i-Con:テリー・ジョーンズ

1980年にi-Dを創刊したテリー・ジョーンズ。彼が掲げた「originate, don’t imitate」の精神は媒体の方向性を決定し、その後38年にわたってエディターたちの指針となってきた。つねに革新をもたらし続けていた彼が考えるオリジナル観とは?i-Dの起源(オリジン)にロングインタビューを行った。

by Kazumi Asamura Hayashi
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05 April 2018, 7:30am

第5号のテーマを“original”にしたその瞬間から、このセクションはi-Dの創設者であるテリー・ジョーンズに頼もうと決めていた。そしてこのまたとない機会に、さまざまな仕事を通じてi-Dに行き着いた経緯、マガジンが創刊された38年前と現在の違いなどを率直に聞いた。

インタビューを通じて感じたのは、彼がいかにシンプルに物事を考え、愛情をもって雑誌を作っていたかということだ。彼の言葉の一つひとつは、情報の伝わる速さや量が当時とは比べられないほど発達した現代においても、彼が持つ心意気こそが大切なのだということを気づかせてくれるものだった。愛情と情熱を注げば注ぐほど、出来上がりの満足感や完成度は高まる。クリエーションする者とそれを受け取る者、そのどちらにも私たちは常に敏感でなくてはならないのだと思わされた。今は第一線を退いてはいても、その魂はいまだ熱く燃えていることが、読んでいただければきっと分かってもらえると思う。

——こんにちは、テリー。お元気ですか?
元気だよ。

——インタビューの機会を得られてとても嬉しく思います。あなたと仕事した人はみんな、その経験を通してたくさんのことを学んだと聞いています。
僕自身、他の人からいろんなことを学んできたから、それを受け継ごうといつも考えているよ。僕が得意なのは、どのように人が一緒に仕事できるかを考えること。だから僕は触媒(メディア)のような存在なんだろうね。いつもその人の最高のものを見出そうとしているんだ。

——素晴らしいことですね。そんなあなたが誌面に書いた「originate,don’t imitate」からi-D Japan no.5のテーマ“original”が決まりました。この言葉をもとに、いまの時代において何が私たちのオリジナルかを考えようと思ったんです。まずi-Dを立ち上げた理由と経緯、当時のロンドンの状況を教えてください。
僕は1972年から77年まで『British Vogue』のアートディレクターを務めていたんだけど、そこではファッションのビジネス的側面に重点が置かれていた。ビル・ギブやジョン・ベイツ、ジーン・ミュアーのようなクリエイティブなデザイナーも取り上げてはいたけど、彼らもFiorucciやCOMME des GARÇONSよりも前の時代だからね。そんなとき、1976年にロンドンのストリートでパンクが始まった。僕にとってはそっちの方が面白かったんだ(笑)。それでVogueがパンクを取り上げたら面白いんじゃないかと思ってね。スティーヴ・ジョンストン(Steve Johnston)という若いフォトグラファーがVogueで仕事がしたいとやって来たから、「一番の方法は、キングスロードにいる連中の全身を記録することだ」と伝えたんだ。すると彼は3ヶ月間姿を消して、素晴らしい写真とともに戻ってきた。でもVogueは興味を示さなくてね。それで当時友だちだったトスカーニ(Oliviero Toscani)と一緒に雑誌を作ろうという話になったんだ。『British Vogue』を辞めてからはフリーランスとしてドイツ版『Vogue』の仕事をしたり、イタリアで現地の雑誌の仕事をしたり。フラヴィオ・ルチーニ(Flavio Lucini)にストリートスタイルの雑誌を提案したら、「絶対に金にならないし、成功しないだろう。でも6ヶ月間『Donna Magazine』をやって待っていてくれ」と言われた。それで『Donna Magazine』のADを始めたんだけど、グラフィックが強烈すぎるという理由で2号だけで解雇されてしまってね。それでパンク時代に出会った親しい友人たちとi-Dを始めることにしたんだ。ストリートに出かけていって、全身のポートレイト写真を撮り、いくつか質問をする。すべては僕らが出会った人たちで成り立っていた。それが始まりだった。当時はFiorucciやEspritといった企業の仕事の合間に、夜の仕事のように作っていたよ。そしてi-Dは成長し続け、とても優秀なエディターが集まってきた。ディラン・ジョーンズやキャリン・フランクリン、90年代にはエドワード・エニンフルもいたね。アイデアとしては、人々の自己表現のルーツに立ち返るということだった。日本には確か1986年に、Fiorucciのエキシビションで行ったんだったと思う。それが初めての全く新しいカルチャーへの第一歩となった。魅了されたよ。

——当時はホンマタカシさんとも仕事をされていますね。
その通り。ホンマはi-D Japanをスタートした頃に紹介されたんだ。僕は名前を覚えるのが得意ではないのだけれど、すごく良いスタイリストもいたね。キョンキョン(小泉今日子)のスタイリングをしていた人だ。

——創刊号の表紙ですね。
そうか、創刊号だったね。その頃ホンマタカシに出会ったんだ。カンバセーションは難しくても、僕は言語には頼らないんだ。テレパシーで通じ合えるからね。最初にシャッターを切った写真を表紙に使うと言ったら驚いていたよ。彼女が自然に力強いウィンクをした写真だった。Vogueでの経験を通して、僕は最初の1枚か最後の1枚が最も面白いということを学んだんだ(笑)。

——すべての表紙にウィンクの写真を使うというのは発明ですよね。このアイデアはどのように思いついたのですか?
実は創刊号から何かしらのグラフィックを載せたかったんだ。僕は60年代に小文字を使ったグラフィックをたくさん手がけていたんだけど、小文字のiと大文字のDを縦にすると顔のようになることに気づいてね。初めの頃はi-Dのロゴのバッジを作って、撮影のときにみんなにプレゼントしていたんだ。それをみんながちょっとしたマークとしてとらえて、バッジはi-Dに載ったという印になった。史上初の絵文字だね。絵文字は1983年にできたと主張する人もいるけど、実際には1980年8月、i-Dが創刊したときに作られたロゴが最初なんだ。

——5号ではダイアナ妃のウィンクが表紙になっていましたよね。
4号目以降は、すべての表紙にウィンクの写真を使おうと思った。だけどダイアナ妃はあの月に結婚することが決まっていたから、僕はコラージュを作ったんだ。広告からウィンクの写真をとってきて、彼女の写真にコラージュしたものを表紙にしたんだよ。

——あれは本当の写真ではなかったということですか?
彼女の写真に他の人の目をくっつけたものだよ(笑)。

——彼女はそれを知っていたの?
本人からは表紙に関して返事がなかったから、結局彼女の写真を使用する許可はもらってないね(笑)。彼女はチャールズと交際を始めたばかりで若かったし、有名ではなかった。5号ではクロスドレッシング(女装・男装)特集で、チャールズがダイアナの服を着て、ダイアナがチャールズの服を着るっていう内容だった。もし見たことないのなら、写真を送らないといけないな。

——あなたにとって思い入れのある表紙を挙げてください。
長年にわたってずっと2号と答えてきたんだ。というのも、創刊号で終わらなかったという証だからね(笑)。だから2号の表紙の黄色い星のグラフィックは気に入ってる。同じような意味で、初期の表紙はどれも大切だよ。66号のリサ・スタンスフィールドの表紙も大好きだね。元のイメージはあまりエキサイティングではなかったから、色をグリーンに変えたんだ。Earthy Issueだったしね。彼女はレコード契約を得る前だったんだけど、この表紙に出た後にレコード契約を獲得したよ。ヴォルフガング・ティルマンスがストーリーを手がけた110号も特別だった。販売店はすごく怒って、店頭から消されたんだ。表紙というよりも内容に怒ってね。表紙は初めて全身を写したものだと思う。全身を写した表紙はこのひとつ前と2回しかないはず。あとはNew Day New Dawn Issueの表紙も大好きだね。エドワード・エニンフルがスタイリングして、パット・マクグラスがメイクアップを担当した。213号も貴重だね。マットが撮ったアリーヤの写真で、彼女はこの1週間後に飛行機事故で亡くなったんだ。リチャード・バーブリッジが撮影したThe Elevator Issueも好きだね。これは長い間すごく気に入っている。この話は終わらないよ(笑)。面白いのは、新しい号が出ると誰もが「これが一番好き」と言うんだ。その時々にぴったりの表紙なんだよ。君たちの新しい表紙もいいね。良いウィンクを引き出してる。

——そう言ってもらえて嬉しいです。80年代を振り返ると、とてもユニークでオリジナルな時代だったと感じます。あなたは“originate, don’t imitate”という言葉を提案しましたが、それはどこから浮かんだのですか?
僕は他の誰かがやっていることを取り入れる代わりに、周りをよく見て、自分が目にしたものから自己表現しようと考えている。学生時代から自分が見たものにインスパイアされてきたけど、同じことはしたくなかった。アーティストにならないと決めたのは、他の人がもっと良い仕事をしているのを目にしたから。自分がやりたかったアートはキネティックだった。別の言葉で言えば、すべての原子的なものが爆発する“ニュークリア・アーティスト(nuclear artist)”になりたかった。でもキネティック・アートをやっていたジーザス・ソトに会ったとき、自分にはこんな辛抱強さはないなと思ったんだ。そこで僕は、さまざまなスキルを持っている人たちを巻き込んでいろんなことをするようになっていった。常に彼らのやり方を貫くよう励まし、コミュニティの中において、自分の目や言葉や表現方法を使うように促した。とんでもないことを狙ってやるのではなく、いろんなことを調和しながらも自分らしいやり方を貫くんだ。僕の通っていた学校には制服があるんだけど、興味深いことに、昨日50年ぶりに母校に行ったら、当時のようには制服を意識しなかった。生徒たちは制服を着ているんだけど、僕にはそれぞれの個性の方が目に入ってきた。一人ひとりの顔はみんなとは違うし、完全にユニークなんだ。誰もがそれぞれの個性を探求できるはずだよ。最近うれしいのはいろんな個性のモデルがいて、誰もが受け入れられるような幅広いカルチャーを目にすること。ロボットのようにではなく、一個人として受け入れられているってことだか
らね。僕にとっていつも大切なのは、一人ひとりがリスペクトされるということなんだ。

——ここ10年で雑誌以外にも新しいメディアが台頭してきました。そうした中で雑誌にはどのような意義があると思いますか?
今とりわけ興味深いのは、雑誌がとても多くの人に届けられるということ。メディアはとても幅広くなっているけど、雑誌はページに収まるように編集しなければならない。でも今日ではそこから多くのことにリンクできる。雑誌は人生のメニューなんだ。雑誌は口火を切るだけで、読んだ人がそのアイデアに触発され、そこから何かが育っていく。それはi-Dを立ち上げた当初からあった、とてもシンプルなコンセプトでもある。個性的な人の服装を見て、どんな音楽が好きかを想像し、そこから実際にクラブに行ったりして、外見からちょっとした洞察を得られる。今ではそのアイデアをもっと交換することができる。音や映像、静止画を駆使できるからね。でも紙媒体は、その手前のメニューのようなものだ。メニューは示すだけで、実際に料理を食べてみないと本当の味はわからない。もし食べられる雑誌が作れたら、それも素晴らしいだろうね(笑)。

——未来には可能かもしれません(笑)。
i-Dを始めるより前の1979年に行われたインタビューの中で、僕はすでに、動いて食べられる雑誌を作りたいと話していた。どうなるかはわからないよ。

——その通りですね。オリジナリティはどのようなところから生まれると思いますか?
一部の人はオリジナリティについて心配しすぎていると思うんだ。それは生涯を通して見つけていくもので、それこそが僕らが生を受けた理由のひとつだよね。観察し、探求することによって自分が成長していく。生まれた瞬間から指紋はみんなオリジナルだけど、人生におけるその人のオリジナリティは、親や周りの環境といったすべての要素が作り上げていくんだ。それでも人には似ているところがあって、人生において大切にしているものについて話すと、友情であることが多い。それは最新のドレスよりもずっと重要なもので、人とどう接するか、コミュニティの中にどのように溶け込むかということ。日本にはすべてが凝縮されていて、たくさんの人が一緒に暮らしている。日本人のメンタリティは社会に溶け込み、調和することによって作り上げられるのだと気づいた。それは学ぶべきことだよ。世界中からより多くの人がロンドンに移住している今、街を歩いていると英語よりも外国語を耳にする。最初に日本に行った頃は「ガイジン」という言葉を耳にして、どういう意味かと聞くと、自分がエイリアンなのだとわかった。でも、僕はぜひともエイリアンでいたいと思ったんだ(笑)。

——少しずつ変わってきているけれど、私たちの社会では個性的でいるよりも調和が求められます。それが辛い人もいます。あなたが言ったように、街によってオリジナリティの考え方は違うと思いますが……。
調和はすごく大切だと思う。それは人生の本質だからね。田舎で子ども時代を過ごすと、いかに自然が調和の中で成り立っているのかを理解することが重要だった。有機的に作られたものの方がヘルシーなのと同じだよ。

——i-Dの創刊から37年が経ちましたが、オリジナルの意味は変わってきましたか?
オリジナルというのは指紋と同じようなもの。ものすごく似ていてもいいんだ。一人ひとり個人的なテイストを見出せばいい。時々自分にユニークさが足りないのではないかと心配しすぎて、頑張りすぎてしまう人もいる。でもオリジナリティというのは、一人として同じ人はいないという事実を受け入れることなんだ。誰もがオリジナルなんだよ。

——今でも新しい価値を見出すことはありますか?
多分、つねに見出しているんじゃないかな。毎日何かを見て、「ワオ、最高だな」って思うしね。昔は朝に日の出を見るのが大好きだった。時々LAで娘と過ごすと、マリブの近くに滞在して日の出や夕日を見るんだ。お気に入りは真っ青な空に日が落ちていくのを見ること。それは僕にとって最高のものなんだ。だから毎日が特別だね。

——i-Dを読んでいる若い世代にメッセージを。
つねに目を開いておくこと。心を開いておくこと。自分の知らないことを学ぼうとするように。もうひとつ新しい世代に伝えたいのは、携帯ではなく誰か他の人と話すべきということ。今日における問題は、機器によってより内向的になり、外に目を向けなくなっていることだ。空や地面に目を向けて、何が育っているか見るべきだよ。もしコンピューターの電源を1週間に1日でも落とすことができたらすごく良いと思う。今の世代には、自分の世界の外にあることを調べて学ぶのがとても重要だ。いろんなことがどのように進むのかを見ること、周りの人々を理解することが大切だと思う。

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