「見せTバック」の復活にファッション誌が賛否両論

Tバックへの反応からひも解かれる、女性のセクシュアリティ。

by Kelsey Lawrence; translated by Aya Takatsu
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jan 31 2018, 7:45am

This article was originally published by i-D US.

まずはいちばん大事なことから。私はTバックが大好き! ドレスの下やパンツのウエストからのぞくTバックのストラップは、タブーじゃないと思っている。だから、誤解のなきよう。これはひとりのTバック愛好家が書いた原稿だってこと。だけど、こんな私は少数派だということが明らかになった。伴芽衣子が手がける東京発のファッションブランドthibautが、先の東京ファッションウィークで物議を醸したのである。なぜなら、そのランウェイに“Tバック・ジーンズ”──ボロボロに引き裂かれてTバックのかたちになったジーンズから、モデルのお尻がすべてあらわになっている──が登場したからだ。

そのTバック・ジーンズはファッションウィークの中でもレアな1着となり、ランウェイを越えて各媒体の見出しへと躍り出た。Mashableや『ニューヨーク・ポスト』、それに南フロリダのニュース局であるLocal 10までもが、“おもしろニュース”としてTバック・ジーンズを取り上げた。Tバックジーンズは瞬く間に「こんなの着ない!」とか「ファッションは珍妙だ!」という、人々が自らの知識とセンスを確かめて安心するための、格好の笑いのネタとなったのである。これは、あなたのおばあちゃん世代とニューヨークのファッションライターが見解の合意を見る、数少ない案件のひとつでもある。「おそらくファッションは脱構築的な解釈に傾倒しすぎており、そのためにデザイナーがかろうじてこのような姿、つまり意図して非実用的な1着に行きついたのであろう」と、『ヴォーグ』はこのパンツについて述べている。

Gillian Anderson at the 2001 Vanity Fair Oscar Party. Photography Jody Cortes/Sygma via Getty Images.

thibautのTバック・ジーンズに対する反応は様々だった。『ティーン・ヴォーグ』が「Tバック・ジーンズが現れたのは、世の中がヒドい有り様だから」と書く一方で、『ハーパーズ・バザー』は「Tバック・ジーンズが出てきた、この世の終わりがやってくる」という見出しを掲げている。リアクションはといえば、ジーンズから見せるLinderのカットアウトされた黒いTバックと、股上の浅いパンツに合わせたTOM FORDの超ハイカットのボディスーツに対する反応はさらに熱のこもったものだった。『ヴォーグ』に掲載されたもうひとつの記事では、「トム・フォードによるGucci1998年春夏コレクションに登場したオリジナルに似ているプレーンな黒いTバック」はシックで許容できるが、「パリス・ヒルトンのお尻で揺れるホットピンクのパンツや、そのほかのグイっと引き上げられたひもパン仲間はいただけない」と締めくくられている。2001年ヴァニティ・フェア・オスカー・パーティでのジリアン・アンダーソンはOKで、『Degrassi』のマニーのブルーのソング時代はダメらしい。

例に挙げたものは、どれも肌の露出度はそれほど変わらない。ソングを身に着けることに対する一般的な見解は、単にネオンカラーやダメージジーンズに左右されるようだ。私はこのTバック・ジーンズを普段はくかどうか? 答えは、夜なら「もちろん」、昼間は「ノー」だ。昼にはかない理由はただひとつ、私の1日を根底から狂わせるようなコメントが、街中から襲いかかってくるだろうから。

ちょっと聞いて、反論するから。thibautのTバック・ジーンズは本質的にジーンズではなく、おそらくそれを意識したものだろう。だがもしデニムTバックをはいたリアーナが間違っているのであれば、正しい道を選択したい人などどこにもいない。

まるでセクシュアリティと欲望とアウターのあいだにある第4の壁(訳注:映画や演劇において、観客と作品のあいだにある、現実と非現実を隔てる壁)を破るような、あまりにも魅力的なタブーを感じさせる何かが見せTバックにはあるのだ。見せTバックは生々しいセクシュアリティを喚起するが、それはほとんど不快だともいえる。私はそこが大好きなのだ。1998年のスター捜査官の調査報告書によると、モニカ・ルインスキーは自身のジャケットを持ち上げて、当時大統領だったビル・クリントンにTバックを見せたのだという。RackedがレポートしたTバックの歴史では、当時Tバックの物理的性質を解明しようと努めていた『スレート』誌が「地元シアトルのランジェリーショップに電話をかけ、Tバックのストラップは(従来のビキニストラップとは違い)しばしば女性用パンツのウエストを越える部分まで続いていることを保証してもらった」そうだ。そして実際にその雑誌は、ルインスキーが自らの体をクリントンに見せるために衣服を脱いだわけではないことを裏づけたのである。

最近のファッションジャーナリズムは、Tバック・ジーンズをはいてもOKな者がいるとするなら、それはベラ・ハディット(昨夏、たくさんのTバック水着を着ていたから)だという結論に行き着いたようだ。それはベラ・ハディットでありカイリー・ジェンナーであり、何年も前であれば、ほかのみんなのためにきわどいルックを着こなすという責務を(たぶん)負わされていたローズ・マッゴーワンかジリアン・アンダーソンだった。そのことすべてに対して、私は言いたい。なぜほかのみんなは許可が下りるまで待たねばならないのか? 女性が何を着るべきかに関しては、複雑かつ偽善的な結びつきがある。私たちが自分をどのくらいセクシー、もしくはあえて言うならゴミみたい(トラッシー)に見せてよいかという限度は、あいまいで気まぐれなものなのだ。現実には、抑えた色合いのさりげないストリートウェアで生活を送りながら、超過激なパメラ・アンダーソンやDollz Mania(着せ替えゲーム)にインスパイアされたインスタを賛美するような時代。私は何度もその矛盾した意見について考察した。もちろん、ただ賛美するだけなら何の問題もない。なぜダサくなることを恐れるのかが不思議なのだ。

Rose McGowan at the 1998 MTV Video Music Awards, with Marilyn Manson. Photography Ron Galella/Getty Images.

Tバック・ジーンズ(もしくはそれに類するもの)を穿くことがそうなのだ、と言っているわけではない。だが、そうでないと言っているわけでもない。しかし、先に触れたthibautのジーンズのデザイナーである伴芽衣子は、そのことについて精神的な分析をする必要はないと考えているようだ。このジーンズのアイデアはどこから来たのかというi-Dの質問に、彼女はシンプルにこう答えている。「そのデニムを裁断していたとき、やめられなかったから」

Tバック・ジーンズは、女性のセクシュアリティの美しいシンボルだ。やり過ぎというところまで物事をもっていくこと、またこのケースにおいては、クラシックな服を選んで、それを堂々と露出度の高いものに仕立てること。それは痛烈な、そして素晴らしいパロディなのだ。そしてそこに過激な要素があれば、もう受け入れるしかない。