i-Dブック・クラブ:イ・ミンジン『パチンコ』

在日コリアン4世代の壮大なドラマに心を奪われる。

by Dean Kissick; translated by hiromitsu koiso
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07 May 2018, 5:34am

近ごろ韓国のカルチャーがヨーロッパや北米で盛り上がっている。Kポップからファッションに映画。小説だってある。ハン・ガンのどうしようもなく悲惨な小説『菜食主義者』は、2016年にブッカー国際賞を受賞したし、『少年が来る』もすでに翻訳されている。韓国系アメリカ人作家イ・ミンジン(Min Jin Lee)の第二長篇小説『パチンコ(Pachinko)』も、世に送り出されている。この小説は在日コリアン4世代の心を揺さぶる壮大なドラマだ。

物語の始まりは1910年代の日本占領下の釜山郊外にある漁村。ヤンジンがお見合い結婚し、娘のスンジャが生まれる。スンジャは16歳のときに年上の男とキノコを採りに森に出かけ、妊娠する。その相手の男は実は既婚者で、日本の大物ヤクザだった。しかしスンジャはその不貞による恥辱を免れる、いや少なくとも表沙汰にならずに済む。ある牧師に結婚を申し込まれ、日本の大阪へ連れて行かれたのだ。スンジャがヤクザとの間にもうけた男の子はノアで、牧師との間にもうけた男の子はモザス。そして、その一家と、一家を巡る人々の物語は500ページ以上も続く。イ・ミンジンは明快な文体で、20世紀にわたって小さな登場人物たちを雪だるま式に膨れ上がらせながら、ささやかな物語を複雑かつポリフォニック(多声的)にしてみせる。

まず、食と金を求める苦悩がある。その苦しみはやがて消え、2世以降はそれぞれの問題に悩まされる。「日本人になれたらいいのに」と願うノアは、「体内にある黒くて重い石のように、コリアンとしての出自」を抱えていく。ノアは常に自分が外国人として見られていることを知る。彼を護ろうとしている恋人からさえも。

「彼女は自分が両親となんら変わりないことを認めなかった。ノアを(善人であれ悪人であれ)コリアンとして見ることが、不埒なコリアンとして見ることになるのを認めなかった。彼女はノアの人間性が見えていなかった。ノアは自分が人として見られたがっているのに気がついた」

ノアの弟のモザスも国籍のことで悩まされていた。「ソウルでは、僕らはクソ日本人と呼ばれ、日本にいると大金を稼ごうが優しくしようが、ろくでもないコリアンっていう扱いを受ける。たまんないよ」。しかし彼は、コリアンでなく振る舞うことも、祖国を離れたおとなしくて謙虚で「優しいコリアン」を演じることにも関心がなかった。彼は愛国心というものを用心していた。「コリアンってだけで、なんで誇りをもたないといけないんだ?」

兄弟はパチンコ業界で働くことになる。タイトルになっている「パチンコ」とはギャンブルのマシンのことだ。無数の鋼球を落下させるタイプで、ピンボールやスロットに相当する(パチンコ屋に入ったことがないなら、それはいいことだ。店のドアを抜けるとすぐ、落下する球の不協和音、点滅する光、タバコの煙に襲われる)。この小説では、パチンコは「幸運と不運からなる孤独なゲーム、つまりバカなゲーム」とされているが、パチンコ屋は無情な都会にある癒しの空間でもある。

「プレーヤーたちが訪れるのは、言葉の交わされない静かで不気味な通りから逃れるためだ。妻が夫ではなく子と眠るような愛の消えた家から遠ざかるためであり、他人は押しても話してはいけない過熱した満員電車を避けるためだ。若い頃、ハルキはそこまでパチンコをしなかったのに、横浜に引っ越して以来ここに安らぎを見出すようになった」

あらゆるものが移り変わる。物語はうらびれた田舎から始まって、現代の腐敗した場へと移っていく。1974年の横浜(1979年の新宿や代々木公園で絡み合うカップルを写した吉行耕平の白黒写真を連想させる)で、アヤメは夜の公園でポリセクシャルに絡み合う男女に出くわす。1980年になると、ハナ(モサズの息子でソロモンの恋人)はソロモンとセックスの練習をすることを望み、そして退屈していても楽しそうに装うことを学ぶ。モラルのない金持ちを相手にするホステスとして六本木で働くためだ。

『パチンコ』は、人生はいくつもの選択(キノコ狩りに誰と行くか、女の子を弄ぶかどうか、大学の学費をどうやって工面するか)で進んでいくことを示し、その選択の結果が時代を超えて展開されていくさまを克明に描いている。物語は1989年で幕を閉じる。いまだに回復の目処が立たないバブル崩壊の数年前、出生率低下が問題になる前のことだ。1989年は裕仁天皇が崩御し昭和が終わった年でもあるが、イ・ミンジンがこの作品の着想を得た年でもあった。彼女がイェール大学に外部講師として招かれたとき、日本に住むコリアンの男子生徒が同級生にいじめられて校舎から投げ出されたという話を、ある宣教師から聞いたのだ。

朝鮮と日本は保守的な社会であり、恥という複雑な感情もある。この本では「恥」が時々モチーフのように扱われている。友人と家族とのすきまを落ちる無数のパチンコ玉のように。

「生きていれば何度も侮辱されるものだ。彼女は自分への侮辱を受け止めていかねばならなかったが、ソロモンの恥も引き受け、自分の恥の山に加えたいと思ったのだ。彼女はすでにその恥の山に埋れていたけれど」

物語の最初から最後まで登場人物はこんなことを願っている──自らの選択で恥を味わい苦しむことのないように、と。スンジャの義理の兄ヨーセブは、朝鮮半島の山中で虎に狙われた時代を懐かしんでいる。

「彼は人を苦しめてきた。生きねばならない理由も、当時は悪くない気がした決断のことを思い出さなければならない理由もわからなかった。大抵の人はこうなのだろうか? 彼はもう、母国にも日本にも怒っていなかった。何よりも、愚かな自分に怒っていた」

この物語は重苦しいにも関わらず高揚感がある。スンジャはこう回想する。「日々は過ぎて行くものだけど、美と輝きが揺らめく瞬間は、あの人の人生にもあったのだ。誰にも知られなくとも、それが真実だったのだ」。美が揺らめく瞬間は『パチンコ』のいたるところにある。親密なテーマもある。例えば、家族がバラバラにならないように守ること、語るべき時と黙っているべき時があること。そして、食べ物や土地、デパートの化粧品売り場の匂いがきっかけで、それらの思い出が蘇ること。

しかし、そのように一族を描きながらも、この時代小説は20世紀以降の最も重要なテーマに立ち向かっている。グローバリゼーション、経済移民、レイシズム、さらにズレの問題──宗教の衰退と資本主義の隆盛、女性の役割がゆるやかに変化する一方で目覚ましいスピードで現代化が進む保守的な社会を扱っている。

Pachinko is published by Apollo and out now

Credits


Text Dean Kissick

This article originally appeared on i-D UK.

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