レイヴ:真実の物語

ビリー・ダニエル・バンターが、これまで語られることのなかったレイヴ・ミュージックの物語を明かす。

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okt 18 2016, 11:45am

レイヴがイギリスを席巻してから25年が経った。しかし、1988年から1993年にかけて起こったこの文化的ビッグバンに関する真実はいまだ曖昧なままだ。レイヴは、ドラッグによって捻じ曲がった人々の記憶と、人々に書き換えられた伝説、そして当時は興味を示さなかったメディアがいま必死になって収集・集積した情報で歪められてしまっている。

今年2月、ロンドンのクラブAquariumで、この遠い記憶となったマジカルな時間を明らかにすべく、あるエキシビションが開催された。『The Rave Story』と名付けられたこのエキシビションでは、レコードからカセットテープ、オリジナルのフライヤーまで、"レイヴの思い出の品"が並んだ。また、ミッキー・フィン(Mickey Finn)からファビオ&グルーヴライダー(Fabio and Grooverider)、海賊ラジオ放送のドンであるデモリション・クルー(Demolition Crew)に至るまで当時多くのレイヴパーティをオーガナイズした人々が一堂に会し、セミナーを行なった。このエキシビションが、これまで開催されたレイヴ関連の他のイベントと大きく違った点は、完全に彼らレイヴに直接関わってきたオーガナイザーらによって発足されたということだ。

『ザ・レイヴ・ストーリー』は、DJのビリー・ダニエル・バンター(Billy "Daniel" Bunter)によって制作された。バンターは若干15歳にしてクラブLabyrinthやリンスFM(Rinse RM)のラジオ番組、Uncle Dugsで名を馳せた人物。「労働階級の視点から見たレイヴ・ストーリー」と『The Rave Story』フライヤーにあった通り、当時のレイヴの嘘偽りない姿勢が垣間見える展示となっていた。電話越しに、ときにケタケタと笑い、ときに頑固さをのぞかせながら、バンターが当時のレイヴについて話をしてくれた。

「労働階級の人たちに来てもらいたいっていう意味ではないよ。ただ、セミナーで話をしてくれている人たちは皆、労働階級の視点から話をしているということなんだ。ジャンピング・ジャック・フロスト(Jumping Jack Frost)やスリップマット(Slipmatt)をはじめ、今回面白い話を聞かせてくれるやつらはみんな公営団地の出身だったり、毎日あくせく働かなきゃならない階級の出身で。自分の音楽を聴いてもらえるよう無の状態から闘ってきたやつらなんだ。ポール・イビザ(Paul Ibiza)やジョー・ラビリンス(Joe Labyrinth)も何不自由なく育ったわけじゃない。苦労してきたんだ。彼らはアーティスティックで、たしかに何かを作り出してきた。彼らはあの時代のパイオニアなんだ」

「黒人だろうが白人だろうが、痩せていようが太っていようが、100万ポンド持っていようがバス代に困っていようが、レイヴ音楽に興味があるひと皆に彼らの話を聞いてもらいたい。彼らの人生がどんなものだったか。工場に盗みに入ったり、俺みたいに学校を退学になったりした経験を持つ連中が、新しくて過激な音楽を通して自分たちを表現し始めた——それがレイヴだった。グルーヴライダーやファビオ、ジャンピング・ジャック・フロストは89年のレイヴ・シーンの中心にいたわけだけど、いつの間にか彼らはイギリスの文化・音楽シーンの最前線にいた。その歴史を祝福したかったんだ。みんなでワイワイとね」

ペズ(Pez)のアートワークも話題を呼んだ。ペズは本人曰く「エセックスらしい男」で、元はヒップホップ好きのレイヴァーだったが、そのうちフライヤーのアートワークを制作するようになった。そして、彼は"キング・オブ・レイヴ・アート"となった。バンターが言う"レイヴ的青春"にぴったりとはまる背景だ。「ある夜、クラブから出たら」とペズは当時を振り返る。「12種類のフライヤーが置いてあったんだけど、そのうち9つは俺の作品だった」

ペズの本名はスティーブ・ペリー(Steve Perry)。しかし、母親も彼をペズと呼ぶという。彼はもともとグラフィティ・アーティストとして活動を始めた。ヘンリー・シャルファン(Henry Chalfant)がニューヨークのグラフィティを収めた1984年発売の写真集『Subway Art』に触発されたという。1988年、ハウス人気が爆発したとき、ペズはエセックス中をレイヴしてまわったという。

「まだ10代の頃、クラブに何度か行ってるうちにハウス・シーンが始まったんだ。バイオロジー(Biology: ジャーヴィス・サンディ [Jarvis Sandy] のレイヴ企画団体)主催のパーティから帰ろうと思ったら、フライヤーを渡されたんだ。それを見て俺は『なんだこれ? 俺だったらもっと良い物が作れるのに』って言ったんだ。そのまま会場内に戻って、バイオロジーを見つけて、『次のフライヤーは俺にやらせてくれ』って言ったんだ。当時、あのエリアで起こっていたこととヒップホップ・アートとの間には隔たりみたいなものがあってね。街にヒップホップ・アートが合わないというかね。だから、それに代わるなにかが俺には必要だったんだ。レイヴシーンが盛り上がっていくのと一緒に、俺も成長した。そして俺のアートワークもシーン自体も、そこからさらに高みに向かっていったんだ」

ペズのフライヤーには、セクシーな女の子や宇宙、遊園地の乗り物、サイボーグの夢といったイメージの画像を切り貼りしたカラフルなモンタージュが多用されている。それらの作品の狙いは、まずドラッグを摂取したレイヴァーたちの感覚を刺激することだった。

「みんなを困惑させたかった。明け方の3時ごろ、クラブから帰る人たちに次週のイベントのフライヤーを渡すんだけど、そのときを逃したら僕のフライヤーが人々の注意をひくことはもうない。だからひとをアッと言わせるようなものを作りたかったんだ」

「『Beyond Therapy』は俺が作った中でも、最も人々をギョッとさせた作品だったかもしれない。1989年、まだ俺がフライヤーを手がけ始めた頃のモンタージュ作品だよ。ある日、チャリティショップで古い科学雑誌を見つけてね。そこに赤ちゃんが2人写っている写真があったんだ。俺はその赤ちゃんだけを切り取って、他の雑誌から切り取ってあった宇宙の写真の上に、赤ちゃんの体を三等分にして、ふたりが向かい合うようにして貼ったんだ。赤ちゃんはふたりとも楽しそうに笑ってるんだけど、体はズタズタに切り裂かれていて。俺はこれを "ビヨンド・セラピー(セラピーで治療できる範囲を超えている)"と名付けた。空も白むような時間にクラブから出てきたところにあれを渡されて、誰もが「これ、どういう意味だ?」って眉をひそめてたよ」

「一度、自分のフライヤーを配っていたら、パーティをやめさせようと警察が会場に押しかけてきたことがあった。でもこっちは警察官をゆうに上回る客数だったから、警察はどうにもできず外に立ってるだけだった。そこで俺は"ビヨンド・セラピー"のフライヤーを警官のひとりに渡したんだ。そうしたらその警官は眉をひそめて『お前、頭おかしいんじゃないのか? これ、どういう意味だ?』って困惑してたよ。中絶賛成・反対とかそういう急進的な意味なんてまったくなかった。パンクでもなかった。ただ気持ち悪くて楽しいものができたっていうだけだったんだ」

ペズは「そこにラディカルな意図はなかった」と語る。しかし「彼のアートワークは何の影響を受けて作られていたのか?」という問いに、彼はしばし沈黙した。熟考した上で彼が口にしたのは「当時生まれたばかりのレイヴ・シーンの新しさを捉えた、新しい表現を見出さざるをえなかった」というものだった。

「レイヴァーに訴えかけるアートワークが必要だったんだ。クラブと同じだよ。クラブではみんなが暴れ回るところを、俺たちはただみんな仲良く一緒に酔っ払ってた。レイヴパーティのそんなあり方も、当時は不思議がられたよ」。そう言ってペズは笑った。

彼はレイヴというかつてあった快楽主義の理想郷に思いを馳せる。今日に至るまでひとびとを魅了し続けるそのレイヴ・スピリットとは、一体何だったのだろうか?「いろんなひとがひとつの場所に集まって、ただ楽しい時間を過ごしてた。黒人も白人も、ゲイもストレートも、若い人もそうでないひとも、みんなが同じ空間で同じ音楽を聴いていた。それがレイヴだったんだ」

Credits


Text Ian McQuaid
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.