坂本慎太郎、細部に宿る愛が伝えるもの

“顕微鏡でのぞいたLOVE”をテーマにした新作アルバム『できれば愛を』をリリースした坂本慎太郎。たったひとりディティールを積み重ね、その絶妙なバランスのなかで追求している独自の音楽世界とは?

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dec 6 2016, 2:20am

結成から21年の活動を通じて、その作風を更新し続け、2007年のアルバム『空洞です』でバンドの完成形に到達した3人組ロックバンド、ゆらゆら帝国。日本語詞によるサイケデリックロックの紛れもない最高到達点であり、その作品は海外でも高く評価されていた。しかし『空洞です』の先にあるものを見出すことができず、2010年3月31日に突然発表した声明とともにバンドを解散。ソングライティングを担っていたヴォーカル、ギターの坂本慎太郎は、2011年よりソロ活動をスタート。ライブは一切行わず、これまでに『幻とのつきあい方』と『ナマで踊ろう』という2枚のアルバムをリリースしてきた。

「バンドとソロの違いですか?バンドの後期は、ライブのことを考えず作品を作っていたんですけど、バンド活動にはライブもついて回ってくるし、作る音楽もバンドメンバーで作っていたら、そういう音になるというか、制約にもなる。でもソロはライブを想定せず、どんな作品でも作れる。そして今は日本語の歌モノでどこまでできるか、ということに意義を感じています。それはバンド・ソロを問わず、ずっとやってきたことだし、研究を重ねてきたことでもあります」

かつては空虚さや虚無感を、あるときは恐ろしく、またあるときはどこかおかしく切なく描いてきた彼の作風は、ソロ作において徐々に変化し、歪んだ現代社会をアイロニックに風刺しながら描くようになった。

「当時と今とでは社会が変化したことももちろんあるんですけど、技術的なことも大きく影響していて自分のやりたいことがようやく形にできるようになってきたんですよね。そのやりたいことというのは、思いついたことをストレートに形にするということではなく、作品として繰り返し聴けるものであり、時間をおいても楽しめるものです。自分がやっているのは音楽なので、ただただ悲惨なものは作りたくなくて、どこか笑える要素を求めてしまう。そして日本の音楽は、音と言葉が分かれているものが多い気がしていて、それらが一体になったときの効果をより考えるようになりましたね」

2014年のセカンド作『ナマで踊ろう』は"人類滅亡後の地球"がコンセプトだ。ソウルやファンク、脱力的なスティール・ギターそして乾ききったバンジョーと、丁寧にかみ砕いた平易な言葉とともに生み出したディストピア・アルバムだった。

「『ナマで踊ろう』は作った自分でもあの厳しい世界に耐えきれなくなって、次は明るく楽しい感じのアルバムを作ろうと思っていたんです。でも、出来上がったアルバム『できれば愛を』はそうでもなかったというか、むしろ存在感や質感が重い作品になってしまった気がして。とはいえ、明るいという印象を持った人もいるので自分だけがそう感じただけなのかもしれないし。どんなアルバムなのかいまだによく分からないんですよね。このアルバムに限らずどの作品においても、楽しくなったりやる気になったりする音楽を作ろうと思ってはいるんですけど、"テンションをアゲていこうっていう曲"とか"突き抜けたようにさわやかな曲"を聴いても、みんながみんな元気になるわけじゃないというか。自分の場合、100%ポジティヴなメッセージを投げかけられても、むしろ気が滅入るだけなので、そんな自分にとっての楽しい表現はこれが最大限っていうことなのかもしれませんね」

『できれば愛を』のテーマは、"顕微鏡でのぞいたLOVE"。社会状況が決して明るいとはいえない、愛なき時代の愛。ラブソングというフォーマットが徹底的に使い倒され、すり切れてしまった現代におけるラブソングほど、扱いが難しい題材はそうそうないだろう。

「今回は早い段階から"LOVE"をテーマにしたアルバムを作りたいというアイデアがあったんですけど、僕が考えていたのは恋愛だとか人類愛だとか、そういうものではなく、今まであまり歌のテーマになっていない"LOVE"があるんじゃないか? ということなんです。そこからあれこれ妄想するなかで、"顕微鏡でのぞいたLOVE"というテーマに辿り着いたんです。例えば、地球上が焼け野原になって、生物が死滅したと思いきや、拡大して見たらよく分からない微生物がいたっていう、そんなイメージだったり、砂漠みたいなところに謎の微生物がいて、実は土地を浄化してた、とか。顕微鏡をのぞくような違った視点から、表向き、そう思えないものを"LOVE"と捉えてみようと。ただしそのテーマは歌詞だけの話ではなく、微妙なニュアンスにこだわったサウンドの質感や演奏を含めた全ての要素の絶妙なバランスのうえで成り立つものをイメージしました」

作品でプレイするベーシスト、ドラマーとは、入念なリハーサルを重ねたうえでレコーディングにのぞんだ。そこではうまい演奏を求めたわけではなく、むしろ学園祭のバンドが慣れない演奏を一生懸命やっているような、そんなプレイを求めたという。さらに録音でもヴィンテージ機材を用いて、音の質感や鳴りを徹底して追求。音楽によほど詳しく、専門的な耳で聴かなければ、その違いははっきりと分からないかもしれないが、ちょっとした音の変化が積み重なると、曲や歌詞の印象は大きく変わってしまう。

「自分が今やっている音楽は、歌詞の言葉数も多くなく、表現もできるだけかみ砕いているし、曲も特別変わったことをやってるわけではないので、ちょっと何かを足したり足りなかったりするだけで、普通の物語になってしまったり、一面的な感情表現になってしまうんです。だから、聴いている人に伝わるかどうか分かりませんけど、自分のなかではちょっとしたさじ加減の変化で、はっとしたまま、宙に浮かんでいるように感じられるポイントーー笑っちゃうくらいパカーンと突き抜けたーーそんな表現を目指したんです」

彼自身、その出来に満足しているという「鬼退治」という曲では、桃太郎が中古車に犬やキジを乗せて、鬼退治に向かうユニークな歌詞世界が展開。そのストーリーは、市井の人が負けを覚悟で巨悪に立ち向かっていく現代の寓話としても解釈できるが、あっけらかんとしたリズムと間の抜けたスティールギター、ボイスチェンジャーで変声したロボットのような声、そしてソウルフルな女性コーラスは、悲壮感を感じさせず、むしろ、馬鹿馬鹿しい響きから力が湧き上がってくるようだ。彼の作品における絶妙なコンビネーションやバランスから生まれるマジックは、音と言葉だけでなく、タイトルやアートワークにも及んでいる。

「音と言葉があって、そこにどういうタイトルやヴィジュアルを合わせればいいか、すぐに思いつくときもあるし、思いついたとしても、実際に音とヴィジュアルを合わせてみないと判断できないときもあって。そこで予想外にいい組み合わせだったりすると、作品がよく聞こえたり、存在感を増したりするし、ダメな場合は一瞬で分かるので、その場合はさらに考えるんです。例えば『できれば愛を』っていうアルバムタイトルで、ジャケットが自分の写真だったら音が同じでも印象が違って、オヤジが泣き叫んでる印象を持たれると思うんですね。そうではなく、最初はジャケットに顕微鏡のヴィジュアルを使おうと思ったんですけど、それだと説明的になってしまって自分のなかでしっくりこなかった。だから、細胞のイラストを何パターンも描いて、そのなかから最終的な形に落ち着きました」

美大でデザインを学んだ彼は、ゆらゆら帝国から現在のソロまで、全ての作品のアートワークを一手に手がけてきた。作品のイメージに合わせて、アプローチを変える彼のイラストやデザインは、2006年刊行のアートワークス集『SHINTARO SAKAMOTO ARTWORKS 1994-2006』にまとめられるなど、高く評価されているが、近年は自身の作画によるミュージックビデオを制作するなど、その表現領域は広がっている。

「音ができてから、ジャケットについて考えるのが楽しいので、その楽しい時間を人に渡したくないとも思うんですけど、全て自分でやってしまうのもどうかなって思うんですよ。自分の思い通りにはできるんですけど、あまりに自分すぎるというか、破綻がないんですよね。自分のバイオグラフィを考えると、たまにはすごくダサいジャケットとか、自分ではしっくりこなくとも誰かにデザインしてもらったジャケットもあったほうが幅が出るような気がするし、そのとき気に入らないジャケットでも10年後とかに味が出るかもしれないですからね。だから、人の手に委ねようかどうしようかっていうのは悩みどころではありますね。まぁ、やってもらったら、絶対気に入らないんでしょうけど、自分の気に入ることだけをやることがいいのかどうか。でも、冷静に考えると、作詞作曲して、自分で録音して歌って。ジャケット作って、ミュージックビデオのアニメまで描いて、その作品を自分のレーベルから出しているわけで、それはそれで気持ち悪いというか(笑)異常な行為という気もします。これで、写真も自撮り、ライナーノーツを自分で書いて、インタビューも自問自答になったら、さすがにヤバいですよね……」

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Credits


PHOTOGRAPHY CHIKASHI SUZUKI 
TEXT YU ONODA