Photography Ellius Grace

共同創設者サラ・アンデルマンと巡る、最後のColette

2017年12月20日でその20年の歴史に幕を下ろすコレット。最後のさよならを言うため、i-Dはこの伝説的なセレクトショップの共同創設者であるサラ・アンデルマンに会いに行った。彼女はインタビューの中で、営業終了後のビジョンを口にした。

by Ellius Grace; photos by Ellius Grace
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20 December 2017, 8:37am

Photography Ellius Grace

コレットの店内はとても賑わっていた。レジに並ぶ列が、地下にある人気レストランとウォーターバー(各地の名水を提供するスペース)へと続く列に交差するまで伸びている。良く晴れた11月のパリの午後、閉店を迎えたコレットはSaint Laurentとのコラボレーションを発表する直前だった。

1997年にサラ・アンデルマンとその母コレットは、住んでいたアパートの階下にあった空き店舗でショップを始め、それ以来ずっと同じ場所で営業を続けている。創業当初からコレットはそのウィンドウディスプレイや、著名アーティストから、まだ誰も知らないような新人まで、誰とでもコラボすることで知られていた。口コミは素早く広まり、コレットはパリで現在のような地位を確立していく。デザイナーアイテムやアクセサリー、オブジェ、芸術書、雑誌を巧みにミックスさせたそのキュレーションや、ChanelからAston Martinにまでおよぶ幅広いブランドとのコラボが話題となった。

しかし、20年営業を続けたコレットは2017年12月20日に閉店する。サラは上階のギャラリースペースにいた。写真を撮られるのを好まない彼女だが、その代わりに、店内を回りながらいま気になっているオブジェやコラボレーションを指し示し、その写真を撮らせてくれた。

サラは親切だがビジネスライク。彼女がコレットの歴史と深くつながっていることは話せばわかるし、売り物のオブジェにも精通している。店内を一緒に歩いているあいだも、彼女はたびたび商品の位置を直したり棚を整理したりしていた。母との関係性という面はもちろん、20年以上もその情熱を傾けてきたプロジェクトとしても、コレットが彼女の人生において重要な位置を占めていることは明白だ。

——22歳で母親と組んでセレクトショップをオープンさせるというのはどんな感じでしたか?
とても自然なことでした。母とはずっと近しい関係でしたから。最初はそうと気づかなかったのですが、あとになって、私と一緒に仕事をするためにこのプロジェクトを始めたと母が言っていました。

——子どものころ、コレットさんからどんな影響を受けましたか?
影響と言えば、仕事です。母はいつも働いていました。休まずに。子どものころはその姿を見ることも少なかったくらい。お土産もぜんぜんなくて。朝早く出て、夜遅く帰っていましたから。

——でもこのショップが当時のお土産となったのではないですか?
もちろん。でもコレットができる以前、母は私に仕事、仕事、仕事と言っていたんです。まだ小さかったころ、こう言ったのを覚えています。「もっとお母さんの顔が見たい」って。でも彼女は「だって旅行に行きたくないの?」と返したんです。でもコレットに関しては、ブランドをセレクトしたり、ギャラリーでの展覧会を企画したりするにあたって、私にたくさんの自由裁量をくれました。すごく嬉しかったですね。学校みたいに毎日学ぶことができて、なんて私は恵まれていたんだろうと気づきました。納得できるものでしたね。

——コレットをつくっていくにあたっての基準は何だったのですか?
まずは異なるものをミックスしていくことです。テーマは“スタイル、デザイン、アート、フード”。当初からファッションだけ、ビューティだけではなくて、ギャラリーやストリートウェア、デザイン、家具、そしてレストランをミックスしたものだったのです。最初のころから、クラシックなハイブランドと新進デザイナー、私たちがサポートしたいと思うブランドのあいだでバランスをとっていました。主たる目標はクリエイティビティ。おもしろい才能を発見し、彼らが自身を表現できる場をつくることです。

——20年でもっとも思い出深かったことは何ですか?
とてもたくさんのものを手がけてきたので、ひどい思い出もあります。ですが、いつも思い出し、最後の日にもやろうと思っているのは、非常に象徴的なことです。窓と1階の透明なボックスの中に本物の蝶を入れたのです。これは始まりを象徴する、とてもすてきなイメージでした。オープンしたとき、ショップのロゴはオレンジだったのですが、6ヶ月ごとにロゴの色を変えようと思っていました。Kiehl’sのような薬剤品を置いたり、スニーカーブランドとも取引をしたし、Emilio Pucciを見に行ったりもしました。当時は、アップタウンの女性に向けたニューヨークにある小さなショップでしか手に入らないようなもの、私たちが大好きでパリに紹介したいと思ったものたちです。すべてはロンドンやニューヨークに集まっていましたから。顧客には好奇心もあったでしょうが、6ヶ月も持たないんじゃないかという疑念も向けられました。

——最初に売ったものを覚えていますか?
20周年をお祝いしたとき、経理の担当者に最初のレシートをプリントしてと頼んだんです。びっくりしました。『Self Service』や『Purple』といった雑誌だったのですから。もちろんKiehl’sやRed Comme des Garçonsもたくさんあったのですが。

——セレクトはどのように行っていたのでしょうか?
いつもすごく直感的に選んでいます。私たちはたくさんのものを目にしますが、それをちゃんと見なければいけません。ひとりでにやって来るわけじゃないですから。いつもパズルに例えます。どのブランドもほかのものに何かを足すものでなければならない。ときには、すでに取り扱っているものと非常に似たものを見ることもあります。セレクトにはいつも何らかの新しさがなくてはいけませんが、私はそこに信頼性や品質を見つけ出そうとしているのです。とてもクールなブランドだと思っても、質が良くなければショップで扱うことはできません。顧客の信頼を失いますから。しばらくすると、私たちは制約を設けず、何に対してもオープンでいられるようになりました。当時、PradaやGucciのようなブランドを扱い、それらをBLESSやJeremy Scottといったブランドの商品と組み合わせるのは素晴らしいことでした。最後の6ヶ月間は、毎月新しいブランドを紹介するポップアップを行っています。

——ショップの精神に忠実でいられたのはどうしてでしょうか。
当然、私はただ座って「ああ、これはいいわね。すごく人気があるし、これだけで成立する」なんて言ったりしません。いつだって次のことと向き合い、過去を振り返ったりしませんでした。

——コレットをこれほど人気で影響力のある場所にしたのは何だと思いますか? 既存の、そして新しくできたほかのセレクトショップとはどのような点が違っていたのでしょうか。
私は、自分の殻に閉じこもり、周りを見渡してものを持ってくるような人間ではないですから。セレクトという面でも、ショップでの扱い方でも、私たちは時勢に合うように取り組んできたと思います。気づかれないときもありましたが、棚や照明を少しだけ変えたりして。身の回りにあるものすべてが進化する中で、私たちも進化し続けたのです。休まず、常に次のことに目を向けています。影響力を持とうとしたことはありません。自分たちの好きなものを追い続けただけです。

——パリはコレットをどのように特徴づけたでしょうか。
本当に、パリのため、この立地のためにコレットをオープンしたのです。ここに引っ越して、このスペースが長いあいだ空いていたのを目の当たりにしました。訪れたその日に私たちの頭には、お店のビジョンが浮かびました。ロンドンやニューヨークに店舗を開かないかというオファーをたくさんいただきましたが、「いいえ、もうあそこには素晴らしいショップがたくさんありますから」と私たちは答えていました。パリにも素晴らしいショップはありますが、1997年当時の百貨店はすごく退屈なものでしたし、何か新鮮なものを持ち込みたいと考えていました。もちろん、パリやパリコレがここ数年ですごく進化したことは、とても嬉しく思っています。

——コレットを訪れるといつも香りが素晴らしいと思います。これがショップをかたちづくる要素のひとつとなったのはどのくらい前なのでしょうか
すごく自然に始まりました。キャンドルを置いていましたから。最初のものはSeaという名前だったと思います。ボックスにはすてきな絵が描かれていて。それでショップには香りが必要だと思うようになったのです。そんなわけで私たちはそのキャンドルを選び、それがお店の個性になっていったのです。イチジクの香りだったと思います。でも私はもうその香りを嗅ぐことはできないのです。慣れすぎてしまったんですね。ある日、私たちはそれをAir de Coletteに変え、それが私たち独自の香りになりました。どのショップ、どのブランドも、香りを持つのはすてきなことだと私は思っています。ショップで音楽を流すみたいに、すぐその場所が生き生きとしてきますから。

——コレットはずっとブランドやアーティストとのコラボレーションを続けてきました。特に印象に残っているものはありますか
とても多くのことをやってきましたから、思い出すのは難しいですね。でもChanelのようなブランドと組めたことは素晴らしい経験でした。6〜7年前にポップアップストアをしたときは、Hermesがスカーフのコレクションを出品して、Laduréeも登場しました。マカロンが大好きなんです。そしてもちろんNikeやadidas。非の打ち所がないコラボレーションのアイデアを提示されることもありました。そんなときは「いいですね、ぜひやりましょう」と言うだけでしたね。多すぎるほどのコラボレーション!

——頓挫したものはありましたか? とてもやりたかったコラボレーションは?
Louis Vuittonですね。ですが、キム・ジョーンズのメンズコレクションを通して、何とかやることができました。それからコカ・コーラと一緒にオリジナルボトルを作ったり、SmartやAston Martinなどの車メーカーと組むことができたときは、夢がかなったようでした。すごくやりたいと思っているけどできなかったものは、思いつかないですね。間接的に航空会社やバイクのヴェスパともコラボしました。あれは素晴らしかったですね。

——6月にBALENCIAGAが車を店内に持ち込みましたよね。どうやって2階に搬入したのですか?
窓からです。すごく大変でした。吊り上げて窓から入れる機械が動かなくて。朝7時に店内に入れる予定だったのですが、結局10時になってしまったんです。あのインスタレーションはどれも素晴らしいものでした。

——雑誌とアートブックのコレクションは、このショップを特別にしている要素のひとつです。あのキュレーションはファッションとどう違うのでしょうか。
ファッションとは少し違いますね。有名な雑誌は今やどこでも手に入りますから。1997年に開業したときは『i-D』と『The Face』がすべてでした。そのふたつがあったからこそ、雑誌のコレクションを置こうと思ったのです。『Self Service』などの雑誌はもう少し小規模に流通していたので、もっとインディペンデントでしたね。パリのキオスクを知っているでしょう、昔はフランスの出版物しか置いていなかったんです。フランスの新聞と雑誌だけ。だから、ニューヨークやロンドンの雑誌と連絡を取ったのです。直接取引をしようと思ったのですが、時が経つにつれて、ここなら販路があると知った人たちからどんどん連絡が来るようになりました。ですが本当に、『i-D』は私が初めてロンドンで目にした雑誌でした。そしてこの雑誌を絶対コレットに置きたいと思ったのです。今は素晴らしいインディペンデントマガジンがたくさんあります。驚いたことに、どんどんデジタル化していく世の中で、毎日新しい雑誌が生まれているのです。グルメやアート、イラストに関連したものが好きですね。今、ちょうど新しい『Papier Magazine』を置いたばかりなんですが、今号はたくさんのイラストを使ってコレット特集をしてくれているんです。今や雑誌は、とても刺激的で非常に重要なアート作品ですね。

——このあとはどうするのですか? 新たなビジネスを計画中ですか、それとも先に休暇でしょうか?
まずは最後までコレットに注力して、そのあとはブランドやアーティストと組んで、コレットに続くような何かをするつもりです。直接ブランドと関わりながら、シーンの裏方をするとか。

取材が終わると、サラはメールの返事を書いたり、ショップで行う次の展示をオーガナイズしたりするために自分の家へ帰っていった。次の展示は、洋服、アクセサリー、シューズ、ハイヒールローラースケートやスケートボード、ライターまで、すべてを網羅したYves Saint Laurentのコレクション。本物の蝶をフィーチャーしたコレットの最後のウィンドウディスプレイは、サラがこのショップに別れを告げる前、最後に立ち会うものになるだろう。

コレットとサラは、まさに彼女たちのやりたいと思ったことをしてきた。直感に従い、ほとんど妥協を許さない。実店舗よりオンラインの方が好まれるようになってきた業界において、彼女たちは勝利をつかんだのだ。そんなアイコニックな場所が今月末で営業を終了するというのは悲しいことだが、このショップが望んでそうしたのだという事実で心を慰めるしかない。コレット・ルソーはショップの先行きを心配することなく引退できるし、サラもまた次なる素晴らしい道への一歩を踏み出せる。これからもコレットは伝説のセレクトショップであり続け、その影響力は閉店後も長く続いていくことだろう。サラはこう言っていたではないか。「休まず、常に次のことに目を向けています」

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