『パンとバスと2度目のハツコイ』今泉力哉監督インタビュー

日本映画界きっての恋愛群像劇の名手・今泉力哉による最新作は、深川麻衣を主演に迎えたロマンティック・コメディ。監督が本作での挑戦、笑いの演出論、ホン・サンスとの違いを語る。

by Takuya Tsunekawa
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15 February 2018, 8:28am

現代の日本のリアルで自然な喋り方や間、空気感を的確に捉えた恋愛群像劇で支持を集めつつある今泉力哉の監督最新作は、映画初主演となる元乃木坂46の深川麻衣をヒロインに迎えた胸がいっぱいになるようなロマンティック・コメディだ。これまで片想いや一方的な愛の形としてストーカーやアイドルのファン、童貞等を登場させてきた彼の関心は継続で、パン屋の女性とその中学時代の初恋相手であるバスの運転手との恋愛と友情の狭間で揺れる不器用な関係を独自のユニークな視点で思い巡らしている。今泉自身が名付けた“Our Blue Moment”という英題を持つ本作は、夜明け前まで起きていれば誰もが平等に享受することができるその景色を彼らとともに目撃するまで、至福の時間を私たちにもたらしてくれる。

──そもそも企画はどこから始まったものなのでしょうか。

「プロデューサーの方から深川麻衣さん主演で映画を作りませんかとお話をもらったのが最初でした。それでオリジナルで物語を作っていいということになり、一度お会いしてから当て書きのような形で話を考えたいとお願いしました」

──洗車されているバスを見ながらパンを食べるのが日課の女の子という画がまずキャッチーだと思います。

「自分の生活圏にバスの駐車場があって、そこにある洗車機が以前から気になっていました。『セブンス・コンチネント』(1989)とか洗車シーンのある映画って結構あるじゃないですか。籠ってる空間だけど画になるというのが頭にあって、でも車の場合はやり尽くされてるから、内側からも見れるバスにしようと思いました。何かをぼーっと見てる人というのは、もともと別のアイデアであったので、孤独や籠るってイメージが合えばと考えました。パン屋も早朝にひとりの時間が作れるところから設定しました」

──これまでワークショップをもとにした映画も作られてきましたが、その経験がメジャーな俳優を起用した本作でも活きた部分はありますか。

「話が先にあってキャスティングするという順番ではない作り方がワークショップ映画の特徴です。人が集まって、そこから物語が作られていく。今回も深川さんに会ってから話を考えてよかったので、ある意味では近いものがありました。個人的にはそっちの方がやりやすいですけどね。その役の人を探すキャスティングって実は難しいものだと思う」

©️2017映画「パンとバスと2度目のハツコイ」製作委員会

──これまで人を好きになることについて群像劇として見つめてきたわけですが、本作は一対一の恋愛を描いています。これはチャレンジングな試みではなかったですか。

「実は企画の最初に群像劇は禁止って言われたんですよ。それは主役を立たせるという意味もあるだろうし、もう群像劇をできるのはわかったからって部分もあったと思う(笑)。今まで女性を真ん中に置いた話はなかった気がするので、できるか不安もありました。でも結局、相変わらず脇の人たちを主人公のためにだけ登場させるようにはしていません」

──今回は結婚という要素が盛り込まれつつも、ずっと同じ人のことを好きでい続けること、また好きとは一体どういうことかを疑っていく関心はやはり通じているように思います。

「みんなが疑わないことをでもそれおかしくない?と疑える題材が見つかったら、それは映画にできると思っています。今回みたいに結婚しても一緒にいれるかなんて疑っちゃったら誰とも結婚できないじゃないですか。もともと結婚を疑って一生一緒にいれるかどうかわからない人の真逆は何か考えた時に、最初は長年連れ添ってる老夫婦の人かと思ったけど、でも一番の答えは東野幸治さんみたいな一回結婚して別れたけどまた再婚したりしてるケースではないかと思いました。それで別れてるけど奥さんとまた再婚したいと思ってるたもつの役が生まれたんです。そのふたりを置いたらどうなるのか見たいと思ったことがベースにありました」

──ふみと妹の二胡の絵画への距離感も好きなままでいるという部分に関わってくるのではないかと思いました。

「もうひとつ映画を作る上で意識しているのは、脚本的にダメと言われてるようなこと──たとえば主人公は何か出来事があったら影響を受けて成長しなくてはいけないというのがセオリーだとしたら、逃げ出したり辞めたりすることも肯定したいということです。だからふみは絵を辞めているけれど、その後の彼女の人生はあって、普通にパン屋で働いていて辞めたことを悔やんでいるわけじゃない。その方が普通だと思う。何かにつまずいたり、失敗した人がそれを負い目として抱えていくのがストーリーの王道の作り方だとしたら、みんながみんなそんなに思ってた夢を叶えられてるわけじゃないし、そんなに後悔して生きてるわけじゃないと思うので。あと作劇的な王道に関して言うと、ふみが最初に結婚を疑ってしまう時にたいてい親が片親だったりとか、家族に何か原因があるという風に作っていくことが多いですが、それを避けたいから別に両親も普通にいることがわかる場面を用意しました。そのようにしていくと作り物度がどんどん下がっていくような気がして」

──そういった意識はリアリティとのズレが出てこないようにするためにもあるのでしょうか。

「ドラマのための嘘は潰していこうと意識はしています。こういう人はこうなってるよねという作り物としての当たり前みたいなことには否定的です。だって、そうするとすでにある今までの映画になっていきますからね。主人公のために設定が用意されてるけど、現実はそうじゃないので」

©️2017映画「パンとバスと2度目のハツコイ」製作委員会

──一方で、『こっぴどい猫』(2012)でのウディ・アレンのようにカメラに向かって語りかける場面や『終わってる』(2011)の監督自身が演じる亡霊との卓球場面などどこかであえてリアリティから逸脱する空間を表出させるように思います。今回で言えば、コインランドリーでのふみとある少年との出会いが印象に残ります。

「ある時まで現実で起こることだけで繋いだ映画をずっと作っていたのですが、リアリティの限界みたいなのは色んな人から言われて意識するようになりました。逆にリアリティの中でフィクショナルなことやファンタジーなことをやるとより活きると思うようになって、それから意図的に作るようになった気がします。あの場面も単純に夢なのかどうか明確にはしていません」

──また、すでに恋人がいる状態にも関わらず他の人も好きになってしまう、ふたりの人を同時に好きになってしまうケースなどもよく取り扱っています。一貫して、その際の感情的な誠実さを考察していますね。

「恋愛関係にあるふたりの気持ちって五分五分じゃなくて、ウェイトに差があるという意識があって、でもたとえば6:4ならその少ない方をどう描いていいかがわからなかったんです。その時にその人が誰か別の人に気があったり二股してたりしてたら、気持ちが少ないってことがわかると思ったことがきっかけでした」

──そういった恋心にまつわるモラル的な問題への関心という意味ではある種ホン・サンスと通じるものも感じます。

「たぶんホン・サンスと近さもあるけど、ぼくの場合はもっと温度が低いと思う。ホン・サンスはモラルとかありつつもみんなスケベだし、性的なことへの関心が高いですよね。だから人として生き生きしてる。だけどぼくの作品はセックス的なことがこの世界に存在してるのかってぐらい温度が低い。でも確かに恋愛に対してのモラルとかも興味ありますけどね。何がモラルであってないかってすごく曖昧で当事者にしかわからないことがあるし」

──あまりカットを割らずに見せるという点でもおふたりは近いスタイルがありますが、その点について彼は「切り返しなどカットで繋いでいくと俳優の演技が常套的になる」「カットで割ると流れが断ち切れてしまう」と言っています。そのことには同意されますか。

「やっぱり役者に二回三回と同じことをさせない、一回で撮ることの緊張感がやりたいのだろうとずっと思って観てたので、すごく理解はできます。正直ぼく自身いまカットを割ることに興味が全然なくなってます。芝居さえよければ、一回の芝居を一回で撮りたい。その意識が上がったのは演劇の演出を経験したからです。舞台は始まったら何も言えないけど、芝居のウェイトが高いからやってて全くストレスがないんですよね」

©️2017映画「パンとバスと2度目のハツコイ」製作委員会

──今回もふみの家でのふみとたもつと二胡の3人の長回しの場面が見応えがありました。

「あの長回しは実はネガティヴな原因から生まれたものでもあります。あれは最終日に撮っていたのですが、その日まで全く現場で押さずに撮れてたのに、午前中だけで2時間ぐらい押してしまって。6ページぐらいあるシーンでもともとそんなに割るつもりはなかったけど、行けるところまで行ってみますかと話をしてた時に、カメラマンがレールとかちょっと移動すれば、ワンカットで行けるかもと言い出したんです。あと、3人が座ってて次々トイレに行くだけの場面だから、短編第一作の『此の糸』(2005)を自分でもう一回やってるとも思いました。今までのぼくの映画を観てる人は「今泉、ネタが切れたな」って思うかも(笑)。過去作に似た部分が多分にあります。さとみとたもつが歩きながら「付き合ってない人のことは嫌いになれない。嫌いになれるほどその人のこと知れないから」みたいなことを言う場面がありますが、あれも『こっぴどい猫』でモト冬樹さんの息子役が言ってるセリフをまた引用してるんですよね。でも俺の言葉だから使い回してても悪いことだと思ってないです(笑)。同じことを別世界の人が言ってても別に何もおかしなことじゃないので」

──劇中で役者に大げさで誇張した演技をさせることを避けられています。何か奇妙な人物が出てきて脈絡無く奇矯な振る舞いをするような笑いではないと思いますが、コメディで大切なものとは何だと考えられていますか。

「笑いに関してはこだわりがあります。それは山下敦弘監督がベースになっていて、映画の中の人がここのシーンは面白いシーンですよとか面白いでしょっていうのをやらないって決めてます。中の人はいたって真面目に淡々とやってるのに側から見るとズレてたりとか、一生懸命じゃないと笑いって起きないと思ってて。カメラがあると思わずに演じてる方が観てる方も入って行けると思うんですよ」

──本作では友人と恋人との間の男女の関係、その相違を探っています。ふたりはお互いになんとか恋に落ちないように頑張っているように見えますが、ほかの映画のように好きという感情をエモーショナルにピークに持って行く描き方は取っていません。どのように描こうと心がけましたか。

「ジョン・カーニーの作品の男女の距離感が魅力的だと思って。映画の登場人物のメインで男女がいるけど、お互いが誰かに失恋していたり、当事者じゃない人に強い思いがあるみたいな話はまさに『ONCE ダブリンの街角で』(2006)だし、そういう男女の話をやりたい気持ちがあったかもしれません。ふたりがお互いを一番好きなわけではない──片方はそうかもしれないけど──そういうのに興味があったのだと思う。あとこれ誰にも気づかれてないんですけど、『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』(1980)で、寅さんがヒロインといい感じになった時にふわっと「まあ一緒になるか」みたいなことを言って、微妙な空気に一瞬なるけど、「俺らみたいなもんがくっつくなんておかしいかハハハ」みたいな返事を待たずに誤魔化す場面があって、その距離感をパクりたいなと思って(笑)。ラストシーンは完全にそれをパクってます(笑)。言っちゃったけど、別に一緒にはならないみたいな空気をやりたかった」

──コインランドリーの場面では「孤独」をタイトルにした本が並べられています。恋愛がテーマにある一方で、ふみは自分にとって孤独というものも必要だと考えます。この要素も盛り込んだ意図について教えてください。

「ふみを何かそういう部分に惹かれる人にしたかったんです。もう一方のたもつも自分ではひとりが好きだなんて思ってないけど、実は洗車してる時のようなぽつんといる時間が好きな人だと思ってて。撮ったけど使っていない会話のシーンがあって、それは「私は孤独な人にすごい惹かれるんだと思う」とふみがたもつに言う場面でした。元彼も付き合う前は孤独だったんだけど、付き合って一緒にいるうちに彼の孤独がもうなくなっていく感じがして惹かれなくなっていったみたいな会話をします。たもつの孤独さや寂しい部分にふみは惹かれているのかもしれない。それをどこまで描くのかはすごく迷いました。たもつが孤独っぽいことをキャラクターとしてもやるべきなのか迷ったけど、あまり描きませんでした。本人の魅力でいいかなと思ったので」

──ご自身もひとりが好きな人間と説明されていますが、その辺りがふみに投影されている部分もありますか。

「完全にありますね。結婚して子どももいますけど、ずっと同じ人を好きでいれるかはわからないと結婚式の二次会で嫁への手紙を読んだ時にも言いました(笑)。確かに自分の投影は多いと思います。ひとりになりたいとかふみの自信のなさ、ものづくりには映画への自分の意識が込められてます。いつ辞めてもおかしくないと思ってたりとか。その感情を自分が興味があったり知っていれば強度が生まれると思うから、わざわざ自分のわからないものを入れようとは思わないですね」

パンとバスと2度目のハツコイ』2018年2月17日より全国公開

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