鏡の中のセルフィ・アーティスト

シリコンバレーに育った28歳のミシェル・ビゼイロンは、ソーシャルメディアを通して自分自身を、そして女性であることの素晴らしさを唱えるアーティストだ。

by Zio Baritaux
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06 September 2016, 2:10am

多くの若い女性同様ミシェル・ビゼイロン(Michel Bisaillon)は、自身のInstagramにセルフィ画像を多くアップしている。しかし、彼女のセルフィは「セルフィ」の基準を変えてしまう力を持っている。ミシェルのセルフィは、透明なピンク色のプラスチック製のものから雲の形をしたものまで40種類もの鏡を使って、そこに映る自身を捉えている。爪にマニキュアを施した手の向こうに3枚の鏡を配した作品では彼女の目と口だけが、胸の前にハート型の鏡を持った作品ではそこに海が見える。「鏡を使うのは、そこにいくつもの視点を与えられるから。物事にはさまざまな視点の可能性がある。それを表現したい」とミシェルは説明する。「鏡を使うことで、身体を切り取って見せるのも同じような理由」。自分自身にレンズを向けるときも、彼女は鏡を使うことで、そこにより真の自分を写し出すことができるのだという。「身体を全て見せるということが、そのひと全てを見せることだとは思いません」と彼女は言う。「ひとの全身が見える画像なんて誰もが飽きるほど見ているわけだけれど、だからといってその人たちのことを全部知っているとは誰も考えないでしょう?」。たしかにミシェルの画像には他のInstagramユーザーがアップしている画像にはない親密さのようなものがある。そこには、ミシェル自身が自らをどう見ているか、彼女自身の世界を彼女がどう見ているかが映し出されているのだ。だからこそ、彼女の作品は見る者に力を与えるのだろう。「作品を通して、多くを伝えたい。でも一番共有したいのは『私たちの身体は美しい』という視点」とミシェルは続くインタビューで語っている。「私たちのあり方は、いつでもコントロールできるようなものではない。でも、だからといって楽しめないというわけでもありません。私たちはそれぞれ、逃れようのない存在として生きている。それは素晴らしいこと。それを、作品を通して伝えたい」

写真に興味を持ったきっかけは?
写真との出会いは、5歳か6歳のときにお母さんが私にバービーカメラをプレゼントしてくれたとき。風景や静物の写真を撮るのに夢中になったんです。ファインダーとレンズが離れているということに気づかなかった自分に腹を立てたときのことを良く覚えています。そのカメラは、ファインダーがレンズから左右いずれかに2インチほど離れたところに付いている、いわゆる昔のカメラだったんですよ。あのときに「思い通りの写真を撮れるよう、カメラの使い方を理解したい」と思いましたね。

Instagramに自身の写真をアップするようになったのはいつですか?なぜ他の女の子たちではなく自分を撮ろうと思ったのでしょうか?
高校生のときには友達とお互いを撮った写真をLiveJournalやMySpaceにアップしていたので、写真を撮ることもInstagramにアップすることも、私にはとても自然なことでした。私が写真のなかで自分を被写体として用いているのは、いつでも撮れる被写体だからです。ひとりで家にいるとき、何かひらめくことがあれば、すぐに写真を撮れる。いつでも練ったプランをもとに作品を作るわけではないので、自分を撮るのが一番簡単なんです。自分が被写体なら、思うように時間を使えるし、プレッシャーも少ないですから。

デジタル補正を施した女性の写真に対して、編集を施していないあなたの作品はどのような意味を持つのでしょうか?
私たちは日常的に自分というものを編集して生きているのだと思います。言うべきことを言ったり言わなかったり、服を選んだりメイクをしたり、私たちは自分というものを「こう見て欲しい」という像に近づけて、いわば編集した自分で生活しているわけです。それが問題となるのは、女性のコンプレックスを煽るような仕方で商品を売ろうと画像の編集が用いられるときです。非現実的なプロポーションを見せられ続けることで、自己嫌悪に陥ってしまう。私にとって、自分がポジティブな気持ちになれる方法を知ることはとても大きな意味を持っていました。それを他の人たちにも知ってもらって、ポジティブな気持ちになってもらいたい。偽りの自分を作り出すことなく、本当の自分自身に対してポジティブになってもらいたいですね。

セルフィと自己愛は相互関係にあると思いますか?
ひとによってはあると思いますね。セルフィ写真で自分の気に入るものが撮れれば、自信につながりますからね。誰にとっても、特に女性にとっては、劣等感を感じないということがとても重要です。わたしは長いあいだ、劣等感に悩みましたよ。自分自身でいることを受け入れ、楽しめるようになると、いろんなことが可能になるんです。

作品を通して女の子であること、女性であることを伝えようとしているのでしょうか?自分自身のイメージを作り出している女性にはパワーがあると思いますか?
何かを作り出している女性にはパワーがあります。自信を持って好きなことをやっている女性、そしてそんな人生を実現する能力を発揮するために戦っている女性が、これからの世代のために新境地を切り拓くのだと私は思います。伝えたいことはたくさんありますが、私の作品に興味を持ってくれるひとたちともっとも共有したいのは『私たちの身体は美しい』という視点です。私たちの身体は、数百万年もの進化を続けた末に辿り着いた、美しいものなのです。私たちのあり方は、常にコントロールできるようなものではない。でも、だからといって楽しめないというわけでもありません。私たちはそれぞれ、逃れようのない存在として生きている。それは素晴らしいこと。それを、作品を通して伝えたいです。

これまで、フェミニストには「女性のステレオタイプだから」「ジェンダー区別されたおもちゃに由来しているから」と、ピンクやパステルカラーを拒絶してきたひとも少なくありません。しかし、近年はあなたのような女性アーティストが作品のなかでピンクやパステルカラーをふんだんに使うようになってきています。それはなぜだと思いますか?フェミニンとフェミニズムを両立させたものとして表現しているのでしょうか?ピンクには特別な力があるのでしょうか?
自分が好きと思える対象には力が生まれるものなのだと思います。人間にはいろんな面がある。色々なものをエンドレスに楽しむことができる能力を、私たちは持っているんです。誰にも例外なく男性的な面があって、同じく例外なく女性的な面も備わっています。大切なのは、自分に正直であるということだと思います。何かを本気で好きで、何かを美しいと思うなら、そこに恥を感じる必要など全くないのです。ピンクとブルーを同じように好きだっていいじゃないですか。どちらかを選ぶ必要なんてない。フェミニンでありながらフェミニストであることなんてできて当然です。フェミニストであるということは平等を信じて、平等を得ようとすること。どの色を選ぶか、どの洋服を選ぶかは関係ないと思います。

@michel_e_b

Credits


Text Zio Barritaux
Photography courtesy the artist
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.