Image via Getty

グウィネス・パルトロウが気になってしょうがないこれだけの理由

私たちは決してグウィネス・パルトロウに共感できないけれど、だからといって彼女のことを好ましく思わないかといったら、それは違う。

by Philippa Snow; translated by Ai Nakayama
|
08 January 2020, 8:14am

Image via Getty

最近私は、グウィネス・パルトロウのことばかり考えている。そのきっかけのひとつは、2019年9月30日に〈The New York Times〉に投稿されたウェスリー・モリス(Wesley Morris)の素晴らしい記事だ。この記事では、プレッピーでGoop(彼女が立ち上げたライフスタイルブランド)的、というパルトローのパブリックイメージの下に「スターダムもスキルも恐ろしいほど自然に身につけてしまっている」女優がいる、と指摘されていた。

そしてもうひとつのきっかけは、Netflixのドラマ『ザ・ポリティシャン』でパシュミナを身にまとい、ヒーリングストーンを収集している億万長者の妻、という皮肉にも思えるキャラを彼女が演じていること。あとは、自身が何作も出演しているはずのマーベルシリーズ作品への無関心を露呈させた言動を集めた記事もそうだ(Netflixの『ザ・シェフ・ショー ~だから料理は楽しい!~』で、「スパイダーマン?」とゴージャスな折り紙のごとく眉をひそめた彼女の姿を覚えているひとは多いだろう。「アべンジャーズでしょ?」と言っていたが、彼女は両方出演している)。

2019年の夏、彼女はサッチャー・ワイン(トマス・ピンチョンを思わせる名前だ)というブックキュレーターを雇用していたことが判明。同年の10月15日には、Elle主催の〈Women in Hollywood〉イベントでのスピーチで、自らを「酔っぱらい」「白人のおばさん」と称し、さらに、エミー賞ではステージを異様にゆっくり歩き、マイクを取るという簡単な動作をなぜか不条理演劇のような、変な感じにしてしまった(その映像はミーム化した)。

それらすべてを引っくるめて、2019年のグウィネスはどうも変で、自己を認識していて、自らを風刺することで(私立の進学校のプリンセスではなく正真正銘の変人としての)彼女の立つ場所まで登ってくるよう、私たちをいざなっていたのかという気さえする。その結果、確かに私たちはざわついたし、めまいがするほどの高度に順応することを強いられた。私はグウィネス・パルトロウのファンになってしまったのだろうか?

ウェスリーは、前述の記事でグウィネスを擁護してこんなことを書いている。「彼女がよくする、口を尖らせる表情や、温厚で貴族的な話しぶり、それらに表れる私立学校の特権、そういうものを嫌うタイプもいる。(略)私はそういうタイプじゃない」

またグウィネスのイメージといえば、ウィノナ・ライダーとの篤い友情と見せかけたバチバチのライバル関係を思い起こすタイプもいるだろう。手を繋いだふたりのパパラッチ写真、彼女たちが手にもつタバコと半分飲んだワイングラス、まさに陰と陽といったヴィジュアルのコントラスト。グウィネスはおなじみの〈口を尖らせる表情〉で光る銀のスプーンをくわえる、血統書付きの競走馬であり、黒髪で小柄で下町的な魅力を有し、さらにビートニクの両親の元に生まれ、ゴスガールと不幸なアートボーイ双方に愛されるウィノナとはまったく対極にあった。

グウィネスは、彼女のIMDBページで「ウエハースみたいに薄い」と形容されているが、ウィノナのIMDBページには、身体的な形容は一切見当たらない。「心理学者のティモシー・リアリーが後見人」「両親は『Shaman Woman Mainline Lady』というタイトルの本を編纂した」くらいだ。ちなみにグウィネスの両親は、IMDBにそれぞれページが作られているくらい著名な業界人である。

それらを念頭に置きつつ白状すると、実は今年の10月、英国のタレント、コリーン・ルーニー(Coleen Rooney)が、昔からの友人、レベッカ・ヴァーディ(Rebekah Vardy)がマスコミに自分の生活をリークしていた、とInstagramで糾弾した投稿がインターネットで話題になった日も、私はグウィネスのことを思い出していた(CNNはこの〈事件〉についてこのように報じている。「午前10時29分、いつもと変わらない晴れた水曜の朝、英国は決定的に変わってしまった」「この投稿は、21世紀における〈サラエボ事件〉だ」)。

少し前から彼女は自分が周りの目にどれほど滑稽に映っているかを知っていたに違いない。そして後天的に身につけた知識や、年齢のおかげで、ついにそれをジョークに発展させることができるようになったのだ。

女同士、特に大して知名度のないタレント同士の裏切りは、メディア、世間、そしてわかりやすい二項対立を愛するひとびとにとって格好の話題だ。ウィノナとグウィネスの友情も、〈チーム・ジェニファー(・アニストン)〉〈チーム・アンジェリーナ(・ジョリー)〉というスローガンTシャツにこそならなかったものの、ウィノナ派とグウィネス派に分かれ、しかも圧倒的にウィノナ派が多数を占めた。

ふたりの不和のきっかけは、ウィノナにオファーされていた『恋におちたシェイクスピア』の脚本をグウィネスが盗み、結果的に主役の座を射止めたことと噂されており、そのせいでグウィネスは女性のファンを減らした。長年彼女は沈黙を守り、手がつけられないほどの金持ちビッチ、ヨガウェアに身を包んだ意地悪な女の子、というイメージを受け入れていた。
「当時、私にはフレネミー(友達の皮を被った敵)がいました。そのひとは私の足をひっぱりたくてしょうがなかったんです」とグウィネスは2009年の〈Goop〉の記事でこう記している。「やり返すのは我慢しました。自分の名を汚さないように。でもある日、そのひとが不幸で屈辱的な目にあったことを聞いたんです。そのとき私は、深い安堵と幸福感を覚えました」
これはウィノナ・ライダーの万引き事件に言及したとしか思えない。

私たちが、ふたりの他人のあいだの不和にここまで肩入れしてしまうのも不思議だ。しかも、ウィノナとグウィネスの断絶なんて、20年近く前の話だ。それでも、ある特定の年齢を超えた女性の多くが、このふたりの仲違いについて今でも何らかの感情を抱いているのは間違いないだろう。

評論家/エッセイストのアラナ・マッシーは数年前の〈Buzzfeed〉の記事で、ミレニアル世代の女性たちは〈グウィネス女子〉と〈ウィノナ女子〉に分かれる、と書いていた。いっぽうは「めちゃくちゃだけどより人間らしい生活、ワクワクすると同時に少し寂しい生活を送っている」女子、そしてもういっぽうは「うらやましがられると同時に平凡だと充分に理解されてしまう生活を送っているようにみえる女子だ。グウィネス・パルトロウは、当然ながら後者である。彼女は常に、本当の自分をみせるのではなく、オシャレでありながら冒険しない消費者の姿を体現している」

この記事が公開された2015年、〈意識的なお別れ(conscious uncoupling)〉という言葉を生み出し、7日間フードスタンプ生活に挑戦して失敗し、ヴァギナのスチームトリートメント(約1万円)を普及しようとしていたグウィネスは、マッシーの主張を多かれ少なかれ証明していたといえるだろう。

しかし2019年、グウィネスは物事を混乱させることで、ついに自らの個性を伸ばすことに成功したようだ。蓋を開けてみたグウィネスは、すごく、相当面白かった。『ザ・ポリティシャン』で楽しそうに役を演じている彼女をみていると、かつてうっかりグウィネスを好きになりそうになった、2017年の期間限定バージョンの〈Goop〉第1号の表紙を思い出す。〈Earth to Gwyneth(ねえ、グウィネス)〉というコピーとともに、首の下からつま先まで、泥にまみれたグウィネスの写真が掲載されていたアレだ。まるで彼女自身が、健康業界におけるマリー・アントワネット、という自らの評判を知っているかのようだった。

おそらく、少し前から彼女は自分が周りの目にどれほど滑稽に映っているかを知っていたに違いない。そして後天的に身につけた知識や、年齢のおかげで、ついに最近、それをジョークに発展させることができるようになったのだ。映画界から追放され、万引きで社会から糾弾された(そこまでされる必要はなかったと思うが)ウィノナもカムバックした。『ストレンジャー・シングス』で、彼女はテレビ界においてもっとも愛される女優となった(それは2019年現在、〈映画界でもっとも愛される女優〉と同義である)。

『恋におちたシェイクスピア』は感傷に浸りすぎたしょうもない作品だったが、皮肉なことにアカデミー作品賞を獲得し、そして映画史の塵となった。この作品の、夢見心地で意気地のないヒロインを演じなかったことは、ウィノナの価値に何ら影響を与えていない。グウィネスもウィノナも、25歳から30歳頃の〈プレッピーVSゴス〉のような単純化、固定化されたイメージを脱却しているのだ。

有名人の両親の元に生まれ、アカデミー賞授賞式ではどピンクのドレスを着て、あまりに本気の涙を流し、翡翠の〈ヴァギナ・エッグ〉を販売し、ふたりの美しい子どもたちに、それぞれ果物と預言者の名前を付けたグウィネス・パルトロウに、私たちは共感できない。

「彼女は、善行を為すために地上に降りてきたファンキーな天使のような容姿をしている」と1996年の〈New York Magazine〉の「Star Is Bred」と題された人物紹介コーナーでナンシー・ジョー・セールスは書いた。「きっと服はAgnes Bで揃えるだろう」

グウィネスが取るべき最善の選択は、自分と一般人たちとの距離を強調することだ。それも面白く。「ファンキーな天使」というより、WASP星から来た宇宙人として。

『ザ・ポリティシャン』で登場する彼女は、幸福に満ち、すべてに無頓着で、Goopでみる彼女と同じであり、この数十年でもっとも魅力的だ。今なら、そもそもどうして彼女が人気女優の仲間入りをできたかを思い出すことも簡単だ。

彼女に必要だったのは、古くユーモアセンスに欠けた自分との〈意識的なお別れ〉だったのだ。

Tagged:
gwyneth paltrow
TMZ Theory