Blue Film Woman (Kan Mukai, 1969)

ピンク映画が日本映画界に起こした”セックス革命”

1960年代の成人映画ムーブメントは、いかに日本の映画業界を変えたのか。配給会社の代表やピンク映画監督へのインタビュー。

by James Balmont; translated by Nozomi Otaki
|
09 April 2021, 1:00am

Blue Film Woman (Kan Mukai, 1969)

「なかには心底つまらない映画もありますよ」とドイツの配給会社ラピッド・アイ・ムービーズ(Rapid Eye Movies)の代表を務めるステファン・ホールは笑う。知られざるアジア映画の発掘者として、彼は長年にわたり低画質の映画を字幕なしで鑑賞してきた。

しかし、このダイヤの原石にはそれだけの値打ちがある。彼の最新の戦利品は、欧米には存在しないユニークなインディペンデント映画制作ムーブメントから生まれた〈お宝〉。それが1960年代から70年代にかけて日本映画に革命を起こした、スキャンダラスな〈ピンク映画〉だ。

 しかしステファンによれば、ラピッド・アイ・ムービーズは元々このジャンルを中心的に扱う予定はなかったという。ピンク映画は初期のサイレント映画の同様、文化的価値の高い芸術品というより、使い捨ての娯楽とみなされていた。

しかし、今年3月には映画配信サービス〈MUBI〉で初公開され、今や全世界で閲覧可能だ。同サイトで配信中の『Keiko Sato: Pinku Maverick』(500本以上を手がけたピンク映画のパイオニア、国映の佐藤啓子プロデューサーに焦点を当てた作品。日本からは閲覧不可)は、映画史に残る唯一無二の作品を生み出し、日本を代表する映画監督を輩出してきた、この複雑で刺激的なサブジャンルに肉薄する。それを構成するのは、すべて日本のセックスフィルムだ。

 ステファンによれば、ピンク映画の誕生は1960年代。1958年に11億人を記録した日本の映画館入場者数は、テレビの普及によって、翌年には300万人へと落ち込む。人もまばらな映画館には、観客を呼び戻す目新しい呼び物、官能的でスキャンダラスな作品が必要だった。そこから誕生したのが、暗示的な性描写のスリルとメインストリームの映画に勝るとも劣らない情熱を融合した、低予算の映画だ。

Inflatable Sex Doll of the Wastelands (Yamatoya Atsushi, 1967)
Inflatable Sex Doll of the Wastelands (Yamatoya Atsushi, 1967)


ピンク映画はポルノではない。そもそも日本では、長らく性器や陰毛を映すことが禁じられている(前述の佐藤プロデューサーのキャリアも、友人の父親が映倫の審査に違反する作品を配給して逮捕されたことをきっかけに始まった)。その代わりに乳房や素肌が主な見どころとなり、リアルなストーリーを語る映像で淫らな性的体験を描いた。

 リアルといっても、配達員が特別な届け物をしたり、水漏れを修理する配管工を呼んだら……というありきたりな展開ではない。『荒野のダッチワイフ』や『天使の恍惚』、『日本の夜 女・女・女物語』などのタイトルからは想像もつかないが、これらの作品は暴力犯罪、時代劇、現実離れしたファンタジー、コメディを扱っている。

 成人映画館で3本立てで上映されたピンク映画は、全国を席巻した。1970年には、日本で制作される映画の半数近くがピンク映画に分類された。

ピンク映画業界は、ただ映画監督に娯楽を提供させる場を与えただけではない。ほんの少し素肌とわいせつなシーンを見せることと引き換えに、大胆な政治的メッセージを込める機会を提供していたのだ。


「(ピンク映画は)技術的な枠組みなんです」とステファンは、扇情的な描写以外の暗黙のルールについて説明する。これらの作品は「ほぼ予算ゼロで」35mmフィルムで撮影され、1週間ですべて完成された。

「こういう制約の中にも、自由はたくさんあります」と彼は断言する。現代で活躍するピンク映画監督のいまおかしんじ(『UNDERWATER LOVE -おんなの河童-』『たそがれ』)も、ステファンに同意する。「ヌードさえ見せれば、あとは何をやってもいい」と彼は通訳を通じてi-Dに語った。

だからこそ、この怪しげな日本映画の一ジャンルは、無限のクリエイティビティの宝庫となった。1967年の奇妙なモノクロ作品『荒野のダッチワイフ』は、前衛的なジャズをBGMに、ハードボイルドな殺し屋がならず者や娼婦で賑わう怪しげなバーに出入りする様子を描く。大和屋竺監督は鈴木清順監督のヤクザ映画『殺しの烙印』の要素を随所に散りばめ、この知る人ぞ知る傑作ピンク映画をつくりあげた。彼は両作で脚本を担当している。

Gushing Prayer (Masao Adachi, 1971)
Gushing Prayer (Masao Adachi, 1971)

ピンク映画最初期のカラー作品のひとつ『ブルーフィルムの女』は、ホラー要素にグルーヴィな間奏曲を組み合わせ、オースティン・パワーズも思わず赤面するような物語が展開される。『おんな地獄唄 尺八弁天』は、セックスシーンの多いクエンティン・タランティーノ監督の『キル・ビル』といった雰囲気の1本。お尋ね者の女がマカロニウエスタン調のギターに合わせ、近代以前の日本の村で容赦なく刀を振るう。

 ピンク映画業界は、ただ映画監督に娯楽を提供させる場を与えただけではない。ほんの少し素肌とわいせつなシーンを見せることと引き換えに、大胆な政治的メッセージを込める機会を提供していたのだ。

 米国の〈活気あふれる60年代〉が、ベトナム戦争への抗議としての性的解放を象徴していたように、日本においてもセックスは反骨精神を表す手段として活用されていた。1970年代はじめには、日米安保条約(近隣共産国との領土問題を抱える日本に、米国の冷戦下における政策に従うことを強いるもの)の延長によって、国民の怒りと抗議の矛先は政府へと向かった。この文化的な記録については、『噴出祈願 十五代の売春婦』が多くを物語っている。

Gushing Prayer (Masao Adachi, 1971)
Gushing Prayer (Masao Adachi, 1971)

足立正生監督による陰うつで謎めいた本作は、決して満ち足りることのない十代の娼婦の物語。そこに希望を失い、自ら命を絶った十代の若者たちの遺書を読み上げるモノローグが挿入される。これぞ娯楽としてのエロティシズムの固定観念を覆し、喪失感を鮮烈に描く手段とした〈セックスフィルム〉だ。本作は次世代の暗い未来を予言するかのように、主人公の流産によって悲劇的な結末を迎える。

 続く10年間で、日本の大手スタジオはピンク映画の観客を奪っていく。日本最古の映画製作・配給会社、日活は、70年代に成人映画路線へと移行。同社のライバルである東映はアクションを取り入れた〈ピンキー・バイオレンス映画〉で名を馳せる。

 1980年代にはホームビデオが再び消費のあり方を一変させ、ピンク映画業界は今、大手スタジオの合併やビデオスルー作品の増加によって、窮地に追い込まれている。業界全体の変化によって大手スタジオの財布のひもが堅くなるなか、ピンク映画は新たな役割を獲得した。このジャンルは「映画制作の学校」のようになった、とステファンは指摘する。ピンク映画は、若く熱心な監督がメインストリームの映画業界への進出を果たす前に、実力を証明する手段なのだ。きっとこの時代のピンク映画からも、現代の日本映画を代表する監督が生まれるだろう。

Abnormal Family (Masayuki Suo, 1984)
Abnormal Family (Masayuki Suo, 1984)

世界的なヒットを記録したホラー映画『リング』(1998)の中田秀夫監督も、キャリア初期には『女教師日記・禁じられた性』などの作品を手がけていた。MUBIで配信中の1984年のピンク映画『変態家族 兄貴の嫁さん』は、1996年の『Shall we ダンス?』(2004年にリチャード・ギアとジェニファー・ロペス主演でリメイクされた)と並び、米国で興行的成功を収めたアジア映画のひとつだ。2008年にアカデミー賞外国語映画賞を受賞した『おくりびと』の滝田洋二郎監督も、1982年に始まった『痴漢電車』といういかがわしいタイトルのコメディシリーズで、成功への第一歩を踏み出した。

しかし、今日のピンク映画業界のクリエイティビティの頂点に君臨するのは、人間の愛を求める沼地のクリーチャーを描くピンクミュージカル映画『UNDERWATER LOVE -おんなの河童-』だろう。

さまざまなジャンルやスタイルを効率よく取り入れた本作では、ワイルドなミュージカルナンバーをバックに情熱的なセックスシーンが繰り広げられる。ステファン自身もプロデューサーとして携わり、『花様年華』で知られるクリストファー・ドイルが撮影監督を務めたこの日独合作映画は、いかにこのジャンルが世界的に評価されているかを証明している。

Underwater Love (Shinji Imaoka, 2011)
Underwater Love (Shinji Imaoka, 2011)

しかし、〈ピンク七福神〉のひとりであり、この分野の第一人者として活躍するいまおか監督は、ピンク映画の未来は決して楽観視できない、と語る。「昔はテレビや映画でのセックス、暴力描写はタブー視されていましたが、最近は当たり前になっています」と彼はいう。

「ポルノ映画もいろんな場所で手に入るし、オンラインで簡単にアクセスできる。全盛期には国映をはじめ多くのスタジオがあり、それぞれ成人映画館を運営していた。でも、今はもう30館くらいしか残っていません。業界全体が衰退の一途をたどっていて、そのうち消えてしまうでしょう」

それにもかかわらず、ステファンと佐藤啓子プロデューサーが修復したピンク映画が、2018年に世界に名だたるベルリン国際映画祭でプレミア上映されるなど、このジャンルは今までになく多くの観客の注目を集めている。いまおか監督のキャリアの未来は、中田監督をはじめとするピンク映画の先駆者たちと同様、少しだけ明るくなったといえるだろう。

いしおか監督はピンク映画以外のインディペンデント作品にも取り組んでいて、地震が夫婦とその幼い娘に与えた悲惨な影響を描く『れいこいるか』は、映画批評専門誌『映画芸術』の2020年日本映画ベスト1に選ばれた。

 愛するジャンルが死にゆくなかで、何が彼のモチベーションとなっているのだろうか。「ピンク映画をつくっていたときの自由さです。これからもそれを追求していきたい」

Women Hell Song (Watanabe Mamoru, 1970)
Women Hell Song (Watanabe Mamoru, 1970)

1991年、ベテラン批評家のドナルド・リチーに「性的な結びつきの喜び」を表現するというより「女性の名誉毀損」だ、と一蹴されたピンク映画は、1960年代の扇情的で不埒な業界から抜け出し、注目に値する文化的価値を証明してきた。

重要な社会の記録であれ、ステファンいわく「文化的な芸術品」であれ、型破りで、興奮と荒々しいクリエイティビティを求めるピンク映画が、インディペンデント映画の可能性を示す青写真を変えたことは確かだ。今振り返ってみれば、ピンク映画は、90年代のハリウッドに画期的なエロティック表現をもたらしたポール・バーホーベン『氷の微笑』のようなパイオニア的存在とみなすこともできるかもしれない。

Tagged:
Sex
Film
japan
movies