Peggy Oki in 'Dogtown and Z-Boys'

革命を記録した作品『DOGTOWN & Z-BOYS』の20年を振り返る

1970年代半ば、スケートシーンに革命を起こしたカリフォルニアのキッズたち。彼らがその引き金となった2001年のドキュメンタリーと、映画公開後の人生を振り返る。

by James Balmont; translated by Nozomi Otaki
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09 February 2021, 5:32am

Peggy Oki in 'Dogtown and Z-Boys'

2001年1月、カルト的人気を誇るドキュメンタリー『DOGTOWN & Z-BOYS』がサンダンス映画祭でプレミア上映されたのは、まさにスケートボードの人気絶頂期だった。

ゲーム『トニー・ホーク プロ・スケーター 1+2』がPlayStationの売り上げを独占し、MTVの番組『Jackass』のCYKクルー登場回は1週間で240万人が視聴、そして史上初めて米国でスケボーをするティーンエイジャーの数が野球をするティーンの数を上回った。あのレッチリも、2度プラチナ認定された2002年のシングル「By The Way」で、すべての始まりとなったサンタモニカのドッグタウンに言及している。

 『DOGTOWN & Z-BOYS』は、決して時代の流れに乗っていたわけではない。むしろ、本作こそが時代をつくったのだ。フォトグラファーのグレン・E・フリードマン曰く「スラムに生まれ、虚勢、スタイル、アティチュードに満ちた、一瞬で上り詰めたヤツら」の物語は、世界中の人びとの心を鷲掴みにした。本作は、70年代半ばにウェスト・ロサンゼルスのコンクリートのスロープや裏庭の空っぽのプールを滑り回っていた、シーンの草分け的存在であるスケートチームZEPHYRの、最も信ぴょう性の高い記録といえる。1975年の『Skateboarder Magazine』誌で「スケートチームというよりストリートギャングに近い」と称された若いパンクスが初めてプールの縁から滑り降りたあの日、スケートボードの未来は一変し、今日の私たちが知るこのバーティカルスポーツの青写真が示されたのだ。

 エクストリームスポーツの世界的なアイコンで、かつてのZEPHYRを代表するメンバーであり、現代的なスケートボードの創始者とされるトニー・アルバは、本作は「革命を記録した」と語り、映画監督/スケーターのステイシー・ペラルタは「スポーツの誕生」と呼ぶ。本作は2001年のサンダンス映画祭ドキュメンタリー部門で最優秀監督賞と観客賞を受賞し、DVDの売り上げは100万枚を超える。2005年には『ロード・オブ・ドッグタウン』というタイトルで、ヒース・レジャー主演でハリウッド映画化もされた。

今回i-Dは、本作の公開20周年を記念してZEPHYRのオリジナルメンバーを取材。プロスケーターたちはドッグタウンの全盛期以降、どのような変化を経てきたのだろうか。

「もう少しで死ぬところだった」と打ち明けたトニーをはじめ、Z-BOYSのステイシー・ペラルタとペギー・オキ、フォトジャーナリストのグレン・E・フリードマンが、偉業を成し遂げるまでの悲劇、体験、贖罪について語ってくれた。

 今振り返ってみれば、彼らが〈滑って〉きた道のりは決して平坦なものではなかった。ZEPHYRのメンバーたちは60年代を懐かしんでいるものの、彼らの人生におけるスケートボードの役割は、当然ながら大きく変わったという。

「予想のつかない攻撃的なスポーツ」とトニーは語る。「体にも負担がかかる」。手首の骨折や外耳道外骨腫、軟骨の損傷によって、トニー、ステイシー、ペギーが70年代に熱中したスポーツへのアプローチは変化していった。「神は人間の膝をつくるときヘマをしたに違いない」とトニーは主張する。「俺たちがやりたいことをやれるようにできてない。キリンみたいな膝が欲しかったよ」

 他のメンバーと同様、トニーはバートランプよりも波やコンクリートのスロープを選ぶようになった。「今はコンクリートで転んだって大したことない」とステイシーも同意するが、53歳でバーティカルスケートを引退したペギーはこう結論づける。「丘を猛スピードで滑り降りるのをためらったことはほとんどなかった」と彼女は回想する。「老いぼれたわけじゃないけど……もうケガはしたくない」

 しかしトニーにとって、そのスリルは常に「何でもできるという自由な感覚」を与えてくれるもので、今でもそれに代わるものはないと主張する。彼は若い頃と同様、今も近所の太平洋沿岸とルート66がぶつかる伝説のスポットで滑っている。ステイシーは街の高級化によってベニスビーチが「トレンドを追いすぎて逆にダサい」場所になってしまったことを嘆くが、トニーにとって人生とは「街がどんなに変わろうと、そこにあるバイブスの一部になること」だという。

 数々のスケーターやミュージシャンを撮影してキャリアを築いてきたグレンは、30年以上前にニューヨークに居を構え、現在は出版社Burning Flagsを運営している。

 ステイシーはスケートカンパニーPowell-Peralta設立後、『DOGTOWN & Z-BOYS』に続き、『ライディング・ジャイアンツ』『Crips and Bloods: Made In America』『ボーンズ・ブリゲード』など批評家からも高い評価を得たドキュメンタリーを通して、映画監督としての地位を確立した。

 「600本以上のインタビュー」で多忙な日々を送るステイシーだが、彼の情熱は決して揺るがない。新たなHIV治療の臨床試験のための映画キャンペーンを終えた今、世界的なサーファーとして名高いハワイ生まれのジェリー・ロペスのドキュメンタリーのポストプロダクションを行なっている最中だという。

 しかし、最も劇的な転身を遂げたのは、ZEPHYRオリジナルメンバー唯一の女性スケーターで、1975年のデルマー・スケートボーディング・チャンピオンシップ女性フリースタイル部門優勝者のペギー・オキだ。サーフィンをきっかけに海への関心を深め、スケートボードで身に付けた「粘り強さ」が環境保護アクティビズムにかける情熱への第一歩となったことを、彼女は笑みを浮かべながら振り返る。

Origami Whales Project〉のファウンダーであるペギーのミッションは、海洋生物を守り、ノルウェーや日本などによる商業捕鯨への関心を高めることだ。2007年、アラスカで開催された国際捕鯨委員会の会合で2万8000個(1986年以降捕獲されてきたクジラの総数)の折り紙のクジラでできた「巨大なカーテン」を展示するなど、彼女の活動への賛同者を増やすべく、確固たる意志のもとで活動している。2016年に出演したTED Talks〈Allow Things To Unfold And You Will Find Your Purpose In Life〉は350万回以上視聴され、今日に至るまで精力的に講演を行なっている。

 しかし、ZEPHYRのすべてのメンバーが輝かしい活躍を続けているわけではない。「チームの半分はもういなくなってしまった」とトニーは亡くなったボブ・ビニアック、ショウゴ・クボ、クリス・ケーヒル、“ベイビー”・ポール・カレン、デニス・“ポーラーベア”・アンドリューに言及した。

 なかでもスケートボードというスポーツに最も大きな打撃を与えたのは、ジェイ・アダムスの死だろう。同年代のスケーターから革命の中心人物と称され、いかにも現代のスケーターらしい大胆不敵さを持つアダムスは、2014年、メキシコでサーフトリップ中に心臓発作で亡くなった。53歳だった。

 13歳でZEPHYRに加わって以来、波乱万丈な人生を送った彼は、『DOGTOWN & Z-BOYS』公開当時は麻薬犯罪で服役中だった。作中で彼は熱狂に水を差すような役割を担っているという。すなわち、グレンの言葉を借りれば「誰でもずっと反抗的な子どもではいられない」ことを示す、教訓的な物語だ。

「彼はお調子者でいたずらばかりしていた」とペギーは笑いながら、チームで最も親しかったアダムスと過ごした時間を振り返る。いっぽうトニーは彼の死の知らせを聞いたとき、家族を喪ったような気分だったと語る。しかし彼は最終的には救われたということで、メンバーの意見は一致している。結婚や宗教との出会いを通して、アダムスはその後の人生に平穏を見出した。

ステイシーは、ベニスビーチで「細いメタルフレームの老眼鏡をかけて熱いお茶を飲んでいる」彼を見て衝撃を受けたという。それが彼との最後の再会になったが、ステイシーにとってはアダムスとの幸せな思い出のひとつだ。

「俺だって、他のヤツらみたいにいつダメになってもおかしくなかった」とトニーは叫ぶようにいう。「日頃の行いとか、薬物とかアルコールの問題とか、強情さとかエゴとか……。もう少しで死ぬところだった」

当然だが、トニーも例に漏れず、かつてはスケートボード界のロックスターだった。自身のブランドAlva Skatesによってトップに上り詰め、快楽主義に身を委ねた。「他に何を試しても効かなかった」とトニーは更生施設での生活や14年間の禁酒について語る。「アルコール依存症は、遺伝的なものなんだ」。今ではステイシーと同様、ヨガ、瞑想、運動、スピリチュアリティが心の健康を支えているという。

「この14年間は人生で最高の期間だったよ」とトニーは断言する。「60年代や70年代よりもずっとよかった。今はもう鏡を見ても自分が恥ずかしくなったりしない。めちゃくちゃ自分本位で身勝手で怒りっぽかったヤツがこうなれたんだから、誰だってなれるはず」

 2020年に公開されたVANSのドキュメンタリー『The Tony Alva Story』では、トニーの変身についてはほんの少ししか語られていないが、彼自身が語るメッセージは心に重く響く。本作でナレーターを務めた51歳のスケーター、ジェフ・グロッソは、2020年3月に複数の薬物摂取による急性薬物中毒で亡くなっている。

ZEPHYRの歴史を振り返っているのは、VANSだけではない。誰よりも先にこのシーンを記録しはじめたグレンは2019年、写真集『Dogtown - The Legend of the Z-Boys』の改訂拡大版を発売した。現在は今年公開を予定している短編映画の最後の仕上げを行なっている最中だという。

グレンによれば、この短編映画『A Look Back at Dogtown and Z-Boys』は、前作『DOGTOWN & Z-BOYS』では触れられなかったスケートボードの「起源にまつわる物語」を探る作品。前作については「メンバーのなかでも賛否両論あった」と彼は語る。

「みんなオリジナルの映画は大好きだけど、話の筋に納得してないひともいた。これに携わったのは12人だけじゃない、って。ZEPHYRというチームの1枚の写真だけじゃ、肝心な部分は語れない。今回はみんなに映画の公開によって人生がどう変化したのかを語ってもらい、前作からはこぼれ落ちてしまったことを共有してもらいたかったんだ」

かつてZ-BOYSの快進撃の拠点だったZEPHYRサーフショップは、取り壊しを逃れ、今もサンタモニカのメインストリート2003番地に健在で、2007年にはシティ・ランドマークに登録された。Dogtown Coffeeと名前を変えた今も、変わりゆく街のなかで、多くのサーファーやスケーターが訪れる聖地であり続けている、とオーナーのアサーフ・ラズはいう。「スケーターのあいだには、すごく強固な仲間意識がある」とグレンは世界中のスケートパークに存在するZ-BOYSのレガシーについて結論づけた。「でも、大切なのはひとりひとりの個性。その仲間意識を活用して、より良いコミュニティを築いていく能力なんだ」

 それは今回再集結し、スケートボードの60年の歴史を振り返りながら、同じような知恵を与えてくれたメンバーたちに共通する想いだ。「どんなことでもいいから、夢中になれることをして」とペギーは呼びかける。「子どもたちのエンパワメントでも、プラスチック汚染の問題でも、動物保護のボランティアでもいい」充実した生活を送るためのカギは自分の夢に集中することだ、とステイシーは断言する。「しかもこれは、学校の先生に集中しろと叱られ続けてきたヤツの言葉だからね」

トニーが最高の言葉でインタビューを締めくくってくれた。「スケートボードは俺に人生の喜びを与えてくれた。でも、俺の今の仕事は教え導くこと、教師のような役割だと思っている。行動はどんな言葉よりも雄弁だ。俺だって63歳になった今も、少しずつ前に進んでいる途中だから」

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