小山田圭吾の静かな潮汐

Cornelius 11年ぶりの新作『Mellow Waves』には、あらゆる感情を内包しつつ、そのどれにも振り切れることのない、 静的な衝動と動的な諦観が同時に鳴らされている。現在の小山田圭吾、その静かな喜びに迫った。

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okt 4 2017, 8:26am

This article originally appeared in i-D Japan's The JOY Issue, no. 4, Fall 2017.

24時間365日を笑顔のままに過ごせる大人というのはまずいないだろう。解法のないスリザーリンクのような人間関係や、先行き不安がデフォルトとなった政治や 経済。頭上に居座り続ける暗雲の成分を挙げればキリがない。そんな僕らの毎日において、コーネリアスの新作『Mellow Waves』は、新種の処方薬や日々の雨 風をしのぐ寝袋のようにも機能する。なぜならこの直径12cmのシルバープレートには、ゆったりとしたトレモロの軌道に呑まれる音の波に加え、決して割り切るこ とのできない感情の揺れまでもが記録されているからだ。再生、いや、服用のたびに平熱へと導いてくれる、21世紀の精神安定剤。静かなモンスターアルバムを 生み出した男、小山田圭吾の喜びについて訊いた。

「たしかにアルバムの制作途中から、" 何度でも繰り返し聴けるものを"というのは意識したかな。それは、"何度聴いても聴いた気がしないもの"と言い換えてもよ くて、" なんだかずっとエレピが揺れてたなあ"ぐらいの受け取られ方でもちょうどいいぐらいのもの。だから安定剤という表現はちょっとうれしい。......もともと自 分には、今の若い子がいうところの"ブチあがり!"みたいな瞬間って全然ないのね。たぶん、物心ついたときからなかったと思う。感情の振り幅が(両手を肩幅に 広げて)このぐらいだし、その幅の中をいったりきたりしながら生きているというか。......僕もだんだんと歳を重ねることで、そういう資質が前面に出てきたんだろ うね。たとえばビーチ・ボーイズの『フレンズ』というアルバム。僕にとってのあの作品の魅力というのは、比較的内省的な曲が並んでいて、中心がなくてぼんやり しているという部分なのね。名曲ばかりが入った『ペット・サウンズ』とかももちろん大好きなんだけど、今あれを聴き通すのってわりと体力がいるし、こってりしす ぎていて、聴いてる途中でもういいかなってなっちゃう。僕もそういうものよりは、無意識に手が伸びて、"あ、また同じ気持ちになってるなあ"と感じられるものを つくりたかった。あえて収録時間を短めにしたのもそういう意図があるし、今の自分が欲しているものをつくったら、自然とこういうものになっていったんだよね」

『Mellow Waves』は坂本慎太郎の作詞によるエモーショナルなラブソング「あなたがいるなら」から始まり、逢魔時を意味する美しいインストゥルメンタル「Crépuscule」で幕を閉じる。うち、小山田本人の作詞による「夢の中で」と「The Rain Song」は、それぞれ〈淡々 窓の外/点々 雨の粒〉〈ぼつ ぼつ ぼつ/雨 が 歌う〉という歌い出しを含んだ兄弟曲であり、アルバムに通底する穏やかな定点観測感を決定づけている。

「『The Rain Song』は穏やかすぎて廃人かもね(笑)。『うちのおじいちゃん、今日も静かだけど幸せそうだなあ、みたいな気持ちになる』って話していた人もいる ぐらいで(笑)」

とはいえ「夢の中で」は、コーネリアス流のポリティカルソングと深読みすることも可能だ。小山田が敬愛するイギリスのバンド、プリファブ・スプラウトに感化さ れたというメロディには、混乱や変動といった言葉が充てられていることもあり、ここには、どんな思想にも共感できない寂しさや、いつまでも答えが出ないこと に対しての諦めが歌われているようにも聴こえる。

「もちろん直接的にポリティカルなものを書いたわけじゃないんだけど......。うん、わかるよ......そう聴こえるというのは、すごくわかる。ただ、自分が歌う言葉に 関しては、必ずしも自分の本心から出た言葉じゃなくてもいいと思っていて、本当である必要はまったくないし、本当でもいい。楽曲それぞれの個性やスタイルにし っくりくる言葉であれば、なんでもいいとさえ思う。歌詞を書くのは(レコーディングの)最後だし、時間をかけてだんだんと固まっていった風景や温度に対して、う まく機能する言葉を探せればそれでいいと思ってるから」

そもそも音楽における歌詞に本当などないのかもしれない。いかにリアルを追求したとしても、悲しい言葉に悲しい和音をぶつけた瞬間に、それは本来の悲しみを 大きく追い抜いた悲しみとして定着してしまうという、嘘/本当の皮肉な逆転現象を孕んでいるからだ。その意味、コーネリアスの言葉の扱いや距離の取り方というのは衰勢に無縁。淡く抽象的なようでいて、真珠のような硬度とカーボンのようにしなやかな強度を感じさせる。

「今回作詞をお願いした坂本(慎太郎)くんの歌詞にもそういう部分があると思う。誰にとっても心あたりがあるような感情に対して、突飛な表現や難しい言葉を使う ことなくアクセスしていて、それでいてドキッとさせるような展開もあって。「あなたがいるなら」にしてもラブソングとしてスタートするけど、そこに〈まだましだな〉といいう言葉がきた瞬間に、透明な諦観や寂寥感みたいなものがパッと広がる。すべての物事に対して全肯定できないという部分に、すごく共感できるんだよね」

コーネリアスの音楽制作とは、作曲という素描に、アレンジやリリックという微細な着色を施すことで完成する風景画にも近いのだろう。ほぼすべてのレコーディ ングを個人スタジオで完結させていることもあり、そこにバンド的なカタルシスはないかと想像する(そもそもコーネリアスの複雑なリズムアレンジは、それを再現する者の身体能力、その限界に迫るものだ)。それではスタジオにおける喜びのピークポイントというのはどこにあるのだろうか。

「レコーディングは淡々と進んでいくので、じんわりと、静かにくる感じだね。たとえばジオラマの丘に樹を植えただけだと、そこまでの喜びは得られないのといっ しょで、ひとつの音を入れた瞬間に"見えた!"みたいなものはないというか。たぶん最後のそういう経験っていうのは、Salyuといっしょにやった「ただのともだち」(salyu × salyu『s(o)un(d)beams』に収録)なのかな。あの曲の歌入れのときはスタッフみんなで盛り上がった。やっぱり気持ちが大きく動かされるときっていう のは、自分の予想を超えたものが突然目の前に現れたときだったりするから、ここ(事務所)にこもって黙々とやってる以上は、あんまり......ね。そういう意味では MVを監督してくれているジック(辻川幸一郎)とか中村勇吾さんみたいな才能といっしょに仕事できるのはすごく楽しい。好きなものが似ている人たちと自然に出会 えているというのは幸せなことだと思うし、そういう出会いが多くあるというのは、都会で暮していることの喜びなのかもしれないね」

話題は音楽を離れ、日々の喜びへと流れる。

「やっぱり自分の子どものことになるのかな。彼らの世代は自分の予想を超えてくるというよりも、なんだか小動物を観察しているみたいな気持ちになれるというか、 それもまた違った意味での刺激になるから。こないだも、うちの子と仲のいい友だち──その子は小学校のときに某・紅白出場グループのバックで踊ってたんだけ ど、早々に"ここにいちゃダメだ"と悟って(笑)、中学生で自分のアパレルブランドを立ち上げたような子で──が、いっしょに写真のZINEみたいなものをつくって てね、そこまで印刷費をかけられないから安い紙に刷ってみたら、全編ガビガビのカラーコピーみたいな仕上がりになってて、こんなんじゃダメだとまた次を考える。 そういう若さならではの試行錯誤を少し遠くから眺めているというのはすごく新鮮。もちろん質問されれば答えてあげるけど、具体的な意見はしないでおきたいとい うか。......(煙草を吸って)......だから、決して毎日が楽しくないわけじゃないんだよ。"最後に腹の底から爆笑したのはいつですか?"みたいな質問には答えにくい けど、"なんだか静かに過ごせていていいなあ"みたいな気持ちはずっとあるから」

喜びの質はさまざまだということ。毎晩のようにオールドヴィンテージのコルクを抜かないと満たされない高燃費系もいれば、ピノの箱に星型の一粒を見つけたと いうだけで、甘い充足感を得られる低燃費系もいて──。

「そこから得られるものを考えると、喜びというのは費用対効果じゃ測れないというのがわかるよね。自分の場合、(喜びの質というのは)間違いなくシンプルにな ってきていると思う。若い頃はレアなレコード欲しいとか、あっちこっち旅行してみたいとか、物欲とか知識欲のほうが強かったけど、今はもっと身体にダイレクト に入ってくるようなものに興味がスライドしてきていて。だって最近の楽しみは近所のサウナ通いだもん(笑)。とくに水風呂のナチュラルトリップ、あれを知ってしま うと、もうね(笑)。今はサウナ好きを公言する人って多いよね。タナカカツキさんの『サ道』とか、まんしゅうきつこさんの『湯遊白書』みたいな漫画の影響もある みたいで。そういえば、こないだ銭湯で声をかけてきた人がいて、会えば話をするようになったんだけど、その人は池袋の某楽器店で働いていたというおじさんで、 サウナでずっと(山下)達郎の話をしてくるんだよ(笑)」

そろそろインタビューの持ち時間も残り少ない。はたしてサウナにまつわる談笑で終わってしまっていいのだろうか。

「(笑)じゃあもうひとつ。やっぱりギターを弾くのはすごく楽しいね。10 年ぐらい前からいろんな人とセッションできているし、METAFIVEみたいなバンドで弾く のもプレイヤーとしての純粋な喜びがある。自分の作品でソロを弾くことにしても、リズムやコードを探っているときよりは自由度の高いアクティブな作業になるしね」

今後、ギタリストとしてのコーネリアスは、より多くの賞賛を集めることになるだろう。その運指はリチャード・ロイドやロバート・クワインといったロックレジェン ドたちにも通じるスリリングな破綻と収束、獰猛にして華麗な瞬発力を誇り、ギターという楽器の可能性/守備範囲を大きく広げているようにも写る。

「でも、やっぱりそこにも"ブチあがり!"はないんだよ。この上(事務所)で録音するのに立って弾くなんてことなんてことはしないし、スリッパとロックの相性って、 相当に悪いと思うからさ(笑)」

「i-D Japan NO.4」に掲載された本文にて編集部校正に一部誤りがございました。「坂本(龍一)」と表記されておりましたが、正しくは「坂本(慎太郎)」です。読者のみなさま、ご関係者の方々に謹んでお詫び申し上げます。