レイヴデュオAltern 8:誕生と破綻の知られざる物語

レイヴ・シーンが生んだスーパースターAltern 8——快楽主義的な世界観で予期せぬ大ヒットを飛ばしたAltern 8の名声と不和の物語が明かされる。

by Ben Murphy
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17 November 2016, 6:00am

陽気なレイヴ・ミュージシャンのふたり組、Altern 8(オルタネイト)は、レイヴ快楽主義の典型となった。1990年から1993年にかけ、ミッドランズ地域のスタフォード出身のふたりは、サンプリングを多用して前代未聞のビートを作り出し、そこに独特のユーモアと反体制の姿勢を混ぜ合わせて、ハードコアシーンを席巻した。サンプリングの達人マーク・アーチャー(Mark Archer)とキーボーディストのクリス・ピート(Chris Peat)からなるAltern 8は、その底抜けに明るいスピリットでデトロイト・テクノと古き良きエレクトロやヒップホップを解釈し、そこにシンセサイザーのスタブサウンドを加えて、ふたりのトレードマークとなる独自のサウンドを確立した。

もうひとつのトレードマークは、ふたりの衣装だった。軍服の偶像性も顔真っ青といったふたりのユニフォームは、戦場で化学物質処理班が着るフルボディスーツとマスク。そこにAltern 8のロゴが配されていた。彼らは、かつて「危険」とすら称されていたシーンを"魅惑のコメディ音楽"へと変えた、蛍光色のレイヴ戦隊だった。

彼らがリリースしたEPやシングルの数々は、レイヴパーティやクラブで大きな反響を呼んだ。「Evapor 8」や「Activ 8」などはイギリスのチャートでトップ10入りするなどポップミュージック界でも受け入れられ、Altern 8はテレビ音楽番組『Top of the Pops』でもパフォーマンスを披露するなど、一時代を築いた。

プロディジーと並んで当時のレイヴ・シーンを率いたAltern 8は、「ハードコア・ミュージックの同義語」と言われるほどにまでその存在を高めた。その音楽性は新世代のミュージシャンたちに大きな影響を与え、TesselaからMella Deeに至るまで今日のシーンを席巻するプロデューサーを数多く生んだ。Altern 8生誕25周年となる今年、マーク・アーチャーがAltern 8時代の日々を綴った自伝『The Man Behind the Mask』のリリースが決まり、またリマスタリングされた『Full-On Mask Hysteria』が数々のリミックスと共に1枚のアルバムとして再発売されるなど、改めてその存在と音楽に評価が集まりそうだ。

マークはまた、ポスト・ヒューマンとしてアシッドハウスを手掛けるジョッシュ・ドハーティ(Josh Doherty)とともにAltern 8を再結成。マークに、ハードコア時代の思い出や、再評価されるレイヴミュージックについて聞いた。

——なぜ『Full-On Mask Hysteria』の再リリースをしようと思ったのでしょうか?
「リリースすべきと感じた」のと「世間的にオールドスクールなものへの興味が高まっているから」両方だね。今、あらゆるスタイルにオールドスクールなものの要素が見られる。Boiler Roomで18歳の観客を前にセットを披露しても、すごく盛り上がる。25年前の音楽が、現在でもクラブで人々に訴えかける力を持っているなんて素晴らしいよね。信じられない。

——当時のレイヴミュージックをリアルタイムで体験していない若い世代が、今この音楽に興味を示しているのは、彼らの好奇心からなのでしょうか?
あの音楽は、いま世界でもてはやされている音楽とは全く異質のものだからね。レイヴミュージックを聴いて育った世代が俺のプレイを聴きに来てくれたり、俺と同年代のやつらが今でもギグに来てくれたりもする。そしてそういった奴らの弟妹たちの世代——当時はまだクラブやパーティに出入りするには若すぎた奴らは、当時もレコードは買ってくれてたりしたんだよね。そこに、レイヴミュージックなんか聞いたこともなかったまったく新しい世代のクラバーたちが大勢、俺のギグに来てくれるようになってきている。先日もBoiler Roomで、若い女の子が俺のところに来て「この音楽、何?どこで買える?」って訊いてきたよ。

——近年の音楽には欠けているバイタリティが、レイヴミュージックにはあるのでしょうか?
当時、レイヴ・アシッド・ハウスはまったく新しいシーンで、ドラッグも出てきたりして——あれは誰もがみんな陶酔していたシーンだったんだよね。外の世界はクソみたいなもんで、それから解放される空間だったんだ。レイヴミュージックはそれを反映していた。今の音楽とは真逆のものがあったんだ。今の音楽には、宙に手をあげたくなるような要素なんて全くないもんね。

——Altern 8はどのようにして生まれたのでしょうか?
Altern 8の前身Nexus 21は、俺がもともとデトロイト・テクノをやりたくて始めたものだったんだ。でもスタジオ入りしてみると、それまでバーミンガム周辺で体験してきてたレイヴの影響が、俺の音楽に湧き出してきた。Nexus 21でやっていたようなサウンドではあったけど、ブレイクビーツやアシッドやなんかが加わったサウンドでね。俺たちのレーベルNetworkのやつらは、「俺たちはすごく好きだけど、レイヴファンたちは憤慨するんじゃないだろうか。サイドプロジェクトとしてやったらどうだろう?」って提案してきた。スタジオパートナーのクリス・ピートは、学校でAlien 8(エイリアネイト)っていうバンドをやっていたことがあって、そこから取って「エイリアネイトって名前にする」って言ったんだ。レコーディングを終えて音源ができあがったら、レーベルはプロモ素材を作る段階をすっ飛ばして販売用レコードを量産した。でも、出来上がって俺たちのもとに届いたレコードを見ると、グループ名が『Altern 8』となってた。「名前が間違ってる」って言ったんだけど、Networkのやつらは「もう手遅れだな」と……それで、そのままAltern 8で定着したんだ。

——フェイスマスクとボイラースーツというユニフォームはどんな経緯で?
Altern 8はすべてが偶然からできあがっているんだよ。始まりから、スタジオでのレコーディングまでね。サイドプロジェクトなんて考えてもみなかったことだし。名前も偶然からだし。最初にリリースしたEPだって、収録されているのが8曲。といっても、曲名に「8」が入ったトラックはなかった。アルバム『Infilt 8』でも、最後の最後で「8」が入ってない。『Activ 8』を作ったあたりでやっと「なあ、曲のタイトルの最後に8を入れようぜ」ってことになったんだ。

イメージはNexus 21でのものとまったく同じだった。1990年末から1991年初頭までずっとWarp Recordsのアーティストたちとツアーで回っていて、Rhythmatic、LFO、Nightmares on Wax、そして俺たちNexus 21で、コヴェントリーのEclipseでプレイしていたんだ。Nexus 21として、同じキーボードのセットアップと同じドラムマシーンでプレイしていたんだけど、Altern 8としては、Eclipseから「PAをやってくれ」って頼まれたんだ。「先月ここでプレイしてたNexus 21と同じやつらじゃねえか」って観客が怒るんじゃないかと思って、だから違うグループに見えるような格好をしようって話になった。その頃、俺の弟がRAFにいて「なんか着れるものねえかな?」って訊いたら、「NBCスーツが2着あるよ」と。着てみたら、まず蛍光のアシッドハウス感が気に入ったんだ。それで、マスクにも蛍光スプレーでペイントをした。スーツの袖部分には、化学物質が近くにあると色が変わるかなにかする化学反応パッチを入れる小さなポケットがあって、そこに「8」とペイントした。あのスタイルが出来上がったのはそんな経緯だった。

当初は「Eclipseでギグをやったらそれで終わり」って思っていたんだ。「もうこの衣装も着ることないな」ってね。あのスーツはクラブ向きじゃなかったから——クラブの中は暑くなるだろ?でも、あのスーツが俺たちの代名詞みたいになった。「Altern 8のふたりは人間じゃない」っていう浮世離れした宇宙人的なイメージが定着したんだ。普段着でしか会ったことがない知り合いに初めてスーツ姿を見せたりすると驚かれたりするだろ?あの感じ——まったく別のパーソナリティができあがったんだ。

——その変身願望のようなものが楽しかったとか?
俺はもともとシャイだから、ああやって顔を完全に隠せるというのはありがたかったね。あのスーツを着ることで破天荒になれた。破天荒な反体制の姿勢に、シーンは熱狂したんだ。あの『Top of the Pops』で、「Rushing!」だの、3歳の女の子が「Top on, nice one, get sorted」って囁いたりする『Activ 8』をプレイしたんだからね。そんな曲がUKチャートで3位だったんだから、良い時代だったよ。

Vicksのことも忘れられないな。『Top of the Pops』で、俺は風邪薬のVicksを瓶ごと持ってパフォーマンスしたんだ。エクスタシーの効果を増大させるってことでレイヴ・シーンでは誰もが使っていたんだけど、それをテレビで観てたレイヴァーたちは大喜びだったよ。「BBCは、Vicksが何のために使われているかまったく分かってないんだろうな!」ってね。俺の予想通り、レイヴァーたちには大盛況だったよ。

——あれよあれよという間に『Top of the Pops』に出演するまでに至ったというのは、どんな気分でしたか?
有頂天だよ。昔から大好きな番組だったからね。初めてムーンウォークを見たのも、ティナ・ターナーの圧巻のパフォーマンスを初めて見たのもあの番組だった。シェールとは同じ日の出演で、カート・コバーンにもあの番組で会った。「カートに会った」ってことが俺の一番の自慢になった。俺たちがまだ23歳のころの話だよ。

——当時のライブ・パフォーマンスについて聞かせてください。
Altern 8ではライブ・パフォーマンスはしてなかったんだ。あの音を作るためにはかなりの数のサンプラーが必要で、それはライブでは再現不可能なものだったからさ。限られた台数のサンプラーでやっても薄っぺらなサウンドになるのは目に見えてた。だからスピーカーには繋いでないキーボードをふたつ置いて、弾いてるフリをしながら歌っていたよ。カラオケみたいなもんだよね。

——もっとも印象に残っている"ライブ"パフォーマンスは?
ダービーのドニントン公園でやった最初の大規模なギグかな。脱法レイヴパーティを開いていたAmnesia Houseの依頼でやったものだったと思う。大きめのクラブでのプレイはそれなりにやっていたけど、あそこまで巨大なスペースでやったことはなかったんだ。客数は2万人ぐらいだった。PA半ばで、突然気づいたんだ——「俺たちのこのサウンドで20,000人の聴衆が踊り狂ってるんだ」ってね。

——どのようなインスピレーションからAltern 8の音楽は作られたのですか?
『The Man Behind the Mask』っていう本を書いたんだけど、そのなかで、エレクトロから誕生間もないハウス、その後のアシッドハウスまで、当時俺が夢中になっていた音楽について書いたんだ。昔のエレクトロ、特にEgyptian Loverの音をよくサンプリングしていたよ。Altern 8には、俺が受けた影響が詰め込まれてる。ニューヨークやベルギーのサウンドから、たくさんのサンプリングブレイクやスタブノイズを拝借したんだ。聞き覚えのある音世界を作り出したくて、数年前の曲からたくさんのサンプリングをした。

初めて聴いても気づかないけど、2-3度目に聴くと「あの曲だ!」って気づくメロディがある。「どっかで聴いたことがある曲だ!」ってね。それをきっかけにハマったりするだろ?そんなサウンドを意図的に作ろうと思って作ったんだ。

——そういった曲をサンプリングするという裏には、それらあなたが好きだった曲へのトリビュートのような気持ちもあったのでしょうか?それとも、それらの曲をあなたの作品として解釈しなおしたということなのでしょうか?
1991年、音楽の世界は急激な変化を迎えていたんだ。1989年の曲はあまりに古臭く聞こえて、クラブでプレイできなかった。いま10年前の曲をプレイしてもそれほど違和感がないのは、この10年で音楽がそれほど劇的には変化してないから。あの頃はどんどん新しい才能が世に出てきて、2-3年前の曲すら「オールドスクール」に聞こえたものだった。

——『Activ 8』では子供の声で「Top one, nice one, get sorted」という音源がサンプリングされていますが、あれはどこから?
Networkのボス、ニール・ラッシュトン(Neil Rushton)の娘の声だよ。プロディジーが「Charly」で子供の喋り声を使ってるのを聴いて、「俺たちもやろうぜ」ってことになってね。3歳の子供にあのフレーズを喋らせようと、ずいぶん苦心したよ。

——オリジナルのハウスに傾倒していた人々からひどい仕打ちを受けたりしましたか?
ハウスだけじゃなく、音楽メディア全体から白い目で見られていたよ。レイヴのシーンがどんどん拡大していって、誰にも無視できない大きな流れになってきていた91年、突然、分裂が起こったんだ。

プレイをする予定のクラブに着くと、レザーのパンツを履いているような奴らがプログレッシブハウスをプレイしてたりして、俺たちは「なんか違わねえか?」って思った。何かが変わったんだ。ニット帽をかぶって気取った奴らがシーンにのさばりはじめてね。1年前には、みんな同じ屋根の下で踊り狂ってたのにさ。
93年には批判まで沸き起こり始めた。そこでもうAltern 8を辞めようって決めたんだ。死にかけの馬のケツを叩いて走り続けてもしょうがない。どうせ辞めるなら、絶頂のうちに辞めることにした。残念ながら、クリスと俺ももう一緒に活動してなかったしね。

——何があったんですか?今は仲良くしているんですよね?
俺が単体で違うプロジェクトを色々とやり始めてたんだ。Altern 8とは違う、ジャングル系をやったり、Xen Mantraって名前でハウス系をやったりとね。それが93年ごろだった。Xen Mantraとしてトラックをリリースして、当時Golden Stokeのレジデント・アーティストだったピート・ブロムリー(Pete Bromley)にリミックスをやってもらったりしてたんだけど、ピートがそれを毎週クラブでかけ続けてくれて、そのクラブのアンセム的な曲になったんだ。トラックのリリース自体は小規模だったものの、ピートのおかげで大きなヒットになってね。それでギャラまでもらったんだ。Altern 8でもNexus 21でも、クリスと俺どちらがどれだけひとりでトラックを作っても、ギャラは折半だった。Xen Mantraのトラックがヒットしたとき、あれは俺が全部ひとりで作り上げた曲だったのに、そのギャラの半額をクリスが主張して、口論になった。クリスが「払わないならお前を訴える」って言ったとき以来、あいつには会ってない。

——あなたは今、マーク・アーチャーの名でDJとしての活動を繰り広げるかたわら、Post HumanのジョッシュとともにAltern 8として再びプレイしているわけですが、元はクリスとあなたがあっての「Altern 8」を名乗っているからには、クリスとの関係修復があったのでしょうか?
クリスは、代理人を立ててまで俺を脅迫しにかかってたんだ。「Altern 8の名を即刻使用中止するように」ってね。だから使うのをやめて、俺はキャリアを初めから立て直さなきゃならなかった。そこに2013年、Facebookで誰かが「『Activ 8』をまたチャートに」って運動を起こしたんだ。そこで、あの曲をiTunesで購入可能にするため、レーベルと話をした。するとNetworkのボスはこう言ったんだ。「忘れてもらっちゃ困る。Altern 8って名前は俺たちがつけたんだぜ。名前に関して権利を有しているのはNetworkだ。そのNetworkは、クリスにもお前にもAltern 8の名前に関して同等の権利を授ける。お前がAltern 8の名を使いたければ、使いたいだけ使え」ってね。

Credits


Text Ben Murphy
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.

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