Photography Craig McDean

ケンドリック・ラマーのピューリッツァー賞受賞によって何が変わるか?

これにより、黒人アーティストを特定のカテゴリに閉じ込める風潮も終わりを迎えるだろうか?

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maj 15 2018, 11:00am

Photography Craig McDean

ケンドリック・ラマーが、ピューリッツァー賞を受賞した史上初のラッパーになったというニュースが飛び込んできたのは、ビヨンセが黒人女性として初めてコーチェラ・フェスティバルのヘッドライナーとなり、歴史を塗り替えた翌日のことだった。48時間のあいだに、驚くべき「初」が2つ。 〈アーバン〉カテゴリ以外でのラップアーティストによる受賞は、長いあいだ実現しなかったことだった。これまでずっと、ラップはグライムと同じく、声高に、そして大胆に、かつてないほど困難で、かつ不安な政治状況について語ってきた。2015年にクラシック音楽家のジュリア・ウルフは、20世紀初めごろのペンシルベニアの炭鉱生活を想起させる『無煙炭のフィールド』でピューリッツァー賞の音楽部門を受賞。ヘンリー・スレッギルによる2016年の受賞作『In for a Penny, in for a Pound』は、「現代アメリカ生活の赤裸々な姿」をとらえたものだと言われている。そして2018年にラッパーのケンドリックが受賞した作品は、運営団体から「現代におけるアフリカ系アメリカ人の生活をとらえた心打つ小作品からなる、リズミカルなパワー」と評された。

2017年の文学、戯曲、音楽部門のピューリッツァー賞受賞者のうち3名は、アフリカ系アメリカ人だった。コルソン・ホワイトヘッドの『地下鉄道』は、ジョージア州の綿花プランテーションから脱走した奴隷を時系列で追った、ユニークなパワーあふれる小説だ。リン・ノッテージの『スウェット(Sweat)』は、「アメリカンドリームを求める者が直面する困難を想起させる、微妙な、それでいてパワフルな戯曲」であり、タイヒンバ・ジェスの詩集『Olio』については「パフォーマンスアートを、集合記憶を探求し、人種やアイデンティティに関する現代的見解に挑戦する、より深いポエトリーアートに織り交ぜた秀作」とされている。作者の人種以外に、これらの作品に共通するものは何か。ケンドリックの『DAMN』と同じく、それぞれが、白人たちには過去のものとされてしまっている、アフリカ系アメリカ人としてのあまりにも辛い経験を掘り下げているのだ。

高い評価を受けた『To Pimp A Butterfly』から2年後、ケンドリック・ラマーの4枚目となるアルバム『DAMN』が、その先行シングル「Humble」に続いてリリースされた。SNSを賑わせたその歌詞とPVは、政治的にも象徴的な意味においても、熱のこもったものだ。ケンドリックが紙幣のベッドに寝ながらマネーガンでドル札を撃つシーンを通して、その曲がスタイリッシュに伝えるのは、資本主義に引き込まれるアフリカ系アメリカンドリーム。窓の前にラマーが立つシーンでは、複数の警察の銃から放たれる赤いレーザーが彼の上半身の上で踊り、家の外壁にはパトカーの青いライトが照らし出される。アフリカ系アメリカ人の悪夢を描写しているのだ。

今年のピューリッツァー賞の審査員のひとりであるデイビット・ハージドゥによると、審査員団は100回を超える審議を重ねたという。「クラシック音楽のいくつかの作品はヒップホップを題材としています……。これによって、このジャンルの作品もそれ自体の文脈で価値があること、組織化された権力層からまじめで正統だと認知されているそのほかの分野で題材とされているだけではないのだということを、議題に上げようという動きになったのです」。2018年、ついにブラックミュージックとそのアーティストが、より広く音楽の基盤となり、より黒人以外のアーティストへ影響を与えながらも、報われていないということが認知されたのだ。

同じようなほかの賞でも、〈アーバン〉というカテゴリを設けることで生まれる構造的な人種差別や、文化的なエリート主義が表面化した。ケンドリックのピューリッツァー賞受賞によって、これまで賞を独占してきたクラシックやジャズミュージシャンたちの長きにわたる支配が終焉したのだ。それ自体特筆すべきことだが、ジャズもまたラップ同様、厳格なスタンダードに頼ることなく、自由なスタイルや即興、音楽に乗せて自らのやり方でメッセージを伝えることをアーティストに許している。

ケンドリックが何部門も受賞したBET(ブラック・エンターテインメント・テレヴィジョン)やBETヒップホップ・アワードは別にしても、グラミー賞もまた、最優秀楽曲賞、アルバム賞、ミュージック・ビデオ賞に彼をノミネートしているが、がっかりなことに、すべてラップ部門でのことだ。2016年のグラミー賞について、フランク・オーシャンはTumblrにこう書いている。「(テイラー・スイフトの)『1989』が『To Pimp A Butterfly』を抑えて最優秀アルバム賞。間違いなく、俺が見たなかで最高に“ポンコツな”テレビの瞬間だったね」

今年のグラミー賞で、『DAMN』は最優秀アルバム賞と、最優秀ラップアルバム賞にノミネートされている。もちろん、受賞したのは後者。その前の年には、最優秀アルバム賞を受賞したアデルが、目に涙を溜めながらステージとバックステージでの両方のスピーチをすべて、賞を争ったビヨンセ(その作品『Lemonade』は冷たくあしらわれ、代わりに最優秀アーバン・コンテンポラリー・アルバム賞を受賞した)に捧げている。

4枚のアルバムと、おもに未発表のデモ曲が収録されたコンピレーションアルバム『Untitled Unmastered』のすべてを通して、ラマーの政治性、貧困にあえぐ近隣地域で無慈悲なギャングの暴力を目にした幼少期、そしてアメリカの政治システムに対する雄弁な批判は、ずっとその音楽の前面にある。多くのアフリカ系アメリカ人が送る生活というテーマを曲に織り込むという彼の才能は、比類のないものだ。読み手の心をつかむ文章を紡ぎ出す卓越した作詞力が、そこから垣間見える。『DAMN』の最後に収録されている「Duckworth」は、リズミカルな物語風の歌詞で、彼の父ケニーが間一髪で殺人を逃れた様を綴ったもの。ケンドリックのこれまでの作品を見ても、そのリリックは黒人の美点に関する自己認識や、(アメリカが彼に提供しなければならない)人生を受け入れることに対する不能と拒否を推し進めるものになっているのだ。その反抗的なアンセム「Alright」はすぐに運動家たちのテーマとなり、ブラック・ライブス・マター運動の最中ずっと繰り返し歌われてきた。

受賞発表後のインタビューで、ピューリッツァー賞初の黒人女性委員となったダナ・カネディ(Dana Canedy)は、ケンドリックが賞を受けたことについてこう話している。「機が熟したのです……この選出に誇りを持っています。審査員と委員会の選考方法も、ちゃんと機能したということですから。つまり、最高の作品に賞が贈られるということです」。黒人アーティストが、古風で厳格で限定的なシステムによって強制的に押しつけられたジャンルから飛び出たのがもうずっと前のことであるのは、疑いようもない。願わくば、ほかの賞がこれを記憶にとどめ、黒人アーティストがただ座っているだけの存在や、謙虚になどなる必要がないようになればいいと思う。

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This article originally appeared on i-D UK.