Greg Lin Jiajie

幼いふたりが過ごしたあの瞬間を再創造する、中国人の双子のポートレート

写真家グレッグ・リン・ジアジャ(Greg Lin Jiajie)は16歳のときにニュージーランドへ移住し、彼の双子のきょうだいは中国に残った。今、ふたりは幼年時代を過ごした場所で、離れ離れになった年月を乗り越えて再び絆を深めようとしている。

by Greg Lin Jiajie ; translated by Ai Nakayama
|
aug 22 2018, 9:17am

Greg Lin Jiajie

一卵性双生児は、まずは見た目がまったく同じだからという理由でふたりとも同じだと思われる。違いが見えてくるのはそのあとだ。双子の似ている点も、違っている点も、結局別の方向に進んだふたりの人生を示すものでしかないと私は思う。ただ、同じ日に生まれ、同じ場所から人生を歩み始めても、まったく別の人生を送る双子がほとんどだ。

私にも一卵性双生児のきょうだいがいる。私たちは共に成長したが、私たちの人生はまるで別物だ。友人も違う。通った学校も違う。16歳のとき、私はニュージーランドに移住し、それから英国へ移ったが、きょうだいは中国に残った。離ればなれになり、別々の生活を送り、まったく別のカルチャーに影響を受けた私たちは、今や話すときのアクセントだって違う。身長、体型は今も同じだが、私たちを見分けるのは昔より容易い。

ここに掲載された写真の舞台は、中国の竜岩市。私がきょうだいといっしょに幼年時代を過ごした街だ。このプロジェクトを思いついたのは、家族のアルバムの古い写真を眺めていて、私ときょうだいを収めた写真を見つけたときだった。写真の下部には、〈黄金の幼年時代〉を意味する〈⾦⾊童年〉という中国語が書かれていた。その写真は、自分の幼年時代がどれほどかけがえのないものだったかを私に思い出させてくれた。田舎にある祖父母の家で、大切な〈親友〉と過ごした終わらない夏。

当時の中国では一人っ子政策が推進されていたので、子どもがふたりいる我が家はラッキーだとされていた。さみしい想いをしなくてすむからだ。でも私たちだってつらかった。幼いとき、私たちは母親にまったく同じ服を着せられていた。ふたりともそれが本当に嫌だった。同じ服を着ないと、一卵性双生児だってことがわからないとでも? 確かに、双子のきょうだいがいて、さみしさを感じたことは一度もない。だけど、同じ姿をした子どもがふたりいたら、外で周囲の人びとは僕らをじろじろ見て、バカバカしい質問ばかりしてくる。ふたりを比べて、ひとりがこうだからもうひとりはこうだろう、と勝手な推測をする。あるいは、僕に双子がいると気づいた瞬間、片割れのほうに注意を向ける。

13歳の頃には、きょうだいと自分を差別化するべく、私は躍起になっていた。私は自分だけの服、自分だけの趣味、自分だけの音楽プレイリスト、そして自分だけの友人が欲しかった。ニュージーランドに移り住んだあと、あるときから、双子のきょうだいがいることさえ話さなくなった。人には理解されなかったが、少なくとも私は、双子のうちのひとり、双子の片割れ、とみなされるのにうんざりしていたのだ。とにかく私は、〈自分〉になりたかった。みんながひとりの人間としての私を見てくれるよう、私は多大なる努力をした。そして私たちは大人になり、疎遠になった。

長い年月が流れ、私は私自身に満足するようになった。もう、周りが自分の本当の姿を見てくれないことに、恐怖を抱かなくなった。このプロジェクトに取りかかったのは、良い作品を撮るためだけではなかった。双子のきょうだいと共に過ごした、自分自身の歩みをたどりなおしたいという意味もあった。私は、自分の記憶のなかにある、きょうだいと過ごした美しい瞬間を再創造したかった。そして、きょうだいとの絆を、改めてつなぎなおしたかった。

双子の片割れの存在を強く感じたり、感情を共有したりしたことはあるか、とよく訊かれる。私にはそんな体験はない。だけど今回、私は自分を〈完全だ〉と感じた。故郷でのプロジェクトの撮影は、間違いなく人生最高の瞬間だった。このプロジェクトを通して、今の私ときょうだいは、まったく違うふたりの人間だと私は気づいた。見た目がそっくりでも、きょうだいの人生、彼のモノの考えかたを知るのは、実に興味深いことだった。私は今の自分に満足している。そして、今のきょうだいについても、誇りに思う。

Credits


Photography Greg Lin Jiajie
Styling Yun Nam Ho
Special thanks Lin Jia Hao, Xie Hong Li & Lin Qiang Bin

This article originally appeared on i-D UK.