『ナチュラルウーマン』主演ダニエラ・ヴェガ interview

「演じるということはセリフを覚えるだけではありません。精神的にも肉体的にも、立ち居振る舞いまで含めてすべては感情を生きなければならない」

by Takuya Tsunekawa
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21 February 2018, 7:26am

主人公が何か困難に見舞われたとき、その歩む先を立ち塞ぐかのように強烈な向かい風に襲われる、あるいは何か失意に陥ったとき、空も悲しみに暮れたかのように雨が降り注ぐ──チリ代表としてアカデミー賞外国語映画賞ノミネートを果たした『ナチュラルウーマン』には、こういったエモーション溢れる叙情的な演出に触れる喜びが散りばめられている。ファンタズムという響きも想起させる原題(『A Fantastic Woman』)を持つ本作は、ロマンティックなラブストーリーでありながら、時折リアリティとファンタジーをブレンドすることで、構造自体がゴースト映画、キャラクター・スタディ、スリラー、ミュージカルなどジャンルをトランスしていくようなものになっている。何度か登場する鏡や窓のモチーフが象徴的に用いられているのはそのためでもあるだろう。

現在はベルリン在住である監督のセバスティアン・レリオは、故郷のチリはサンティアゴでトランスジェンダーを主人公にした映画を構想してリサーチに赴いた際、現地で実際の当事者であるダニエラ・ヴェガと出会う。彼女は当初はコンサルタントとして関わっていたが、その後、たちまち彼の依頼によって主演を務めることになった。

「脚本を読んだときの第一印象は、よく書かれたストーリーで、映画のアイデア自体が新しいし、興味深いと感じました。その時点では主演が自分になるなんて思ってもみなかったのですが、打診された時には即座にやると答えました。ただ、撮影時は、自分が演じることただそれだけに集中していたので、一体どのような映画になるか何も想像していませんでした。だって、メインディッシュを食べてるときに誰もデザートのことは考えませんよね。だから出来上がった映画を初めて観たときは、まるで何も知らない観客のひとりのような気分で観ていたので、本当に驚いたし、作品に対してすごく愛情を感じました。もちろんすごく気に入りました。観終わってもしばらく立ち上がることができないほど感動を受けました」

©2017 ASESORIAS Y PRODUCCIONES FABULA LIMITADA; PARTICIPANT PANAMERICA, LCC; KOMPLIZEN FILM GMBH; SETEMBRO CINE, SLU; AND LELIO Y MAZA LIMITADA

映画は、ヴェガ演じるサンティアゴでウェイトレスをやりながらオペラ歌手を目指すマリーナが、年上の恋人オルランドの急逝以後、警察からはいわれのない容疑を不審がられ、彼の遺族からは嫌がらせや妨害など残忍な対応を取られてしまう姿を描いている。マリーナは、彼氏と同棲していた家からは追い出され、最愛の人の臨終の場に参列することすら拒絶されてしまうのだ。チリでは彼女が唯一のトランス・アクターであるが、世界的に見てもそれは僅少で、その意味ではほとんどロールモデルとなる人物もいないだろう。そのようななかで、彼女はどのようにこの役柄に対して準備をして取り組んだのだろうか。

「一番初めにこの人物の役作りをするときに、ベースとなる3本の柱を自分なりに考えました。それは尊厳、打たれ強さ(粘り強さ)、そして反逆性です。この3つの要素というのは、多くの女性のなかにあるものだと私は思っています。それを基本にして、その上にマリーナの人物像を積み上げていきました。そうでないと、脚本を読んだだけだとこのマリーナという人物はただずっと前に向かっていく印象だったので、それがどこまで向かっていくのかということを決められずにいたと思います。核心の持てるこの3つの柱があったからこそ、マリーナの目的──オルランドの死をどう捉えるか、そこからどういう風にして彼の死に顔に会いに行くか──をどのように達成していくかがわかりました。それは、非常に知的であくまでも尊厳を持ちながら目標を達成するということでした」

レリオは、上位中産階級の離婚した中年女性を描いた前作『グロリアの青春』(2013年)しかり、どちらも状況は異なるものの、従来の映画では脇役として扱われてきた人物を中心に据える。これまであまり光の当てられてこなかった辺境に押しやられた彼女らが、社会のなかで被っている不平等の実態に目を向けながら、家父長的な社会に反抗するような姿を描いているのだ。

マリーナはまるで犯罪者のように扱われ、屈辱的な場面にたびたび晒される。トランスジェンダーが遭遇するであろう様々な試練や差別に直面しながらも、しかしヴェガは劇中でほとんど表情を崩すことはない。何に巻き込まれようと嘆いたりすることなく、ひとり忍耐強く堂々としているように見えるだろう。彼女の抑えた演技が、マリーナというキャラクターに静かなレジリエンスをもたらしているのだ。そうすることで、ヴェガは観客にどのような印象を与えたいと思ったのだろうか。

「唯一、尊厳というものがどのようなものであるかを出したいと思っていました。表面的な上部の感情に持っていかれないものを感じてほしかったのです。また、マリーナは人の気持ちにすごく共感できる人間なので、なぜ周りの人たちが彼女に対してそういう仕打ちをするのかがわかっている。それは恐怖からです。自分たちと違う者を見たときの恐怖からだとわかっていて、暴力のサイクルに巻き込まれないようにしている。向こうが暴力を振るってきても彼女はそれに対して復讐なんかはしない。それに答えない。そういう尊厳のあり方を見てほしかったのです」

マリーナという役柄の難しさはそれだけではない。今回は要求されるヌードシーンにも果敢に挑んでいる。

「それができたのは、監督が絶対に見捨てないでいてくれると思えたからです。君ならできると言ってくれました。私がそこで変な苦悩をしなくていいようにと、プロフェッショナルなスタッフの方々も含めて助けてくれたのです。そういう監督の演出の力もあったと思います」

©2017 ASESORIAS Y PRODUCCIONES FABULA LIMITADA; PARTICIPANT PANAMERICA, LCC; KOMPLIZEN FILM GMBH; SETEMBRO CINE, SLU; AND LELIO Y MAZA LIMITADA

ヴェガ自身は未見だというが、本作は当事者が出演に至る経緯も含めて『タンジェリン』(2015)を彷彿とさせる部分がある。トランスジェンダー自身が自ら出演することによって、まなざしや感覚、あるいは肉体を映画の新たなコンテクストに持ち込んでいると言える。もしこの役をシスジェンダーの俳優が演じていた場合と、ヴェガのように実際の当事者でもある俳優が演じる場合とではキャラクターにもたらすものにどのような違いが生まれてくるのだろうか。

「その違いは明らかにあると思います。演じるということはセリフを覚えるだけではありません。精神的にも肉体的にも、立ち居振る舞いまで含めてすべては感情を生きなければならない。その感情を生きるためにはそこを作り込まなければいけません。それが俳優にとって一番面白いところだと思っています。そこで様々な魔法が起こったり、自分が追求する上で様々な普段とは異なることに気づいたりするわけです。なので、全然その経験がない人が演じる場合とはたぶん違いが生まれると思います」

たとえ自身がトランスジェンダーではないとしても、私たちは映画を通して、マリーナと感情的なレベルでつながり共感することができる。それこそ劇映画が果たす大きな役割のひとつである。ヴェガはペドロ・アルモドバルの作品が大好きだというが、どのような動機が彼女を俳優であること、あるいは俳優としてアートに携わることへと導いたのだろう。

「人として納得できる生き方のために芸術へ向かったのだと思います。それは導かれたというよりも、自分がそうしたかったからです。小さい頃から私は自分自身に居心地の悪さを感じていました。性を変えることなんか不可能だと思っていました。どうやれば変えることができるのかそのときには全くわかりませんでした。しかし不可能な夢だと思っていたものが、自分はこのまま違和感を抱いたまま生きていくのだろうと思っていたことが、そうではなくなった。ちゃんと家族に告白して性転換できたときに、これができるならあとは何でもできると思えました。なので、私はやりたいことは全部やってきました。それでできなかったことももちろんあるけれど、ほとんどの望んだことはそれからやりました。その代わり、一生懸命必要とされる努力もしました。いま思えば、たぶんそれが俳優を志すことになったきっかけなのだと思います」

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ナチュラルウーマン
2月24日(土)、シネスイッチ銀座、新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開

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