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満足は最大の敵

クリックティビズムはもういい。行進するときがきた。声をあげよう。信じることのできない政治に拳を向けよう。コミュニティをまとめ、抵抗の意思を示そう。ヒーローはひとりではなく大勢であるべき理由を、バーティ・ブランデスが語る。

by Bertie Brandes
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24 August 2017, 11:03am

去年から書くことが少し楽しくなくなった。考えるべきことが急に増えすぎたからだ。異なる思想と、疎外感と、孤立感と、無感覚と、ぼんやりと続く無関心とをつなぎ合わせて、自分とは関係の薄い有益なものを作るのは簡単なことではない。実のところ、アームチェア・アクティビズムがこれまでにないほど陳腐で無責任だと感じらるようになったので、自分にはあらゆる運動に参加する権利があると思うのが難しくなってきた。いずれにせよ、私のように書いたり表現する方法がわからなかろうが、身内や友人に説明できなかろうが、実体の見えない地球の危機が把握できなかろうが、大量の政治ニュースは人々を疲弊させ続けているのだ。

イギリスは、労働党がバラバラになったあと、保守党が権力を保ったまま大混乱に陥った。ボリス・ジョンソンやマイケル・ゴーヴといった滑稽な政治屋たちは危険な外国人嫌悪運動に飛びつき、緊縮政策のせいで国中に湧き上がった怒りを煽った。そして、死者や解雇を招いただけに終わった経済過程の責任を認めず、あらゆる問題を"他人"のせいにしたのだ。昨年欧米で最も議論されたテーマは「移民問題」にちがいない。極左派がはじめた"草の根民主主義"は、「コミュニティと連帯」の思想を促すはずだったが、2017年の先行きが当てにならない以上、ジェレミー・コービンやバーニー・サンダースのような人物がリーダーとなって平和を説くことなど、ありえない話だ。人々の恨みはこじれている。警察や軍隊さながらに威張る輩は自らが犯した罪の責任をとろうとしない。そして、あたかも政策があるかのように見せかけておきながら、みえすいたファシズムを推し進める政治家が台頭している——こうして私たちは決定の場から追いやられ、行き詰まっている。ここからどうやって進めばいいのだろう?たしかにそれは困難だ。欧米に広がった政治的混乱には要因となるものが多すぎて、ひとつの解決策で片付けることは不可能だ。もはやヒーローはひとりでは足りない。大勢でなければ。テリーザ・メイ(難民の子どもにシェルターを与えなかった政治家)がキャメロンとオズボーンに続いて、政治をますます右傾化させる取り巻きに権力を与えると、中年のジャーナリストたちがメイの登場はフェミニストの勝利か否かと言い争う。応答に適した方法と場所を知ること、そして時にはその理由を知ることは、難しいものである。自分のジョークに気づいていないコメディアンが、自ら宣言した"自由の国"のリーダーになった——そんなニュースの見方を理解するのも、簡単ではない。

ドナルド・トランプが大統領選挙に勝利したことを、わめくヤギやギターレッスンを視聴するプラットフォームから知らされるのは、あまりにシュールだ——彼に投票した人々にとってさえも。はじめのうちは受け止め方がわからず、笑い話にしていた。だけど、今年の1月にその男がホワイトハウスで妻をダンスさせ、大統領令を発令しはじめたとき、そのジョークはかなり笑えないものになった。私たちはメインストリームで意義を申し立てている人々にすがった。有名人が輝

かしい授賞式の舞台でトランプを非難する映像が流れたし、彼に対立する政治家たちはフェイスブックを使って、イギリス政府は"同盟の"リーダーを黙認したと批判した。それだけでは足りなかったし、今でも十分ではない。私たちはまだ、安心できるような状況にはいないのだ。政治に関わるメディアは、体制が異議申し立てを受けていることを伝える場所だが、機能するためには現実世界で血を流さねばならない。そんな状況に返答するために、私たちは地上を行進しなければならない。企業の利害に対して声と拳をあげ、コミュニティを団結させ、抵抗の意思を示すのだ。昨年、私たちはそのことについて書いた——今年、必要な言葉は少ない。

だけど、書かないといけないことがあるので、皆さんにはあと少しだけ"言葉"に我慢してほしい。書くのはほんの少しだけ。なぜなら、1月から1ヵ月のあいだに計画的および突発的なプロテスト運動が頻繁に起きたことから思うに、私たちにはもっと大事な場所があると考えているからだ。2016年、私と同じくかなり多くの友人たちが、自分が"役に立たないのぞき魔"になっている気がすると言った。メディアが伝える暴力を受動的に消費するだけだ、と。それでも、じっとしていた人々は動き出した。そのいい例が、2017年1月21日に行われたウィメンズ・マーチだ。推定500万が参加した世界規模のデモであるウィメンズ・マーチは、トランプが大統領に就任したことへのダイレクトな応答だった。世界中でマイノリティが受けている抑圧が多面的であるように、このデモは様々な目的が重なり合って行われた。ウィメンズ・マーチは何よりも女性権利運動の支持を表しているが、移民および移民権、環境運動、人種差別撤廃、運動の自由、宗教の自由、労働者の権利を訴えてもいる。情報を集め、参加を促し、小さなコミュニティをいくつも取り込みながら、異議表明を行うひとつの巨大な集合体——これが、現代的な大規模なデモの姿だ。

なるほど、すべて人の目にかなうものではないようだ。評論家からはこんな声が上がった——広範囲な問題を対象としているのは、弱体化し様々な立場の左翼たちが、特定の問題を正確に見定め攻撃できないためではないか、と。もっともらしく聞こえるが、彼らは皮肉が込められたプラカードだけを見て、純粋な怒りとエネルギーを見逃している。参加者の多くは、ウィメンズ・マーチを世界的な運動の始まりだと感じている。その熱烈な週末以降、私たちは実際に、このマーチに関連した問題のもとに人々が集まるのを目にしてきた。ソーシャルメディアの監視空間が生んだ自意識から解放され、何十万の人々が——時には数百万の人々が——公共空間に溢れ、弱者への支援を誓っている。ウィメンズ・マーチを皮切りに、様々なコミュティが2週間にわたり立て続けに集まった。"団結"というその大いなる意志表示は自信をもたらし、トランプがムスリム大国7カ国の人々の入国を禁じる渡航禁止令を施行すると、それに反対する人々がすぐにまた通りを埋め尽くした。

この種の抗議運動において重要なのは、それが重要国境を無視して、国外に広がっていくことだ。ウィメンズ・マーチは、抗議運動にはグローバリゼーションが必要だと身を持って示すと同時に、視野の変化はもはや国内の問題ではなく世界に必要なことだという見解を、先進的な左派に代わって訴えている。作家・アクティビストであり『Novara Media』の編集者であるアッシュ・シャーカー(Ash Sarkar)は、ムスリムの団結を呼びかけたロンドンでのマーチで熱烈に語った。彼女はアメリカとイギリスの政治の差異を相手にせず、西洋の政治は全体的に危機的状況にあることを訴えたのだ。彼女の言葉は各地で強く響いた。「そのことをマグカップに印刷したり、石に刻んでください。私たちはあらゆる場所にいるレイシズムの犠牲者と共にあります。空港にいる窮地のムスリムのもとへ、ヤールズ・ウッド収容所の女性のもとへ、フォートレス・ヨーロッパ(Fortress Europe)という国境で苦しむ移民のもとへ、私たちは現れます。ヘイトより強大な敵がいます。それは、現状に満足してしまう心です。自分の国であれ、外の国であれ、私たちは人種差別を行う国の陰謀を拒まなければなりません」と、彼女は力強く主張する。批判や非難は常にある。しかし、私たちが直面している政治的な状況では、"行動"こそなくてはならないものなのだ。

シャーカーの声が数百万人の声に加わり、問題をつなぎ合わせ、抵抗活動の中でコミュニティを団結させる。トランプ支持者たちの数は強力だが、彼らに反対する者たちのポジティブなエネルギーとアクティビズムは、活気づいている。私たちが向かう場所ははっきりしている。もはやアクティビズムは一過性の流行語ではない。いま必要とされている言葉なのだ。靴を履き、携帯を充電し、友達に電話をかけよう。シャーカーは簡潔にこう表現する——「政治に携わる人たちを頼っても、彼らは私たちを守ってくれません。正義は存在しません。私たちがいるだけです」。私たちにかかっている責任が大きくても、この運動を失敗するわけにはいかない。

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