神はフェミニストなのでしょうか? :イ・ラン

表現形式は音楽や文章、マンガから映像まで。溢れるユーモアとその鋭い観察眼で、私たちの心を打つ作品を発表し続けている才気煥発のクリエイター、イ・ラン。しかし、彼女は今年、仕事ができずにいたという。それはなぜか? 試練に直面している彼女が自身に、そして私たちに問いを投げかける。

by Lang Lee; photos by Hana Yoshino; translated by hiroyuki shimizu
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06 November 2018, 8:31am

この記事は『i-D Japan No.6』フィメール・ゲイズ号から転載しました。

は大韓民国ソウルで暮らす、悩み多きフェミニストです。自らをフェミニストと言うことで、人生がこうも変わってしまうとは思いもよりませんでした。インターネットで得た薄いフェミニズムの知識と、SNSに「#私もフェミニストです」と投稿したことにより始まったフェミニストとしての旅路が、ここまで来るとは思いもよりませんでした。一度はロクサーヌ・ゲイの「バッド・フェミニスト」という言葉にとても大きな解放感を感じ、「私(みたいな人間)もフェミニストになれる!」と簡単に考えたのですが、その解放感も一時にすぎず、次々と浮かぶ過去の記憶が私を悩ませはじめました。私は長いあいだ、男性主義と家父長制社会のなかで「名誉男性」として生きてきました。韓国では、男性主義社会に足並みをそろえ、彼らの方式を踏襲する女性を「名誉男性」と呼びます。(日本にも同じ言葉はありますか?)私は性別二分法から抜け出し、自主的かつ主体的に生きたいと思っていましたが、結局、男性主義社会で権力を握る男性たちの姿を真似しただけだったようです。男性ばかりの酒の席で誰よりもうまく猥雑な話を語り、女性を嘲笑し無視する冗談を軽く飛ばしていた私は、20代には女性の友達がほとんどいませんでした。

私は遅れて女性の友達と付き合いはじめました。周囲の女性たちをバカにし見下すことが名誉男性である私の特技だったため、簡単なことではありませんでした。それにもかかわらず、私が女性の友達と出会っていくことで感じた同質感と解放感は、とてつもなく大きなものでした。特に、私と同じく「名誉男性」の波に乗って生きてきた友達や、私のように男性から暴力を受けた経験を持つ友達に出会ったときは、多くを話さずともよく通じました。女性の友達との新しく安全な関係のなかで、似たような経験を共有しお互い共感することが、いかに大きな「武器」であるかを少しずつ理解するようになりました。

家父長制のなかで誰かの所有物のように扱われ、根深い宗教教育の下で処女性を強要される女性たちの話や、自身の性別と身体を歩く商品のように思われることもつらいけど、商品性が衰えた自身の顔と身体を憎むことが当たり前になってしまった女性たちの話を聞いて、私も激しく共感するとともに過去の記憶に苦しむことになりました。私があれだけ得たかった「名誉」とは何だったのでしょうか? より多くの男性たち、あるいは名誉男性たちに褒められることが、私が得たかった名誉だったのでしょうか? 男性主義社会と家父長制のなかに、私の得られる名誉が存在していたということ?

昨年は、ケーブル放送局でドラマ監督の仕事をしました。女性たちが日常で経験するエピソードで構成したドラマでしたが、会議室には私以外の女性スタッフがほとんどいなかったし、ドラマの内容について男性ディレクターとしょっちゅうぶつかりました。男性を「潜在的加害者」にするなと、スタッフを対象とした性暴力予防教育に反対したそのディレクターは、今年「フェミニズムドラマ」を発表しました。

さらに昨年は、職場内セクハラや熱情ペイ(訳注:「情熱こそが報酬」として求職者などに仕事の対価を支払わないこと)、コンデ(訳注:権威主義的で話の通じない年長者)など社会問題について討論する芸能番組に6ヶ月間、パネラーとして出演しました。収録後に時々行われた打ち上げの席では、男性出演者やスタッフが自身の性器のサイズで冗談を言いあったり、彼らが好きな日本のAV女優の名前や「品番」(訳注:AVレーベルを識別する固有のアルファベット)を自慢げに話しました。酔って赤くなった顔で、「俺は〇〇〇とセックスをしてみないと」と私に語った男性出演者は、最近もテレビで頻繁に見かけます。

このようなことは、フェミニストとして停滞した私に与えられたテストなのではと疑っています。今年は少しの仕事しかできませんでした。仕事をしないようにしたのではありませんが、どんどんできない状況になっています。

lee lang
LANG LEE WEARS ALL CLOTHING MODEL’S OWN.

ちょっと前に打ち合わせをした有名ドラマ制作会社の代表は、私の前で「自分はフェミニストではない」と断言しました。「女性監督と一度も仕事をしたことはないが、今回は女性に機会を与えよう」と、基本的な台本の体をなしていないゴミのような脚本を見せました。私は安全ではない場に飛び込みたくはありませんでしたが、業界で巨大な権力を持っている制作会社の仕事を断ることは難しく、これからのことが怖くもありました。私は「イ・ラン」ではない名前で監督を受けようかと考え、そう考える自分が恥ずかしくなりました。

さらに、他の有名ドラマ制作会社からも一緒にやろうと連絡を受けました。その会社のドラマが大ヒットしたことを知っていたから期待も大きかったのですが、最近そこの代表が「チャン・ジャヨン*1のリスト」の人物であることを知りました。これもまたテストでしょうか? これらがテストなら、誰によるテストなのでしょうか? それがもし神ならば、神はフェミニストなのでしょうか?

被害者を量産する環境で仕事をするのはやめようと決心し、大きな仕事を断るほどに私はどんどん貧しくなります。生きるために、今日のご飯を食べてどこかに移動するために、今月の家賃を払うために、誰かを嫌悪し誰かを差別しなければならない状況がずっとやってくるとしたら、断り続けることができるでしょうか。少なくとも私の選択基準が、前のように「名誉男性」の基準ではなく「バッド・フェミニスト」の基準にでもなっていれば。

時間と共に私の周りの環境は変わっています。映画には過去に戻る方法がよく登場しますが、実際には経験したことのない私たちは前に進んでいます。私みたいな名誉男性も、前に進んでいます。過去をふと振り返るごとにおぞましい失敗の数々を思い出しながら、前に進んでいます。「バッド・フェミニスト」という言葉に時々慰められながら、前に進んでいます。私の未来は不透明で、私に染みこんだ名誉男性的態度は怠った隙にすぐ現れます。それにもかかわらず、より多くの人権と、より多くのジェンダーと、より多くのフェミニストたちの悩みなき人生を想像しようとしています。すべての変化と共感は想像力から出発するのだから。

貧しく悩み多きフェミニストの皆さん、たくさんの言葉を私に投げかけてください。私はこの社会をどんな人たちと共に生きているのか、切実に知りたいのです。あなたの声が私には重要です。


*1: 大韓民国の女優。自身に性接待を強要し、暴力を行使したマスコミ/政界/芸能界の人物、数十名の名前をリストに残し自殺した。

Credit


Text Lang Lee
Translation Hiroyuki Shimizu
Photography Hana Yoshino
Hair and Make-up Honoka Takahashi

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