『タイニー・ファニチャー』レナ・ダナム監督インタビュー

『Girls/ガールズ』で一躍“わたしたち世代”の代弁者となったレナ・ダナム。彼女の原点であり、『Girls』の姉妹作ともいえる映画『タイニー・ファニチャー』がついに劇場公開を果たす。レナが8年前のデビュー作、グレタ・ガーウィグ、母親の影響を語る。

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aug 12 2018, 3:55pm

レナ・ダナムの『Girls/ガールズ』をはじめて観たとき、「同じ国の違う世代より違う国の同じ世代」だと思った。ダナムが20代を捧げたこのドラマで彼女が演じる主人公ハンナは「大げさなようだけど、私は若者を代表する時代の旗手なの。少なくとも私の世代の代弁者ではある」と口にするが、一方で、彼女は大学を卒業してもろくに就職もせず(残ったのは学費ローンだけ)、親の援助に頼った甘ったれで思い上がった怠け者だった。

しかし、育った環境も住んでいる国も性別も全く違っているはずなのに似ているその姿に親近感を見出したのであり、ミレニアル世代のあいだで価値観や考え方を共有していることを実感させたのである。“勝つこともあれば負けることもある”ではなく、クジならハズレばかりを引いてしまうような“踏んだり蹴ったり”で全然思い通りにいった試しがない人生の方が、同時代に生まれて生きている私たちにとってはずっとリアルなのだ。彼女は、道に迷って自分の居場所を見つけようとしているときに体験する惨めな失敗や過ちをトラジコメディとして描いている。

『ガールズ』は、当時、若干23歳のダナムが監督・脚本・主演を務めた長編第二作『タイニー・ファニチャー』(2010)の精神的続編であると言え、その方法論を拡大させたものだ。家族や友人を作品に関連づけるマンブルコアのミニマリズムに影響を受けた『タイニー・ファニチャー』で彼女は、母親役を実母である写真家ローリー・シモンズ、妹役を実妹グレース・ダナムに演じさせ、友人のジェマイマ・カークや先輩のアレックス・カルポウスキーを起用している(ふたりは『ガールズ』にも引き続き出演している)。彼女の実家やその周辺のマンハッタンのトライベッカやソーホーを舞台に撮影し、自分を反映させた物語を一人称的に語りながらも、8年前の本作からは、すでに客観的で成熟したまなざしを持ち合わせていることを確かに感じさせるだろう。恵まれた文化的な環境で育った彼女だが、自分を大切にする方法を知らず自尊心の欠落した20代の憂鬱な記憶や体験を美化することなく、しかし正直で気取りのないユーモアで、不確実な未来に立ち向かうものとしてそれを描くことができるのだ(米公開時にはコメディアンのウィル・フェレルも彼女のコメディ・センスの鋭さを称賛した)。

また、2014年の著書『ありがちな女じゃない』では「時が経つにつれ、様々なものに対する信念が変わっていった。結婚、来世、ウディ・アレン。でも母性に対する思いは変わらない」とダナムは明かしているが、2010年に製作された本作を通して、彼女の一貫しているものと変化が同時に感じられる点も興味深い。

このたび、レナ・ダナムにメールでのインタビューを行う幸運に恵まれた。彼女は、自身の原点である『タイニー・ファニチャー』について振り返って、簡潔でありながら率直かつ明快に答えてくれた。

──オーラ(レナ・ダナム)の母親がミニチュアの小さな家具とそれにフィットしないような大きな人間の足を並置して写真を撮る象徴的な場面から映画は始まります。大学卒業後の空白期間を描いた自伝的な作品であるこの映画のタイトルになぜ『タイニー・ファニチャー(Tiny Furniture)』というどこかメタフォリカルな言葉を採用しましたか。

「この映画は、自分が小さくて世界になじめないと感じていたときの話だからです。私の母は、あのようなミニチュアの写真によって、自分の居場所を見つけました。だから、この映画にはミニチュアがたくさん出てくるの」

──グレタ・ガーウィグは(マルコム・グラッドウェルの「1万時間の法則」に倣って)「成功するにはまるで1万時間の準備が必要だったように感じた」と話しています。本作のスペシャル・サンクスにはライ・ルッソ=ヤングやタイ・ウェストらの名前もありますが、あなたがまだ経験不足な状態でも映画を作ることが実現可能な目標であると思えたのは、マンブルコアと出会ったことが大きいですか。マンブルコアはあなたにどのようなインスピレーションを与えましたか。

「マンブルコア映画のおかげで、自分にもできると思えました。私にも映画を作ることは可能で、自分の物語に映画にするだけの重要さがあると信じさせてくれたのです」

──本作を親しい友人たちとともに作っていますが、家族がそのままの関係性で出演し、実際の生活が混じる試みは同じニューヨークの監督であるジョン・カサヴェテスも彷彿とさせるものがあります。自分自身が直面している個人的な問題を扱う点や演者を愛する点においても通じるものがあるかもしれません。芸術と人生の距離を縮めることによってあなたは何を期待しますか。それによって何か真実を引き出せると思いますか。

「自分の知り合いで、ものを作ることを愛する人たちと仕事をすることは、同じ言語感覚を共有できるという点でとても親密な経験だと思う。言語感覚を共有できることは監督としてとてもありがたいことで、そのおかげで仕事がよりやりやすくなるし、楽しくなるから」

──オーラが下着のまま歩き回る姿を収めていますが、それはまるで家の中の安全な空間での私たちの振る舞いをスクリーンに映し出しているかのような独特な親密感を生み出しています。マンブルコアやあなたの作品では、性に関係のない状況でただ無邪気にありのままの姿として裸、ないしはそれに近い姿であることがよく見受けられますが、このようなシーンを用意することはあなたにとってどのような意味を持ちますか。

「裸というのは、自然で人間的で、自発的なもの。人々の身体による関係性を通じて、誰かの人生の物語を語ることができます。私は、裸の姿になることでオーラという人物について学んだのです」

──父の不在の中でオーラは幼児のようにパジャマで歩き回り、母の隣で眠ることを求めています。本作の精神的続編のような『ガールズ』ではずっと自分勝手だったハンナが母になり、優しく息子の面倒を見ることで安らぎが訪れる一方、本作では母体回帰を求めることで彼女は安らぎを求めようとしているかのように見えます。

「母性というのはとても複雑な経験ですが、私は不妊だから伝統的な意味での母性を持つことはないと思います。私の物語の多くは母娘の関係についてのものだと深く感じてはいますが、そういう意味では私には母性はわかりません。ただ振り返ってみると、このようなことをスクリーン上で経験したことにとても感謝しています」

──父の不在に加えて、二人の男が登場します(寄生虫のようにオーラの家に居座るYouTuber、性的搾取する職場の上司)が、どちらもオーラを利用して自分のやりたいことだけをやるナルシシスティックな人間に見えます。男性キャラクターの描き方に関して何か意識していた点はありますか。

「これらの人物は、私の知っている、かつて愛した人であり、そして私を傷つけた人たち。あれ以来、私はたくさんの男性といろんな付き合い方をしたけれど、自分が愛し称賛する男性に捨てられ、無視されたり、傷つけられる苦痛に勝る苦痛なんてない」

──本作は、ロマンスを巡る若い女性の典型的な成長物語ではありません。白馬の王子様のようなひとりの男の子を中心にするラブ・ストーリーではなく、登場するふたりの男はどちらもオーラにとって間違っています。そのような点は、ある意味『レディ・バード』(2017、グレタ・ガーウィグ)と共通しているかもしれません。

「グレタが大好きだし、彼女の考え方や作品を愛しています。私たちは2人とも女性とそのダイナミックさについて扱っています」

──オーラはある種、生命の蘇生(時の可逆性)を求めるかのように白いハムスターの死骸を保存しますが、しかし一方でエンディングでは目覚まし時計を遠ざけようとしても時は進み続ける生の時間の不可逆性を認識させます。この映画の中では生きた記録である母親の日記が娘にとって母の過去との間でつながりを見出す重要な役割も果たしていますが、“時間”という要素はこの物語の中で何か大きな意味を持つでしょうか。

「この映画で描いている時期は、まるですべての物事が静止しているような感じでした。すぐに彼女の人生はスピードアップするけれど、あの時点ではハムスターと同じく凍っているの」

──あなたに対して「欠点と衝動を描く感情表現にシンパシーを覚えた」とジャド・アパトーは語っていますが、オーラもハンナも自己愛が強く怠惰で努力しない、あるいはしばしば失敗や間違いを犯す人物のように見えます。なぜオルター・エゴであるヒロインを紋切り型ではなくそのように構築することを好むのでしょうか。

「それこそが私自身です。私は失敗して、またチャレンジする。私には断固としたものがあるけど、同時に完璧ではなくて、そして私はそういう自分のような女性を見たいのです」

──あなたは『スリープウォーク・ウィズ・ミー』(2012)のマイク・バービグリアを「喜劇的なペルソナにシームレスになる能力がある」と評しましたが、あなたもまたカリカチュアされた喜劇的なペルソナを演じることで、自分自身の視点から人生がどのように見えるかを共有しようとしているかのように思えます。一人称の語り口で物語ることはあなたにとって重要でしたか。

「私は、ほかに自分の物語を語る手段を知りません。一人称での語りは、私が誰であり、どんな人物かということを表現するものです。その結果、自分が傷つくときでさえ、それは自然と正直で自己投影的なのです」

──技術面についてもお聞かせください。撮影監督であるジョディ・リー・ライプスは、本作のために『アニー・ホール』などで知られるNYの撮影監督ゴードン・ウィリスを参照したようですが、彼と協力し、どのような映像を目指したのでしょうか。室内をスタティックな構図のなかシンメトリーに切り取っているのが印象的であり、トーンやヴィジュアルの面ではどこかハル・ハートリーの作品も思い起こさせるかもしれません。

「ハル・ハートリーの作品はほかのなによりも大好き! 私たちは様々なイメージ、特に母の作品について考えました。母の写真のおかげで、私はこの物語にぴったりな枠組み(フレーム)で語ることができたのです」

タイニー・ファニチャー』は、8月11日から東京のシアター・イメージフォーラムほかにてロードショー。