西条八十 作詞)

断髪で引眉の女性が洋装をして、銀座の目抜き通りを颯爽と歩く。彼女たちは、女性の社会進出と並行して誕生した、旧套にとらわれないモダニズムの感覚をもった女性たちだった。

「艶々しい髪を、未練気なく根本からすつぽり切つちゃつてゐるから、毛断娘(モダンガール)つてんだよ」と『モダン・ガール物語』の著者・石黒暁美は書いている。もちろん、「毛断娘」は後からつけた当て字なのだけれど、短い髪がモダンガールの象徴だったことは明らかだ。

断髪の理由はひとそれぞれ。親にせかされた結婚に抵抗して、畳につくほど長かった髪をバサッと切ったのは、1926年に単身ニューヨークにわたり反戦・社会運動に参加していた石垣綾子。「そんな人、お嫁にもらう人いませんからね。結婚資格をなくすために断髪したんです」(『断髪のモダンガール』森まゆみ著)とのこと。一方、雑誌『青鞜』を立ち上げ、女性の政治参加運動をリードした平塚らいちょうは、「過労から頭痛になやみ、髷をつけているのが邪魔でならない」から断髪したという。

おかっぱ(短い黒髪パッツン)が登場したのもこの頃だ。「断髪にだつて、色々の様式がある。いちばん、プリミティブなのが、おかっぱさん。ロング・カットと言ふ。ルイズ・ブルックの切り方。之はなんとなく冷たい中に、誰もが、知らぬ熱情がひそんでゐるやうな感じがする」(『モダン・ガール物語』、1928年)。『花物語』などの少女小説で人気を博した小説家の吉屋信子も、先の石垣綾子もおかっぱ姿の写真が残っている。

それでも、当時の女性たちが誰でも気軽にショートカットにしていたかというとそうではない。過渡期であったとはいえ、日本文化の中で長らく"女性のいのち"であった髪を切るのは大きな決断だったし、当時それができたのは先進的な考えをもつ、ごく一部の女性たちだけだった。

服飾研究家の深井晃子氏は、『断髪のモダンガール』の解説のなかでこう書いている。「断髪は(…)『自分の頭で考え、求められるだけ求め、自由への道を切り拓いた』女性たちを表象している」。おかっぱスタイルの草間彌生や川久保玲も、このような流れを汲んでいるのかもしれない。

Photography Leonard Koren

<改めて、なぜ黒髪パッツンなのか?>
日本の元祖スーパーモデル・山口小夜子から、現役で世界のランウェイを歩く福島リラや萬波ユカまで、黒髪パッツンにした理由はもちろん一人ひとり違う。それでもみんな海外に行っているのだ--西洋(人)からの日本(人)に向けられるまなざしを意識せざるを得ない場所に。彼女たちは、「ウエスタン・ゲイズ(西洋のまなざし)」に出会うことによって、日本(人)らしさを自覚し、その特性を積極的(且つポジティブ)に受け入れていったのではないだろうか。

外から向けられる目線を自覚した上で、その固有性を積極的に打ち出していく、そのような姿勢は「戦略的なセルフ・オリエンタリズム」とも言えるかもしれない。それはかつて、"丁髷だと海外でバカにされるから"という消極的な理由で断髪した、伊藤博文や岩倉具視の態度とは異なるものだ。彼らはウエスタン・ゲイズに怯えていた。

現在、世界で活躍する日本人女性たちはどうだろうか? 少なくとも西洋からのまなざしに怯えているようには見えない。彼女たちはむしろ、「ハリがあってクセの少ない真っ直ぐな黒髪」をポジティブに受け入れ、自らの個性として積極的に海外に打ち出しているのではないだろうか。他者に媚びない強い意志と自由な思考を伴って。

Photography Kenshu Shintsubo. [DUNE, No. 30, 2005]

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Credits


Text Sogo Hiraiwa
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