All clothing (worn throughout) Prada, featuring artwork by Peter De Potter.

ラフ・シモンズ × ウィリー・ヴァンデルペール × オリヴィエ・リッツォが語る、青春時代と永遠のユース・スピリット

Pradaのデザイナー、フォトグラファー、スタイリストの3人が、90年代のパンクからミウッチャとの仕事まで、長きにわたるコラボレーションについて語り合う。

by Osman Ahmed; translated by Nozomi Otaki
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17 March 2021, 5:45am

All clothing (worn throughout) Prada, featuring artwork by Peter De Potter.

この記事はi-D Utopia in Dystopia Issue, no. 362に掲載されたものです。注文はこちらから。

 どの世代にも、クリエイティビティを通して意気投合し、全世界に影響を与える仲間たちがいる。デザイナーのラフ・シモンズ、フォトグラファーのウィリー・ヴァンデルペール、スタイリストのオリヴィエ・リッツォが出会ったのは、彼らがまだ無名の学生時代だった。

 ファッションと音楽に心を奪われ、ベルギーの小さな町からアントワープへやってきた3人は、伝説的なデザイナー6人衆〈アントワープ・シックス〉やマルタン・マルジェラの華々しい活躍の陰で、ひっそりと暮らしていた。自らが彼らに匹敵する影響をファッションデザインやイメージに与えることになるとは、まだ知る由もなかった。

 ラフのブランドは現代のメンズウェアのシルエットを問い直し、再考したことで、マンチェスターやロッテルダム、キエフやパリでもアントワープと同じくらい馴染む、新たな美学に基づくヴィジョンを生み出した。それは倉庫のレイヴ、選挙権の剥奪、戦後の住宅団地、カトリック系学校の男子学生の制服、ゴシック・ロック、無秩序、パンク、ニュー・ウェイヴ、Kraftwerk、バウハウスの建築などだ。

 ウィリーとオリヴィエは最初期からラフのクリエイションに携わり、彼のファッションでお馴染みのイメージを制作してきた。展覧会〈THE FOURTH SEX〉のカタログ表紙を飾ったロビー・スネルダーズの顔に描かれたミッキーマウスや、彼の直線的な体を包み込むくたびれたラフのフーディと制服のようなブレザーから、昨年i-D40周年を記念して再現された2001年のi-D magazineのアイコニックな表紙まで、すべてこの3人が手がけている。

この3人のアウトサイダーは長年にわたり、彼らのイメージを通して世界的なメゾン、ひいてはファッション全体を形づくってきた。昨年、ラフは前代未聞の指名を受け、Pradaの共同クリエイティブディレクターに就任。ウィリー、オリヴィエとともに、ミウッチャのもとでこのイタリアブランドの唯一無二のアイデンティティに取り組むこととなる。

 ラフはJil Sander、Dior、Calvin Kleinでも活躍してきたが、Pradaに集結した3人は、まさに最高のトリオだ。アートへの関心やデザインへの偏執的なまでのこだわりなど、彼の聡明な波長は、ミウッチャにも通じている。世代から国籍、ジェンダー、性格までことごとく異なるにもかかわらず、ふたりのアーティストとしてのデザインへのアプローチは不思議と似通っている。

 いっぽう、ラフの〈兄弟〉であるウィリーとオリヴィエは、世代も国籍もジェンダーも性格も、すべて彼と同じだ。今回、史上初となる3人のインタビューで、彼らの駆け出し時代、3人に共通する情熱、永遠のユース・スピリット、ラフによるPradaのデビューコレクションについて語ってもらった。

 ──休暇中にお時間をいただき、ありがとうございます。今はアントワープにいるんですよね?

 ウィリー(以下W):この家からラフがいる場所までは200メートルくらいじゃないかな。

 ──まずはみなさんについて語るには欠かせない、この街の話から始めたいと思います。3人の出会いを覚えていますか?

 ラフ(以下R):オリヴィエとウィリーとは同時に会ったわけじゃないんだ。オリヴィエに会ったとき僕はまだ学生で、インダストリアルデザインコースの3年目だった。4年生になる前にインターンをやらなくてはいけなくて、Walter Van Beirendonckに行くことになった。学校の意向には反していたけどね。

 僕の勘違いじゃなければ、オリヴィエが(アントワープ王立芸術)アカデミーに入る前だったと思う。確かその前の年にアートのコースを取るためにアントワープに来て、アカデミーに入る直前だったんじゃないかな。1989年の7月か8月だね。ウィリーに会ったのはその2、3年後だった。

 W:3人のなかで、僕が最年少なんだ。

 R:オリヴィエなら当時のことをよく覚えてると思う。何でも覚えてるから。写真記憶があるんだ。

 O:はっきり覚えてるよ。1989年の8月1日だった。Walter Van Beirendonckのインターンを始めたばかりの学生で集まってた。ラフ、マルリース・デッカー、ピーター・デ・ポッター、僕……。初日が終わってから、夜にみんなで飲みに出かけた。

 アントワープはテラスがたくさんあって、あの夏は気候も最高だったから、みんな外で飲んでたんだ。僕たちはすぐに打ち解けた。みんなすごく気さくな人たちだった。最初の数週間は長い時間をかけていろんな話をした。

 会って2ヶ月くらい経った頃に、僕はアカデミーに通い始めた。その初日にウィリーに会ったんだ。ラフは自分の学校に戻っていった。それから連絡は取っていたけど、最初の数年はそこまで頻繁ではなかったかな。

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 R:しかも携帯とかそういうものはまだない時代だからね。連絡を取る手段はなかった。僕はベルギーの反対側の学校に戻らなくちゃいけなくて。ロンドンに住んでたら信じられないかもだけど、あの頃のベルギーでは、1時間以上離れたところに住んでいる相手にはなかなか会う機会はなかった。

 卒業してちょっと経ってから就職して、アントワープに引っ越した。ふたりとの距離が一気に縮まったのはその頃かな。毎年年度の終わりに卒業ショーがあって、最後のコレクションを披露するんだけど……。「あとは君たちに任せた」って感じで。

 O:(笑)そうだね、1992年から1993年のあいだだった。僕は最終学年で、卒業の準備をしてた。ウィリーは写真専攻だったから、僕のコレクションを学校で撮影したりしてくれて。ゆっくりだけど確実に卒業ショーは近づいていた。それで……。

 W:あんまり詳しくは話さないで!

 O:(笑)わかったわかった、やめるよ。1993年6月の素晴らしい想い出、とだけ言っておこう。

 R:今思い出したんだけど、卒業後にアカデミーの学長だったリンダ・ロッパに会った。僕は家具デザイン専攻で、彼女も家具に興味があったから、よく会っていたんだ。その年にオリヴィエの卒業コレクションを見て、衝撃を受けた。今でも言葉にならないくらい。あんまり知ってるひとは多くないと思うんだけど、本当に衝撃的だったんだ。

 観客に混ざってリンダの隣に立って、アカデミーの学生のコレクションを見ていたら、オリヴィエのコレクションが発表されて、完全に打ちのめされたよ。僕はインダストリアルデザインなんか勉強して何がしたかったんだ? もういい、ファッションをやろう、って思ったんだ。

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R:ウォルター(・ヴァン・ベイレンドンク)の誘いでパリに行って彼のショーを手伝ったのが、僕が見た初めてのファッションショーだった、というエピソードはみんな知ってると思うけど、気持ち的に、ファッションデザイナーになりたいと思ったきっかけは、あのオリヴィエの卒業ショーを見た瞬間だった。舞台裏で会ったとき、僕はかなり挙動不審だったと思う。

 あのあと一緒に街に出かけたりするようになったんだよね。仕事とか人生でやりたいことを探るために、毎晩3時か4時までいろんなカフェやテラスで話してた。もっと遅いこともあったかも。あるテラスにいたとき、ウィリーが加わったんだ。よく覚えてるよ。

 W:僕も覚えてる。アート系の学生やアーティストが集まる有名なカフェだった。最高の店なんだ。よくある若い学生が飲みにいくバーなんだけど、あの店の良いところは、60歳のアーティストが18歳の学生と話してたりすること。昔も今もずっとそんな場所なんだ。若者とお年寄りが一堂に会してクリエイティブな話を共有し合い、思い切り酔っ払う。

 ラフとオリヴィエは、いつも大聖堂の壁側のテーブルに座っていた。座ってるふたりに「やあ、元気?」と声をかけたんだよね。ラフが自己紹介してくれたけど、オリヴィエとの会話から彼のことは少しだけ知っていた。あの夜、僕はほとんど話さなかったと思う。 ラフがすごく魅力的な青年だったから、興味が湧いたんだ。

 R:“だった”ね。それはどうも!

 W:彼はめちゃくちゃおしゃれだった。当時の僕たちの仲間は、みんな見た目を磨いたり、全身着飾ることに夢中だった。僕は彼のペルソナにすごく興味を惹かれた。みんなには意外だと思われるかもしれないけど、僕はすごく内気なんだ。大勢が集まる場はあまり得意じゃない。だから人とは距離を置いてた。僕がひと言も話さないからラフは笑ってたよね。

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Aäron Roggeman: Actor, Belgium

R:その通りだよ。最初に君に会ったときは、ひと言も発していなかったと思う。あの頃の君は本当に内気だった……。あの頃は、ね。 (全員爆笑)

 あるとき突然、この街はファッションの中心になったんだけど、いわゆる今時のファッショナブルな街のイメージとは全然違った。例の6人のデザイナーや彼らに続く人たちが登場するまでは、地元のファッションなんてほぼなかった。でも、あの世代から確固たる地位を築いたデザイナーが生まれた。あの頃僕たちがつるんでた人たちは、ほとんどアカデミー出身だった。みんな後に続こう的なムードがあったんだ。

 僕たちはとにかくファッションに夢中で、取り憑かれていた。このシーンに関することだけじゃない。変な話だけど、僕はシーンらしいシーンというものが存在したとは思えないんだ。強い絆で結ばれたグループはたくさんあったけど、ひとつの大きなシーンという感じではなかった。複雑なシーンは最初からではなく、後になってから生まれたんだ。この街にデザイナーが増えすぎて、どんどん複雑になっていった。

 O:アントワープに来たことがあるなら、ここが本当は村だってことがわかるはず。すごく小さい。ファッションの中心地に住んでいるなんて変な感じがしたよ。当時のアントワープは大注目を浴びていた。でも、ラフが言ったように、そういうデザイナーたちのことはみんな知っていた。アカデミーで学んで、彼らに興味を持っていたからね。

ここは特に魅力的な街でもなく、彼らは街なかで出くわす人たちと何も変わらなかった。でも、ファッションの世界にいる僕たちにとっては、ロックスターみたいな存在だった。僕たちはみんな、彼らから影響を受け、触発されてきた。ベルギーのような小さな国の、アントワープのような小さな村出身でも、世界を舞台に活躍できるんだ、って。

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Tijmen Govaerts: Actor, Belgium

R:毎日一緒にいた仲間のなかには、すでにアントワープ・シックスの誰かのアシスタントになっているひともいた。波が来てる感じはしたけど、僕に特に計画はなかった。僕たちはただ、すごく仲の良い若者グループにすぎなかった。当時会っていたなかには、もう顔を合わせないひともいる。

 でも、僕たち3人は……。確かなのは、僕たちが本物の家族で、兄弟だということ。でも当時を振り返ってみると、何よりも僕の背中を押してくれたのは数人の仲間だった。本音を言えば、僕はひとりで始めたくはなかったんだ。少人数で始めたかった。でも誰も一緒にやってくれなかったから、ひとりで始めたんだ。

 O:あるとき数人の若者が出会い、友達になり、点と点が線でつながっていく、そんな感じだった。午後から翌朝まで一緒に過ごしたりね。もうこれ以上話すことはないくらい。とにかく話題が尽きなくて、何年でも何十年でも話し続けられそうだった。音楽やアートに関することなら何でも共有し合ってた。それでみんなのセンス、感情、感性がどんどん近づいていったんだ。

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Gilles Van Hecke: Actor, Belgium

──そういう大切な想い出によって育まれたものもあると思いますが、文化や世代もあなた方の共通点ですよね。年齢も近いし、出身地も同じです。これまでの体験や世界観に関しても似ている部分があると思いますか?

 R:僕らは出会う前からそれぞれ夢中になっていたものがあった。デニムショーツ、ニュービート、ニュー・ウェイヴ、おおざっぱに言えば80年代の音楽全般、グランジ……。僕は映画『クリスチーネ・F』に夢中だった。デヴィッド・ボウイやベルリンのムーブメント全般にも関わる作品だ。僕らがこの作品について話す前から、オリヴィエのコレクションにも登場してた。知り合う前から共通点はたくさんあったよ。

 W:他人に影響されたり、逆に影響を与えたりすることはあるけど、そのためにはまず自分の〈核〉を持たないと。それは他の人たちを惹きつけるものでないといけない。

 同じような考えを持つひとはたくさんいるけど、僕たちを結び付けたのは何よりも、僕らがそれぞれ自分の中で育んできた、共通のものに対する興味だった。それも、僕らが育ったような小さな町では簡単に手に入らないようなものへの興味。そういうもののおかげで距離が縮まっていった。

 R:3人のあいだでいつも話題に挙がっていたもののひとつが、i-D magazineだった。すごく頻繁にね。まだ学生だった頃に注目していた人たちの作品が色々載っていたから。フォトグラファーやスタイリング、モデル、雑誌の雰囲気が、今の僕たちを形づくる要素になったんだ。これまでとは一線を画するエディトリアルで、僕たちは心から共感したし、いつも話題にしていたよ。

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Martha Canga Antonio: Actress, Belgium

O:質問に戻るけど、僕たちを結び付けたのは〈情熱〉だった。情熱という言葉は僕たちの友情におけるキーワードだと思う。僕たちは3人とも、異常なほど大きな情熱を持っているんだ。まず、3人の情熱の対象は重なる部分がとても大きくて、しかもそれはあらゆる方向に向かっていた。ファッションか出版物か、それとも音楽?

 子ども時代に70年代を、十代に80年代を、20歳前後に90年代初めを経験した世代は、あまりに短い期間で多くの特徴的な変化を経てきた。僕たちが若い頃に受けた影響が、何かに熱中した瞬間に形になる……。ずっとそんな感じだったし、今もそう。

 ──個人的に、あなた方の作品の特徴は永遠のユース・スピリットで、全ての作品に共通するテーマだと思います。ユースカルチャーへの情熱について、それが年を重ねるにつれてどう変化してきたのか教えてください。

 W:ユースカルチャーの美点は、絶えず変わり続けること。いつの時代にもインスピレーションを与えてくれる。もちろん、自分自身の青春時代を振り返ることもある。自分たちのあらゆるクリエイティブな活動には、常に自伝的な要素があった。それこそが今いる場所へと自分を押し進めてくれるものだから。それに逆らいたくなることもあれば、受け入れることも、今という時代に置き換えてみたくなることもあるかもしれない。

 青春時代というものがインスピレーションに満ちているのは、人生の中で最も儚い時間だから。一瞬で消え去ってしまう。それが青春の素晴らしさなんだ。

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R:僕は、大切なのは心の持ちようだと思う。青春時代の定義はとてもたくさんある。でも僕にとっては、もっと……僕たち3人には自然な……英語で何と言うのかわからないけど、若くないことに屈しない、というか……。僕たちはみんなすごく若い頃から仕事を始めて、業界の中ですぐに成熟したプロフェッショナルになった。まだほんの若造に過ぎなかったのにね。そう考えると面白い。

 それから30年経って、そういうことはあまり意識しなくなった。僕たちは今も変わってない。仕事にまつわる責任や、しっかりと決められた、規則的な生活の次に──これを言うのはちょっと恥ずかしいんだけど──今でも3人で集まると、あの頃のような感じがするんだ。僕たちは今でも若者になれる。そういうマインドは70歳になっても持っていたいね。

 青春が僕たちを表す唯一の言葉とは思わないから、それについて話すのはなかなか難しい。ユース・スピリットというものは、どちらかといえば僕たちに生まれつき備わっているものだから。

 O:僕たちの世代は、成長することに抗った最初の世代といえると思う。年をとることじゃなくて、成長することにね。それは他にもいろんな作品に見られる特徴じゃないかな。

 R:それは僕たちが何かを操作したいとか強制したい、ということではないんだ。どんなにこの言葉を分析してみても、15歳から25歳のあいだじゃなければ、言葉の定義上〈若く〉はない。僕たちはみんな成熟した大人だ。個人的にもっと重要なのは、さっき言った理由で青春時代の大切さを認識し、理解すること。

 青春時代は、よりナイーブに物事が形成される時期。青春時代の興味深いところは何かと訊かれたら、すべてと答えるよ。ユースという言葉のすべてに共感、賛同できるかどうかは重要じゃない。そこまで掘り下げると、ちょっと複雑すぎる。

 これは僕が仕事を始めてからずっと言い続けていることなんだ。若い頃は、自分の周りの人たちがみんな同じ年頃なのには気づいていたけれど、年上の人も何人かいた。そのひとりがリンダ・ロッパで、会話の中のジェネレーションギャップはとても興味深かった。緊張感もあるけど、興味をそそられて、刺激的で、同意もあれば反発もあり、学びもある。それは今も変わってない。それが僕とユースとの関わり方、繋がり方ともいえる。そういう要素がすべて融合している。

〈認識〉というのもちょっと違う。世代を超えた対話はすごく重要だ。それこそが繋がりというものだと思う。若者が僕たちの作品に夢中になってくれるのは、きっとそこに対話があったから。繋がり、交流があるからだと思う。

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Line Pillet: Actress, Belgium

──アントワープでの生活でも、当時夢中になっていたことや共通する価値観でも、あなたがたの青年時代が今のファッションブランドでの仕事を体現しているというのは興味深いですね。ラフ、多くの人が憧れるPradaという世界的なブランドに、どのようにアウトサイダー・スピリットを取り入れたのでしょう?

 R:僕に言えるのは──これが一番大切なことだと思うけど──それはミウッチャと僕自身が、心から尊敬する作品を生み出す相手とのコラボレーションにおいて、100%心を開くことを意識することだと思う。

 デビューコレクションでは、できるだけ率直にいきたかった。よし、昔のコレクションから当時感動したもの、これこそがPradaのDNAを表していると思ったものを引用して、それは僕の世界でも存在しうるということを証明しよう、という感じで。もちろん、その逆もね。

 それが主なテーマのひとつだった。コレクションのために、もう一度ピーター・デ・ポッターとコラボレーションをしようということになった。このアプローチは、20年近く前になるKOLLAPSコレクションとも深い関係がある。

 僕たちは、一緒に実現できる可能性のあることは、手順にとらわれず何でも試してみるべきだとよく話しているんだ。それをもう一度やるかもしれないし、1回限りかもしれない。きっと誰も想像もしなかったコレクションになる。Raf Simonsの特徴として定義されていたものが、Pradaを体現するようになるなんて、って。でもこれこそが、このブランドとミウッチャの寛容さをよく表していると思う。

 もうひとつは、キャスティングへの関心。僕が主にファッションショーを一度もやったことがない人たちと働いていた時代を振り返り、それによって生まれる交流に立ち返ることにした。何度もショーに出演しているモデルを起用するのとはまったく違う。それで、ファッションショー未経験の女の子たちをキャスティングすることになったんだ。

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──独立したブランドとしての側面が強かったPradaが、コラボレーションの拠点になると思うと興味深いですね。

 R:僕たち3人は家族みたいな存在で、オリヴィエは長いことPradaで仕事をしてきたから、一緒に仕事を始めたときはすごくしっくりきたよ。それは大きなメリットだ。大きなメゾンに足を踏み入れるのは、最初からうまくいくとは限らない。まったく新しいシステムとまったく新しい人びとのなかに入るということだから。僕にとって、コラボレーションというアイデアは特に目新しいものではないけれど、状況はまったく違った。ふたりのデザイナーが1回限りでなくコラボレーションを続けていくというのは、前例のないことだったから。

それに、しっくりきたのは、このインタビューで何度も話した通り、僕たちの繋がりによるところが大きいと思う。僕とオリヴィエは長い付き合いだから、それはふたりのあいだに自然に存在していた。Pradaについても同じような印象を持っている。対話し、物事を取り入れることに対してすごく寛容なんだ。

 そういう意味で、Pradaは決して閉じた世界じゃない。それこそがとても重要だと思う。それに世界全体においても、対話がもっと活発になりつつある。ミウッチャにとっても僕自身にとっても、オリヴィエにとってもウィリーにとっても、繋がりやコラボレーション、対話への可能性がどんどん開かれていることは、僕たちの活動を推し進めているもののひとつかもしれない。個人的には、ひとりで座って考え事をしてるときほど、限界を感じるときはない。人と交流し、アクションとそれに対する反応、賛成や反対意見が生まれるのが好きなんだ。

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──カフェのテーブルで語り合っていた頃を振り返ってみると、今この巨大なメゾンでともに働いているのはとても感慨深いでしょうね。一緒に仕事をするようになって、創作の原動力に変化はありましたか?

 R:正直、オリヴィエとウィリーに僕の撮影を手がけてもらうようになってから25年になるけど、その25年間で座ってミーティングをしながら、よし、今度は何をしたらいいか考えてみよう、なんて話し合ったことはほとんどないんだ。お互いを信頼しているし、よく理解しているから、流れに身を任せるだけ。そのほうがずっと満足感も大きい。

 大企業と仕事をするときは、正直、他にもいろんな事情があったけどね。Pradaとの仕事については、まだどう進化していくのか判断するには時期尚早だと思う。Pradaが大企業であることは周知の事実だ。マーケティングやコマーシャルにも多くの人びとが関わっている。でも同時に、この会社のふたりのクリエイティブディレクターがコラボレーションをするかどうかの決断は、世界に開かれている。それがとても重要だと思う。それがこの先どう進化していくかは、これから見極めないと。

 W:僕たちのコラボレーションの素晴らしいところは、お互いの意欲を掻き立て、驚かせ、決して想定できるような方法で何かを提示しないようにしていること。

R:ふたりには今でもびっくりさせられるよ。それはクリエイティブ面だけじゃなく、これをやる、と話していても僕の想像とはまったく違うものを見せてきたりする。それがすごく面白いし、Pradaについてもまったく同じように感じる。今でこそミウッチャと同じ座に就くことになったけど、2、3年前ならミウッチャが他のデザイナーとコラボしたいと言い出すなんて、想像もできなかった。それが全てだよ。ある意味では、僕とPradaはお互いをびっくりさせられるということがわかっていたのかも。でも、例え前もって全部知っていたとしても、もしくは知っていると思っていたとしても、驚かせることはできる。サプライズこそが僕の原動力なんだ。

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Notes


  1. ウィリーとオリヴィエは、アントワープ・シックスをはじめ、デザイナーのマルタン・マルジェラ、デムナ・ヴァザリア、クリス・ヴァン・アッシュ、ハイダー・アッカーマンを輩出したアントワープ王立芸術アカデミー出身。本校は世界トップレベルのファッション/アート名門校とみなされている。
  2. ラフはファッション専攻ではなく、ゲンク・デザイン・アカデミーのインダストリアルデザイン・家具デザイン学科を卒業。その後アントワープに引っ越し、私設ギャラリーで家具デザイナーを務める。
  3. リンダ・ロッパは、25年間アントワープ王立芸術アカデミーファッション学部の学長を務め、アントワープ・シックスを含む数々の著名な卒業生たちの指導にあたった。
  4. 1989年の秋、ラフはウォルターとともにパリへ向かい、いくつかのショーに参加する。パリ郊外で行われた、80年代の慣習から大胆に脱却したMartin Margielaの1990年春夏コレクションショーは、ラフのファッション表現に大きな影響を与えた。
  5. アントワープ・シックスは、80年代前半のファッションに革新的で新たなヴィジョンをもたらした、アントワープ王立芸術アカデミー出身の6人のデザイナー、ドリス・ヴァン・ノッテン、アン・ドゥムルメステール、ダーク・ヴァン・セーヌ、マリナ・イー、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク、ダーク・ビッケンバーグを指す。
  6. ベルギー発のニュービートは、スローテンポのテクノとアシッドハウスの要素を融合させたアンダーグラウンド・エレクトロニックミュージック。ヘント、ブリュッセル、アントワープなどのナイトクラブで広まる。代表的なのはデステルバーゲンのクラブBoccaccio。
  7. ニュー・ウェイヴは、Public Image LtdやNEW ORDERなどに代表される、70年代のロックの一ジャンル。ラフはピーター・サヴィルが手がけたアルバム『Powers, Corruptions and Lies』のアートワークを2003年秋冬コレクションに使用した。
  8. 『クリスチーネ・F』は、クリスチーネ・フェルシェリノ、カイ・ヘルマン、ホルスト・リークによる手記『Christiane F. –Wir Kinder vom Bahnhof Zoo』に基づく、ウルリッヒ・エデル監督のカルト的人気を誇る衝撃作。70年代、冷戦下の西ベルリンのドラッグシーンを描く。デヴィッド・ボウイが本人役で出演し、サウンドトラックの作曲も手がけた。
  9. ピーター・デ・ポッターは、アントワープ王立芸術アカデミー出身のベルギー人アーティスト。2001年以降、アートワークや書籍などをラフとともに制作。そのシビアで詩情あふれる作品は、Raf SimonsにおいてもPradaにおいても、ラフのデザインに多数登場している。
  10. 〈Woe Onto Those Who Spit on the Fear Generation… The Wind Will Blow It Back〉と題されたRaf Simons 2002年春夏コレクションは、9.11後に変化を求め、不満を抱える若者の痛烈な攻撃性をパワフルに表現した。ラフとピーター・デ・ポッターがコラボレーションを果たした最初期のコレクションのひとつ。
  11. ラフは長年、Raf Simonsのメンズウェアのモデルに、アントワープやケルンの街なかで出会ったティーンエイジャーを起用し、家族を同伴させて長距離バスでパリへ移動していた。当時の他のデザイナーとは一線を画する、ラフの思春期や無為の青春時代へのヴィジョンを象徴するエピソードだ。
  12. 10年にわたってPradaの舞台裏を支えてきたオリヴィエ。ミウッチャ・プラダとともに広告キャンペーンのスタイリングやショーを手がけている。Credits

Photography Willy Vanderperre
Styling Olivier Rizzo

Hair Louis Ghewy at MA World Group using Oribe.
Make-up Monique de Mooter using Dior make-up.
Nail technician Lynn Meyer.
Lighting technician Romain Dubus.
Digital operator Henri Coutant.
Styling assistance Niccolo Torelli and Emanuelle Bastiaenssen. Hair assistance Shela Aghonom.
Producer to Willy Vanderperre Lieze Rubbrecht.
Project manager Mindbox Lise Luyckx.
On set doctor Ruud Van Thienen.
Special thanks to Elisa Allenbach at Triplelutz Paris.
Talent Line Pillet, Gilles Van Hecke, Tijmen Govaerts, Martha Canga, Antonio and Aäron Roggeman.

All clothing (worn throughout) Prada, featuring artwork by Peter De Potter.​

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