『ハッピーエンド』ミヒャエル・ハネケ監督interview

巨匠ミヒャエル・ハネケ5年ぶりの新作は、移民問題とSNSを背景に、現代社会が抱える「他人への無関心」をあぶり出す衝撃作。監督がメディアの中立性や本作での試み、スマホカメラの可能性を語る。

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01 March 2018, 8:17am

前作『愛、アムール』から5年、『ファニーゲーム』『白いリボン』を世に送り出した巨匠ミヒャエル・ハネケによる最新作『ハッピーエンド』が2018年3月3日から全国で公開される。

皮肉たっぷりのタイトルを持つ本作は、ソーシャルメディアや移民問題といった今日的な事象を扱いながら、利己主義や他者への無関心といった現代社会の偽善を浮き彫りにしていく。

二世代にわたって建築業を営むロラン家は、フランスのカレーにある瀟洒な邸宅で何不自由ない暮らしをしている。家長のジョルジュはすでにリタイアし、家業の経営は娘のアンヌ(イザベル・ユペール)の手に委ねられている。この三世帯、6人からなる家族に、ある日、13歳の少女エヴが加わることに。エヴは、アンヌの弟トマと彼の前妻のあいだに生まれた子で、母親と二人で暮らしていたが、“ある事情”によって薬物中毒に陥った母親が入院したのを機に、父親が住むロラン家に身を寄せることになったのだった。

家族に蔓延するディスコミュニケーション、つながりを求めた先に広がるSNSの闇。果たして彼らに“ハッピーエンド”は訪れるのか?

本作でカンヌを衝撃の渦に巻き込んだミヒャエル・ハネケが、メディアの中立性、移民やソーシャルメディアを映画の中で扱う理由、映画づくりの民主化を語る。

©2017 LES FILMS DU LOSANGE - X FILME CREATIVE POOL Entertainment GmbH – WEGA FILM – ARTE FRANCE CINEMA - FRANCE 3 CINEMA - WESTDEUTSCHER RUNDFUNK - BAYERISCHER RUNDFUNK – ARTE - ORF Tous droits réservés

——本作で新しくチャレンジしたことがあれば教えてください。
「今回挑戦したのは、より間接的に語るということです。示唆をなるべく控えて、観客の想像力を刺激するように努めました。ストーリーを語る際には、何を言うかよりも何を言わないかの方が大事だと思います。語っていないことは、観る人の頭の中で生まれますから」

——本作には、Snapchatでライブ配信しているスマホの画面や、SNSで会話しているパソコンの画面が何度も出てきます。
「現代を生きていく上でソーシャルメディアは避けて通れないと思っています。私自身もこの時代に生きているわけで、それらを無視して物語は語れない。そういう時代だと思います。2作目の『ベニーズ・ビデオ』でも同じようにメディアを扱いました。私は常にそういうものに対して取り組んできたつもりです」

——ロラン家の中でも、ネットとの関わり合いはそれぞれです。家族の中で一番年少のエヴはどんなものでも悪びれることなくライブ配信していますよね。
「エヴは12-13歳の設定なのですが、彼女は大人とはまた違ったメディアとの付き合い方をしています。それは意図したわけではなくて、現実を忠実に描こうとしたらそうなったということですが……。私がこの映画を通して投げかけている問いは、エヴがなぜそうしたことを投稿するのか、しなくてはいけなかったのかということです」

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——一方、エヴの父親であるトマは家族に隠れてチャットをしています。現実とSNSとで別の顔を持っているという状況は珍しいことではなくて、ペルソナを使い分けている人は実際に少なからずいますよね。SNSが生み出すペルソナについてはどう思われますか?
「現実とSNSの乖離については、私が云々言うことではないと思います。メディアというのは中立的なものだからです。ビデオでも、携帯電話でも、パソコンでも、それが良いものになるか悪いものになるかは使い方次第です。鉛筆だってそうですよね。それで良い文章を書くか、悪い文章を書くかはその人次第ですから」

——舞台はカレーですが、それはどれほど必然だったのでしょうか? どの段階で決まったのでしょうか?
「カレーではなくてはいけなかったというわけではありません。フランスになったのは、ジャン=ルイ・トランティニャンと映画を撮りたかったからです。それがきっかけでした。プロデューサーがフランス人だったということもあります。そしてカレーを選んだ理由ですが、そこがフランスの中で一番、移民の問題で有名だったからです」

——移民はそれとわかるかたちで登場しますが、決して物語の本筋に絡んでくることはありません。それはなぜでしょうか?
「それはやはり移民が主題ではないからです。私は、他者を無視するような、非常に利己主義的なものをテーマに据えていました。他者——つまり家族や隣人、あるいは社会におけるよそ者——に対してとる態度を。社会の中で移民はあまり好ましいと思われていない、面倒がられている存在です。現実を自然に描いているわけですから、映画の中でもそうした存在として現れているのです」

——移民のグループは2度登場して、どちらのシーンでも喋っています。しかし、いずれも口を動かしているのが見えるだけで、彼らの喋り声は一度も聴こえません。
「それは、移民や難民の人たちが、私たちの社会の中で声を持っていない存在だからです。彼らは聞き入れてもらえないのです」

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——先ほど「他者」という話がありましたが、ロラン家は、家族の内と外を明確に別けています。それが二度の食事、ディナーと誕生日会のシーンによく現れていると思いました。
「ロラン家だけでなく、人間は誰しも内なる顔と外向きの顔を持っていると思います。正直でいたいと思っていても嘘をつかざるを得ない局面があり、あるいは社会がうまく回るための嘘というのがある。人は本当のことだけを言って生きていたいと思うものですが、やはりそれは幻影で、実現することはできません。例えば、付き合っている人に対して思っていることをすべて言うかというとそうではないですよね。社会も同じで、みんな様々な顔を持って生きているということです」

——今は誰もがスマホというカメラを持っていて、身の回りで起こっている事件を報道したり、工夫次第では映画も撮れますよね。このような環境についてはどう思われますか?
「昔だったら映画を作るためには学校に行かなくてはならず、お金が必要でした。ですが今は誰でもそうやって映画を撮れる。それは映画制作の民主化が進んだということでもあります。環境やお金がなくても、アイデアと意志があれば誰にでもチャンスがある。そこではもちろん質の悪い作品が沢山出てくるわけですが、中には良い作品もあるだろうし、なにより才能の発掘につながります。ですから、この動きはすごく良いことだと思っています」

ハッピーエンド』3月3日(土)より、角川シネマ有楽町ほか全国ロードショー