未来は女性と共にある:マリア・グラツィア・キウリ インタビュー

Christian Diorの由緒正しい規範を、現代の女性たちのために再構築したマリア・グラツィア・キウリ。彼女はこの老舗メゾンを率いる初の女性として、ファッション史を塗りかえた。

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okt 2 2017, 6:41am

This article originally appeared in i-D Japan's The JOY Issue, no.4.

この1年、マリア・グラツィア・キウリほど世間からさまざまな意見を引き出したデザイナーはいない。2016年の夏、彼女は52歳でChristian Diorを引き継ぎ、このブランド初の女性アーティスティック ディレクターとして歓迎された——しかし、彼女の単独デザイナーとしてのヴィジョンがいかなるものかは未知数でもあった。彼女は2008年よりピエールパオロ・ピッチョーリと組んでValentinoを手がけ、高い評価を獲得してきた。90年代はFENDIのデザインチームで働き、1999年からはValentinoのアクセサリー・デザイナーを務めていた。しかし、Diorではたったひとりであらゆる困難に立ち向かわなくてはならなかった。さぞかし不安だったに違いない。「いえいえいえ——心配はしていなかった。私に失うものがあったかって? 何もありません」。彼女はあのおなじみのあたたかくイタリア的な笑い声をはじけさせて反論する。マリア・グラツィアの大真面目で、疑いようなくローマ的な世界へようこそ。そこではみてくればかりのものは軽蔑され、正直さこそが信条だ。これが、ブランド史上最高のセールスに達したところでValentinoを離れ、そこで彼女と仲間で生み出した軽やかかつ厳格な美学を讃える目利きたちから待ち望まれていた女性なのだ。「いいわ」。彼女は肩をすくめる。「でも……もう終わったこと! 美しい関係とチームワークだった。美しい冒険。でも、いわば、ひとり夫がいたら2番目の夫が持てるみたいな」と、彼女は笑う。「ならやってみましょうと」。彼女の新しい夫は70歳になったばかり。

パオロ・レジーニ——彼女の実際の伴侶で娘ラケルと息子ニコラの父親——の話ではなく、Christian Diorのことだ。代々、男性アーティスティック ディレクターが鎮座してきたメゾンで、彼女はフェンシングのユニフォームをモチーフにしたファーストルックをデビュー・コレクションで発表。床に届く長さの刺繍入りチュールスカートと、「WE SHOULD ALL BEFEMINISTS(私たちはみんなフェミニストでなきゃ)」の文字が入った白いTシャツをあわせた18番目のルックは、彼女のファースト・コレクションを不滅のものとした。このショーによってマリア・グラツィアはすぐにアクティビスト・デザイナーと見られることになった。これがおそらく、Diorでの彼女のエートスなのだろうと。「時事性を取り入れた特別なものだったのだろうと思われているけれど、違います」。マリア・グラツィアはトランプと彼の女性観が世を支配したあの秋のことをほのめかしつつ断言する。「あのとき、私はとても個人的なものを伝えようとしていたし、同時にそれはとてもグローバルなものでした。星々と月の巡り合わせね。不思議なことに」。それからの1年で、彼女はDiorほどの強力なメゾンによって起こされる波は、それが何であれグローバルに感じられるものだということを知ったはずだ。1947年というきわめて早い時期にもう現代グローバルブランドの意味を理解していた創始者、クリスチャン・ディオールが世界を旅した足どりをなぞるにつれて。

「クリスチャン・ディオールは世界中の女性たちのスタイルをおおいに反映しています」と、彼女は4月、ジーンズとフェンシング・ジャケット、そしてあのフェミニストTシャツに身を包み、東京のグランドハイアットのソファで丸まりながら語った——指には巨大なカクテルリングが光っている。われわれは魔法にかけられた森のフェアリーテール的なイメージで創造されたマリア・グラツィアによる2017春夏オートクチュールのショーを再演するために、日本の首都に滞在していた。「もしあなたが現在ファッションに興味を持っているのなら、あなたはあるコミュニティの一部なのです。ファッションピープルは国際的なコミュニティです」と彼女は話す。グローバルに旅を続ける濃密な生活は、"世界中の女性と関係を結ぶべし"というこのメゾンとムッシュ・ディオール——彼はフランソワ通り1番地のアトリエでそう呼ばれていた——の現世哲学を学ぶ機会を彼女にもたらした。マリア・グラツィアは5月、カラバサス砂漠のベドウィンたちのテントで、間近に控えた2018クルーズ コレクションのショーについて語った。サフラジェットたちによる草原のパレードといった趣きで、彼女は自然のエレメントと接触する女性たちを扱っているのだと言った。「私たちは自らの本能を感じるべきです。私たち自身が何者であるか、何を求めているのかを私たちが決めなければなりません」と、彼女は強調する。

「ブランドに受け継がれた遺産が現在の女性たちのリアルなライフスタイルと噛み合わないこともしばしばあります。デザイナーはブランドの遺産を現代的なやりかたで、異なった女性たちのために翻訳することができる。私はこのやりかたで仕事をしようとしているんです」。Diorの70年間においてこのアプローチが適切なものとなるのは、それが女性の創造性から出てきた場合のみだろう。「私は直観的な女です。じっくり考え込むことはしません。私は私のやりたいことをやります」と、マリア・グラツィアは7月、地図製作法(にインスパイアされた2017秋冬のオートクチュールのコレクションとパリ装飾芸術美術館での大規模な70周年記念展覧会のお披露目の前日、パリのアトリエで言った。「白いTシャツと恋に落ちるときもあれば、美しいドレスが欲しくなるときもあるでしょう」。マリア・グラツィアは彼女が生まれ持った感覚——グローバルで、フェミニズムに駆動されたファッションを信じている。Diorのオフィスで、ブルーがテーマカラーの2017-18秋冬コレクションのひとつ、あのドラマチックなスカート・スーツに身を包んだ彼女は、毅然と先頭に立って誰もいない会議室へと歩いてゆく。Diorの名品「バー」ジャケットの彼女版はあえてボタンなしだ。非常に長いテーブルの上座につき、周りを見回して、いかにもボスらしいシチュエーションに思わず笑い出す。

「あなた! いったい何をしているの?」 彼女はわざと最大限に意地悪な女王様風の表情をつくって、いきいきとテーブルを指差す。うしろになでつけた、目が覚めるようなプラチナブロンドの髪、黒の太いアイライナー、そして例の指輪の数々をして、隅から隅まで最高責任者のレディらしく見える。「私?」 彼女は考える。「他の人たちに聞いてみるべきね。私は自分が何を求めているかをとてもよく知っているけれど、でも、結局のところとてもシンプルです。なぜなら私は自分が何を求めているか言いますから。私は自分の仕事に責任を感じています。なぜならファッションは、たくさんの人々に仕事を与えている巨大産業だから。ファッションは夢のよう、ファッションは美しい、ファッションは楽しい——けれどそれは同時にシリアスなものなのです」と、彼女は主張する。「マリア・グラツィアは人の言うことによく耳を傾けるけれど、彼女は自分が何を求めているかについて非常に強い信念を持っています」と、スティーヴン・ジョーンズはメールで述べている。過去20年にわたってDiorの帽子デザイナーを務めてきた彼は、マリア・グラツィアのコレクションのために帽子を作り、各地でのショーのために彼女と一緒に世界を旅している。「彼女は非常に珍しい要素を持ち合わせています。なぜなら彼女はある種のデザイナーに特有の政治観、倫理観、デザイン哲学を持っているけれど、同時に彼女は非常に製品指向でもあるのです。アクセサリーの分野の出身ですから」と、彼は続ける。

「したがって、何が魅惑的かというと、彼女がそれをまとめるやりかたです。彼女はいつも私の帽子を自分で試着して、それがどんな効果をもたらすかを確認します。以前には決してなかったことだね」と、ジョーンズは認める。「外見はローマのレディでも、彼女の内側にはロンドンのパンクスがいるのです」。マリア・グラツィアの美しく魅力あふれる20歳の娘、現在ロンドンのチェルシーに住みゴールドスミス大学で美術史を学んでいるラケル・レジーニは、母親が「デスクに一日中座って洋服をデザインしているだけ」ではなく、「工場を訪れ、ファッションのビジネス面を知っている」タイプのデザイナーだと言う。今年6月、第二波フェミニズムについての論文を書きあげるためにローマへ帰省する前夜のパーク・シノワでのディナーで、ラケルは母のワードローブから自分のものにした古いVivienne Westwoodを着ていた。「彼女は見事な衣装持ちなの」と、ラケルは暴露する。彼女の記憶によれば、マリア・グラツィアは、「自分自身がもうわからなくなった」からという理由で2年前に栗色の髪をブリーチし、化粧をはじめたのは40歳を過ぎてからだという。そこでいまでは彼女のトレードマークとなっているゴス風のカレン・ブリクセン的コールのアイメイクを習得した。マリア・グラツィアをDiorへと導いていったその変化は、さらに大きな直観的自己変革の一部だったようにも見える。

それは、Diorのフェミニスト的なコレクションは政治的というよりむしろ個人的なものだとマリア・グラツィアが言うときに語っていることでもあった。「母は52歳ですべてをゼロからはじめたんです」とラケルは指摘する。「生まれ育ったローマを離れてよそへ行き、母として子育てをしながら働いてきた、ひとりの人間としての人生の旅路で」。マリア・グラツィアはDiorの役職を引き受けたとき、夫はローマに残し週末だけ訪れることにして、ひとりでパリへと引っ越した。「彼女はたったひとりで、必ずしも直面する必要のないたくさんの苦労を切り抜けてきました。だからこそ彼女はあのコレクションをやったような気がするんです」と、ラケルは話す。マリア・グラツィアは娘に17歳でロンドンに引っ越すよう勧めた。彼女自身の子ども時代があまり恵まれていなかったこともあり、自分の子どもたちにはそんな思いはさせたくなかったのだ。「どんな子どもも自由になりたければ、父親と母親を"殺す"必要があります。自分自身の視点を持つために。そしてそれは簡単な決断ではありません」と、マリア・グラツィアは言う。「私はたぶんいろいろなことを理解するのがとても遅かった。私がラケルにロンドンへ行くことを勧めたのは、家族から本当に自由になってほしかったから——イタリア文化からも。普通じゃないですね。でも私はあの子たちに自由になってほしいんです」

「母はいつも私と弟を大人として扱ってきました」と、ラケルは回想する。「私たちはいつも会話に参加していました。彼女は私たちに対して決して厳しくありませんでした。『私は私のすべきことをするから、あなたはあなたのすべきことをしなさい』って感じでした」。マリア・グラツィアからすると、それは彼女自身の子ども時代とは変えようという試みだった。「私の母はクレイジーでした。完全にクレイジー。そしてすごく自己中心的だった! 私が引っ込み思案なのはそのせいかもしれません。彼女があまりにも自己中心的に見えたから。母は私を当惑させましたが、自分の母親を選ぶことはできません」。笑みを浮かべつつマリア・グラツィアは言う。「母から距離を置かなければいけません。いまや彼女は私のことをみんなに話して回っているんですから。それに、私は静かな生活を送りたいのです」。ラケルは彼女の祖母を、非常に華やかな変わり者だと説明する。マリア・グラツィアの母はかつてお針子だったが、娘に大いなる期待をかけていた。「彼女にとって第一の選択肢は勉強でした。医者か弁護士といったすごくシリアスな仕事に就かせるために。両親は私を大学に行かせたけれど、それはあまりにも……」。マリア・グラツィアは口ごもる。「私は『私が本当に好きなことをやらせてよ』と言いました。母にノーと言うのは難しかった」

若きデザイナーとしてフィレンツェで歩みはじめたマリア・グラツィアは、当時の経済的な困難をよく覚えている。それは今日にも新進デザイナーたちを苦しめているものだ。そのあとローマで、女性による家族経営の会社であるFENDIで働いているときに子どもたちを授かることになったのは幸運だったと彼女は認めている。「FENDIの人たちは子育てしながら働くのがどんなことかをよく理解していました」。マリア・グラツィアがDiorの手綱を握って以来、娘は彼女にとってある種のミューズ兼ミレニアル世代のアドバイザーとなり、4月から5月にかけての旅にも同行した。東京では、マリア・グラツィアはオートクチュール コレクションを展開させた9ルックに、着物にインスパイアされたドレスを加えようとした——しかし、ラケルが許さなかったのだ。「彼女は『それは文化の盗用になる』と言ったんです。私たちはこの件について話し合い、私は『着物を好きで使うのがどうしてだめなの?』と言いました。それは日本版の「バー」ジャケットのようなものです。いいじゃない? すると彼女は『ダメ!』と言いました」。ローマ流の博愛が常に新たなポリティカル・コレクトネスの期待に沿うものとはかぎらない。「わかるでしょう、私はアフリカ文化や日本文化が大好き……それはどんな場合でも別の文化と別の人々を発見するひとつの方法です」と、マリア・グラツィアは主張する。「私たちは異文化の人々を知らなくてはいけない。理解しようとしなければいけないと思います」53歳にして世界最大のラグジュアリーブランドのひとつのクリエイティブ面の責任者を務めるマリア・グラツィアは、自身の最大の特権は"心配する必要がないこと"だと説明する。「22歳の頃、私はすごく肩に力が入っていました。うちの家族は『勉強しなさい、仕事をみつけなさい』みたいな感じで。ラケルがいまそうで、彼女はシリアスすぎると思います。私としては『ねえ、ラケル、ゆっくりでいいのよ』と。いま53歳になった私なら、大丈夫、リラックスできる。いま私はもっと遊び心のあるやりかたで働くことができるのです」。その例として、2回目のオートクチュールのショーの前々夜、マリア・グラツィアはフランソワ通り1番地の店を出てデペッシュ・モードのコンサートを観に行った。

地に足のついたプレタポルテと豪勢なオートクチュールのショーのあいだで、マリア・グラツィア・キウリはロマンティストであるのと同じ程度に実際的(プラグマティック)な現代女性の精神を体現していた。彼女が作っているのはそういう女性のための服だ。「私は夢見がちですが、生き抜くためには現実的にならなくてはいけません」と彼女は、イタリア的な満面の笑みそのままに言う。「夢の中で生きたいけれど、それは私には不可能です。私は私の夢が現実になるのを見たいのですから」

Credits


Text Anders Christian Madsen
Translation Momo Nonaka
Photography Zoë Ghertner
Styling Julia Sarr-Jamois
Hair Marki Shkreli at Bryant Artists using Marki Haircare. Make-up Maki Ryoke at Streeters using Dior. Set design Spencer Vrooman. Photography assistance Caleb Adams. Styling assistance Bojana Kozarevic, Alexandra Bickerdicke and Megan King. Hair assistance Tanasia McLean. Set design assistance James Rene and Brian Steinhoff. Production Connect The Dots. Casting director Angus Munro at AM Casting (Streeters NY). Model Selena Forrest at Next.
Selena wears all clothing Dior.