はじまりの傷:石内都 interview 〈前篇〉

2014年にアジア人女性として初めてハッセルブラッド国際写真賞を受賞し、世界から注目を集めるひとりの写真家がいる。40年にわたり、女性と彼女たちが生きてきた時間を捉えてきたその人は、いま何を思い、何を見据えているのか? 映像作家・中村佑子が、生まれ故郷でもある群馬にアトリエを移したばかりの石内都を訪ねた。

by Yuko Nakamura; photos by Yuri Manabe
|
27 December 2018, 8:38am

この記事は『i-D Japan No.6』フィメール・ゲイズ号から転載しました。

その朝、私は2歳半の娘を膝に座らせ、いつもと違う朝のTV番組を見つめていた。通常ならその時間、部屋には幼児番組のやけに明るい声が響いてくるのだが、その日は低くうなる鐘の音が部屋を満たした。広島平和記念式典の中継だった。列席している遺族の顔が映し出される。家族がその朝かぶることになる一瞬の業火に、あるいはその数分前まであった当たり前の朝の風景に想いを馳せるような、遠いまなざしがあった。それは痛みをともない、私たちの側の空気をもふるわせた。

8月6日の朝、彼らが着ていた服は、母がこしらえた手作りの服ばかりだ。体が見つからず、焼けこげた衣服だけが見つかったこともあったという。その事実を伝える写真を撮った人は、焼けた衣服をまるで、その服を着た少女と出会うように撮影していた(《ひろしま》)。TVから鐘の音が響くあいだ、私は膝に抱いていた娘の腕を触った。このたよりない肌が、焼かれた衣服の下にもあったのだと。TVは遺族を映したあと、最前列の首相を大映しにした。その目には、痛みの記憶はかいま見れなかった。午後に首相は核兵器禁止条約に参加しないことを明言した。無念の死を迎えた屍が眠る、あの土の上に立って。

いまの時代、私たちは「痛み」というものを保持し得ているだろうかと自戒を込めて思う。どんなこともすぐに忘れ、過ぎ去れば痛みは、それを被った人だけが抱えるものとなる。ただ前へと進むスピードの速い時代のなかで、痛みや傷の行ったり来たりする時間は、そもそも排除されているように感じる。

そんな時代に抗うかのように、かの写真家はつねに「痛み」を、「傷」を撮ってきた。「月に一度の経血に傷ついていた」と言う彼女は、女性であることの個人的な痛みとともに育った街を撮った(《絶唱、横須賀ストーリー》《APARTMENT》《連夜の街》)。40歳になった彼女は、同い年の女性たちの手と足を撮った。そこには喪失(死)に向かう肉体に刻まれた皺や傷が無数に写っていた(《1・9・4・7》)。ケロイドや手術跡など、皮膚に残された痛みの痕跡を撮っていた時代も長い(《SCARS》《INOCCENCE》)。死んだ母親の口紅や下着を撮ったときは、ずっとうまくいかなかった母と会話をするように撮った(《Mother’s》)。その展覧会場で、泣いてしまう女性も多いという。個人的な「私の傷」が、誰かの「私の傷」になり、「私たちの傷」になる。個的な記憶に深く潜るからこそ、私たちの普遍的な感情に降り立つ。そういう、うずくような傷の時間をずっと撮ってきた人は、いま何を考えているのか。折しも73年前原爆が落とされたその朝、TVを消して娘を保育園に送り出した私はその人、石内都に会いにいった。

母と父 女と男

—— 群馬でお伺いするということもあって、まずはお母様のことをお伺いしたいなと思いました。出身地で時間を過ごすなかで、あらためて母親のことを思い出すことはありますか?

なんて言ったらいいかな。生前、母とはあまりうまくコミュニケーションを取れてなくて。親なんて生きているうちは鬱陶しいよね(笑)。だから、理解できないんですよ。理解したくなかったというか。母が2000年の12月に亡くなって、死人とは話ができないから、母が残した遺品たちと話をするようにして撮っていったのが「Mother’s」です。元々、個人的な遺品なので人様に見せるつもりじゃなかったんですけどね。まして下着を見せるなんて、恥ずかしがり屋の母は嫌がるだろうし(笑)。でもそれがヴェネツィア・ビエンナーレを機に、母の遺品が世界中にどんどん広がっていったんです。“私の母”じゃなくて誰の母でもいい、言ってみれば、“世界中の母”の遺品になっていった。それからしばらくして、母のことを客観的に見られるようになったかな。

——「石内都」というのはお母様の旧姓ですね。写真家としてデビューするときに作家名としてその名前を選ばれたのはなぜでしょう。

誰も知らない名前で世に出ようと思ったの。そうなると選択肢は、ペンネームをつくるか、誰かの名前を名乗るか。ピンク女優さんの名前をペンネームにしていたこともあるんだけど(笑)。

——ちなみにどんな名前だったのですか?

「タチバナ ナナ」だったかな(笑)。その候補を羅列していくなかに母の旧姓もあったんですよ。それで、母が離婚したら私も石内になるかもしれないし、わりと筋が通っているなと。それで、母にはなんの相談もなく勝手に決めました。

—— 誰も知らない名前がいいと思ったのは?

だって、そのほうがカッコイイじゃん。母の旧姓を知ってる人なんてうちの父親と親戚くらいだからさ。結婚する前の名前なんてみんな忘れてるわよ(笑)。

—— お母様とうまくコミュニケーションが取れなかったとおっしゃっていましたが、どういう面倒くささだったのでしょうか。

いま考えてみると、私が勝手に母のイメージを作り上げていたわけですよ。父は二枚目でかっこよかったの。自慢だった。でも、母はいつも控えめで地味で、それに対して不満があったんだ。彼女も再婚したり、いろんなことがあって、彼女は彼女の強さを持っている、ってわかってきたのはほんの最近で……。父が先に死んでから、ようやく話すようになりました。

—— 遺品としてのお母様の家計簿をご覧になったときに、お父様の名前が書いてあったというお話が印象的でした。

「清が死んだ」って書いてあったのがすごいショックで……だって母が父のことを清なんて呼んだことなかったから。でも、それでわかったの。母も父も若いときは恋人同士で、男と女の関係だったって。そうなると、どんどん普遍的な問題になってくる。

—— 非常に個人的な記憶だからこそ、普遍になる。「Mother’s」展の会場で女の人たちが自分の母を想起するのか、涙するという話を聞きました。「肌理と写真」展で、口紅の写真を見たときに、石内さん自身はあの口紅をどういう気持ちでシンクに置かれたのかなと想像しました。

私、写真を撮るのが苦手で、さっさと撮っちゃうから、あんまり考えてないの(笑)。あとでね、あとで気がついたの。台所のシンクに口紅を置くのも悪くないなって。でも撮るときは考えてない。

「眼に見えず、触れられず、匂いもせず、音もせず、味わえない。 五感のすべてを否定しているのが時間。で、写真なら時間を撮ることができると思ったの」

1545371743714-Mothers_035R_46
©Ishiuchi Miyako「Mother’s#35」

時間を焼く

—— 石内さんのなかで、撮影と暗室作業はどういう関係なのでしょうか。

暗室に入るために、しょうがなく撮影する。撮影は前戯に近いかもしれないね(笑)。昼間に真っ暗にして、セーフティライトをつけると部屋が赤くなるでしょう。そのなかで薬液の匂いを嗅いでいると、別の世界にトリップしちゃう(笑)。写真をプリントするとかそういうことじゃないんだよね。私ロールプリントも全部ひとりでやっていたんだけど、そうするともう、水仕事をやっている感じ。

—— 暗室にいる石内さんは、何かを丹精込めて漬けているようにも、藍の甕のなかに手を入れて、染め物をしているようにも見えました。大学で染織を学ばれたこととも関係しているのかなと。

最初はデザイン科に入ったの。ちょうど東京オリンピックのときで、亀倉雄策さんがデザインしたポスターを見て、すごいなあ、カッコイイと思って。でも全然向いてなくて、2年から染織科に行ったんです。だけど、染織も向いてない! 全然ダメなんだよ。それで4年生のときに学校を辞めちゃった。それから、Tシャツにろうけつ染めをしたり、ロウソクを作ったり、5年のあいだにいろんなことをやったんだよね。そこで写真と出会った。

——どういうきっかけだったのですか?

映画科の友達が授業で使う暗室道具を一式持っていて、もうやらないけど、捨てるのももったいないからって実家で預かってたの。で、ときどき実家に帰るたびに、これなんだろうなって思っていて。元々写真をやってる友達も多くて、展示を見に行ってたんです。それでうちに道具もあるし、すぐにできるなと思ってはじめたの。

——それから、暗室での作業に面白さを見出していく。

もう、はじめっから! 1枚目をフィルム現像したときから、これは面白い!って思ってた。焼けば焼くほどいいじゃんって。

—— 染織の技術は役立ちましたか?

たぶんね。プリントを紙だと思ってないもん。布だから。写真はある種の染め物だと思いますね。

—— 撮影は瞬間で、暗室作業は長い時間をかける対話なのですね。時間についてのエッセイもたくさん書かれていらっしゃいます。

っていうのもね、眼に見えず、触れられず、匂いもせず、音もせず、味わえない。五感のすべてを否定しているのが時間なんだよ。それにすごい興味があった。で、写真なら時間を撮ることができると思ったの。

—— 染織からカメラに切り替えられた当時からそう思われていたんですか?

うん、はじめから。だから写真を撮るとか、焼くっていう気はあんまりしなかった。というのも、私の写真って全部、覆い焼きをしているんですね。なぜ覆い焼きかというと、空っていうのはネガが濃くて、時間をかけないと粒子が出てこないんだよ。私は、写真は粒子の集まりだと思ってるから。そう、時間を焼いてるんだっていう感覚があった。それを絵で描こうとすると時間がかかるけど、写真ならたかだか1時間じゃんって。そういうふうにはじめたから。たとえば、空を焼くって大変なんですよ。(写真集の作品を指差しながら)これとか、ほら! すっごく美しいと思った。ここに空間と時間が出てる。でももし学校に提出したら落第だよ、こんなの(笑)。

—— 初期の作品は粒子が大きくて粗いですが、それがだんだん滑らかな肌理の作品に移行しているのが、なにかの傷が癒えていくような印象をもちました。たとえば、「1・9・4・7」とか。

それは意識したわけじゃなくて、手と足がそうさせた。「1・9・4・7」ではじめて標準現像をしたんです。だって、手と足には粒子がある。ね? だからわざわざ粒子を上にのっける必要がない。もう自然に受け止めればいいと思って標準現像にしたの。

—— ずっと粒子を撮り続けている。

粒子は時間なの。だからフィルムには粒として時間が写ってるんですよ。粒子は丸で、空間があるでしょう。空気が入ってる。デジタルは四角い画素がベタッとくっついているだけだから、空気もへったくれもない。でも粒子って丸で抜けると空間があるから、大きくすればするほど立体的になる。と、勝手に思っているんだけどさ(笑)。でも実際そうなんだよ。そっちのほうが立体的になるし、カッコイイ。

—— デジタルはゼロイチの信号で、いくら拡大しても空間にはならないですね。

デジタルは情報なんですよ。デジタルの良さはもちろんあって、情報伝達の方法としては素晴らしいものだと思う。だから、デジタルそのものに否定的ってわけじゃないんです。作品的にはどうなのかなって思ってるだけで。これは好き嫌いとか、方法論だからね。ただ私は、情報をつけたくない。空間として写真を考えたいなと思っているので。

はじまりの傷:石内都 interview 〈後篇〉はこちら

Credit


Text Yuko Nakamura
Photography Yuri Manabe