ウェス・アンダーソン『フレンチ・ディスパッチ』の世界ができるまで
ウェス・アンダーソンと制作チームが、監督のカラフルでめまぐるしい作品に命を吹き込むまでを明かす。
Searchlight Pictures
現代において、スクリーンの美学に関しては、ウェス・アンダーソン監督の右に出る者はいない。10本もの長編映画を世に送り出してきたアンダーソン監督は、ショコラの箱のように美しく、それでいてストーリーテリングの核心を曇らせない独自の手腕で、作品を通して視覚芸術の傑作を生み出してきた。
『ムーンライズ・キングダム』から『グランド・ブダペスト・ホテル』、『犬ヶ島』まで、新作が公開されるたびに、アートハウス系映画マニアと、ときどき映画館を訪れるライトな映画ファンの両方を映画館に集めてきたアンダーソン作品。この流れは、彼の超ホットな最新作『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』でも続いている。そこでi-Dは、この視覚と聴覚を刺激する名作がいかにして実現したのか、その舞台裏に迫った。
フランスの架空の町アンニュイ・シュル・ブラーゼが舞台の『フレンチ・ディスパッチ』は、そのタイトル通り、カンザスシティを拠点とする雑誌の海外編集部の物語だ。劇中で観客が目にするのは、ネズミが駆け回る線路やネコだらけの屋根など、みすぼらしい側面を覆い隠す、アンニュイの町の絵画的な風景。さらに、服役中のアーティスト、若き革命家、そして犯罪者の逮捕に役立つ料理を出す天才シェフなど、個性豊かな面々の物語が展開する。彼らの物語は、アンニュイでも米国の本社でも、本の章(もしくは雑誌のページ)のような役割を担っている。
この文学ジャーナリズム全盛期にオマージュを捧げたフィクションの世界に命を吹き込んだのは、もちろんウェス自身の想像力だが、それを支えたのが業界を代表するクリエイター陣だ。
『フレンチ・ディスパッチ』の音楽のため、ウェス・アンダーソンはふたりの旧友を頼った。アカデミー賞受賞歴のある映画音楽作曲家のアレクサンドル・デスプラと、ミュージシャンのジャーヴィス・コッカーだ。両者とも、ウェスの2009年のストップモーションアニメーション『ファンタスティック Mr.FOX』以来の仲間だ。
全て本作のために書き下ろされたアレクサンドルの楽曲は、アンダーソン監督作の持ち味である鮮やかさと哀愁を引き立てている。いっぽう、撮影終了後に参加したジャーヴィスは、劇中のポップアイドル〈Tip-Top〉のオリジナル楽曲を提供した。さらにウェスとジャーヴィスは、フランス人歌手クリストフの「Aline」のカバーをレコーディング。本作を収録したジャーヴィスのカバーアルバムは、本国での映画公開と同時にリリースされた。

映画の世界を想像した通りに実現するため、ウェスは1996年のデビュー作『アンソニーのハッピー・モーテル』以来、長年タッグを組んできた撮影監督ロバート・D・イェーマンに撮影を依頼し、その独自の美学を捉えた。『犬ヶ島』でウェス組に加わった本作の美術監督ケヴィン・ティモン・ヒルも、舞台裏を支える制作チームの重要なメンバーだ。セットデコレーターのレナ・ディアンジェロは、撮影開始前にウェスの世界を構成するあらゆる要素がひとつも欠けずに完璧に整っているか、細心の注意を払った。
今回、ウェス、ロバート、ケヴィン、レナ、アレクサンドル、ジャーヴィスの6人が、『フレンチ・ディスパッチ』制作で担った役割について語ってくれた。

まず始めに
ロバート・D・イェーマン(撮影監督):ウェスとつくる映画は、すべて人生の冒険。
アレクサンドル・デスプラ(作曲家):多くの映画を一緒につくってきたから、ウェスと僕の両方にとって馴染み深い世界がある。僕が雄大でダークな交響曲は作らないってことは、ふたりともわかってる。いつかそういう曲を書く日が来るかもしれないけど。僕が作るのは、彼の映画のように少し距離があって優しくて、詩的で軽快な音楽。こういう要素がすべて合わさって、楽しくて面白い作品が完成するんだ。
レナ・ディアンジェロ(セットデコレーター):今回のプロジェクトに取り掛かる前に、(アンダーソン監督の)制作プロセスについては聞いたことがあった。(ウェスお気に入りのプロダクションデザイナーの)アダム・ストックハウゼンとは長年の知り合い兼仕事仲間で、彼からウェスのプロセスについて少し聞いていたから、きっと大変だけどやりがいがある仕事になると思った。そのあと、アダムはウェスのプロセスについて詳しく説明してくれた。構図や対称性、色づかいなどをね。ウェスは完璧な映画の完成図を思い描いていて、キャラクターのベースになる映画、絵画、作家などを正確に挙げられる。
アレクサンドル:いろんな理由でセットには顔を出せなかったんだけど、脚本を読んで、ウェスの過去作とは全く違って、ダダ映画(※シュルレアリスム映画)みたいだね、と彼に言ったことは覚えてる。

映画の世界観について
ロバート:この映画はほぼ全員フランス人クルーで、フランスの絵画みたいに美しいアングレームの町で撮影したから、それはさまざまな面で僕たちのアプローチに影響した。それから、映画のほとんどをモノクロで撮影することにした。僕にとっては長編映画では初の試みだった。
ケヴィン・ティモン・ヒル(美術監督):ウェスは撮影が始まるずっと前に、セットに置くほとんどのものに目を通す。事前に確認していないものはひとつもセットにない。他にも制作中に心に留めておくべき重要なリファレンスや緩やかなルール、禁止されている色、〈絵本的な感覚〉がある。途中でこまめにその要約を読み返して、ちゃんとアイデアに沿っているか、アダム(・ストックハウゼン)やウェスに送る前に処分してもう一度最初から作り直すべきか考えるようにしてる。
レナ:アングレームはパリから車で5時間もかかるから、段取りがものすごく大変になると思ったけど、地元のアシスタントの助けもあって、そんなことにはならなかった。町そのものがインスピレーションを与えてくれた。曲がりくねった坂道とか階段とか、脚本で説明されているものが全部そこにあったから。これこそがウェスが探していた、パリがさびれた感じの町だ、って。
ケヴィン:映画に登場するセットの多くは、アングレームで見つけたロケーションに実際に建てたもの。町そのものを映画の中に取り込んだ。
ウェス・アンダーソン(監督):レオス・カラックス監督の映画(『アネット』)がオープニングを飾ったカンヌ国際映画祭でこの映画を上映できたのは、面白い偶然だった。レオス・カラックス監督から着想を得たシーンがあるから。(10代の革命運動のリーダーを演じた)ティモシー・シャラメと(若き活動家ジュリエットを演じた)リナ・クードリが一緒にバイクに乗るシークエンスとか、彼が自分が書いた詩を持ち歩いているのは、すべてレオス・カラックスやジャン=ジャック・ベネックス(の影響)だ。シネマ・デュ・ルック(※1980年代から1990年代にかけてのフランスの映画ムーブメント)時代のね。(脚本を共同執筆した)ロマン・コッポラと僕は、作品にフランスの10代の詩的でロックなエネルギーを込めることを強く意識した。
アレクサンドル:ウェスと仕事をするときは──これが起きるのはウェスが相手のときだけなんだけど──脳がウェスの世界にどっぷり浸かる。寝てるときも夢に見るくらい。
ロバート:ウェスは明確なシーンのイメージを持って撮影に入るけど、その枠組みの中でも一定の解釈や意見交換の余地はある。結局、僕たち全員の目的は最高の映画をつくることだから。映画の世界観について
ロバート:この映画はほぼ全員フランス人クルーで、フランスの絵画みたいに美しいアングレームの町で撮影したから、それはさまざまな面で僕たちのアプローチに影響した。それから、映画のほとんどをモノクロで撮影することにした。僕にとっては長編映画では初の試みだった。
ケヴィン・ティモン・ヒル(美術監督):ウェスは撮影が始まるずっと前に、セットに置くほとんどのものに目を通す。事前に確認していないものはひとつもセットにない。他にも制作中に心に留めておくべき重要なリファレンスや緩やかなルール、禁止されている色、〈絵本的な感覚〉がある。途中でこまめにその要約を読み返して、ちゃんとアイデアに沿っているか、アダム(・ストックハウゼン)やウェスに送る前に処分してもう一度最初から作り直すべきか考えるようにしてる。
レナ:アングレームはパリから車で5時間もかかるから、段取りがものすごく大変になると思ったけど、地元のアシスタントの助けもあって、そんなことにはならなかった。町そのものがインスピレーションを与えてくれた。曲がりくねった坂道とか階段とか、脚本で説明されているものが全部そこにあったから。これこそがウェスが探していた、パリがさびれた感じの町だ、って。
ケヴィン:映画に登場するセットの多くは、アングレームで見つけたロケーションに実際に建てたもの。町そのものを映画の中に取り込んだ。
ウェス・アンダーソン(監督):レオス・カラックス監督の映画(『アネット』)がオープニングを飾ったカンヌ国際映画祭でこの映画を上映できたのは、面白い偶然だった。レオス・カラックス監督から着想を得たシーンがあるから。(10代の革命運動のリーダーを演じた)ティモシー・シャラメと(若き活動家ジュリエットを演じた)リナ・クードリが一緒にバイクに乗るシークエンスとか、彼が自分が書いた詩を持ち歩いているのは、すべてレオス・カラックスやジャン=ジャック・ベネックス(の影響)だ。シネマ・デュ・ルック(※1980年代から1990年代にかけてのフランスの映画ムーブメント)時代のね。(脚本を共同執筆した)ロマン・コッポラと僕は、作品にフランスの10代の詩的でロックなエネルギーを込めることを強く意識した。
アレクサンドル:ウェスと仕事をするときは──これが起きるのはウェスが相手のときだけなんだけど──脳がウェスの世界にどっぷり浸かる。寝てるときも夢に見るくらい。
ロバート:ウェスは明確なシーンのイメージを持って撮影に入るけど、その枠組みの中でも一定の解釈や意見交換の余地はある。結局、僕たち全員の目的は最高の映画をつくることだから。

楽曲制作
アレクサンドル:僕が考える最もダダイズム的な作曲家はエリック・サティだから、(ウェスと一緒に)ピアノの前に座って、どんな始まりがいいか考えた。まずは純粋なピアノから。先の読めないインストゥルメンタル、理論上は成立しない音の組み合わせを目指した。チェンバロ、チューバ、ファゴット、リコーダー……。普通は一緒に演奏しない楽器を組み合わせた。スクリーン上の世界を音楽に反映したくて。
ウェス:ジャーヴィスに僕が初めて「Aline」を聴いたときのことを話したはず。ちょうど僕たちが初めて知り合った頃、ナイトクラブ〈Castel〉のパーティーに行った。パリの6区にあるクラブだ。僕の隣に、あごひげを生やしてブルーのサングラスをかけた小柄な白髪の男性が座っていた。彼は英語があまり話せなかった。会話のようなものは交わして、すごく暖かくて感じのいいひとだったけど、うまくコミュニケーションがとれなかった。食事が終わる頃に誰かに声をかけられて、その男性は角にあったヤマハのキーボードのところに行くと、細く高い声でこの歌を歌い始めた。彼がサビに入ると、部屋全体が一斉に「Et j’ai crié, crié ‘Aline!’ pour qu’elle revienne!」と大声で歌い始めた。大盛り上がりだったよ。話を聞いてみたら、なんとこの男性はスーパースターだったんだ。それがこのオリジナル曲を歌っているクリストフだった。
それからCDを買って、この曲をブラッド・ピットが出演した日本のテレビCMに使った。CMは2本つくったんだけど、「Aline」を使ったほうはかなりいい出来で、もう1本はクライアントのニーズに応えるかたちでつくった。でも「Aline」を使ったほうは却下されて、日本では一度も放送も公開もされなかった。もう1本のほうは、これまでで一番受けの悪いCMだと言われた。ブラッド・ピット主演なのに認知率があまりにも低く、ほぼ誰もブラッド・ピットが出ていると気づかない。彼だとわからないなんてお話にならない、と。でもそれでよかった。おかげでこの曲を取っておいて、『フレンチ・ディスパッチ』に使えたから。
アレクサンドル:物語に沿って曲を作る必要があったけど、インストゥルメンタルのおかげで一貫性を保つことができた。音楽の雰囲気が変わっても、同じ音の世界にいられる。そのおかげで一貫性が生まれた。

困難を乗り越える
アレクサンドル:ウェスと仕事をするとき、障害物はほとんどない。完璧だよ。僕に心当たりがないときも、ウェスが参考になる音楽を見つけてくれる。彼はすばらしい想像力の持ち主なんだ。
ケヴィン:(最大の困難は)ローバック・ライトの物語の最初の、彼が警察署の廊下と部屋を歩く長いドリーショット。見つけたロケーションに巨大なセットを建てたんだけど、撮影の2、3週間前に絵コンテを受け取って、ウェスが求める高さや光景、スピードが実現できないことに気づいた。だから方向性を完全に変える必要があった。1ヶ月もなかったけど、複数の部屋のある63メートルのセットを考案して描画し、セットスペースの中にゼロから建てた。大変だったけど何とかやり遂げたよ。

振り返ってみて
ロバート:(一番誇らしいのは)〈Le Sans Blague〉のシークエンスの始まりと終わりのシーン。カメラが外を写し、(カフェの)壁が開いて部屋の中へ入っていく。シークエンスの終わりにはカメラが室内に入り、ティモシーとリナがジュークボックスにもたれると、また壁が開く。照明が変わるからすごく厄介だった。
アレクサンドル:もちろん(完成後は)だいぶ変わった。『フレンチ・ディスパッチ』の最初のシーンでは、町の人びとが目覚め、ウェイターが階段を上がってくる。こういうことはもちろん脚本に書かれていたけど、実際に映像で見ると本当に華やかだ。スイス製の時計みたいに、すべてが収まるべきところに収まっているような感じ。美しい構造の機械みたいに、映像と同時進行で曲が作られたみたいな気がする。魔法みたいだよ。
レナ:撮影初日、何ヶ月もスケッチを眺めたあと、衣装を着たキャストと一緒に『フレンチ・ディスパッチ』のオフィスのセットを見たときは、とても現実とは思えなかった。毎日、自分が携わったウェス・アンダーソンの映画の中にいる……。その感覚はこれからも絶対に忘れない。
ケヴィン:どんな媒体においても、デザインはストーリーを語るものだと思う。ストーリーを語るとき、そのことを絶えず意識していれば、その世界観を生み出すのはもっと簡単になる。〈正解〉への手引きや地図があるみたいにね。ウェスとの仕事のすばらしい点は、途中で何度か方向転換することはあっても、そのロードマップにアクセスできるということ。
アレクサンドル:ウェスが死やファシズム、葛藤など、暗いテーマに触れても、その映画はいつも重さを感じさせない作品になる。ユーモアもウィットもあるけれど、哀愁もある。すべて微かだけど、物語の奥深くへと入り込んでいくことになる。『フレンチ・ディスパッチ』は、死から始まる。そこに楽しい要素はない。どれも物語の主軸には関係のない、付随的な出来事ばかりに見えるけれど、ウェスの作品はそういうものが物語の根幹になっている。その他すべてが〈おまけ〉なんだ。そういうところが詩的だと思う。僕にとって、ウェスは現代を生きる数少ない映画の詩人のひとりなんだ。



『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』は全国にて公開中。
この記事は『フレンチ・ディスパッチ』制作スタッフへの個別のインタビューや会話から構成されており、内容を明確にするために要約・編集しています。