Vetementsという国家

激化の一途を辿る世界の政治的情勢を受けて、“世界共同体”という概念が希求されていた今季のコレクション。そのなかでVetementsほど「グローバルネーション(世界的国家)」を如実に体現しているブランドはなかった。i-Dは、デムナ・ヴァザリア率いるデザインチーム、モデルなどVetementsと関わりの深い人々にインタビューを行い、彼らがいかにして世界的なムーブメントとなったかに迫った。

by Anders Christian Madsen
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30 June 2016, 3:35am

2016年4月、2016年春夏コレクションである"Plizei"プリントのトレンチコートを購入したというシュトゥットガルト在住のある男性から、Vetementsのもとにメールが届いた。「その男性は、公園だか森林だかでセックスの相手を求めて徘徊していたんだかなんだかしていたとき」とデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)は説明する。「警察に逮捕されて2時間の勾留の後、彼は調査を受けたらしい」。ドイツの法律に、「警察」を意味するPolizeiという単語の一般使用する規制はいない。しかし、それでも彼らは強硬に調査を進めたという。「警察は、彼のトレンチコートを没収したというんだ。だから彼に同じコートを送ってあげたよ。これからドイツでどれだけの人が同じように逮捕されるんだろう——あのコートはドイツですぐに完売してるからね」と言ってデムナは微笑んだ。2014年の立ち上げ以来、Vetementsのクリエイティブディレクター、デムナ・ヴァザリアは「服のための服作り」という姿勢を貫いてきた。しかし、今回の出来事は、ヴァザリアやVetementsチームが意図するかしないかにかかわらず、このブランドが世界的な政治情勢を反映し、またそれを動かすだけの力を持っていることを如実に物語っている。「トレンチコート1枚がそんな議論を巻き起こしてくれるなんてね。パリを見てごらん。君がこのトレンチを着てモールへ行きでもしたら、警備員や警察が血眼になって君を探し回るよ。信じられないよね。SecurityやPoliceって言葉を服にプリントしたときには、こんな事態が巻き起こるなんて全く想像もしなかった。今の情勢を考えると、それも理解できるけどね」

デビューからわずか4シーズン——Vetementsはグラフィックによる主張と、ひねりの効いた服の構造をもって、他のどのブランドよりも鋭く世界のムードを捉えるブランドとなった。様々な国や地域の出身のデザイナーたち7人とヴァザリアは、フィッティングを行なう際、同じデザイン要素に関連する思い出を各々が持ち寄り、話し合うことで、Vetementsのデザインを生み出している。そうして出来上がったデザインにより、Vetementsはインターネット時代における世界的ファッション現象となった。ヨーロッパでの移民問題やアメリカの好戦姿勢、右翼と左翼の極端な分離……。激化の一途を辿る世界の政治情勢を受けて「世界共同体」という概念が希求されていた今季のコレクションで、Vetementsほど"世界的国家"を如実に体現するブランドは他になかった。

さまざまなカルチャーが混在するパリの10区にある4階建てのビルに、Vetementsのスタジオはある。デムナがBALENCIAGAのクリエイティブディレクターとして週の半分を過ごす優雅なパリ左岸とは対照的なエリアだ。Vetementsスタジオの最上階には、ヴァザリアの弟でありブランドCEOでもあるグラム・ヴァザリア(Guram Gvasalia)の部屋がある。ブランドのビジネス面の計画はこの部屋で練られている。

Vetementsのデビューコレクション発表を前に、グラムはすでに確実な成功への道程を見出していた。「ファッションブランドにはふたつの構成要素があります。ひとつはクリエイティブ面、もうひとつがビジネス面。これらは、1枚のコインの両面のようなもので、裏があるからこそ表があるわけです。先進的デザインを成功へと導くには、先進的なビジネス戦略が必要不可欠です」とグラムは話す。現在30歳、かつてはBurberry職員だった彼は、2016年、ファッション業界のシステムを根底から揺るがす戦略をVetementsとして打ち出した。メンズとウィメンズのプレタポルテコレクションをひとつのショーで、しかもオートクチュールのスケジュールで発表し、その会場ですぐに購買できる販売形式を採用したのだ。このモデルを打ち出した裏には、ハイストリートファッションの世界的台頭に打ち勝つための策があるわけだが、同時に、"今"を反映させているVetementsの美をリアルタイムで届けたいという意思もあるようだ。

デムナは1981年、グラムはその5年後に、旧ソ連のアブハジアに生まれた。グルジアが「自国に属する」と主張しているアブハジア自治共和国だが、1993年より独立体制にある。鉄のカーテンが崩壊してわずか2年後、ふたりが生まれたアブハジア首都スフミでは、独立派のアブハズ人たちとグルジアの民族主義派が激しく衝突し、内戦が起こった。ヴァサリア一家は民族主義派に属していた。自動車販売店を経営していたデムナの父親は軍に入隊して抗戦に参加したが、1993年に独立派勢力が、スフミに侵攻し"民族浄化"を行った。追われたヴァザリア一家はコーカサス山脈を越えなければならなかった。「足腰が弱った祖母を歩かせて山脈を超えるのは無理だった。だから、母はカラシュニコフ銃を売って馬を手に入れた。祖母と、まだ幼いグラムを乗せて山を越えられるように」とデムナは当時を思い出しながら話す。「父は歩いて山を越えたんだ。でも、家族全員が歩いて山を越えるのは無理だった。それまでも多くの人が山を越えようとして、途中で息絶えた場所だったんだ。父は僕たちをその場に残して先に進んで、1週間後に叔父と共にヘリコプターを借りて戻ってきてくれたんだ。まるで映画のようだったよ。父が僕たちをヘリコプターに押し入れてね。亡命者でいっぱいのヘリコプターがドアを開け放したまま飛んでさ。ちょうどグラムの8歳の誕生日だったよ」。ヴァザリア一家は、グルジアの首都トビリシで暮らした後、ウクライナへ移住した。「ウクライナの学校に通わなきゃいけなかったんだけど、ウクライナ語が話せない。だから順応するのは大変だったよ。貧乏で何も持っていなかった。昔の写真をまとめたアルバム以外にはね」

その後も移住を繰り返したヴァザリア一家は、ウクライナからロシアに移り、最終的にデュセルドルフへ落ち着いた。この時、デムナは18歳だった。「ああして自分というものが形成されたんだ。グラムもね。グラムはまだ幼かったけど、僕よりもはっきりといろんなことを覚えてる。ああいう状況に育つとタフになるんだ。父はね、もし捕まったら、僕たち全員を殺すって言っていた。僕たちがやつらの拷問に遭うよりマシだってね」。西欧に渡りヨーロッパの文化を浴びたデムナは、感覚的な洗礼を受けることとなる。その体験がVetementsの基盤を作り上げていった。「最悪のたとえではあるけど、投獄された男が20年間まったくセックスをせずにいて、釈放された途端……」と言ってデムナは笑う。「文化の過食症みたいなものだったね。ゴスにもなりたかったし、ヒップホップもメタルも聴きたかった——それが全部、突如として目の前に、触れられるところにあるんだからね。それが、僕のデザインのアプローチを形作っていったんだ。ひとつの方向性を定めるんじゃなく、いろんなものを集めてつなげたパッチワークのようなもの。当時の僕の服装なんて、完全に狂ってたよ。精神分裂症的と言ってもいいくらい。Vetementsに見られるモチーフが、つながりの見出せない多様なものに由来しているのはそのためだよ」

見る者の解釈によって意味が異なる作品は多くある。「"You Fuckin' Asshole"Tシャツにはいろんな意見をもらったよ」と、デムナは2016年秋冬のコレクションピースについて話す。「『誰に向けた言葉なの?』ってね。あれは誰か特定のひとに向けた言葉じゃないんだけど、個人的には想定してる人物がいる。たくさんね」。ドイツで金融学を学んでいたデムナは、21歳で「心に従おう」とファッションの道へ進み、アントワープ王立芸術アカデミーに入学した。そしてその後、Walter van Beirendonck、Maison Martin Margiela、そしてLouis Vuittonなどのブランドにて実地でファッションを学んだ。「ベルギーに暮しているときにはベルギー人に溶け込まなければならなかったし、ドイツに暮らせばドイツ人になりきらなきゃならなかった——結局はうまくいかなかったけどね——けど、パリはすごく大変だった。最初はパリが大嫌いだったんだ。でも、暮していればその土地にフィットしていくもので、さまざまな要素の寄せ集めのような存在になっていくんだよね」。それこそが、Vetementsの国際色溢れるデザイナー集団最大の特徴だろう。彼らは、デムナの「ジプシー的」バックグラウンドに共感する者と、"ここではないどこか"という概念のもとデザインをするデザイナーたちのチームだ。Vetementsとは、独創的で文化的な視点が尊重される多様性の楽園なのだ。

Vetementsが誇るのは、その多文化性だけではない。そこでは、ジェンダーやセクシュアリティ、スピリチュアリティも様々で、すべてが認められている。「私の出身? 世界よ」とローラ・タンザー(Laura Tanzer)は言う。Vetementsデザイナーチームの一員である彼女は、1994年、スコットランド人とイギリス人の両親のもと、南アフリカに生まれ、「いいところだけど面白みがない」スイスに育った。「Vetementsが作り出すのは、私がずっとなりたいと願いながらも、結局はなれなかった人物像。地元での私は決してクレージーでもなければ目立つ存在でもなかった。ただの"誰か"だった……ここに来て初めて、自分のいるべき場所が見つかったように感じたわ」。同じくデザイナーのジェオルグ・ナオム(Georg Naoum)は、Vetementsにより深い自由を見出している。「子供の時って、大人が子供を型にはめたがるし、社会に順応させようとするだろう?ここに来てから、"人間はみんな、それぞれのトラウマを克服しようとしてるんだな"と感じるようになった」。1986年、シリアの敬虔なキリスト教の一家に生まれたジェオルグは、10歳のとき、家族とともにドイツへ移住した。Vetementsが文化的、そして宗教的な相違を越えた聖域を作り出してくれたとジェオルグは言う。「ドレスを作るとき、自分で着てみるんだ。そしてそこから色んなアイデアを試していく。そこにはセラピーのような効果がある。誰もが自由で、自由って素晴らしいんだ。自分にものすごくパワーを感じるんだ。おばあちゃんが『あんたそれ脱ぎなさい!』って言う声が聞こえてくるけど」

彼はベルリンに行き、アイリーン・クライン(Aileen Klein)のもとでファッションを学んだ。その後ふたりは、Vetementsでデザインを作り出す仲間となる。1991年、ドイツのケルン郊外にある、保守的で極めて宗教色の強い小さな町に育ったアイリーンは、ジェオルグやデムナとは全く違う幼少期を過ごした。しかし、彼女はVetementsの多文化的な魅力を深く理解している。「世界中の人々が、社会的に多様性の欠如を感じているのかもしれない」と彼女は言う。ファッション業界には、社会的承認への欲求が少なからず見られる。そのなかにあって、Vetementsでは個人それぞれのユニークな生い立ちこそが最大の強みとなる。他ならぬ"心の原風景"をデザインに反映させることが求められるからだ。「ピンクのホットパンツと聞いて僕が思い付くものと、スロベニアやベルギー出身の誰かが思い浮かべるものが違うのは当然のこと。そういうビジョンを話し合うことによって、最終的には、より多くのひとの心に届くものを作り出すことができる。より客観性に富んだものをね」とデムナは説明する。「故郷についてみんなで話すの」とローラは言う。「誰1人として、実際に故郷へ帰ってそこに暮らしたいとは思っていないけどね。だけど、自分たちが見てきたものを大切にしている集団なのよ」

「自分の人生が『リトル・ダンサー』みたいだなって思うよ——ダンスのないバージョンのね」と笑って話すのはマット・ダイアー(Matt Dyer)。1992年、イギリス中部サウスヨークシャーのバーンズリーに生まれ。生肉工場で働いていた彼は、ロンドンへ移住してセントラル・セント・マーチンズに入学、在学中にVetementsでの人員募集に応募して、パリへと移った。パリは革命の街だ。いま巻き起こっているファッション革命の背景に、パリのブルジョアなストリートがあるのは偶然ではない。RiTUAL Projectsの創始者であり、Vetementsの広報担当でもあるロビン・ミーソン(Robin Meason)は、1971年、アメリカのテキサスに生まれたが、高校卒業とともにアメリカから逃げ出した。「その言葉を使うのは避けてきたけど、でも実際にそうだったんだから仕方ないわよね。ひととは違う変わり者は、田舎特有のメンタリティーから逃げ出すしかなかったのよ。高飛車ではあるけど、大都市だから」とロビンは、パリへと移り住んだ経緯を説明する。しかし、上品で堅苦しいパリジャンたちに変化が見られると彼女は話す。「フランスは孤立していたの。パリには、大きな歴史的遺産があって、パリジャンたちはそこにあぐらをかいてたいたわけよね。でも若いフランス人たちには進化が見られる。多様性が勢いを増してきていて、誰もが可愛いカーディガンを羽織っているような時代が打ち崩されようとしているのよ」

苦難多き幼少期からのアジール(逃避所)として存在するVetementsの社会的保護区。しかし、それは、ファッション業界の現状に魅力を見出せない新しい世代のアジールにもなっているようだ。「Vetementsは反体制なわけじゃない。だって、体制の中で活動をしているわけだからね。でも、僕はこれまでファッションファッションした世界と自分を結びつけることができた試しがない」とヴァンサン・エスクラド(Vincent Esclade)は言う。1988年、パリ郊外に生まれたヴァンサンは、サンフランシスコでの学生生活を経てVetementsのデザインチームに入った。グローバルな行き来が当たり前になった時代に育ったヴァンサン——"クラシックなものに現代的ひねりを"という、古くも社会学的な服作りのアプローチに、彼は瞬時に共鳴した。「インターネットにはすべてのカルチャーがある」と語るのは、1990年、バンコクに生まれ、現在はVetementsのイメージデザイナーを務めるPzwerk Opassuksatit。「Tumblrや超高速インターネットでリサーチをしたら、そこで得たものを作品に取り込んで世に送り出す。Vetementsはカルチャーを投影するものなの」とOpassusatitは説明する。「私はジャスティン・ビーバーの大ファンだから、『ジャスティンのグラフィックプリントを作りましょう』って言ったの。好きなもの、今というカルチャーでもてはやされているもの。そういったものをよりビッグに打ち出す、それがVetementsなの」

そこにはもちろん、多少のノスタルジアも含まれている。例えば、2016年春夏コレクションを見てみてほしい。『タイタニック』(1997)のポスターがプリントされたパーカや、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(1994)でトム・クルーズが口にした台詞、「Drink from me and live forever.(私の血を吸えば永遠の命が手に入る)」がアーム部分に刺繍されたボマージャケットなど、90年代にティーンだった者にはたまらない懐かしさがそこにはあるのだ。「若い頃にアイコニックだった音楽や映画、ファッション——大人になる過程で経験するそういった段階——そんなものを僕たちはコレクションに詰め込んでいるんだ。それは世界中の人々が共感できるもの」と、Vetementsの監督デザイナーのアラン・フィリピー(Alain Philippe)は言う。フィリピーは1989年、ブラジル人、デンマーク人、そしてフランス人の血を継いで香港に生まれ、1997年にフランスへと移住した過去を持っている。「東欧文化だけじゃなく、ありとあらゆるカルチャーにインスパイアされているんだ」。今年3月に発表されたコレクションで、Vetementsはショーに起用されたモデルが主に東欧人だったことで「民族的多様性に欠ける」と批判を受けた。同じ旧ソ連出身で、旧知の親友であるスタイリスト、ロッタ・ヴォルコヴァ(Lotta Volkova)とともに自らキャスティングを務めるデムナにとって、この批判は大きな転機となった。

「僕はあのキャスティングが多様性に富んでいると思ってた。民族性をベースにした多様性ではなくね。民族的な意味での多様性に関して、今は理解してるよ。僕はソ連の文化のなかで育って、民族的な多様性という問題について深く考えなきゃいけない状況に立たされたことがなかったんだ。だからあれはいい教訓だった」と彼は話す。「完全に無意識のレベルで、民族的多様性なんていう概念がまったく頭になかったんだ。今は違うし、民族的な多様性を求めるのはとてもいいことだと思ってる。僕は今、西欧に暮らしていて、世界中で取り扱われる洋服を作っているし、多様性溢れるエリアに生きているわけだしね」と、デムナは10区を指して言う。「批判を受けたからじゃなくて、僕が学んだからこう言ってるんだ。民族的な多様性が欠けていたのは、意図的なものでもなく、わざとやったことじゃなかった——神に誓って違う。でもね、あのキャストにはたくさんの個性に溢れていたんだ。セクシュアリティについて言えば、あのショーほど多様性に富んだものはないはず。それでも、あのショー制作にあたっていた時期、僕の頭にはなかった概念というものがあって、でも今はそれを理解している。ただ、批判されたからという理由で民族的多様性を取り入れるようなことはしないよ。多様性のためだけに3人ぐらい異人種がキャスティングされているショーもあるけど、あれこそ最悪だよ。多様性って」と言ってデムナは指でチェックボックスにチェックを入れる真似をして言った。「そんなもんじゃない」

「Vetementsには、これ以上ないというほどの多様性がある。セクシュアリティの面でも、バックグラウンドの面でも、カルチャーの面でもね」とモデルのポール・ハメリン(Paul Hameline)は、Clara 3000として知られるDJ、クララ・デエ(Clara Deshayes)と、ル・マレの一角にある店でドリンクを飲みながら話す。1996年に「すぐそこ」で生まれたハメリンは、イギリスはニューキャッスルのアイガースにある寄宿学校で数年を過ごした後、スイスへと移り、飛び級で学校を卒業してパリへと戻ってきた。そこでデムナ率いるマルチなグローバルギャングの一員となり、モデルとして、そしてアーティストとして活躍している(彼は今、業界で最も人気の男性モデルだ。しかし、本人は「友達としか仕事をしたくない」と言って憚らない)。「僕たちに刺激を与えてくれるようなことが何ひとつ起こってなかったんだ。だから自分たちでその何かを起こしてやろうってことになった」とハメリンは当時を思い出しながら語る。彼の自宅にある地下室でロッタ・ヴォルコヴァとともに開いたパーティから、すべては始まったのだという。「僕たちはそれぞれ他の仕事を持っていて、でも助け合っているんだ。きちんとした役割分担のもとで全員がやるべきことをやっているんだよ」。意図せずして現在の東欧ブームの顔となったハメリンとクララだが、いずれも東欧の出身ではない。クララは1989年、ヴェルサイユに生まれたフランス人だ。「親の世代は、西側と東側という体制を肌に感じて育って、そこにはいつでも善と悪の神話があったんだと思う」とクララは言う。「今の世代にはそんな感覚まったくないわよね」。パリで大人気のDJであるクララは、VetementsとBALENCIAGAのショーで流れるBGMの選曲を担当している。

「私は自分の物差しでものを見たりしないわよ。子供の頃からあらゆるタイプの人に囲まれて育ってきたから」と、VetementsとBALENCIAGA両ブランドのフィットモデルを務めるタトゥーアーティスト、モード・エスクディ(Maud Escudie)は語る。1990年、トゥールーズに生まれたモードは、フランス外交官の親とともにモーリタニア、セネガル、トーゴと、アフリカ各地を転々として育った。「Vetementsは、ビジョンの交換を通してみんなで一緒に物事を決めていく、ひとつのグループなのよ。みんな違っていて、それぞれ違った考え方を持っているの。それこそがこのムーブメントの持つ力なんだと思うわ」。彼女は、デムナ、ロッタ、そしてゴーシャ・ラブチンスキーが率いる現在の東欧ブームを、文化的、そして世代的なものとして捉えている。「彼らはとても率直で、とても芯の強い努力家。アツくてとても力強い人たちよ。育ってきた環境が彼らをそうさせるのかも。彼らといるのは刺激的よ」とモードは言う。「誰かが、『ロッタ、ゴーシャ、そしてデムナは、ポルノとチェルノブイリの影響を強く受けて育ったからあんなにぶっ壊れてるんだ』ってどこかに書いた記事を読んだことがあるよ」とデムナは笑う。1982年、旧ユーゴスラビア、現スロベニアのチュルノメリ市に生まれ、ロイヤル・アカデミー在学中のデムナに出会い、現在はVetementsのデザイナーを務めるマヤ・ワイス(Maja Weiss)は、このブランドの美意識がある種の"帰郷"を意味していると語る。

「はじめて自分の故郷を表現できたような気がしたの。アントワープで学生だったとき、自分の美的感覚はすんなりと受け入れてもらえないような気がしていた。この土地で養われたものではないから」。スロベニアは旧ソ連で最もオープンな国として知られ、また彼女の両親は国際的な事業を営んでいたにもかかわらず、マヤの幼少時代は当時の政治情勢に大きく左右されたという。「権力を疑問視して、自分で考えろと言われて育った。ユーゴスラビアでは、人民に選択肢が与えられていたけど、労働階級の一般的な収入より少しでも多くお金を稼いでいたら、それだけで周りの人たちに変な目で見られたわ。車を買ったら、『どうやってそんな大金を稼いでるんだ?』って、知らない人たちが後を追って家を見に来たりしてたのよ」。現在の東欧ブームについて、彼女はそれが単なる夢想的ノスタルジアではなく、人々が東欧文化に真の理解を示し、認知をしている表れと見ている。「あの体制が理想的にはどう機能し得たか、そのアイデアは素晴らしかったし、実際にある程度はうまく機能してもいたの。私たちはそこで育ったし、美意識にも影響しているわね。旧ソ連の美は暗くてハードなものだけれど、遠く離れてみると、恋しくもなる」

「それはまた、今あそこで起きている政治的なことへの反応でもあると思う」とデムナは話す。「ソ連だった頃よりも、今は誰もが東欧を身近に感じることができる。だからこういうムーブメントが起こるのもそれほど不自然じゃないと思う」。デムナは、いまある時代精神を"ノスタルジア"として矮小化するべきではないと語る。東欧の視点から見るべきなのだ、と。「東欧ではすべてが少し遅れていて、未発達のままでいる。東欧では、最近になってようやく"アンチ"という概念が生まれてきたし、自分たちの意見を持つようになってきているんだ。20年は遅れているよね」。その点で、Vetementsが牽引している脱構築の新しい時代は、この東欧ブームと切っても切り離せない関係にある。脱構築の時代は、デムナが2009年から2012年まで働き、Vetementsの面々が惜しげなく敬意を表するMartin Margielaが次世代に残した最大の継承物だ。「ティーンの怒りや、私たちが生きる世界への不満が最大のテーマ。Vetementsは、さまざまな仕方で、既存のファッションワールドに対して問いを投げかけている」とマヤは言う。そして、「global fellowship(世界共同体)」と「multi-everything(マルチなすべて)」というこのチームに漂う雰囲気は、"最新"と"今"を至上の価値とする新世代のファッション消費者が求めるものそのものだ。

「"今"という概念が戦略の道筋を見せてくれました」とグラムは、Vetementsの戦略的アプローチについて説明する。「ソーシャルメディアが、僕たちの持っていたリアリティの概念を変えました。スクリーンには常に新しい情報が映し出されるようになって、若い世代は20年後の家よりも、すぐ手が届くパーカを選ぶようになった。未来なんて遠すぎる——今この瞬間だけが大切だ、とでもいうかのようにね」。ヴァザリア兄弟、Vetementsデザインチーム、そして彼らを取り巻くクリエイターたちをもって、"グローバルネーション"はすでに現実のもととなっている。「そのうち、文化革命が起こると思う」とデムナは言う。「新たな世代のキッズは、独自の概念や主義を持っていて、情報を得ることにも長けている。彼らは、とても知的だね。僕たちの世代は彼らよりずっと遅れていたと思う。なにしろMySpace世代だからね」とデムナは微笑む。「ポケベルを使ってたんだよ。信じられる?」

Vetements team: Alain Philippe

Vincent Esclade

Matt Dyer 

Laura Tanzer

Pzwerk

Georg Naoum

Aileen Klein

Maja Weiss

Robin Meason, Vetements PR

Paul wears jock strap David Samuel Menkes

Credits


Text Anders Christian Madsen
Photography Willy Vanderperre
Fashion Director Alastair McKimm
Hair Anthony Turner at Art Partner
Make-up Lynsey Alexander at Streeters for Estée Lauder Make-up
Nail technician Anatole Rainey at Premier using Chanel Le Vernis and Body Excellence Hand Cream
Lighting technician Romain Dubus
Photography assistance Corentin Thevenet, Mickael Bambi
Digital technician Henri Coutant at Dtouch
Styling assistance Lauren Davis, Sydney Rose Thomas, Louise Mast
Hair assistance Eliot McQueen, Yusuke Tanigushi
Make-up assistance Shelley Greenhalgh, Kana Nagashima
Production Floriane Desperier at 4Oktober
Production assistance Clement Camaret
Models Paul H at Tomorrow Is Another Day. Clara 3000. Francois at Rebel. Liza at VIVA. Natan at Hakuna. Maud Escudié. Pzwerk. Maja Weiss. Robin Meason. Laura Tanzer. Georg Naoum. Matt Dyer. Alain Philippe. Vincent Esclade. Aileen Klein. Tandi at Oui Management. Sami at Success. Remi at Elite Paris. Caroline at Women.
All clothing worn throughout Vetements autumn/winter 16. Paul wears jock strap David Samuel Menkes.
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.

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