「ホラーという定規で世界を測り直す」三宅唱が語るNetflix『呪怨:呪いの家』の見えない“怖さ”

Jホラーの画期となった「呪怨」シリーズ最新作『呪怨:呪いの家』 がNetflixで全世界配信されている。本作の監督・三宅唱がロングインタビューに応えた。「怖いのがとにかく苦手で、『リング』なんて意地でも見るものかと(笑)」

by RIE TSUKINAGA
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18 August 2020, 7:37am

なぜ人は恐怖から目を背けつつ、恐怖を求めてしまうのか。まるで逃れられない運命のように、人は恐怖へと掻き立てられる。

2020年7月、Netflixで配信されたシリーズ『呪怨:呪いの家』は、まさに呪いのように、不穏な恐怖を人々に伝播させる。舞台は、1988年から1997年までの東京。心霊研究家の小田島泰男(荒川良々)は、新人タレント本庄はるか(黒島結菜)が体験した怪奇現象に興味を抱き、その真相を調べ始める。やがてはるかの体験に連鎖するように、周辺で、いくつもの不可解な事件が続いていく。事件を追ううち、小田島は、一軒の「呪いの家」がすべての根源にあることに気づく。

『呪怨:呪いの家』は、大ヒットホラー映画『呪怨』シリーズ数年ぶりの最新作。2000年に清水崇監督によるビデオ版が発売後、日本のみならずハリウッドでも人気を博し、形を変えながら次々に展開を続けた『呪怨』シリーズだが、本作では、これまで何度も描かれてきた「呪いの家」の起源を探っていく。脚本を手がけたのは、こちらも大ヒットしたホラー映画『リング』(1998年)の脚本家であり、『呪怨』シリーズで数多く監修を務めた高橋洋。『リング』『らせん』『呪怨』をはじめ、数々のホラー映画を世に送り出してきた一瀬隆重プロデューサーが製作を担当。1990年代、Jホラーブームを牽引した二人が再度タッグを組み、大ヒットシリーズの最新作にして初のテレビシリーズをつくりあげた。

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Courtesy of Netflix

ホラーの名手二人が揃うなか、監督に抜擢されたのは、1984年生まれの新鋭監督・三宅唱。2012年に発表した劇場公開第1作『Playback』が話題を呼んだ三宅監督は、2018年、佐藤泰志の小説を原作にした青春映画『きみの鳥はうたえる』で日本国内の映画賞を数々受賞。2010年代以降に活躍する日本の若手監督として、今大きな注目を集めている。そんな三宅監督にとって、『呪怨:呪いの家』は初めてのホラー作品であり、配信ドラマの演出も初。実際、本作はこれまでの『呪怨』シリーズとはまったく異なる。因果関係では解決できない事件が次々に起こり、見る者に生々しい恐怖を与えていく。呪いの正体は何なのか。何が恐怖の源なのか。物語は、その謎をミステリーのように追い続けるが、最終的にすべての謎が解決されることはない。人々を不安に駆り立てる『呪怨:呪いの家』は、いったいどのように生まれたのだろう。

■すべてが初めてのことばかりだった

──今回、『呪怨』シリーズが2015年以来数年ぶりに復活することで反響を呼びましたが、高橋洋さんと三宅監督という意外な取り合わせも話題となりました。どのような経緯で『呪怨:呪いの家』を監督することになったのでしょうか。

三宅 高橋洋さんから「このシナリオにもし興味があれば監督として推薦したい」と連絡をもらったのが最初です。それが2019年の3月で、4月に一瀬プロデューサー、製作であるユニバーサルや制作会社のプロデューサーたち、それからNetflixの方々らとお会いしました。僕が正式に監督として参加することが決まったあと、7月くらいから各部が合流してロケハンなどが始まり、9月末にクランクインしました。

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三宅 脚本を繰り返し読み続けたわけですが、何度読んでも面白いと同時に、「こりゃ大変だぞ」と。まず『呪怨』なのに、これまでのシリーズを牽引してきた伽椰子と俊雄が出てこない! 大丈夫かな、どういうことかな、と。「呪い」という目に見えない力を表現するに当たって、「キャラクター」に仮託せずに、「家」と「語り手」によって不可視のまま浮かび上がらせようとする試みだろうと、時間をかけて自分なりに受け止めました。また、一言でホラー映画と言ってもいろんなタイプがありますが、この脚本では1話ごとに、心霊ホラー描写もあればゴア描写もあり、実録犯罪映画的な要素もある。対幽霊だけじゃなく人間同士の陰惨な暴力も頻発するし、時空も歪になる。とにかくとんでもないことが企図されていて。果たして自分にどう演出できるか、考えていました。

──最初から、Netflixで世界同時配信ということは決まっていたんですか? 脚本の段階で各30分で6話という形も決まっていたんでしょうか。

三宅 企画開発には携わっていないので詳しい経緯は知りませんが、僕が加わった段階ではすでにNetflix配信作、6話30分の形式というのは決まっていて、完成したモノとほぼ同じ内容の脚本を最初に読みました。なんとなく流れを伺ったところによると、大枠、つまり伽椰子や俊雄を出さずに実際の事件を背景に話をつないでいくという形式や主な登場人物などを一瀬さんが企画して、それをもとに高橋さんが具体的に脚本化していったようです。正確にはもっとお二人のやりとりの往復があったとは思いますが。その後、完成した脚本を僕が受け取って現場を任されたという流れ。そこで自分がなにをしたか、できるかというと、尺に対して目一杯詰まった脚本だったので、行間を必要以上に引きのばすようなアイデアだとか、余計なことをしている余裕はなさそうだな、と。そこで、とにかく物語に奉仕すること、それから、役者と共にどう安全につくっていくのかが自分の役割だと考えていました。

──安全に、というのは?

三宅 当然ですが、例えばどんな暴力シーンでも本物の暴力は行われないし、何かしら嘘をつくのが映画づくりで、とはいえあまりにも安全にしすぎるとその嘘がバレてしまう。自分の役目は、脚本と役者の双方にとって最適解の動線や段取りを用意することです。もちろん、それが「面白い」必要があるし、本作においては「とにかく怖い」かどうかが最大の基準です。併せて「生々しいモノに」というリクエストもあったので、それに応える必要がありました。

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三宅 この作品は特に、肉体的にも精神的にも、演じることによって生じる危険性がたくさんあった。たとえば、先日知人に、4話のあるシーンについて「なんで彼女は床じゃなくてソファに倒れるのか?」と聞かれたんですね。たしかに脚本には彼女が倒れるとは書いているけど、どこに、とは書いてなかった。だから「さあどこに倒れるのがベストか?」と考える。ここから演出の仕事が始まる感じですかね。最初は「床かな」と思ったけど、ある程度撮影に時間のかかるシーンだし血糊も多いので、となると長時間床から動けない。そこで仮になるべくラクな姿勢で倒れてもらおうとすると、今度は死体には見えなくなるだろう。単に寝ているように見えたらマズイ。じゃあソファにしてみようか? ソファなら役者の身体は多少ラクだろうし、ずり落ちそうだというサスペンスも演出できるかもしれない。さらにソファなら、その陰にスタッフが隠れて血糊などの操演もしやすいことがわかった。床にしたら、きっと器具やスタッフをCGで消さねばならない。で、ソファに決定。そこで次は、ソファの場所や向きのベストはなにか、どう歩いてどう倒れればいいか、と考えていく。視聴者にこういう経緯が伝わる必要は全くありませんが、僕の仕事は一応こういうことです。

──まさに今、劇中でもっとも暴力的だといえる場面の話ができましたが、こうした暴力的な描写は、これまでの三宅監督の映画ではなかったことですよね。

三宅 初めての場面ばかりでしたね。やりすぎのような気もするし、まだまだ中途半端だったような気もします。というのも、知人から「もう一つくらいハッキリと暴力が映ってもよかったんじゃない? 三宅がもっと役者たちと信頼関係をつくれてたらちゃんと暴力を撮れたはずだ」と。レアな意見かもしれませんが、自分でも思うところはある。

──殺人の場面でも、直前でカメラが切り替わったりそのものを映さない、という場面はいくつかありましたね。

三宅 はい。あるいは、わざとフレーム内に映すことによって嘘を少し明らかにしたり、という編集もありますね。でもそうした編集に関わることというよりも、編集以前の、生身の役者同士のアクションとして。暴力というか、1カット内で起きる力関係の変化、という感じですかね。

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──次はもうちょっとやれるぞ、という感じですか。

三宅 たとえばポール・ヴァーホーヴェンは残酷さもエロスも愚かさみたいなものも躊躇なく描くけど、世界の否定や嘲りでは全くなくて、人の尊厳に真剣に向き合っているからこそだと思います。そういう意味では、自分自身はまだまだ甘いし下手くそ。別に、今後もっとやるぞ、とかではなくて、もっと柔軟に考えられるようになりたいな、と。

──これまで自分がやったことのないことがたくさん詰まった作品に挑むうえで、迷いはなかったんでしょうか。

三宅 やるやらないの躊躇はなかったです。自分がやったことがないもの、わからないものをやることこそこの仕事の面白さでもあるから。あとは、映画ファンっぽい欲望ですが、シリーズものの監督ってやりがいありそうだなとずっと思ってました。『ダイ・ハード』とか『ワイルド・スピード』とか。今まで20年近く続いた『呪怨』シリーズに参加できることは単純に光栄でした。

■総合芸術としての映画づくりを実感した現場

──撮影はいつも三宅監督の作品を手掛けている四宮秀俊さんですが、それ以外の照明や録音などのスタッフの方々は、これまで『呪怨』をはじめJホラー作品を手がけてきたベテランの方々が入っていますよね。スタッフ陣はどのように決めていったんでしょうか。

三宅 プロデューサー陣と僕の希望をすり合わせています。四宮さんはすでに『貞子VS伽椰子』(白石晃士、2016年)や『ミスミソウ』(内藤瑛亮、2018年)などをやっているので、その面でも安心できました。大勢のベテランと働くのは緊張感があって楽しかったですが、やはり現場で一番大きかったのは一瀬さんの存在ですね。撮影中ほぼすべてのシーンに立ち合っているのですが、非常に助かりました。いわゆるドラマ部分の演出は大きく信用してくれたことで力を引き出してもらったと思うし、一方で恐怖表現の勘所はどう考えても一瀬さんの方があるので、まずは僕がたたき台のような段取りをざっくり組んだあと、シーンによっては色々質問して、一緒にディテールを詰めさせてもらった感じです。例えば「あと5センチで忌まわしくなると思う」とか、楽しい驚きの連続でした。ファイナルカット権も一瀬さんにあるので、編集をイメージして必要なカットや念のためのカットも現場で相談しながら撮っていました。幽霊の登場場面なら、ぼやけてるバージョン、はっきり映ってるバージョン、ヨリもヒキも両方とか。

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──編集の最終決定権が、監督ではなくプロデューサーにあったということですか?

三宅 そうです。

──それはこれまでにない経験ですよね。やりづらいなという部分はなかったんでしょうか。

三宅 いや、楽しかったですよ。最初の契約段階からそう言われていたし、そもそもプロデューサーが握るのが歴史的に標準だと思っていたのでそこに違和感もなかった。これまでの作品では僕がプロデューサー的な立場も編集の立場も兼ねていたというだけで。今回、僕の勝負所はシンプルに現場の演出になるので、それもやりがいがありました。それに、編集ってやっぱりリズムだとも思うから、たくさんの人が関わって細部が歪になってしまうより、編集のプロに任せるならすべて任せた方が一本筋がちゃんと通る。編集段階では、まず編集の深沢佳文さんが繋いで、その後僕バージョンと一瀬さんバージョンを別日にそれぞれ作り、最後にそれをつき合わせて相談しながらファイナルカットを決めるという流れです。僕のバージョンの方が短いとかいろんな違いがあり、結果的に細かい僕のこだわりを通した部分もありますが、トータルとしては、映画館とは違う環境でしかも全世界で見られるという基準に照らせば、どう考えても一瀬さんや深沢さんのとんでもない経験値を全面的に信頼するのがベストだろうと思っていました。単純にめちゃめちゃ勉強になった。

──暗闇でのシーンも、スクリーンで見せるのと配信とではずいぶん違いますよね。

三宅 画面の隅にちょっとだけ映ってるみたいな怖さは、iPhoneで見る場合なんかとても伝わらない。配信で力を発揮するのはやっぱり物語だと思うので、自分だけのこだわりとか美学のようなものを優先する以上に、脚本の邪魔をせず最大化しようとすることが、本作に貢献できることだろうと賭けていました。

──三宅監督の映画というと、現場でもすごく自由度が高いイメージがあったんですが、今回はこれまでになくいろんな制約のなかで撮っていったわけですね。

三宅 制約というより安心でしたね。今までは自分がいろいろ兼務した方がより自由もリスクもある程度コントロールできましたが、今回はワケが違う。初めてのホラー作品なうえに初の配信用ドラマだったので。

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■現実の暴力をどのように描くべきなのか

──一般的なホラー映画は、ここぞという怖い場面をばんと見せていく形が多いんじゃないでしょうか。最初は和やかに過ごしている登場人物たちを映したあと、突然恐ろしい場面を入れてくる。両者が断絶するほど怖さが際立つというか。だけど『呪怨:呪いの家』の場合は、むしろ時間の流れに沿って常に一定のテンションを保っていますよね。そこがこれまでにない怖さの表現になったのかなという気がしたんですが。

三宅 そうですね、はっきりとムードを描き分けるよりも、ツルツルと怖いことが日常のリズムの中で起きてしまうことに、現実的な怖さがあるんじゃないかなと考えていました。もともと僕も、幽霊や悪魔のような存在と人間の"断絶"こそがホラーの世界だという先入観があったんです。エンタテインメントとしてはそのわかりやすい構図が面白さを支えてくれたりもすると思うんですが、ただ今回の高橋さんの脚本を読むと、世界を「こちら」と「あちら」に"分ける"ことに重点があるのではなくて、「こちら」と「あちら」を"繋ぐ"力により惹きつけられる感じがするなあ、と。日常と異界の境目がむしろ見えなくなっていく感じ。それから、登場人物たちがとる邪悪な行動も、それぞれの「業」によって引き起こされると同時に、得体の知れない「呪い」によって動かされている。要はスイッチが二つあるんです。またそのスイッチは単にオンかオフかでなく、微妙にグラデーションがある。「幽霊ってやっぱり怖い」でもないし「実は人間の方が怖い」でもない。それが面白いし、怖い。それに、そもそも人間の行動には必ず複数の理由があるわけだし。行動の理由を一つに単純化しようとしていたら、この脚本の広がりを捉えきれなかった気がします。

──たしかに聖美(里々佳)の取る行動なんて、どう捉えていいのかわからない部分を多く含んでいますよね。母親への行為も、彼女自身の意思なのか、呪いによる何かなのか、最後までわからない。

三宅 意思なのか呪いなのかっていう二択には正解がない気が僕はしましたね。ただ、演じる側はすごく難しかっただろうなと思います。

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──劇中では、地下鉄サリン事件(1995年)、神戸連続児童殺傷事件(1997年)など、当時世間を震撼させた悲惨な事件を想起させるニュースが挿入されていますね。それだけでなく、物語の中で描かれる事件や登場人物も、あの時代の忌まわしい記憶を否応なく喚起させます。そうした現実とフィクションとのつながりを、監督としてはどう捉えていたのでしょうか。

三宅 色々な事件が下敷きになっていることはすぐに理解したけど、それらのディテールをそっくり再現することがゴールではないだろうなと。事件そのものというより、その当時に生活していた人々の感覚や空気を再び蘇らせることが本質的な狙いだろうなと考えていました。この作品の肝は、今も語り継がれる大きなニュースがある一方で、忘れ去られてしまった無名の人々にスポットライトを当てることだったと思います。登場する人物はみんな、多少の差はあれど無名な個人ばかり。演出においても、そうした人々を均等に扱いたいと思いました。誰かを特権化するのではなくて。

──実際の事件を想像させることについて批判的な意見も生まれたと思うんですが、やはり葛藤はありましたか?

三宅 SNS等での感想は僕もなるべく目を通しましたが、最初に脚本を読んだときは僕もギョッとしましたし、準備しながら当然いろんなことが頭に浮かぶ訳で、その都度考えていました。自分はこういう国こういう時代に育ったんだよな、と改めて考えることもありましたし、さて表現としてどこまでそれを撮るかな、とか。ホラー映画や日本の怪談などは歴史的にどういう形でそこに向きあってきたのかな、とか。実際に起きたことをパッと"価値判断"するのではなく、いいも悪いも歴史をどこまでじっくりみることができるか、ということかなと考えていました。露悪を狙うのでもないですね。製作陣もなるべくあらゆる想定を検証されていたのではないかと思います。僕の立場で言えることは特にないけれど、でも何が言えるかな……。

本作とは直接は関係しないことなので言いづらいですが、自分の気持ちみたいなことを話すと、正直なところ、今までずっと避けてきたんですよ。世の中の不幸とか残酷さみたいなことを直接描くことは。僕自身は、2000年以降に映画をつくり始めて、現実のたくさんの事件や悲惨な出来事を受けて、それらとの関係の中で映画をつくっているつもりだった。理不尽な現実を前提として、登場人物たちがどうやって幸せになろうとするのかという物語に、自分たちは今なにができるか何をすべきかという実践を重ねるようにして、模索してきたつもりなんですね。だけどフレームの中だけを見れば、例えば政治的じゃないとか、ユートピアチックだとか捉えられちゃうんだな、という。そりゃ「戦闘場面のない戦争映画」は戦争映画にはならない気もするので、わかるっちゃわかる。僕としては、ひどい世の中だからこそ、というか人生は理不尽で儚いしいずれ死ぬからこそ、幸せな瞬間を作ったり撮ったりするんだという態度で映画をつくってきたつもりだし、そういう時代感覚を共有している人にはちゃんと伝わってきたと信じてもいます。だけど今後もっと多くの人に伝えるには、そういう世界認識をフレーム内でも直接描写したほうがより強いフィクションを立ち上げられるのかな、とか。自分が感じている世の中への怒りは、昇華した形で出すんじゃなくて、怒りも怒りのまま表明しないといけないのかな、とか。いいやり方を模索しているところです。

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──『きみの鳥はうたえる』なんてすごく残酷さを孕んだ映画だなと思いますが……。フレームの外に世界の残酷さがあるからこそ、彼らが遊んでる瞬間が輝いて見えるわけで。

三宅 自分たちが当時トライしたことには満足しているし、言い方を変えればそれが精一杯だったのも確かですね。何だろうな、社会認識をうまく取り込むには技術的に未熟だったというか、そのせいで中途半端な社会派映画になるのは、むしろ問題から遠ざかってしまいそうで、すごく嫌だった。彼らの姿を捉えるという一点にエネルギーを注ぐことが、一番強い表現になるだろうと思ってました。

──そういうことは、『呪怨』をつくる前から考えていたことなんですか。

三宅 映画美学校の学生だった頃から、ですかね。「なんのためにわざわざ映画をつくる?」と考え始めた頃ですけど、当然その途中で、怒りの表明の仕方についても悩みます。僕は、怒りに任せてモノをつくったり、世の中に怒りそのものを表明するのってどうにも苦手でして。ミュージシャンの方たちには、世の中に対してぐっと親指を上げて見せるのと、中指を立てるのを同時にやるのがすごくうまい方たちがいるけれど、僕は中指の立て方がわからないというか、十分立ててるつもりだけど全然伝わらない(笑)。親指の立て方はこの10年ちょっとずつ鍛えてきたつもりなんですけどね。

念のため言うと、『呪怨:呪いの家』は中指の作品ではないです。「ホラーは世界や人間を否定するものではない」と高橋さんも書いていますし。まあ、中指とか親指とか関係ない作品とも思うので、あくまで僕個人の話。

■映画における作家性とは何か

──高橋さんをはじめ、90年代のJホラーをつくりあげた人たちの多くは、恐怖というものを真剣に追求し続けてきたわけですよね。その恐怖への視線が、世界との対峙の仕方につながるし、彼らの映画の撮り方に関わってくると思うんですが、そういう恐怖への視線を、三宅監督はどこまで共有されているんでしょうか。

三宅 僕は脚本をもらってからたかだか6ヶ月くらい考えただけなので、全部共有していたとは到底言えないです。高橋さんたちは30年、40年ずっと考え続けてきた。長い時間をかけて築き上げられたある強度な倫理観や視線というのは間違いなくあって、それへの敬意は強く持っているつもりです。恐怖をずっと見つめ続けるって本当に大変なことで、誰もができることじゃないし、誰もがすべきだとも思わない。僕も後を追うかどうかはわからない。だけど、高橋さんたちはそれに何十年と向き合い続けてる。その体力や知性はやっぱりすごいですよ。未踏の地をいく探検家への敬意みたいなものに似ているかもしれないですね。ホラーとか恐怖については、撮るにしても語るにしても、真剣にやるか一切やらないか、そのどちらかだなあということを個人的には思っています。僕が怖がりだからそう思うだけで、もっと間口は広い気もしつつ。

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──今回は、どこで三宅監督の作家性が発揮されるのか楽しみにしていたんですが、実際に見てみるとこれまでの作品にあった幸福感やおおらさかは感じられず、もっと抑制された緊張感が漲っていて驚きました。ある意味で、今回は自分の作家性をあえて封じてホラー映画というジャンルに徹したんじゃないかと思ったのですが。

三宅 これまでの作品と比べて、あれ、と思う方もいたっぽいですし、わかります。ただ、作家性って何なんですかね? 例えば「光がいい」って言われるけど、光に関して僕が関与するのはほぼゼロか場所選びくらいで、ほとんど全ては照明部や撮影部の仕事なわけで。各部の素晴らしい仕事が自分の名前の元で語られるのは、僕自身はちょっと居心地が悪いというか、スタッフワークが正当に評価されてほしい。いわゆる「作家性」について、他人が思うそれと、自分が思うそれは全然違うところにあるっぽいなって気はします。ちなみに、もし自分のオリジナルでホラー映画をつくるならきっと全然違う傾向のモノになると思うんですが、それは僕の趣味趣向であって「作家性」とは微妙に違うし、そうした自分個人の趣味趣向を本作で追求するのは絶対に違う。自分の仕事の力点は、映画や芝居への考え方に基づく、役者それぞれとの関係の作り方なのかなと思います。そうした態度そのもの、もしくはその実践の結果として生まれる画面は、やっぱり僕固有の「作家性」かもしれない。でもそれも、だれと仕事するか、その作品の主題をどう扱うかなどによって、その都度変化するものだと思ってるから、自分ではよくわからないことです。

■脚本からどう具体的なものを立ち上げていくか

──脚本に対して、三宅監督からここは変えたいと提案した場所もあったんでしょうか。

三宅 二箇所ありました。ひとつは6話の消滅シーン。最初全然違うアイデアが書かれていたんだけど、ロケ地の物理的な理由などでうまく撮るのが難しいと思い、違うアイデアをお願いしました。もうひとつは、小田島の横にいるパートナーの存在。当初はもう少し目立たない役だったけど、僕はどうしてもあの人の存在が気になって。脚本を読んで衝撃を受けたのは、小田島が「お子さんは?」と聞かれて「血が絶える家系ってあるじゃないですか」と答えるシーン。あれを読んで、自分も何かを踏んでしまった気がしてぎょっとしたんです。でもよく考えると、それは「男」だけでアプローチできる問題ではない。血が絶えるといったって、そもそも男が自分で産むわけではないんだから。その会話が交わされる同じ場にいるパートナーの女性がこの会話をどう受け止めているんだろう、それを撮らないとこのシーンは終われないなと考えました。まずは、ハマスホイの絵みたいに彼女の背中の存在感がパッとイメージとして浮かんだのですが、いやそういうことじゃなあとかあれこれ悩み、これはもうセリフを書き足してもらおうと思い、お願いしてみました。それで高橋さんが書いてくれた彼女のセリフがすごかった。「ヤバイね」って一言。「小田島と共にいる彼女という一個の人間」の輪郭が、その一言で立ち上がりましたね。背中で語らせようなんて考えてた僕がいかに浅はかだったか、思い知らされました。

実は他の登場人物たちも、無個性に見えた役だってみんないろんな「個」であることが発見されて、驚かされます。脚本って基本的にセリフと簡単なト書きしか書かれていないから、それをどう膨らませるかが僕たちの仕事。「男」とか「女」とかって分け方だけでそれに挑むと、目が粗すぎちゃうんですよね。スタッフや役者と話をしながら具体に落とし込んでいく作業を延々と続けて「個」にたどり着きたい。ホラーの場合、あんまり個性的すぎると怖くなくなるようで、そのバランスも考えましたが。「男は女に対してこういう行動は変だ」みたいな大きな主語によるセオリー化って、当たり前というか最低限のことですが、とはいえ同時に、"正解の行動"って本当に人やケースによるので、それぞれ個別に考えた方がいい、というのは僕がこれまでの映画づくりを通して学んだことです。もっともっと個別のディテールを見ていかないと危険かもしれないし、無意味だとすら思う。映画づくりでも、現実の社会でもきっとそうだろうと思います。

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──6話で呪いの家だと知りながら住んでしまう夫婦もおもしろかったですね。

三宅 編集で落としちゃったんですが、脚本には、消滅した男のあの「跡」を見ながら小田島が「彼はこの家に来る前から取り憑かれていたんだ」と呟くセリフがあったんです。要は、引っ越してきた最初のシーンからすでに彼の行動はすべて呪いの影響下にあった、ということを後から明かすセリフですね。夫はあの家にいけにえとして妻を連れてきた。『ローズマリーの赤ちゃん』(ロマン・ポランスキー、1968年)みたいに。その呪いをリアルタイムで可視化すべきかどうか、視聴者が最初からそうわかるように演出すべきかどうか、結構迷いました。結果的に、この夫だけ動線が変だというアイデアを思いついて、彼だけ他の人と常に別のルートを歩いてるようにしました。「取り憑かれた顔の芝居」がバッチリ最初から映る、とかに比べればわかりづらいですが、それだと脚本の狙いから逸れてしまう。

──それぞれにこういうキャラクターだよ、ということも役者さん一人一人としっかり話をしていったんですか。

三宅 やっぱり役者によって、個別ですね。感情をしっかり説明した方がスムーズにいける人もいれば、感情なんて事前に監督に説明されてたまるかという人もいるし。ホラーの場合は、実際に感情を作り出す、引き出すのは無理があるだろうなと思ってました。どこか技術で演じるべきでもあるし、僕が適切な段取りを積極的に提示してリードする必要がある題材だと事前に判断していました。

聖美は、強烈な役であるということもありますが、撮影順がなかなか厄介で。彼女を演じた里々佳さんの撮影初日の内容が諸々の都合で、押入れで叫ぶカットと最後のカットだったんです。ポラロイドを取り出して泣いてたら同級生たちが背後に現れるカット。彼女の物語を頭から順番に演じて撮影していけるならまだしも、最初にラストカットを演じるとなると、どう頑張っても彼女の感情だけでは引っ張れない。と同時に、感情を積み上げるために役者に身体的に負担をかけていくような演出を、それよりも前のシーンでやることの意味がほぼなくなりました。例えばレイプシーンですが、物語順で撮っていたらきっと違う段取り、違うカット割になったと思う。最中を省略して事後だけにするアイデアも当然あったけれど、同時に真衣に呪いが発動するというプロセスが重要でもあるのでバッサリ切ることはできなかった。それで僕は今回は、役者たちが身体的にはあの暴力を体験できないような段取りとカット割にして、編集で初めて立ち上がるような作り方にした。それが正しかったかはわからないけれど。こういう僕のやり方は、映画より現場を優先している態度とも言えるから、よくないかもしれない。

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──それは役者さんたちのために、ということですか。

三宅 それもあるけど、僕の作った段取りのせいでむしろ戸惑っていたというか、役者もタフなのである程度まで実際にやっちゃった方が現場の進行的にも早かったかもしれない。でもあの場面の4人全員と、実際のレイプにかなり近い形でリアルに演じる、という信頼関係を結ぶ時間や能力は僕になかったし、それがマストな場面でもないよな、と思った。役者人生の経験としてある程度必要なこともあるけど、なんでもかんでも感情を引き出せばいいって問題でもない。いい段取りは自然と身体の動きから感情が生まれるものですが、あえて感情を引き出さないようにする段取りもあって。なんにせよ、結果的に妙な歪さや嫌さが出れば脚本の裏切りにはならないだろうと。自分のため、ということだったかもしれませんね。監督と役者はアンフェアな関係で、それをフェアな方向に持っていく関係構築を普通はしたいんだけど、それをそこそこに留めた。となると、演じさせるか、演じさせないか、という力関係がどうしたって生まれる。そこで後者を選んだわけだから。後者なら自分が背負えるかな、という感じですかね。まあ、直感的な判断ですが。

■ホラーという定規で世界を測り直す

──アメリカの最近の監督たちもいろいろおもしろいホラー映画をつくっていますよね。アリ・アスターとか、ジョーダン・ピールの場合はホラーと一言で言っていいか難しいところではありますが。そのあたりも意識はされていますか。

三宅 いや、怖いのがとにかく苦手で、不勉強でしたね。さすがにこの作品をつくるにあたっては見ましたが、ホラー映画ファンの人たちに比べたら本当に申し訳ないくらい見てないです。非ホラージャンルですごく怖い瞬間は色々体感してきたとは思うんですが。イーストウッドとか、ゼメキスの『マリアンヌ』(2016年)とか。あと最近再見したんですが、『マグノリア』(ポール・トーマス・アンダーソン、1999年)のカエルが降ってくるところ、当時高校生のときに見てショックを受けたのを思い出しました。

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──Jホラーの体験はどうですか。世代的にはまさに10代の頃に大流行したと思うんですが。

三宅 慎重に避けて通ってきましたね。『リング』なんて意地でも見るものかと(笑)。

──黒沢清監督の作品はどうですか?

三宅 恥ずかしながら実はホラー作品は後回しにし続けてました。『アカルイミライ』(2003年)からリアルタイムなんですが、そのあとVシネの哀川翔さん主演作などを遡って、その後勇気を出して『CURE』(1997年)を見たらもうめちゃくちゃ怖くて。それで数年あけてようやく『回路』(2000年)を見たらまた悶絶。

──それだけホラーが苦手ながら『呪怨』に挑んだというのは、改めておもしろい取り合わせですよね。

三宅 根っこの部分で、高橋さんたちと共有する態度があったのかなと個人的には思います。この世の中って一体どうなってるのかっていう興味とか、その上で面白いものをつくりたいという感じとか。ホラーという特殊な「窓」を使うのは初めてでしたが、これまでとちがう角度から世の中とか人間を見るのは本当にいい経験になりました。「窓」というか、今回はホラーという新しい定規でもう一度世界を測り直してみた気がします。

──最後に、今後の予定について教えてください。

三宅 世の中次第なのでなんとも言えませんが、いまは数本並行してシナリオを書いてスタンバイしているところです。次は映画館のスクリーンを想定してやりたいですね。単純に、めっちゃ映画館に行きたい。

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Photography HOUMI

『呪怨:呪いの家』はNetflixにて独占配信中

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