セクシュアリティと自己発見:写真家サラ・ロルッソ

イタリアの写真家サラ・ロルッソは、花や果実、食べ物を被写体として、そこに女性という存在を模索する。彼女が自らの身体を撮り続けてきた理由とは?

by Zio Baritaux
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17 January 2017, 7:45am

16歳の誕生日に母親からカメラをプレゼントされると、サラ・ロルッソは自らの身体をくまなくフィルムに収めた。「わたしはカメラを手に、少女から大人の女性になりました」と、現在21歳の彼女は話す。「そして、体の変化とともに私の写真も変化していきました」。その後、最初にレンズを向けたのは友人たちだったという。地元ボローニャの恋人たちを温かい視点で見つめた写真だった。しかし再び彼女のなかに、女性の身体への興味が頭をもたげはじめた。ぼんやりとした光にソフトフォーカスというスタイルを確立しつつあったロルッソは、ユース特有の視点からセクシュアリティを模索しはじめた。そして、花や果実、食べ物を女体の部位や性器のシンボルとして用いたことで、彼女にしか映し出せないポートレイトはさらにその繊細さを増した。スライスされたメロンや種を抜いたアボカド、目玉焼きになった卵、ハムサンドイッチが、女性の性器や胸と象徴としてなんとも艶かしく見える。「写真ひとつひとつに、女性のセクシュアリティを象徴する何か——繊細な官能性が牧歌的に香るなにかを描き出したいんです」と彼女は言う。「女性に訴えかける作品を作りたい。私たちの性器に、私たちの胸に、私たちの身体のあらゆる曲線に——陳腐にならず、なにより野蛮にならない、そんな世界観を通して、女性に語り掛けたいんです。わたしはこのプロジェクトを"セックスの優しいメタファー"と呼んでいます」

なぜ16歳のとき、自分を被写体とした写真を撮り始めたのでしょうか? 自身のセクシュアリティを模索するため、そして女の子から大人の女性へと変わっていく自分を受け入れるための手段だったのでしょうか?
写真は、自分の身体に起こっている変化を受け入れていくのに役立ちました。そして新たな自分を発見する手段にもなりました。ある日、自分の写真を見て、自分が大人の女性になったのだと気づいたときがありました。他にも実験的なことをたくさんしたんですよ。例えば、鏡の前で写真と撮るとかね。カメラを通して自分というものを理解しようと懸命だったんです。

いまあなたが取り組んでいる、セクシュアリティを主題にしたシリーズはどのようにして始まったのですか?
友人を撮っていて始まったプロジェクトです。彼女は私のアイデアを信頼してくれて、被写体になることを快諾してくれました。撮影を始めてすぐに、このコンセプトで、違う女性の違う身体をいくつも撮っていくことを思いつきました。そこで、周囲の人たちに私のプロジェクトのコンセプトを話して、私に共感してくれる女性に被写体になってもらいました。このプロジェクトでは、直接知らないひとは被写体にしませんでした。被写体となる女性には、私の理想像を深く理解しているひとを起用したかったのです。

女性の身体のなににそこまで興味を駆り立てられるのでしょうか?
写真に興味を持ち始めた頃から、私は自分の興味がこの身体に向けられているのに気づきはじめていました。だからセルフ・ポートレイトを撮りはじめたんです——食事をしている自分、髪をとかしている自分、ボーイフレンドとキスしている自分を、写真に収めていきました。自分の生活を、自分の人生を写真で物語りたかったんですね——日記のように。写真は、私という存在が何なのかを人々に理解してもらえる手段で、他の女性にも親しみあるテーマを扱うことができるメディア。「もし男の身体に生まれてきていたとしても、きっと今と同じように自分の身体を被写体として写真を撮っていただろう」とよく言うんです。私は「ほかの何を被写体にするよりも前に、まず自分を探る必要がある」と感じるタイプの写真家だからです。身体といっても、肌の色にも強い興味を持っています。ありとあらゆる肌の色に。それと身体のすべての部分。子宮からお尻まで。"不完全だからこそ人間は美しい"と私は信じています。だから私は化粧をしていない自分を、にきびすら晒け出して写真に収めるんです。フィルターなしでそこに写るあるがままの自分こそが自分だと思っているので。

花や果実、食べ物を写真に取り込むのはなぜですか? 例えばアボカドやハムサンドイッチ。画中でそれらがあなたの何を表現しているのでしょうか?
女性は食べられる果実であり、香りを放つ花であり、太陽に向かって芽を出し茎を伸ばして、土に根を張る植物だと思ってきたからです。
そう考えてからは、食べる果物からサンドイッチにはさまれているハムまで、眼に映るすべてのものをよく見るようになりました。人間の身体の一部を思わせるものがどれだけ多いことか——そこで、それらを写真に取り入れるようになったんです。サンドイッチは陰唇を示唆しているし、花の雌しべはクリトリスを思わせる。口に入れる前によく観察するようになりました。

写真で何を表現しようと試みているのでしょうか?
私の写真は「どこか美しい」「美しい色と美しい構成」などと評されてきました。実際にそういう写真が撮りたくて、それを目指していたのも確かなのですが、それが最終的な目標ではありません。作品ひとつひとつに、女性のセクシュアリティを象徴する何か——繊細な官能性が牧歌的に香るなにかを描き出したいんです。女性に訴えかける作品を作りたい。私たちの性器に、私たちの胸に、私たちの身体のあらゆる曲線に——陳腐にならず、なにより野蛮にならない、そんな世界観を通して、女性に語り掛けたいんです。いつもわたしは、このプロジェクトを"セックスの優しいメタファー"と呼んでいます。

作品を通して人々に何を考えてもらいたいですか?
これまで、様々なスタイルの様々なプロジェクトに取り組んできました。人間として、そして写真家としての自分を模索するためでした。私は温かく親密な写真を追求したい。見るひとが私の世界に入り込んでしまったように感じる作品を作りたい。私の家やベッドルーム、リビングルームに入ってきて、私の家族とも旧知の仲だと錯覚するような写真を。それぞれの家に帰ってからも、まだ私のことを考えてしまう、そんな作品を。自分の世界をあそこまで晒け出していた若く脆いあの女の子、と——そして「私も自分のセクシュアリティを探って、表現したい」と思ってもらえるような写真を追求してければと思っています。

@loruponyo

Credits


Text Zio Baritaux
Photography Sara Lorusso
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.

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